第100話 見捨てないための石(挿絵有)
ギルドの奥部屋で、良樹は机の上に小さな魔石を並べていた。
四つ。
それぞれに、小さな接点と押し板が付いている。
石そのものは、そこまで大きくない。
だが、ただの魔石ではなかった。
魔石通信。
以前、旧街道側の見張り台と町を繋ぐために試験した、魔石信号器の応用だった。
ガレスは、その魔石を見ながら腕を組んでいた。
「また面倒くせえもんを持ってきたな」
「面倒くせえもんほど、ちゃんと扱えば役に立つ」
良樹は短く答えた。
リシアは、その横で符号表を見ている。
カレンは魔石の配置を見て、怖い時に押せるかどうかを考えていた。
クラリスは、魔石の流れが人の身体へ影響しないかを確認するつもりで、静かに見ている。
ガレスは、机の上の魔石から良樹へ視線を移した。
「で、これをどこへ置きたい」
「亜人集落だ」
部屋の空気が、少しだけ重くなった。
亜人集落。
戻り線のない救済の後を見た場所。
人間の姿になった者たちが、戻れず、戻っても元には戻れず、それでも生きていかなければならない場所。
良樹たちは、そこへ行った。
アルフを連れて行き、その後を見せた。
だが、それで終わりではなかった。
「遠距離通信網は、まだ候補地が決まらねえ」
ガレスが言った。
「旧街道側も、他の街もだ」
「中継地が必要だし、置いたところで向こうに扱える奴がいねえなら無駄だ」
「押し間違い、読み間違い、誤報」
「それで施療院やギルドが振り回される」
「逆に、鳴らしたのに誰も行けなきゃ、不信だけが残る」
「そういう道具はな、便利そうに見えて揉め事を増やす」
「ああ」
良樹は頷いた。
「分かってる」
「なら、何で行く」
ガレスの声は低かった。
反対しているわけではない。
だが、軽く認めるつもりもない声だった。
良樹は、机の上の魔石を見た。
「駄目元だ」
「駄目元?」
「ああ」
「通信網として完成するかは分からねえ」
「他の街への設置も、今はまだ無理かもしれねえ」
「扱える奴がいないなら、置いても無駄になる」
「それも分かってる」
良樹は顔を上げた。
「でも、亜人集落だけは別だ」
「別?」
「あそこは、俺たちが後を見た場所だ」
「見た」
「話した」
「謝らせた」
「それで終わりにしたら、結局見捨てたのと変わらねえ」
ガレスは黙った。
良樹の声は熱くなっていた。
だが、勢いだけではなかった。
「何かあった時に呼べる手段を置く」
「使えるかは分からねえ」
「扱える奴がいないかもしれねえ」
「それなら置かない判断もする」
「でも、確認もしねえで“無駄”で切るのは違う」
「形だけで救えるほど甘くねえぞ」
「分かってる」
「だから形だけにはしねえ」
「使えるかを見る」
「使えなきゃ、何が駄目かを見る」
「だが、少なくとも」
「俺たちは見捨ててねえって線だけは、引きに行く」
ガレスは、しばらく良樹を見ていた。
それから、深く息を吐く。
「……分かった」
良樹は何も言わず、ガレスを見る。
「行け」
「ただし、置くことを目的にするな」
「使えるかを見ることを目的にしろ」
「ああ」
「置いて終わりにする気はねえ」
「アルフは?」
「留守番だ」
良樹は即答した。
「あいつが行くと、話が謝罪に寄りすぎる」
「今日は亜人集落へ謝りに行く日じゃねえ」
「呼べる手段を置けるかどうかを見る日だ」
「付与解除や戻し方を身につけるまでは、あいつが行っても負荷が増えるだけだ」
「妥当だな」
ガレスは頷いた。
「なら、誰か見ておく奴がいるか」
「頼めるか」
「ああ」
「雑に選んどく」
「雑に選ぶな」
「雑に見えて、案外そういう方が上手くいくこともある」
良樹は少しだけ嫌な予感がした。
だが、亜人集落へ向かう準備の方が先だった。
◇
亜人集落は、以前来た時より少しだけ空気が変わっていた。
明るいわけではない。
傷が消えたわけでもない。
人間の姿になった者たちの後悔も、亜人のままでいる者たちの戸惑いも、すぐになくなるものではない。
それでも、止まってはいなかった。
集落の中央では、何人かが木材を運んでいた。
壊れかけた柵を直している者もいる。
施療院へ行った者の話を聞いている者もいた。
後悔の先へ連れ出す。
ロブが言ったその言葉は、まだ細いながらも、集落の中に残っていた。
