第105話 裁きに来た(挿絵有)
ギルドの奥部屋に、その男は何の前触れもなく現れた。
扉が開いた音は、特別大きかったわけではない。
足音も、荒くはなかった。
だが、その場の空気が変わった。
ガレスが、椅子に座ったまま動きを止めた。
いつものように、だらしなく背を預けていた姿勢が、ほんの少しだけ変わる。
肩の力が抜けたまま、視線だけが鋭くなる。
それだけで、良樹には分かった。
この男は、ガレスが冗談で流せる相手ではない。
男は、軽い笑みを浮かべていた。
年齢はガレスと近いようにも見える。
だが、身体の芯に妙な若さがあった。
くたびれた外套。
腰に下げた剣。
乱れているようで、乱れていない立ち姿。
冒険者には見える。
だが、普通の冒険者ではない。
リシアが、わずかに良樹の横へ寄った。
カレンの手が、剣の柄へ近づく。
クラリスは、男の足元を見ていた。
ガレスが、低く言った。
「……何しに来やがった」
男は笑った。
「久しぶりだな、ガレス」
「昔の仲間に会いに来た」
「じゃ、駄目か?」
「駄目だ」
「即答かよ」
「相変わらず愛想がねえなぁ」
「お前がそれだけで動くわけねえ」
良樹は、二人を見た。
昔の知り合い。
それは分かる。
だが、再会を喜ぶ空気ではなかった。
男は、良樹へ視線を移した。
「で」
「お前が噂の新しい英雄か」
良樹は少しだけ眉を寄せた。
「……その呼び方は好きじゃねえ」
「だろうなぁ」
男は笑った。
馬鹿にした笑いではなかった。
どこか、懐かしむような笑みだった。
「俺の知ってる英雄も、そういう顔をしてた」
「グレン」
ガレスの声が低くなる。
男――グレンは、肩をすくめた。
「分かってる」
「昔話をしに来たわけじゃねえ」
良樹はグレンを見る。
「なら、何をしに来た」
「見に来た」
「何を」
「お前が、何を生かしているのか」
良樹の目が細くなった。
その言い方が、嫌だった。
責めているわけではない。
怒鳴っているわけでもない。
だが、すでに何かを見て、何かを決めている声だった。
ガレスが言う。
「アルフか」
グレンは、少しだけ口元を上げた。
「名前は出してねえぜ?」
「……やっぱりか」
良樹はガレスを見てから、グレンへ視線を戻した。
「アルフのことを知ってるのか」
「知ってる」
「人間化の魔石」
「亜人の集落」
「戻れない者」
「井戸」
「施療院」
「それを作った付与術師」
「それを生かしている英雄」
良樹は黙って聞いた。
「聞いた」
「調べた」
「見た」
グレンは一拍置いた。
「その上で、決めた」
「何を」
「放っておけねえ」
ガレスの表情が険しくなる。
「グレン」
「ここで動くなよ」
「動かねえよ」
「ここには、お前がいる」
「フィルの娘もいる」
「それに」
グレンは良樹を見た。
「新しい英雄が、どういう男か」
「まだ見切ってねえ」
「英雄って呼ぶな」
「悪いな」
「癖みてえなもんだ」
軽い口調だった。
だが、目は笑っていない。
良樹は言った。
「俺は、アルフを庇ってるつもりはねえ」
「あいつには、後を見させてる」
「後を見る、か」
グレンは静かに言った。
「いい言葉だ」
「だが、見た後に決められねえなら」
「それはただ、目を逸らしているのと変わらねえ」
良樹は返さなかった。
返せなかった、ではない。
まだ、返すには情報が足りなかった。
グレンは続ける。
「俺は、見た」
「だから決めた」
ガレスが、低く問う。
「何を決めた」
「それを、今ここで言わせるなよ」
「お前も分かってるだろ、ガレス」
ガレスの拳が、軽く握られた。
「今日は顔を見に来ただけだ」
「半分はな」
良樹が言う。
「残り半分は」
グレンは答えなかった。
「じゃあな、ガレス」
「フィルにもよろしく言っといてくれ」
「待て、グレン」
「待つさ」
「少しだけな」
グレンは、そう言って部屋を出ていった。
良樹は追わなかった。
情報が足りない。
今の会話だけでは、判断できない。
