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第108話 俺が殺した(挿絵有)

 良樹の身体は、三人の腕の中にあった。


 リシアが背を支えていた。

 カレンが片腕を抱えていた。

 クラリスが胸元と肩口へ手を添えていた。


 門の前にいた者たちは、誰もすぐには声を出せなかった。


 血の匂いがあった。

 土の匂いがあった。

 焼けた魔力の残り香があった。


 良樹は立っているのではなかった。

 三人に支えられて、辛うじて倒れていないだけだった。


「良樹――」


 ガレスが近づいた。


 いつもの乱暴な足音ではなかった。

 それでも、迷ってはいなかった。


「あいつは」


 問いは短かった。


 グレンはどうなった。

 倒したのか。

 止めたのか。

 生きているのか。


 いくつもの意味が、その短い言葉に詰まっていた。


 良樹は、息を吸った。


 肺の奥が、焼けるように痛んだ。

 肩口から血が流れている。

 右腕は動かない。

 左腕も、自分のものではないみたいに重かった。


 それでも、答えだけは間違えなかった。


「――俺が殺した」


 勝った、とは言わなかった。

 倒した、とも言わなかった。

 止めた、とも言わなかった。


 殺した。


 良樹は、そう言った。


 リシアの指が、良樹の服を強く掴んだ。

 カレンが、唇を噛んだ。

 クラリスの手が、一瞬だけ震えた。


 ガレスは目を閉じた。


「……そうか」


 それだけだった。


 フィルも、そこにいた。


 クラリスたちと同じように、門の内側で良樹を待っていた。

 施療院の主として。

 クラリスの父として。

 そして、グレンの旧友として。


 白い法衣の袖は、すぐ治療に入れるように少し上げられていた。

 その顔には、施療院の主としての冷静さと、旧友を待つ男の重さが同時にあった。


「婿殿」


 フィルは低く言った。


「済まなかった」

「ワシらが、止められていれば」

「ワシらが、あやつを――」


「フィルさん」


 良樹は、それを遮った。


 声はかすれていた。

 けれど、届いた。


「弔ってやってくれ」


 フィルの目が、わずかに開いた。


 良樹は続けた。


「俺は」

「グレンを殺した」


 息をするたびに、胸が痛む。

 目の前が暗くなる。

 それでも、ここだけは言わなければならなかった。


「けど」

「あいつを弔うのは」

「俺じゃねえ」


「昔のあいつを知ってる」

「あんたらが」

「やってくれ」


 ガレスは、良樹を見ていた。


 フィルも、良樹を見ていた。


 良樹は、その二人の目を見返そうとした。

 だが、視界が揺れた。


 膝から力が抜ける。


「良樹!」


 リシアの声がした。


「良樹さん!」


 カレンの声がした。


「良樹くん!」


 クラリスの声がした。


 身体が落ちた。


 三人が受け止める。

 受け止めてくれる。


 それだけは分かった。


 良樹は、もう声を出せなかった。


 最後に聞こえたのは、クラリスの声だった。


「寝かせてください」

「今すぐ」

「傷を開かないように」


 それから、フィルの声。


「ワシも入る」

「クラリス、呼吸を見ろ」

「リシア、魔力の流れを」

「カレン、顔色と震えを見逃すでない」


 ああ。


 帰ってきたのに。


 また、世話をかけている。


 そう思ったところで、良樹の意識は沈んだ。


   ◇


 門の内側は、すぐに慌ただしくなった。


 クラリスは泣かなかった。


 泣いている暇がなかった。


 良樹を横たえる。

 肩口の傷を見る。

 脇腹を見る。

 右腕を見る。

 左腕を見る。

 呼吸を見る。

 血の流れを見る。