「また来たのか」
そのロブが、良樹たちを見つけて歩いてきた。
顔は相変わらず険しい。
だが、以前ほど尖ってはいない。
「ああ」
良樹は背負ってきた箱を下ろした。
「今日は石を持ってきた」
ロブの目が細くなった。
「また魔石かよ」
「ああ」
「だから、嫌なら置かない」
「今日は説明して、使えるか試すだけだ」
「無理なら持って帰る」
ロブは、しばらく箱を睨んでいた。
「何の石だ」
「呼ぶための石だ」
「呼ぶ?」
「ああ」
「身体を変える石じゃねえ」
「困った時に、施療院やギルドへ知らせるための石だ」
ロブの後ろで、何人かの亜人たちが顔を見合わせた。
魔石。
その言葉に、集落の者たちはまだ敏感だった。
当然だった。
便利そうな魔石で、痛い目を見たばかりなのだ。
「言葉が送れるのか」
ロブが聞いた。
「いや」
「今はまだ無理だ」
「決めた光り方を送るだけだ」
「光り方?」
良樹は箱を開け、四つの魔石を取り出した。
簡易の木台に固定された魔石。
左右に二つずつ。
押し板を押すと、それぞれの魔石が光る。
「たとえば、左側で用件」
「右側で緊急度」
「左上が光れば“倒れた”」
「左下が光れば“外から変な奴が来た”」
「右上が光れば“すぐ来てほしい”」
「右下が光れば“後で相談したい”」
「そういうふうに決めておく」
ロブは腕を組んで、魔石と良樹の指を見た。
良樹は続けようとした。
だが、その前にロブが口を開いた。
「つまり、鳴き声みてえなもんか」
「……鳴き声?」
「ああ」
「森で鳥が一声鳴いたら危険」
「二声なら仲間呼び」
「そういうのを石でやるってことだろ」
良樹の動きが、わずかに止まった。
「……まあ、近い」
「なら、細かい話を送ろうとしたら駄目だな」
ロブは、魔石の配置を見たまま言った。
「押す奴が迷う」
「危ない時に長い合図なんか覚えてられねえ」
「倒れたなら倒れた」
「変な奴が来たなら変な奴が来た」
「それくらいでいい」
良樹は、ゆっくりロブを見た。
「お前、そこまで分かるのか」
「今言っただろ」
「いや、そこはまだ言ってねえ」
「そうか?」
ロブは不思議そうに眉を寄せた。
リシアが横から静かに言う。
「言ってないわね」
カレンも頷いた。
「良樹さんは、まだそこまで説明していません」
クラリスは、少し目を細めてロブを見ていた。
「先回りして理解されています」
「は?」
「こんなの、考えれば分かるだろ」
ロブは、少し苛立ったように言った。
「危ない時に細かい合図なんてやってられるかよ」
良樹は、そこで一度口を閉じた。
嫌な予感ではない。
これは、別の感覚だった。
見つけたかもしれない。
そんな感覚だった。
「ロブ」
「何だ」
「押し間違えた時は、どうすると思う」
「間違えて押した時の合図も要るな」
ロブは即答した。
「じゃねえと、間違いで人が走る」
「特に施療院なんか巻き込んだら迷惑だろ」
良樹は黙った。
「それと」
ロブは続けた。
「こっちが押したとして」
「向こうが見たかどうかは分かるのか」
「戻り信号を用意する」
「なら、戻りが来なかった時の決め事も要る」
「もう一回押すのか」
「誰かが走るのか」
「石が壊れたのか」
「向こうが見てねえのか」
「決めとかねえと揉める」
良樹は、完全に動きを止めた。
リシアも黙った。
カレンは目を丸くしている。
クラリスの微笑みは静かだが、その目は明らかにロブを見ていた。
「……おい」
良樹が言った。
「何だよ」
「お前、本当に今初めて聞いたのか」
「だから、今聞いただろ」
ロブは、本気で分かっていない顔をしていた。
良樹は、ゆっくりと息を吐いた。
「運用を見てる」
「運用?」
「使う時の決め事だ」
「なら最初からそう言え」
「難しい言葉使うなよ」
良樹は、思わず額に手を当てた。
これは、偶然ではない。
ロブは、魔石通信の仕組みそのものを理解しているわけではない。
魔力の流れを読めるわけでもない。
魔石の加工ができるわけでもない。
だが、使う人間の動きが見えている。
押す時。
間違えた時。
届かなかった時。
誰が走るか。
誰が迷うか。
誰が揉めるか。
そこを、初見で拾っている。
良樹は、腰袋から折り畳んだ紙を取り出した。
「ロブ」