だが、胸の奥に嫌な感覚が残っていた。
「ガレス」
「あいつは何者だ」
ガレスは即答しなかった。
扉の方を睨んだまま、短く言う。
「後で話す」
「今じゃ駄目なのか」
「今すぐフィルを呼ぶ」
「それが先だ」
その直後だった。
外から、騒ぎが聞こえた。
「アルフが!」
ガレスの顔が変わる。
「クソッ」
「半分は、そっちかよ……!」
良樹は走り出した。
アルフは、机に向かっていた。
良樹から出された課題。
それを、紙に書いている。
字はまだ拙い。
線も、ところどころ震えている。
だが、そこには確かに、言葉が並んでいた。
使う前に止め方を見る。
使った後に戻し方を見る。
戻せないなら使わない。
使った人と使われた人の後を見る。
便利なものほど、回収方法を考える。
謝って終わりにしない。
見た後を、見続ける。
アルフは筆を止めた。
師匠は、僕を許したわけじゃない。
そう思う。
きっと、まだ怒っている。
たぶん、ずっと怒っている。
それでも、教えてくれている。
僕が壊したものを、見ろと。
見た後に、逃げるなと。
できるなら戻せ。
できないなら、できないことまで見ろと。
だから、書く。
忘れないように。
逃げないように。
自分がまた、便利だとか救いだとかいう言葉で、何かを見落とさないように。
その時、扉が開いた。
アルフは顔を上げた。
見知らぬ男が立っていた。
軽い笑み。
乱れたようで乱れていない立ち姿。
剣士だと分かるのに、構えらしい構えがない。
アルフは、本能的に背筋を冷やした。
この人は、冒険者ではない。
少なくとも、普通の冒険者ではない。
自分を見ている。
自分の後ろにあるものまで、見ている。
「……あなたは」
グレンは、机の紙を見た。
それから、アルフを見る。
なるほど。
書いている。
止め方。
戻し方。
後始末。
あいつの教えが入っている。
遅い。
あまりにも遅い。
壊してから止め方を覚えた小僧。
壊してから後を見始めた小僧。
そして、それを生かしている新しい英雄。
本当に、嫌になるくらい似ている。
グレンは笑った。
「小僧」
「正義の味方がお前を裁きに来てやったぜぇ」
スラリと、剣を抜く。
アルフの呼吸が止まった。
「理由は、分かってるな」
アルフは動けなかった。
分かっている。
分からないわけがない。
自分は、人間化の魔石を作った。
リナを、集落の人たちを、戻れないかもしれない身体にした。
便利だと思った。
助けになると思った。
必要とされて、嬉しかった。
その結果を、後から見た。
見てしまった。
だから、理由は分かる。
でも。
死にたくない。
まだ、死にたくない。
僕はまだ、戻し方を見つけていない。
リナたちを元に戻せるかもしれない方法も、分かっていない。
僕が作ったものの後を、まだ見終わっていない。
師匠に、まだ教えてもらわないといけない。
師匠は、きっと怒る。
使うなって言われた術を使ったら、きっと怒る。
でも、ごめんなさい、師匠。
今は、死ねない。
師匠が来るまで。
師匠が来てくれるまで。
耐える。
アルフはマントを握る。
魔力が走る。
アルフのマントに、「絶対に斬れない」という万能付与がかかる。
グレンの剣が振られた。
金属が布を打ったとは思えない音が鳴る。
マントは、斬れない。
「おいおい」
「妙な術を使うなぁ」
グレンは楽しそうに笑う。
しかし、目は笑っていなかった。
「罪もねえ亜人達の姿を変えたのも」
「同じような術か?」
アルフは答えられない。
「まぁ、どっちでもいい」
グレンは剣を返した。
「やった事には変わらねぇなぁ」
再び斬撃が来る。
マントは斬れない。
グレンは即座に攻撃を変えた。
斬るのではなく、柄で打つ。
腹に衝撃が入った。
「がっ……!」
アルフの膝が折れる。
次に、蹴り。
身体が浮いた。
壁に叩きつけられる。
マントは斬れない。
だが、衝撃は消えない。
「切れねえだけか」
「便利だなぁ」
グレンが近づく。