 治すところが多すぎた。


 どこから手を入れるかを間違えれば、良樹はそのまま落ちる。

 だから、クラリスは泣かなかった。


 泣く代わりに、良樹の胸元へ手を当てた。


「右肩、深いです」

「骨までは砕けていません」

「ですが、魔力の流れが荒れています」


「肩口だけを見るな」


 フィルが隣に膝をついた。


 声は太い。

 だが、手つきは驚くほど静かだった。


「失血が多い」

「呼吸も浅い」

「先に命を繋ぐ」


「はい」


 クラリスの手から、淡い光が広がる。


 フィルの手からも、同じ系統の、けれど少し質の違う光が流れた。


 クラリスの回復は細い。

 相手の身体の内側をなぞり、裂けた場所を繋ぎ、歪みを戻す。


 フィルの回復は太い。

 崩れかけた流れを押し返し、沈みそうな命を岸へ戻す。


 二つの光が、良樹の身体の中で重なった。


「リシア」


 クラリスが呼んだ。


「右肩から胸にかけて、魔力が乱れています」

「見えますか」


「見える」


 リシアは良樹の頭側に回っていた。


 泣きそうな顔だった。

 怒っている顔でもあった。


 だが、目は逸らさなかった。


「右肩から、胸の奥へ落ちてる」

「そこから左腕にも変な流れが残ってる」

「良樹、何をしたのよ……」


 最後の言葉だけが、震えた。


「今は後です」


 クラリスが言った。


「分かってるわよ」


 リシアは、良樹の額にかかる髪を乱暴にならないように払った。


「クラリス」

「胸の奥、少し戻った」

「でも、まだ危ない」


「はい」


「カレン」


 フィルが言った。


「顔色は」


「悪いです」

「唇の色が薄いです」

「呼吸が、時々止まりそうになります」

「それから」


 カレンは、良樹の手を握っていた。


 強く握っていた。

 けれど、壊さないように、震えながら加減していた。


「怖いです」

「今、良樹さんの息が」

「すごく、怖いです」


「よい」


 フィルは頷いた。


「その怖さを見ろ」

「怖いところが、死に近いところじゃ」


「はい……!」


 カレンは涙をこぼしながら、それでも良樹の顔から目を離さなかった。


 クラリスとフィルの回復が、良樹の身体を繋ぎ止めていく。


 傷は塞がらない。

 完全には戻らない。

 そんな段階ではなかった。


 ただ、死へ落ちていく流れを、二人がかりで押し返す。


 長い時間が過ぎた。


 実際には、それほど長くなかったのかもしれない。

 だが、その場にいた者たちには、息が何度も止まるほど長く感じられた。


 やがて、クラリスが小さく息を吐いた。


「……今すぐ死ぬ線は、外れました」


 リシアの肩から力が抜けかける。


 だが、クラリスはすぐに続けた。


「でも、重症です」

「動かせません」

「意識も戻りません」

「ここから先も、ずっと見ます」


「当然よ」


 リシアは言った。


「離さないわ」


 カレンも頷いた。


「手、離しません」


 フィルは良樹の胸元から手を離した。


 その手には、かすかな震えがあった。


「クラリス」


「はい」


「ここから先は、お前が繋げ」


 クラリスは、一瞬だけ父を見た。


 フィルは、父の顔をしていた。

 だが、それ以上に、次の役目へ行く者の顔をしていた。


「はい」


 クラリスは頷いた。


「絶対に、繋ぎます」


「よい返事じゃ」


 フィルは立ち上がった。


 そして、良樹を見下ろす。


「婿殿」

「よく、帰った」


 それだけ言って、振り返った。


 ガレスは少し離れた場所で、すでに人を集めていた。


 布。

 担架。

 人払い。

 街の外へ出る者。

 衛兵への説明。

 遺体を町へ入れるかどうか。

 弔う場所。


 準備はされていた。


 一応、ではあった。