「これを見てみろ」
「何だよ」
「遠距離で、短い光と長い光を組み合わせて文字を送るための表だ」
「短い光を“トン”」
「長い光を“ツー”」
「それを組み合わせる」
それは、良樹が実験用に書いていた符号表だった。
元の世界で知っていたモールス符号そのものではない。
こちらの文字や記号に合わせようとして、まだ途中で止まっている表だ。
良樹はそれをロブへ渡した。
ロブは紙を受け取り、眉を寄せた。
「だから馬鹿にすんなって」
「こんなの誰にだって――」
言いかけて、止まった。
ロブは周囲を見た。
リシアが首を横に振っていた。
カレンも首を横に振っていた。
クラリスも静かに首を横に振っていた。
後ろにいた集落の者たちも、困惑した顔で首を横に振っている。
「は?」
「え?」
ロブは、もう一度紙を見る。
「いや、誰だってこんなの――」
全員、改めて首を横に振った。
「……いや」
「待てよ」
「分かるだろ?」
良樹は、真剣な顔でロブを見る。
「ロブ」
「もう一度聞く」
「なんでこれが分かったんだ」
「だから、理屈で考えれば分かるだろ」
「短いのと長いのを並べて、決めた意味にする」
「鳥の鳴き声でも、獣避けの合図でも似たようなことはある」
「なら、石で光らせるだけだ」
「違うのか」
良樹の背中に、ぞわりとしたものが走った。
「……やべえ」
「は?」
「何がだよ」
「ロブ」
「お前、マジかよ」
「何だよ」
「俺はこの話を初めて聞いた時、理解に一週間はかかったんだぞ」
「それを、お前……」
「マジかよ!」
「だから、大袈裟なんだよ」
「こんなの、分かる奴は分かるだろ」
「分からねえから、みんな首を振ってるんだよ」
ロブは、言葉を失った。
初めて、自分だけが分かっているのだと気づいた顔だった。
良樹は、もう一枚の紙を出した。
符号の候補を書いた表だった。
「ロブ」
「この符号表を見て」
「面白くねえところとか」
「良くねえところとか分かるか」
「そりゃ、この辺だろ」
ロブは即答した。
良樹は息を止めた。
「トンとツーが紛らわしい」
「焦ってたら、短いのか長いのか分かんなくなる」
「特に似た並びが続くところは駄目だ」
「もうちょっと分かりやすくするなら――」
ロブは紙の上を指でなぞった。
「急ぎの合図は、文字にしねえ方がいい」
「最初から専用の形にしろ」
「一番大事なやつは、短い光を何回も続ける」
「普通の文字と混ざらねえようにする」
「あと、間違えた時の合図は、普段使わねえ変な形にしろ」
「じゃねえと混ざる」
良樹は黙った。
リシアが、良樹を見る。
「良樹?」
良樹は、ロブから目を離さなかった。
「……完全に分かってやがる」
「だから、何がだよ」
「符号設計の勘だ」
「しかも、運用まで見てる」
「だから難しい言葉を使うな」
「人が使う時に間違えにくい形を、先に見てるってことだ」
「そんなの当たり前だろ」
「間違えたら困るんだから」
良樹は、笑いそうになった。
だが、笑えなかった。
これは、笑うところではない。
見つけてしまった。
そう思った。
「ロブ」
「何だよ」
「頼みがある」
ロブは少し身構えた。
「ああ」
「良樹はこの集落の恩人みたいなもんだ」
「大抵のことは何とかするさ」
「男に二言は無えな」
「何だよ、もったいぶった言い方しやがって」
良樹は、一歩前へ出た。
「魔石通信の改良を手伝ってくれ」
「は?」
「間違いねえ」
「お前は――」
「天才だ」
ロブの顔が、完全に止まった。
「は?」
「んなこと、俺にできるわけねえだろ」
「第一、俺には学なんて――」
「それも頼む」
「今から勉強してくれ」
「はあ!?」
「必要なものは俺が何とかする」
「文字」
「計算」
「符号」
「魔石の扱い」
「分からねえところは、俺が教える」
「足りねえ資料は作る」
「施療院やギルドにも協力させる」
「待て」
「待てよ」
ロブは、思わず後ずさった。
「俺はそんな大層な人間じゃねえ」
「学もねえ」
「魔法も使えねえ」
「文字だって、難しいのは読めねえ」
「だから何だ」
「だから何って……」
「知識がないのは、知る機会がなかっただけだ」
「馬鹿って意味じゃねえ」
ロブの目が揺れた。
良樹は、さらに言った。