腕を取られる。
関節を極められる。
床へ叩きつけられる。
視界が白く弾けた。
痛い。
息ができない。
身体が動かない。
でも、意識を切ったら術が止まる。
止め方は入れた。
師匠に言われたから。
暴走させるなって。
止められない術を使うなって。
だから、僕の意識が切れたら、この術は止まる。
でも、今は切れないで。
師匠。
ごめんなさい。
僕はまた、使いました。
使うなって言われたものを、使いました。
でも、死ねないんです。
まだ、死んだら駄目なんです。
師匠が来るまで。
来てくれるまで。
グレンは、倒れたアルフを見下ろした。
「まだ意識があるか」
「大したもんだ」
グレンは剣を持ち直す。
「だが、そろそろ終わりだ」
アルフは、霞む視界の中で剣を見た。
「これが正義の裁きだ」
剣が上がる。
「逝けや」
その瞬間。
轟音。
良樹の打撃腕が、グレンの剣を弾いた。
良樹は、息を荒げていた。
だが、目は冷えている。
「グレン」
グレンは剣を引き、楽しそうに笑った。
「来たか」
「思ったより早かったなぁ」
良樹はアルフの状態を見た。
血。
折れた腕。
崩れた姿勢。
斬れてはいないマント。
良樹の目が、一瞬だけ変わった。
だが、暴走しない。
主幹を直結しない。
「アルフから離れろ」
「離れたら、どうする」
「まず、こいつを治す」
「その後は?」
「あんたの話を聞く」
「俺の?」
「ああ」
グレンは笑った。
「この状況で、まだ聞くのか」
「聞かなきゃ、判断できねえ」
「聞いて、見て」
「それでも決められねえ奴を、俺は何人も見た」
「俺がそうかは、まだ分からねえだろ」
「そうだな」
「だから、まだ見てる」
良樹は、グレンの目を見た。
「あんたは、もう決めたんだろ」
「ああ」
「見た」
「聞いた」
「調べた」
「だから決めた」
「なら、俺も見る」
「こいつの後も」
「あんたのことも」
「その間に、また誰かが壊れたら?」
良樹は詰まった。
答えはない。
今ここで、即座に返せる言葉などない。
グレンが笑う。
「答えられねえか」
「……答えられねえ」
「けど、ここで終わりにする答えも、俺は持ってねえ」
「甘いなぁ」
「かもしれねえ」
「それでも生かすか」
「ああ」
「こいつは今、俺が見てる」
「俺が教えてる」
「後を見せてる」
「だから、俺の前で終わらせるな」
グレンは、しばらく良樹を見ていた。
そして、つまらなそうに、あるいは少しだけ面白そうに、口元を上げる。
「……そうかい」
グレンは剣を下ろした。
「今日は引いておいてやるとするかぁ」
「お前さんが、そこまで言うならな」
良樹は言う。
「次は」
グレンは背を向けかけて、少しだけ顔を戻した。
「次までに、もっと見ておけ」
「その小僧を」
「壊された奴らを」
「そして、自分が何を生かしているのかを」
グレンは去った。
良樹は追わなかった。
追えなかった。
アルフが先だ。
「クラリス!」
クラリスが駆け込んでくる。
続いて、リシアとカレンも。
「診ます」
クラリスは即座にアルフの横へ膝をついた。
リシアとカレンは、周囲を警戒する。
良樹は膝をつき、アルフを見る。
アルフは意識が薄い。
唇が震えている。
「し、しょ……」
「喋るな」
「使うな、って」
「言われたのに」
「分かってる」
「でも」
「ちゃんと、とめ……」
良樹は、そこでアルフのマントを見た。
斬れていない。
だが、術の流れは不安定になりながらも、アルフの意識に結びついている。
意識が落ちれば、術も落ちる。
停止条件。
良樹の教えが、入っている。
「分かってる」
アルフの目が、少しだけ揺れた。
「まだ、これからだ」
「教えることが山ほどある」
「だから今は寝てろ」
アルフは、ようやく安心したように目を閉じた。
そのまま、気絶する。
良樹は短く息を吐いた。
「……馬鹿野郎」
怒っている。
当然、怒っている。
だが、それだけではない。
「そこだけは、よくやった」
