第99話 おはようございます、師匠(挿絵有)
その日の夜。
良樹は、三人の妻に責任を取らされていた。
何の責任かと言えば、ここ数日のことである。
アルフの件で飛び回り。
亜人の集落へ行き。
施療院へ行き。
ギルドで処遇を決め。
弟子が増え。
妻見習いまで増えた。
挙げ句の果てに、また良樹は自分一人で面倒を抱え込みそうな顔をしていた。
ならば、妻として止める必要がある。
休ませる。
抱きしめる。
逃がさない。
自分たちのところへ戻ってこさせる。
それは、三人の妻にとって、極めて正当な責任追及だった。
なお、良樹も責任を取りたかった。
そのため、異議申し立てはなかった。
◇
その少し前。
アルフたちは、ギルド預かり兼良樹監督下として、仮宿を与えられていた。
そこは、良樹たちが結婚前に使っていた作業場付きの貸家だった。
良樹にとっては、この街で生活を始めた場所。
リシア、カレン、クラリスと同じ家で暮らす距離を覚えた場所。
三人部屋と、一人部屋と、作業場。
会議と、確認と、事故と、改善が積み重なった場所。
その家の玄関で、良樹はアルフたちを振り返った。
「しばらくはここで、地に足をつけた生活を覚えろ」
アルフは少し戸惑ったように聞き返す。
「生活、ですか」
「ああ」
良樹は頷いた。
「朝起きる」
「飯を食う」
「掃除する」
「洗濯する」
「働く」
「疲れたら寝る」
「人に会ったら挨拶する」
「金を使えば減る」
「物を壊せば直すか弁償する」
「そういうやつだ」
アルフは、家の中を見た。
古いが、きちんと直された床。
使い込まれた作業場。
台所。
二階へ続く階段。
リナたちも、それぞれに小さな荷物を抱えたまま、室内を見回していた。
良樹は、少しだけ懐かしそうに家を見た。
「ここは俺たちが前に住んでた場所だ」
「この世界で」
「この街で」
「まず、生きることからだ」
アルフは、静かに頷いた。
「はい」
「部屋は男部屋と女部屋に分けるのが基本だ」
「ただし、お前らの関係を俺が全部決めるもんじゃねえ」
リナたちが、少しだけ顔を赤くした。
アルフも、意味を理解して息を呑む。
良樹は、そんな反応を見た上で続けた。
「男女同衾は、自分たちで責任を考えろ」
「勢いでやるな」
「寂しさで誤魔化すな」
「罪悪感で埋めるな」
「好きなら好きで、ちゃんと話せ」
「嫌なら嫌と言え」
「迷うなら迷ってると言え」
「……はい」
「俺が決めてやると、お前らは俺のルールに逃げる」
「だからそこは、自分たちで考えろ」
「ただし、隠して壊すな」
「揉めたら相談しろ」
アルフは、深く頭を下げた。
「はい、師匠」
「師匠って呼ぶな」
反射で返してから、良樹は息を吐いた。
◇
そして、翌朝。
夜明け直後。
寝台の上は、ひどく静かだった。
良樹は眠っていた。
右腕にはリシア。
左腕にはカレン。
胸元にはクラリス。
三人とも、寝息は穏やかだった。
布団の中は暖かい。
肌と肌が触れている。
3人とも下着姿で寝ていた。
良樹も、起きる気はなかった。
今日くらいは、少し遅くまで寝てもいい。
そう思っていた。
その時だった。
「おはようございます、師匠!」
玄関の外から、元気な声が響いた。
良樹の目が開いた。
同時に、リシアの目も開いた。
カレンの身体が跳ねた。
クラリスのまつ毛が震えた。
四人は、しばらく動かなかった。
下着姿のまま。
同じ寝台の上で。
完全に絡まった状態で。
外から、もう一度声がした。
「師匠!」
「朝の掃除は、どこから始めればいいですか!」
良樹は、天井を見た。
「……あいつ」
「朝から来やがった」
リシアが、真っ赤な顔で良樹の胸を叩いた。
「何とかしなさいよ!」
「俺も今、何ともならねえ状態なんだよ!」