「お前は今、俺が一週間かけて理解した話を、一瞬で掴んだ」
「しかも使う奴の間違いまで見た」
「誤信号」
「戻り信号」
「緊急合図」
「符号の紛らわしさ」
「全部だ」
「……やっぱり、駄目だ」
ロブの声が低くなった。
良樹は口を閉じる。
「第一、おれは亜人だぞ」
「何をしたって――」
「関係ねえ」
良樹は、即座に言った。
ロブの言葉が止まる。
良樹は一歩も引かなかった。
「工学に」
「技術に」
「人種も、種族も、まったく関係ねえ」
「なっ――」
「俺たち技術屋は」
「相手がどこの生まれだとか」
「どんな姿だとか」
「歳だとか」
「そんなことには興味はねえ」
ロブは、何かを言おうとして、言えなかった。
良樹の声は熱かった。
けれど、怒鳴ってはいなかった。
「俺たち技術屋は」
「そいつが何を見ているのか」
「何ができるのか」
「何をしようとしているのか」
「どんな想いでやるのか」
「それだけを見る」
ロブの喉が、小さく鳴った。
亜人だから。
人間ではないから。
学がないから。
町の連中のようにはなれないから。
そんな言葉を、ロブは今まで何度も聞いてきた。
そして、いつの間にか自分でもそう思っていた。
だが、目の前の男は違った。
良樹は、ロブの耳も、姿も、生まれも見ていなかった。
見ていたのは、ロブが今、何を理解したかだった。
ロブが何を考えたかだった。
ロブが、どう使う人間を見ていたかだった。
「……自信がねえよ」
ロブは、ようやくそれだけを言った。
声は小さかった。
「俺なんかが、本当にできるのか」
「期待されても」
「できなかったら、どうすんだよ」
良樹は、ロブを真っ直ぐ見た。
「ロブ」
「お前の才能は、もしかしたら」
「亜人への差別すら、何とかできるかもしれねえ」
ロブの目が揺れた。
「差別を……?」
「ああ」
「通信は、人を繋ぐ」
「呼べるようにする」
「知らせられるようにする」
「離れた場所にいる誰かへ、今起きていることを届けられる」
良樹は続けた。
「亜人だから届かない」
「人間だから聞こえる」
「そんな線引きを、技術は壊せるかもしれねえ」
「少なくとも、壊すための道具にはなれる」
リシアも、カレンも、クラリスも黙っていた。
これは、良樹の言葉だった。
異世界の常識ではない。
ギルドの判断でもない。
施療院の正論でもない。
良樹という技術屋が、ロブという一人の男に向けている言葉だった。
良樹は、深く頭を下げた。
「頼む」
「このとおりだ」
「手伝ってくれ」
ロブは、息を呑んだ。
英雄と呼ばれる男が。
クラリスたちの夫で。
ギルドからも信頼されていて。
亜人集落にまで来て、面倒な石を置こうとしている男が。
自分に、頭を下げている。
「……やめろよ」
ロブは、困ったように顔を歪めた。
「そんなことされたら」
「断りづらいだろ」
良樹は、頭を下げたまま言った。
「断るなら断っていい」
「だが、俺は本気だ」
ロブは、しばらく黙った。
拳を握る。
開く。
もう一度、握る。
「……期待外れでも笑うなよ」
良樹は、顔を上げた。
その目は真っ直ぐだった。
「そんなことはねえ」
「お前は、本物だ」
ロブは、良樹の目を見た。
そこに同情はなかった。
慰めもなかった。
亜人を哀れむ色もなかった。
ただ、見つけたものを信じる目だった。
ロブは、乱暴に頭を掻いた。
「……分かったよ」
吐き捨てるような声だった。
けれど、逃げる声ではなかった。
「やりゃいいんだろ!」
良樹は、少しだけ笑った。
「ああ」
「頼む」
「ただし、難しい言葉ばっかり使ったら殴るからな」
「分かった」
「そこは直す」
「あと、学がねえからって馬鹿にしたら殴る」
「しねえよ」
「天才とか言いすぎても殴る」
「それは努力する」
「そこも直せ!」
ようやく、周囲に小さな笑いが戻った。
◇
試験設置は、慎重に進められた。
置く場所は、集落の中央に近い屋根の下。
ただし、子どもが遊びで押せる位置ではない。
ロブたちがすぐに行けて、雨風をある程度防げる場所。
施療院側に受信用の魔石を置く。
そこからギルドへ知らせる。
いきなり遠距離で全部を繋ぐのではない。
一発で届かないなら、中継する。
無理に届かせようとして、危ない場所に置くよりずっといい。
符号表は、良樹の言葉ではなく、集落の言葉で作った。