「良樹くん」
「頼む」
クラリスは頷く。
「はい」
「骨折が複数」
「内側にも損傷があります」
「命に別状はありませんが、無理に動かせば危険です」
「頼む」
「任せてください」
良樹は立ち上がった。
リシアが言う。
「良樹」
「アルフを頼む」
「俺はガレスのところへ行く」
カレンが不安そうに問う。
「一人で、ですか」
「ああ」
「あいつが何者なのか」
「何を見て、何を決めたのか」
「知らなきゃならねえ」
クラリスが顔を上げる。
「無茶はしないでください」
「ああ」
「あの時みてえなヘマはしねえ」
三人は、それ以上止めなかった。
良樹が今、怒りで動いているのではなく。
知るために動いていると分かっているから。
ギルドの奥部屋に戻ると、ガレスがいた。
少し遅れて、フィルも来ていた。
フィルはいつもの豪快な雰囲気を、少しだけ抑えている。
良樹は、二人の前に立った。
「説明しろ」
「あいつは何者だ」
ガレスは、すぐには答えなかった。
フィルも目を伏せる。
「アルフは殺されかけた」
「次は、止めるだけで済む保証はねえ」
「知らねえまま戦いたくねえ」
ガレスは、ようやく口を開いた。
「……グレン・ヴァルド」
「元、断罪の英雄」
「元?」
フィルが重く言う。
「英雄称号を剥奪された男じゃ」
ガレスが続ける。
「俺たちの昔の仲間でもある」
良樹は黙った。
ガレス。
フィル。
グレン。
サーシャ。
かつて、四人は同じパーティだった。
そして、藤田に師事していた。
弟子と呼ぶには、少し違う。
だが、藤田は彼らにとって、確かに師に近い存在だった。
フィルが言った。
「昔のグレンは」
「今の婿殿に、似ておった」
「……俺に?」
ガレスは苦い顔で頷いた。
「ああ」
「腹が立つくらいな」
荷より命を取る男だった。
泣いている子供には膝を折った。
力があっても、まず話を聞いた。
助けを求められれば、真っ先に前へ出た。
英雄と呼ばれることを嫌がった。
それでも、危険な場所には立った。
悪を嫌っていた。
だが、悪と呼ぶ前に、事情を見た。
ガレスは言った。
「あいつは本当に」
「人を救ってたんだよ」
良樹は、何も言えなかった。
フィルが続ける。
「最初から、ああだったわけではない」
「だからこそ、辛いのじゃ」
部屋の空気が重くなる。
良樹は、静かに問う。
「何があった」
ガレスは、少しだけ目を伏せた。
「サーシャがいた」
サーシャ。
グレンの相棒。
恋人に近い存在。
グレンの剣を止められる女。
グレンが怒りで前へ出すぎる時、サーシャが止めた。
悪を断じようとする時、事情を見ろと言った。
剣を抜こうとする時、一拍待てと言った。
誰かを助けるために走る時は、背を押した。
「俺も止めた」
「フィルも止めた」
「けど、あいつに一番届いたのはサーシャだった」
良樹が呟く。
「戻り線、か」
フィルは、静かに頷いた。
「婿殿の言い方なら、そうじゃろうな」
ガレスは言う。
「グレンが人を救う側に戻るための線だった」
「サーシャは」
良樹は問いかける。
「そのサーシャさんは」
「死んだ」
ガレスの声は短かった。
重い沈黙が落ちる。
「誰に殺された」
ガレスは、すぐには答えなかった。
「簡単に言えるなら」
「グレンは、ああなってねえ」
サーシャの死には、多くのものが絡んでいた。
直接手を下した者。
恐怖で黙った者。
脅された者。
家族を守るため口を閉ざした者。
助けられなかった者。
止められなかった者。
事情を見ようとした者。
悪意を持って利用した者。
善意で判断を遅らせた者。
見て見ぬふりをした者。
最初のグレンは、それらを全部悪とはしなかった。
しようとして、踏み止まった。
サーシャならどう見るかを考えた。
だが、サーシャはもういなかった。
そこから、少しずつ変わっていった。
一晩置いた判断を、その場で下すようになった。
話を聞いた相手を、聞かなくなった。
恐怖で黙った者まで、悪に見え始めた。