 起きてほしくないことへの準備だった。

 それでも、ガレスは準備していた。


 そして今、本当にそれを使うことになった。


 ガレスの手が、畳まれた布の上で一瞬だけ止まる。


 それから、彼は短く息を吐いた。


「フィル」


「うむ」


「行くぞ」


「ああ」


 フィルはガレスの横へ並んだ。


 ガレスは、街の外を見た。


 良樹が帰ってきた道。

 その先に、グレンが倒れている。


「迎えに行く」


 ガレスはそう言った。


 フィルは頷いた。


「うむ」

「迎えに行こう」


 二人は、街の外へ向かった。


   ◇


 良樹が次に目を覚ました時、最初に見えたのは天井だった。


 木の天井。


 知らない天井ではない。

 見たことはある。

 けれど、すぐには場所が分からなかった。


 身体が重い。

 いや、重いというより痛い。


 呼吸をする。

 痛い。


 指を動かそうとする。

 痛い。


 目だけを動かす。

 それも、少し痛い。


 何だこれ。


 そう思った。


 次に、手の温かさに気づいた。


 右手。

 いや、右腕はほとんど動かない。


 その右手を、誰かが握っている。


 視線を向ける。


 カレンがいた。


 目の下に、濃い疲れがあった。

 髪も少し乱れている。

 いつものようにきちんと整えようとした跡はある。

 だが、整えきれていなかった。


 それでも、カレンは良樹の手を握っていた。


 左側にはリシアがいた。


 椅子に座っている。

 腕を組んでいる。

 怒っているようにも見える。


 けれど、その目は赤かった。


 クラリスは、寝台の脇に立っていた。


 良樹の胸元へ手を添えている。

 回復の光は薄い。

 けれど、まだ流れている。


 クラリスの顔色も悪かった。

 良樹より悪いのではないかと思うほどだった。


 三人とも、ろくに眠っていない顔をしていた。


 ああ。


 良樹は思った。


 また、こんな顔をさせてしまった。


 帰ってきたつもりだった。

 門までは戻った。

 ただいま、と言った。


 それでも、三日も待たせた。


 三日も、怖がらせた。


 本当に、どうしようもない夫だと思う。


 それでも。


「……ただいま」


 声は、かすれていた。


 門の前で言った言葉とは違った。

 今度は、帰り着いた報告ではない。


 目を覚ましたという、ただそれだけの報告だった。


 三人の顔が、同時に崩れた。


「良樹……!」


 リシアが真っ先に身を乗り出した。


「良樹さん……!」


 カレンが手を握ったまま泣いた。


「良樹くん……」


 クラリスの声も、震えていた。


 三人が抱きついてきた。


 痛かった。


 とても痛かった。


 肩も。

 脇腹も。

 腕も。

 胸も。

 背中も。


 どこもかしこも痛かった。


 けれど、良樹はすぐには何も言わなかった。


 三人の腕があった。

 三人の涙があった。

 三人の匂いがあった。


 帰ってきたのだと、ようやく身体が理解した。


「……お前らから借りたものがなかったら」


 良樹は、ゆっくりと言った。


「帰って来れなかった」


 三人の動きが止まる。


「ありがとな」


 リシアが、良樹の肩に顔を押しつけたまま言った。


「ばか……」


 カレンは、涙で声を詰まらせながら言った。


「こっちこそ……」


 クラリスは、良樹の胸元に額を寄せた。


「もう」

「置いていかないでください……」


「ああ」


 良樹は答えた。


 軽く言える言葉ではなかった。

 それでも、今は答えた。


「ああ」


 少しだけ、沈黙が落ちた。


 三人は離れない。


 良樹は、息を吸った。


 痛かった。


 かなり痛かった。


「……身体で痛くねえところがねえ」