体調急変、では硬すぎた。
ロブが言った。
「倒れた、でいい」
外部干渉、では分からなかった。
ロブが言った。
「外から変な奴が来た、でいい」
良樹は頷き、符号表を書き換えた。
左側は用件。
右側は緊急度。
誤信号。
戻り信号。
戻りが来なかった時の決め事。
ロブは文句を言いながら、必要なことを次々と決めていった。
「俺一人にするなよ」
「俺がいねえ時に押せねえなら意味ねえ」
「副担当も決める」
「あと、押す奴が怖がってたら無理に押させるな」
「怖がって押し間違える方が面倒だ」
良樹は、笑いそうになるのを堪えた。
「それも正解だ」
「またかよ」
「管理者一人に依存するな」
「副担当を決めろ」
「怖がる奴に無理に押させるな」
「お前、全部分かってるじゃねえか」
「……やっぱり面倒くせえ」
「便利なもんは、面倒くさく使う方が安全なんだよ」
リシアは、魔力の流れを見た。
押した時、身体へ変な魔力が流れていないことを確認する。
クラリスは、押す者の脈や表情を見た。
魔石そのものに怯えている者には無理をさせなかった。
カレンは、押しに行く動線を見た。
足を引っかける場所。
慌てた時にぶつかる場所。
逃げ道。
試験信号が送られる。
施療院側の魔石が光る。
戻り信号が返る。
集落の中に、小さなどよめきが広がった。
ロブは、魔石を見ていた。
「これで、呼べるんだな」
「ああ」
「ただし、押せば全部解決するわけじゃねえ」
「届かない時もある」
「遅れる時もある」
「誰もすぐ来れねえ時もある」
「だろうな」
「でも、何もないよりはいい」
「ああ」
「なら、使い方を覚える」
「間違えた時のことも決める」
「俺がいねえ時のことも決める」
「そうしろ」
ロブは少しだけ黙った。
「勉強のことは……」
「少し考えさせろ」
「ああ」
「急がなくていい」
「だが、俺は本気だ」
「……変な奴だな」
ロブは、魔石から良樹へ視線を移した。
「人間になれる石を持ってきた奴の後に」
「今度は、俺を天才だとか言いやがる奴が来る」
「この集落、最近変な奴ばっかり来るな」
「悪かったな、変な奴で」
「いや」
ロブは、少しだけ口元を歪めた。
「変な奴でも」
「見捨てねえ奴なら、まだいい」
良樹は黙った。
亜人集落に置かれたのは、誰かの身体を変える石ではなかった。
困った時に、光る石だった。
万能の救済ではない。
押せば全てが解決する道具でもない。
けれど、何かあった時、誰かに知らせることができる。
戻り線のなかった救済の後に、
初めて引かれた細い線だった。
そして、その線の前で良樹は見つけた。
学がないから、馬鹿なのではない。
知る機会がなかっただけの男。
知識を得る環境さえあれば、
世の中の人たちを幸せにする力を持つ男。
ロブはまだ、自分の価値を知らない。
だが、良樹は知ってしまった。
ならばもう、見なかったことにはできなかった。
◇
少し、時間を遡る。
良樹たちが亜人集落へ向かう前。
ギルドでは、アルフの代理監視役を誰にするかが決められていた。
といっても、会議らしい会議があったわけではない。
「ニル」
ガレスが言った。
「お前、アルフを見てろ」
「俺っすか?」
ニルは、自分を指差した。
「歳が近い」
「以上だ」
「人選が雑っすね」
「雑に見えて、案外そういう方が上手くいく」
「本当にそうっすかね」
「少なくとも俺よりは向いてる」
「それは否定できないっす」
ニルは肩をすくめた。
「了解っす」
アルフは、そのやり取りを少し離れた場所で見ていた。
今日は留守番。
頭では理解していた。
自分が行けば、亜人集落側の話が自分への感情に寄る。
今は付与解除も、戻し方も身につけていない。
行ったところで、謝る以上のことができない。
それでも、胸の奥には小さな引っかかりがあった。
自分がやったことの後を、また師匠たちに見に行かせている。
自分は、ここに残る。
その事実が、少しだけ重かった。
そこへ、ニルが軽い足取りで近づいてきた。
「兄貴、行ってらっしゃいっす」
ニルが手を振った。
「ああ」
「悪いが、お目付け役頼む」
良樹は、すでに出発の支度を終えていた。
リシア、カレン、クラリスも一緒だ。
三人とも、亜人集落へ向かう顔になっている。