事情を見ようとする者まで、悪を庇う者に見え始めた。
悪と決めるまでが早くなった。
裁くまでが早くなった。
良樹は、低く言った。
「事情を見ようとする奴まで」
「悪を庇う奴に見え始めた」
「……ああ」
フィルが言う。
「救う心が消えたわけではない」
「情が消えたわけでもない」
「じゃが、戻る線が切れた」
良樹は黙る。
フィルが、藤田との決裂を語った。
サーシャを失ってからのグレンは、すぐに壊れたわけではなかった。
最初は、まだ止まろうとしていた。
ガレスやフィルの声も聞いていた。
サーシャならどう見るかを、自分に問いかけてもいた。
だが、その問いかけは少しずつ弱くなっていった。
悪と呼ぶまでが早くなった。
裁くまでが早くなった。
事情を見ようとする者まで、悪を庇う者に見え始めた。
そして、ついにグレンは越えてはならない線を越えた。
それを止めたのが藤田だった。
藤田はグレンを斬った。
殺しはしなかった。
だが、二度と英雄として立てないほどに叩き伏せた。
英雄称号は剥奪された。
グレンは追放された。
ガレスが言う。
「あいつは英雄の称号には未練がなかった」
「剥がされたことを恨んでもいなかったと思う」
フィルが続ける。
「じゃが、正義だけは捨てられなんだ」
「そこから先、グレンは表舞台から消えた」
「けど、消えただけだ」
「あいつは、各地で悪を裁いていた」
「藤田殿の目の届かぬ場所でな」
良樹は呟く。
「藤田さんが弱って」
「俺が藤田さんの力に近いものを使い始めた」
ガレスは頷く。
「ああ」
「だから来たんだろう」
「藤田さんの死期と、後継を察してな」
フィルが言う。
「そこへ、アルフの噂が入った」
「……なるほどな」
良樹の顔は険しかった。
椅子に座ったまま、しばらく黙る。
ガレスが声をかける。
「良樹」
「昔のグレンが俺みたいだったって話」
「あれ、今言うなよ」
「言わねえ方がよかったか」
「いや」
「言われなきゃ、俺はたぶん見誤る」
良樹は、ゆっくりと言葉を吐き出した。
「あいつは悪人じゃねえ」
「少なくとも、そう始まった男じゃねえ」
「今も、たぶん人を助けてる」
「けど、アルフを殺しに来た」
フィルが、静かに呼ぶ。
「婿殿」
「なら、止める」
「まずはそれだけだ」
ガレスは言った。
「殺すことになるかもしれねえぞ」
良樹は、すぐには答えなかった。
「……その前に、やれることをやる」
「俺はまだ、あいつを全部見てねえ」
良樹は立ち上がる。
ガレスが問う。
「どこへ行く」
「三人のところだ」
「話さなきゃならねえ」
ガレスは止めなかった。
「……行け」
良樹はギルドを出た。
アルフを休ませている部屋に、リシア、カレン、クラリスがいた。
アルフは眠っている。
クラリスの治癒で命は繋がっているが、顔色はまだ悪い。
良樹が戻ると、三人はすぐに顔を上げた。
その顔を見ただけで、何かあったと察したのだろう。
リシアが言う。
「聞いたのね」
「ああ」
カレンが、少し不安そうに問う。
「どんな方、だったんですか」
良樹は、少し間を置いた。
「昔は」
「俺みたいだったらしい」
三人が黙った。
「最初からああだったわけじゃねえ」
「人を救ってた」
「止め方も見てた」
「悪と呼ぶ前に、事情も見てた」
「英雄と呼ばれるのも嫌がってた」
「……俺みてえだったってよ」
クラリスが、静かに呼ぶ。
「良樹くん」
「サーシャさんって人がいた」
「グレンの戻り線だった」
「その人が死んで」
「グレンは、少しずつ壊れていった」
良樹は言葉を切った。
「否定できなかった」
三人は黙って聞いている。
「俺も」
「お前ら三人のうち、誰かがサーシャさんみたいになったら」
「グレンになるのかもしれねえ」
部屋に沈黙が落ちた。
すぐには誰も否定しなかった。
三人は、その重さを一度受け止めた。
良樹も逃げない。
三人も逃げない。
少しして、クラリスが言った。
「違います」