カレンは布団を胸元まで引き上げ、完全に固まっている。
「よ、良樹さん」
「こ、声が、聞こえています……!」
「聞こえてるのは俺も分かってる!」
クラリスだけが、寝起きとは思えないほど落ち着いた声で言った。
「良樹くん」
「まず、玄関へ返事を」
「この状態でか?」
「声だけなら可能です」
「冷静に言うな!」
外から、さらに元気な声。
「師匠!」
「起きていますか!」
良樹は歯を食いしばった。
「師匠って呼ぶなぁ!」
玄関の外で、アルフが明るく返した。
「はい、師匠!」
「聞けよ!」
リシアは、布団を押さえたまま呻いた。
「朝から、何なのよ……」
カレンは真っ赤な顔で小さくなる。
「あ、朝の掃除をしようとしているのは」
「悪いことではないと思うんですけど……」
「タイミングが最悪なのよ!」
クラリスは、良樹の胸元から少し顔を上げた。
「良い心がけではあります」
「今その言葉を使うな」
「火に油だ」
良樹は、ゆっくりと身体を起こそうとした。
その瞬間、リシアが布団を掴む。
「待ちなさい!」
「あんたが動いたら布団が!」
カレンも悲鳴に近い声を上げた。
「だ、駄目です!」
「今、布団がなくなったら私が……!」
クラリスは、真面目な声で言った。
「では、まず良樹くんが目を閉じてください」
「俺が出る話なのに、なんで目を閉じるんだよ」
「安全確認です」
リシアが即座に続ける。
「尊厳保護インターロックよ」
「その言葉、まだ生きてたのか」
「生きてるわよ」
「こういう時のために」
良樹は頭を抱えた。
外では、アルフの声がまだ聞こえる。
「師匠!」
「僕、昨日考えたんです!」
「生活を覚えるなら、朝の掃除からだと思って!」
その後ろから、リナの声がした。
「アルフ、声が大きい」
「まだ朝早いよ」
「でも、師匠は早起きだと思って」
「昨日、師匠たちも疲れてたでしょ」
「そうだけど、師匠ならもう起きてるかなって」
「師匠にも生活があるんだよ」
「生活……」
「たぶん、リシア様たちとの生活が」
「なるほど!」
「そこで大きく納得しないで」
良樹は、布団の中で目を閉じた。
「リナの方が分かってるじゃねえか……」
「分かってるから余計恥ずかしいのよ!」
リシアが小声で叫ぶ。
結局、最初に動いたのはクラリスだった。
クラリスは布団の中で良樹の頬に軽く触れ、にこりと微笑む。
「良樹くん」
「私が対応します」
「いや、待て」
「その格好で行くなよ」
「もちろん、着替えます」
「当たり前だ」
クラリスが寝台から抜け出す。
その瞬間、良樹は目を閉じた。
リシアが布団を押さえ、カレンが真っ赤になって丸まる。
「……なんだこの朝」
良樹が呟く。
リシアは、赤い顔で言った。
「新婚の朝よ」
「そこに弟子が来たのが事故なのよ」
「事故報告書に書きたくねえな」
◇
しばらくして、玄関の扉が開いた。
出てきたのは、身支度を整えたクラリスだった。
白い法衣。
柔らかな微笑み。
いつもの清楚な僧侶。
ただし、その目は少しだけ細い。
「おはようございます、アルフ君」
「おはようございます、クラリス様!」
「良い挨拶です」
クラリスは微笑んだ。
「ですが、朝の訪問には配慮が必要です」
「配慮、ですか」
「はい」
「師匠にも、妻との時間があります」
アルフは真剣に頷いた。
「なるほど!」
リナたちが、一斉に顔を赤くした。
「アルフ」
「そこは、そんなに大きな声で納得しないで……」
クラリスは微笑みを崩さない。
「良い心がけですが」
「次からは、朝一番に玄関で大声を出す前に」
「一度、相手の生活を想像しましょう」
「はい!」
「特に、新婚夫婦の家では」
「はい!」
リナたちは顔を覆った。
クラリスは満足げに頷く。
「良い返事です」
少し遅れて、良樹が出てきた。