ニルは、アルフを見る。
「こいつが噂の彼っすか」
アルフも、ニルを見た。
「兄貴?」
その声には、明らかな引っかかりがあった。
「師匠には、弟さんは居られないでしょう」
「誰ですか、こいつ」
「こいつって言ったっすね」
ニルの眉が、ぴくりと動く。
良樹は、二人の間に流れた妙な空気を見て、額に手を当てた。
「自称、弟分だ」
「喧嘩するなよ」
「行ってくる」
そう言って、良樹はリシアたちを連れてギルドを出ていった。
残されたのは、アルフとニル。
しばらく、沈黙が落ちた。
ニルはアルフを見る。
アルフもニルを見る。
互いに、ほぼ同じことを思っていた。
なんだこいつ。
先に口を開いたのは、アルフだった。
「なんだい、君は」
「随分と僕の師匠に馴れ馴れしいじゃないか」
ニルの目が細くなった。
「なんだとはなんだっすよ」
「ぽっと出のヤツが、俺の兄貴を師匠呼びとは片腹痛いっすよ」
「片腹痛い?」
「痛いっすね」
「俺は兄貴がこっちに来てから、ずっと知ってるんすよ」
アルフは、静かに息を吐いた。
そして、少しだけ笑った。
「付き合いの長さは、関係の深さにはならないよ」
「分からないのかなあ」
ニルのこめかみが、ぴくりと動いた。
「……かっちーん」
「頭にきたっすよ」
「これはちょっと、分からせてやる必要がありそうっす」
「こっちも同じだよ」
「そこだけは気が合うね」
アルフは、にこりともせずに言った。
「でも、喧嘩は良くないな」
「師匠に怒られてしまう」
「そこにだけは同意するっす」
ニルは腕を組んだ。
「じゃあ」
「どっちが兄貴のことをよく知ってるか、で勝負するっすよ」
アルフの目が、すっと細くなった。
「受けて立つよ」
「ただし、長さではなく、深さでの勝負だ」
「それでいいかな」
「良いっすよ」
「長さだけじゃないって教えてやるっす」
二人の間に、火花が散った。
周囲のギルド職員たちは、自然と視線を逸らした。
関わらない方がいい。
全員が、そう判断した。
◇
「じゃあ、先攻は俺っすね」
ニルは、少しだけ胸を張った。
「兄貴がこっちに来て、初めて助けたのが自分なんすよ!」
アルフの目が見開かれた。
「何だって!?」
「俺が倉庫で荷物の下敷きになった時っす」
「あの時は、本当にこのまま死ぬかもって思ってたっす」
ニルの声から、ほんの少しだけ軽さが消えた。
「その時、兄貴が来てくれて」
「でも、その頃の兄貴はまだ、今みたいに力を使えてなかったんすよ」
「探索用の魔力線を、四本しか出せなかったんす」
「あの師匠が!?」
アルフは思わず身を乗り出した。
「それで、荷物の下敷きになっていた君を、どうやって見つけたんだ」
「俺も、後でガレスさんに聞いただけっすけど」
ニルは指を立てた。
「魔力線を縦と横と斜めに走らせて」
「兄貴が何度も位置を変えながら調整して」
「俺を見つけてくれたらしいっす」
アルフは、静かに息を呑んだ。
「なるほど……」
「限られた力でも、使い方次第で何とかする」
「師匠の言葉通りだ」
「でしょ?」
ニルは、そこで得意げに笑った。
「ここからが、さらにすごいんすよ」
「詳しく聞こう」
「兄貴は俺を見つけて、助けてくれた後」
「“まだだ!”って言ったらしいんすよ」
「まだ?」
「まだ他に巻き込まれてる奴がいるかもしれねえ」
「全部確認するまでは、荷物を動かすな」
「そう言ったらしいっす」
アルフは、しばらく黙った。
それから、深く頷いた。
「まさしく、確認の重要性を体現した話だ」
「見つけた一人を助けて終わりではない」
「他に誰かいないかを見る」
「動かす前に、後を考える」
「……さすが師匠」
「行動が一貫されている」
「兄貴っす」
「師匠だ」
「兄貴っす」
「師匠だ」
勝負は、まだ始まったばかりだった。
◇
「じゃあ、次は僕の番だね」
アルフは静かに言った。
「僕はまだ、師匠と知り合って間もない」
「だから、長さでは勝てない」
「深さで勝負させてもらう」
「覚悟はいいかい」
ニルは腕を組んだ。
「望むところっす」
アルフは、まっすぐニルを見た。
「僕は、師匠にゲンコツを貰った」
沈黙。
ニルは、少しだけ眉を寄せた。
「それが、兄貴を知ってることになるんすか?」
「焦るなよ」