カレンも言う。
「違いますよ」
リシアが、はっきりと言った。
「違うわね」
良樹は三人を見る。
「……何が違う」
リシアが答える。
「グレンには、サーシャしかいなかった」
「一人だったから悪いって話じゃねえだろ」
「悪いなんて言ってないわ」
「でも、一人だった」
クラリスが続ける。
「サーシャは、グレンを止められる方だったのでしょう」
「ですが、彼女も人です」
「一人の女性です」
「どれだけ強くても、すべてを守ることはできません」
カレンが言う。
「一人が倒れたら」
「その人は、もう止められません」
良樹は少しだけ眉を寄せた。
「……数の問題かよ」
リシアは即答する。
「ええ」
「数の問題よ」
「無茶苦茶だろ」
「無茶苦茶で何が悪いの」
「私たちは妻よ」
「好きな男を安心させるためなら、理屈くらい多少曲げるわ」
クラリスが、やわらかく続ける。
「ですが、完全な無理筋ではありません」
カレンが頷く。
「はい」
「私たちは、お互いを守れます」
カレンは一つずつ、言葉を置いた。
「リシアが危なければ、私が前に出ます」
「私が怖くて動けなくなったら、クラリスが支えてくれます」
「クラリスが無理をしようとしたら、リシアが止めます」
「一人が良樹さんを止められなくても」
「三人なら止められます」
クラリスが言った。
「実際に、止めました」
リシアも言う。
「私たちは、もう一度止めるわ」
「必要なら、何度でも」
「俺が壊れかけてもか」
カレンがまっすぐ頷く。
「はい」
クラリスが続ける。
「壊れかけた時点で止めます」
リシアが言う。
「壊れてからじゃ遅いもの」
「それができなかったら」
カレンは、迷わず言った。
「できます」
「言い切るな」
「言い切ります」
「怖いことなので」
「ちゃんと見ます」
クラリスが、良樹の目を見た。
「良樹くんの戻り線は一本ではありません」
「三本あります」
リシアが続ける。
「しかも、三本はお互いに繋がってる」
カレンが言う。
「一つが切れそうになったら、他の二つが支えます」
クラリスが結ぶ。
「ですから、同じ回路にはなりません」
良樹は、少しだけ呆れたように息を吐いた。
「……無茶苦茶だな」
リシアが笑う。
「ええ」
カレンも頷く。
「はい」
クラリスが微笑む。
「ですが、正しいです」
良樹は、少しだけ息を吐いた。
「三本か」
「はい」
「三本です」
「強えな、お前ら」
リシアが少しだけ笑った。
「今さら?」
カレンが言う。
「良樹さんの妻ですから」
クラリスも頷く。
「はい」
「三人で、良樹くんの妻です」
良樹は短く笑った。
「……助かる」
完全に晴れたわけではない。
だが、足場は戻った。
良樹は言う。
「俺がまた主幹を直結しそうになったら」
リシアが即答する。
「落とすわ」
カレンが続ける。
「止めます」
クラリスが静かに言う。
「非常停止を押します」
良樹は苦笑した。
「三重安全回路かよ」
リシアが頷く。
「そうよ」
クラリスが言う。
「良樹くん専用です」
カレンが、少しだけ真面目な顔で付け足した。
「勝手に解除しないでくださいね」
「……了解」
三人が、良樹のそばに寄る。
抱きしめるほどではない。
ただ、リシアが手を添える。
カレンが袖を掴む。
クラリスが背に触れる。
良樹は、それを拒まなかった。
「グレンを止める」
「そのために、まず見る」
リシアが頷く。
「ええ」
カレンが続く。
「はい」
クラリスが言う。
「一人ではありません」
「ああ」
良樹の中に、三本の線があった。
一本ではない。
リシア。
カレン。
クラリス。
三本の戻り線。
しかも、それらは良樹だけに向かって伸びているわけではない。
互いに繋がり、支え合い、切れそうになった線を別の線が受け止める。
だから、同じ回路にはならない。
良樹は、まだグレンを知らない。
まだ、止め方も見えていない。
だが、自分がどこへ帰ればいいのかだけは分かっていた。