 三人が、びくりとした。


「ご、ごめんなさい!」


 カレンが慌てて身を引こうとする。


 リシアも少しだけ離れた。


「先に言いなさいよ」


「言う余裕がなかった」


「そういうところよ、本当に……!」


 クラリスは、すぐに良樹の状態を見直した。


「傷は開いていません」

「ですが、今の抱擁は、良樹くんにはかなり痛かったと思います」


「実況するな」


「確認です」


「なお悪い」


 良樹がそう言うと、三人は泣きながら少し笑った。


 その笑いを聞いて、良樹は少しだけ目を閉じた。


 生きている。


 痛い。

 苦しい。

 重い。


 でも、生きている。


   ◇


 部屋の外にいたギルドの手伝いが、良樹の目覚めを知って走った。


 知らせはギルドへ届き、そこから近くの宿へ飛んだ。


 ガレスとフィルは、そこで休んでいた。

 アルフたちと同じ宿だった。


 ほどなくして、二人が部屋へ駆けつけた。


「良樹」


 ガレスが扉のところで足を止めた。


 いつものように雑に入ってくるかと思ったが、そうしなかった。


 寝台の周りに三人の妻がいるのを見て、少しだけ声を落とした。


「起きたか」


「ああ」


 良樹は答えた。


 声はまだ弱かった。


 フィルも部屋へ入ってきた。


「婿殿」

「顔色は悪いが、目は戻っておるな」


「フィルさん」


「喋りすぎるでない」

「まだ、お主は穴だらけの袋のようなものじゃ」


「例えが嫌すぎる」


「事実じゃ」


 良樹は、少しだけ息を吐いた。


「俺は」

「どれくらい寝てたんだ」


 ガレスが答えた。


「丸三日だ」


 良樹は、言葉を失った。


「三日……」


「ああ」

「その間、フィルとクラリスが付きっきりでお前を回復していた」


 ガレスはリシアとカレンを見た。


「リシアとカレンも」

「ずっと、お前の世話をしていた」


 良樹は三人を見た。


 リシアは目を逸らさなかった。

 カレンは手を握ったままだった。

 クラリスは、良樹の胸元へ添えた手を離していなかった。


 責めるような目ではない。

 でも、ただ安心した目でもなかった。


 三日分の恐怖が、そこにあった。


「……悪かった」


 良樹が言うと、リシアが即座に睨んだ。


「それだけで済むと思ってるなら、後で怒るわ」


「後でか」


「今怒ったら、あなたが死にそうだから後よ」


「理性的な怒り方だな」


「怒ってるのよ」


「ああ」


 良樹は頷いた。


「分かってる」


 カレンが、小さく言った。


「本当に、怖かったです」


「……ああ」


 クラリスは静かに続けた。


「でも、帰ってきました」

「だから、今はそれを優先します」


「助かる」


「後で怒ります」


「クラリスもか」


「はい」


 良樹は、何も言い返せなかった。


 その沈黙のあと、良樹はゆっくりとガレスたちへ視線を戻した。


「……グレンは」


 部屋の空気が、少しだけ重くなった。


 フィルが答えた。


「町外れの高台に」

「墓を作って弔った」


 良樹は目を閉じた。


 町外れの高台。


 街の中ではない。

 だが、捨てるような場所でもない。


 外から街を見られる場所。

 街の灯りが、遠くに見える場所。


 そこに、グレンは眠っている。


「……そうか」


 良樹は、それ以上は言わなかった。


 自分が弔ったわけではない。

 自分が許したわけでもない。

 自分が、その死を綺麗にできるわけでもない。


 良樹はグレンを殺した。


 弔いは、ガレスとフィルの役目だった。


 それだけを、黙って受け止めた。


「すまぬ、婿殿」


 フィルは頭を下げた。


「やはりこれは」

「ワシとガレスが、もっと早くに向き合うべき問題じゃった」