「ここからが、師匠のすごいところなんだ」
アルフは、少しだけ目を伏せた。
「ゲンコツを貰った時、僕はただ単に叱られたんだと思った」
「悔しくて」
「情けなくて」
「苦しくて」
「泣いてしまった」
「普通はゲンコツされたら、そういうもんすけど」
ニルの言葉に、アルフは頷く。
「そうだね」
「僕も、そう思っていた」
「だけど、違ったんだ」
「それだけじゃなかったんだ」
「というと?」
ニルの顔から、少しだけ茶化す色が消えた。
「師匠も」
「師匠のお父上から、同じように叱られ」
「教えてもらいながら、ゲンコツされていたんだ」
ニルは黙った。
「つまり」
「師匠は、初対面の僕ですら見捨てずに止めて」
「そして、導いてくれようとしてくれたんだ!」
アルフの声には、熱があった。
真面目すぎるほど真面目で。
重いほど重くて。
けれど、それはアルフにとって本当に大事なことだった。
ニルは、頬をかいた。
「ちょい大袈裟っすけど」
「兄貴っぽいっす」
「そういう意味では、俺も初対面だったっすね」
「だろう!?」
「あの人は、本当にすごいよ」
「まー、伊達に英雄にまでなってないっすからね」
「すごいっすよ」
「そうなんだよ」
「聞けば、まだこの世界に長くいるわけでもないって言うじゃないか」
「それなのに――」
「来てすぐ倉庫から人を助けて」
「危ないことをした僕を止めて」
「ギルドでは面倒くさいくらい報告して」
「後を見ることを教えて」
「三人の奥さんたちには怒られてちゃんと戻って」
「奥さま方を本当に大切にして」
「でも、工具と魔石を見ると目が変わって」
「それもまた師匠らしい」
「さすが兄貴っす」
「さすが師匠だ」
二人は、同時に頷いた。
最初は、勝負だった。
どちらが良樹をよく知っているか。
どちらの呼び方が正しいか。
どちらが、より良樹に近いのか。
そんな、本人が聞けば確実に頭を抱えるような勝負だった。
だが、話しているうちに、二人の言葉は少しずつ変わっていった。
ニルは、師匠としての良樹を知らなかった。
アルフは、ギルドや初期の良樹を知らなかった。
互いに、知らない良樹を持っていた。
「兄貴、そんなことまで教えてるんすね」
「師匠は、ギルドではそんなふうに見られているんだね」
「兄貴は、若手にもちゃんと話を振るっす」
「ただ使うだけじゃないっす」
「お前ならどう見る、って聞いてくるっす」
「師匠もそうだ」
「答えを全部渡すのではなく」
「まず見ろ、と言う」
「やっぱり同じ人っすね」
「うん」
「同じ人だ」
「兄貴っすけど」
「師匠だけどね」
そこは譲らなかった。
◇
この会話を聞いていたギルド職員たちは、全員同じことを思っていた。
若い男が、身近な英雄に憧れる。
それ自体は、おかしなことではない。
良樹は、魔物を倒すだけの英雄ではない。
怪我人を助ける。
失敗を隠さない。
危ないことを危ないと言う。
若い者にも目を向ける。
偉ぶらず、でも必要なら本気で止める。
そんな相手を、兄貴と呼びたくなる者がいる。
師匠と呼びたくなる者がいる。
それは分かる。
分かるのだが。
男二人が、ギルドのど真ん中で、男のすごさを競い合っている。
これが女の子なら、まだ可愛げがあった。
年頃の娘たちが、英雄の良いところを語り合い、頬を染め、互いに負けないと言い合う。
それなら、まだ分かる。
絵面としても、たぶん悪くない。
だが、目の前にいるのは男二人だった。
片方は兄貴呼び。
もう片方は師匠呼び。
男同士で、男を取り合っている。
良樹、爆発しろ。
ギルド職員たちの心は、珍しく一つになった。
◇
「お前ら」
低い声がした。
二人の背筋が、同時に伸びた。
振り返ると、そこにはガレスが立っていた。
腕を組み、眉間に深い皺を寄せている。
「何を朝っぱらから、ギルドのど真ん中で英雄自慢大会を開いてやがる」
ニルは即座に姿勢を正した。
「い、いや、これは兄貴の正当な評価を――」
アルフも真面目な顔で続く。
「師匠の教えの深さについて、確認を――」
ごつん。
ごつん。
綺麗に二発。
ガレスの拳骨が、二人の頭に落ちた。
「仕事の邪魔だ」
「いっ……!」
「痛っ……!」
二人は頭を押さえた。
ニルは涙目で言う。
「ガレスさん、俺までっすか……!」