 ガレスも、低く言った。


「否定はしねえ」

「俺とフィルが、あいつを見るのを遅らせた」


 良樹は、何も言わなかった。


 否定はできなかった。


 グレンを殺したのは良樹だ。

 それは消えない。


 だが、グレンがそこまで行く前に、見るべきものがあった。

 良樹ではなく、ガレスとフィルが見るべきものがあった。


 二人がそう言うなら。

 それは、たぶん本当だった。


 良樹は責めなかった。

 慰めもしなかった。


 ただ、受け止めた。


 しばらく、誰も喋らなかった。


 重い沈黙だった。


 その時だった。


 開け放たれた扉の陰に、小さな人影が見えた。


 青い髪。

 灰褐色のフード付きマント。

 細い肩。


 アルフだった。


 良樹は、そちらを見た。


「アルフ」


 扉の陰で、アルフの肩が跳ねた。


「来たんなら入れ」


 アルフは、すぐには動かなかった。


 逃げ出す顔ではなかった。


 逃げるだけなら、三日前に消えている。

 良樹の目覚めを待つ必要などない。


 来たのだ。


 挨拶をするために。

 出ていくなら、ちゃんと良樹に頭を下げてから出ていくために。


 けれど、その足が部屋へ入れない。


 まだいたい。

 まだ教わりたい。

 師匠と呼びたい。


 でも、自分がここにいれば、また誰かに迷惑がかかるかもしれない。


 その全部が、扉のところでアルフの足を止めていた。


「……師匠」


 アルフは、ようやく部屋へ入ってきた。


 目が赤い。

 泣いたのだろう。

 たぶん、何度も。


「目が覚めて」

「よかったです」


「ああ」


 良樹は短く答えた。


 アルフは寝台の少し手前で立ち止まった。


 深く頭を下げる。


「師匠」

「僕のせいで、すみませんでした」


 部屋の空気が、また少し重くなる。


「僕」

「ちゃんと挨拶してから行こうと思って」


 アルフの声は震えていた。


「この街を、出ます」


 リシアの目が細くなった。

 カレンが息を呑む。

 クラリスは良樹の胸元へ添えた手を止めなかった。


 良樹は、アルフを見た。


「出たいのか」


 アルフは、すぐには答えられなかった。


 唇が震える。


「……出たく、ないです」


 小さな声だった。


「まだ」

「ここにいたいです」


「まだ」

「師匠に教わりたいです」


 言葉が、そこで詰まった。


「でも」

「僕がいると」

「また、みんなに迷惑がかかるかもしれなくて」


「だから」

「行った方がいいんじゃないかって」


 良樹は黙って聞いていた。


 アルフは逃げていない。

 筋を通そうとしている。


 けれど、それは自分を追い出すための筋だった。


「アルフ」


「はい……」


「こっちへ来い」


 アルフは、おずおずと近づいた。


「そっちじゃねえ」

「寝台の右側だ」


「右側、ですか」


「ああ」

「そこだ」

「座れ」


 アルフは言われた通り、寝台の右側に腰を下ろした。


「頭を下げろ」


「……はい」


「もう少し低い位置」

「そこだ」


 アルフは、言われた通りに頭を下げた。


 申し訳なさと、居た堪れなさと、それでもここにいたいという本音で、顔がぐちゃぐちゃになっていた。


 良樹は、右腕を動かした。


 リシアが息を呑む。


「良樹」


「大丈夫だ」


「大丈夫な動きじゃないわよ」


「少しだけだ」


 良樹は、ほとんど動かない右腕を、少しずつ上げた。


 グレンの剣を掴んだ右腕。

 砕けかけた右腕。

 それでも、帰ってきた右腕。


 拳を作るだけで、肩から背中へ痛みが走った。


 それでも、良樹は拳を作った。


 そして。


 こちん。


 良樹の右拳が、アルフの頭に落ちた。


挿絵(By みてみん)


「っづぅ……」


 殴られたアルフではなく、殴った良樹が顔をしかめた。


「痛え」


 アルフは、何が起きたのか分からない顔をしていた。


 呆然と、良樹を見上げる。


「師匠……?」


 良樹は、息を整えた。


「アルフ」


「はい」


「今ここで言ってるのは」

「お前の責任の話じゃねえ」


 アルフが固まる。


「俺の責任の話だ」


 良樹は、動かした右腕を布団の上へ落とした。


 それだけで汗が滲む。


 だが、目は逸らさなかった。


「お前を弟子だって言った以上」

「俺は、お前を見る」


「弟子が何かやらかしたなら」

「師匠が見る」


「止める」

「叱る」

「必要なら、殴る」


 良樹は、かすれた声で続けた。


「それが」

「師匠としての俺の責任だ」


 アルフの目に、涙が溜まっていく。


「でも」

「僕は」


「勘違いすんな」


 良樹は言った。


「お前のやったことが、これで消えるわけじゃねえ」


「はい……」


「傷ついた奴がいる」

「戻れない奴がいる」

「許すかどうかは、そいつらが決める」


 アルフは唇を噛んだ。


「はい」


「でもな」


 良樹は、そこで少しだけ息を吐いた。


「迷惑になるから消えます、で済ませたら」

「俺が師匠を名乗れねえ」


 アルフの涙が、頬を落ちた。


「まだ教わりてえなら」

「そう言え」


「勝手に身を引いて」

「分かった顔すんな」


「俺はまだ」

「お前に教えることがある」


 アルフの顔が、崩れた。


「……教わりたいです」


 声が震えていた。


「まだ」

「ここにいたいです」


「師匠に」

「教わりたいです……!」


 次の瞬間、アルフは良樹にしがみついていた。


「痛え」


 良樹が即座に言った。


「アルフ、痛え」

「今の俺にそれは普通に痛え」


「すみません……!」


 アルフは泣きながら謝った。


 けれど、離れなかった。


「すみません」

「でも、無理です」

「今は、無理です……!」


 良樹は天井を見た。


「無理なのか」


「無理です……!」


「そうか」


「納得しないでください、良樹さん」


 カレンが涙を拭いながら言った。


「本当に痛いと思います……」


「思いますじゃなくて痛え」


 クラリスは良樹の状態を見ながら、静かに言った。


「傷は開いていません」

「少しだけなら、大丈夫です」


「俺の身体で情緒を優先するな」


「今のアルフ君は、離せなさそうなので」


「実況に判断を混ぜるな」


 リシアは、涙を指で拭った。


 そして、アルフを見た。


「アルフ君」


「はい……」


 アルフは良樹にしがみついたまま、泣き声で返事をした。


 リシアは、少しだけ口を尖らせる。


「そこ」

「私たちの場所なんだけど」


 アルフは、さらに泣いた。


「今は無理です」

「譲ってください……!」


 リシアは一瞬だけ黙った。


 それから、困ったように笑った。


「……今回だけよ」


「ありがとうございます……!」


「お礼はいいから、良樹を折らないで」


「はい……!」


「はいじゃなくて、力を抜いて」


「無理です……!」


「この子、意外と頑固ね」


 カレンが、泣き笑いの顔で頷いた。


「良樹さんの弟子なので……」


「そこで俺を見るな」


 良樹は小さく呻いた。


 部屋の空気が、ほんの少しだけ緩んだ。


 許されたわけではない。

 何もかも終わったわけでもない。


 グレンは死んだ。

 良樹は殺した。

 アルフの作ったものが残した傷も、消えない。


 それでも、ここにはまだ生きている者がいた。

 帰ってきた者がいた。

 泣きながら、しがみついている弟子がいた。


 フィルが、目を細めた。


「これは何とも」


 静かな声だった。


「痛いゲンコツじゃの」


 誰も、それを否定しなかった。


 今度は、右の拳だった。


 罰と呼ぶには弱すぎる。

 殴られたアルフより、殴った良樹の方が痛がるような、情けない拳。


 それでも、アルフには分かった。


 追い出すための拳ではない。

 責めるためだけの拳でもない。


 ここにいろと。

 まだ教えると。

 師匠が弟子を、自分の責任として見るための拳だった。


 アルフは泣いた。


 許されたからではない。

 罪が消えたからでもない。


 まだ終わらせてもらえなかったから。


 師匠が、そう殴ってくれたから。


尚、その後いつまでも良樹から離れようとしない


アルフを引き離し、自分たちの居場所を取り戻そうと


3人の妻達は悪戦苦闘したのであった。


「痛え!お前らいい加減にしろ!本当に死ぬぞ!」


良樹の叫びは、虚しく部屋に響くだけだった、

挿絵(By みてみん)


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