「当然だ」
アルフも頭を押さえながら言った。
「これは、師匠の教えを語っていただけで……」
「だったら、まず場所を見ろ」
ガレスは短く言った。
「ここはギルドだ」
「仕事中の奴もいる」
「報告を待ってる奴もいる」
「英雄自慢大会の会場じゃねえ」
アルフは、はっとした。
「……場所を見る」
ニルも、頭を押さえながら呟く。
「兄貴が言いそうっすね、それ」
ガレスは、鼻を鳴らした。
「良樹なら、たぶんそう言う」
二人は顔を見合わせた。
そして、妙に納得したように頷いた。
「さすが兄貴っす」
「さすが師匠です」
ごつん。
ごつん。
二発目が落ちた。
「反省しろ」
こうして、二人は仲良くガレスに叱られた。
なお、ギルド職員たちは誰一人として助けなかった。
◇
しばらくして。
ニルとアルフは、ギルドの隅で並んで座っていた。
二人とも、頭を押さえている。
「……痛いっすね」
「痛いね」
「兄貴のゲンコツもこんな感じだったんすか?」
「師匠の方が、もう少し重かった気がする」
「そこで張り合うんすか」
「張り合ってはいないよ」
「事実を述べただけだ」
「む……」
ニルは少しだけ考えた。
アルフも、少しだけ考えた。
そして二人は、ほぼ同時に首を傾げた。
「……俺たち、何の話をしてたんすっけ?」
「……僕たちは、何の話をしていたんだっけ」
一拍。
二人は顔を見合わせた。
最初は、兄貴か師匠か。
次は、どちらが良樹をよく知っているか。
それから、互いの知らない良樹の話になって。
最後には、二人で揃ってガレスに怒られていた。
つまり。
よく分からない。
ニルが、先に笑った。
「まあ、いいっす」
アルフも、小さく笑った。
「そうだね」
ニルは右手を差し出した。
「よろしくな、アルフ」
アルフは、その手を少し見た。
それから、握り返した。
「よろしく、ニル」
「ただし、兄貴っす」
「そこは、師匠だ」
「まだ言うっすか」
「君こそ」
二人は、もう一度顔を見合わせた。
今度は、先ほどより少しだけ自然に笑った。
ギルド職員たちは、それを見て思った。
まあ、若い男が身近な英雄に憧れるのは、無理もない。
無理もないのだが。
やっぱり良樹は爆発しろ。
◇
良樹たちが亜人集落から戻ってきた時、ギルドの中は妙に落ち着いていた。
いや。
落ち着いているように見えて、少しだけ空気が変だった。
ニルとアルフが並んで座っている。
距離が、出発前より明らかに近い。
良樹は、その様子を見て足を止めた。
「……何があった」
ニルが顔を上げる。
「お帰りっす、兄貴」
アルフも立ち上がった。
「お帰りなさい、師匠」
良樹は眉間を押さえた。
「その二つを並べるな」
「あと、どっちもやめろ」
「無理っす」
「無理です」
「息を合わせるな」
ニルとアルフは顔を見合わせた。
「まあ、兄貴っすから」
「師匠ですから」
「理由になってねえ」
良樹は、深く息を吐いた。
リシアが横で肩を震わせている。
カレンは少し困ったように笑っている。
クラリスは、清楚に微笑んでいた。
「良樹くん」
「良い弟分と、良い弟子ですね」
「増やすな」
「俺はそういうのを増やした覚えはねえ」
「ですが、増えています」
「そういう冷静な事実確認やめろ」
良樹は、改めてニルとアルフを見た。
出発前より、少しだけ仲良くなっている。
そのことは分かった。
分かった上で、ものすごく嫌な予感がした。
「……お前ら」
「変なところで組むなよ」
ニルは胸を張った。
「大丈夫っす、兄貴」
アルフも真面目な顔で頷いた。
「はい、師匠」
良樹は天井を見た。
「駄目だこれ」
亜人集落には、困った時に光る石が置かれた。
ギルドには、英雄を兄貴と呼ぶ若者と、師匠と呼ぶ若者が並んだ。
どちらも、良樹が望んで増やしたものではない。
だが、どちらも、もう見なかったことにはできなかった。
この話が100話の節目になるとは、製作時にはまったく考えていませんでした。
ここまで続けてこられたのも、読んでくださる皆様のおかげです。
これからも、良樹たちの物語を楽しんでいただけるよう、のんびりと書き続けていきます。
ブックマークや評価をいただけましたら、今後の製作の大きな励みになります。
引き続き、よろしくお願いいたします。