髪は少し乱れている。
目つきは眠そうで、首元の襟はやけにきっちり閉じられていた。
アルフは背筋を伸ばす。
「おはようございます、師匠!」
「師匠って呼ぶな」
「それと、朝が早すぎる」
「すみません!」
「謝るのはいい」
「次からは、来る前に時間を考えろ」
「生活を覚えろって言っただろ」
「生活ってのは、自分の朝だけじゃねえ」
「相手の朝もある」
アルフは、はっとした顔になる。
「相手の朝……」
「そうだ」
「お前が正しいと思った時間でも、相手には相手の都合がある」
「挨拶も、やる気も、押し付ければ迷惑になる」
アルフは深く頭を下げた。
「すみません、師匠」
「勉強になります」
「だから師匠って呼ぶな」
リナが小さく呟いた。
「……すごい」
「朝から本当に教わってる」
クラリスが頷く。
「良い心がけです」
良樹は玄関の柱に額を当てた。
「俺は寝起きから何を教えてるんだ……」
◇
朝食後。
ようやく落ち着いた頃、良樹はアルフへ向き直った。
「午後から、お前だけ連れて出る」
アルフは姿勢を正した。
「僕だけ、ですか」
「ああ」
「井戸の件があった集落だ」
「排水ポンプのアフターフォローに行く」
「それと、お前の謝罪もな」
アルフの顔が引き締まる。
「……はい」
「亜人の集落とは違う」
「あっちは戻り線のない救済だった」
「今回の井戸は、排水できてれば大きな問題はない」
「だからこそ見ろ」
アルフが顔を上げる。
良樹は続けた。
「悲惨な顔だけが“後”じゃねえ」
「ちゃんと動いてることを確認するのも、後を見るってことだ」
「はい」
良樹は次に、リシア、カレン、クラリスを見た。
「悪いが、リナたちを見てやってくれ」
リシアは腕を組む。
「任せなさい」
「ただし、変な責任まで増やさないでよ」
「もう増えてるだろ」
「開き直らない」
カレンは少し微笑む。
「あ、あの……私たちでできることなら」
クラリスも頷いた。
「良い心がけです」
良樹は半眼で見る。
「お前、それ気に入っただろ」
「はい」
「認めるのかよ」
◇
午後。
良樹はアルフだけを連れて、井戸の問題があった集落へ向かった。
移動特化盤を使う。
ただし、二人分を別々に運ぶ仕様ではない。
だから、良樹がアルフを背負った。
「あの、師匠」
「本当に背負われるんですか」
「移動特化盤は二人分を別々に運ぶ仕様じゃねえ」
「俺が背負った方が早い」
「でも、その……」
「落ちるなよ」
「舌噛むぞ」
「はい、師匠!」
「師匠って呼ぶな」
良樹の足元に、半透明の魔導盤が展開する。
脚力補助。
姿勢制御。
着地補助。
速度制限。
停止条件。
良樹はそれらを一つずつ確認してから、地面を蹴った。
景色が流れる。
速い。
アルフは思わず良樹の肩にしがみついた。
だが、怖くはなかった。
足場を見ている。
着地場所を選んでいる。
速度を上げる場所と落とす場所を分けている。
木の根を避け、石を踏まず、ぬかるみの手前で出力を落とす。
速いのに、乱暴ではない。
「……師匠」
「何だ」
「速いのに、怖くありません」
「怖くないようにしてる」
「速いだけなら事故る」
「止まれる速度で走る」
「止まれる場所へ着地する」
「止まれない速度は、速いんじゃなくて危ないだけだ」
アルフは、良樹の背中で呟いた。
「止まれる速度……」
「覚えとけ」
「はい」
「師匠って呼ばないのか」
「あっ」
「いや、そこは忘れとけ」
◇
井戸の問題があった集落へ着いた。
そこは、亜人集落とは空気が違っていた。
悲壮な沈黙はない。
人間の姿のまま俯く者もいない。
村人たちは良樹の姿を見ると、少し安心したような顔をした。
「おお、良樹さん」
「来てくれたのか」
「その後を見に来た」
「排水の具合はどうだ」
「今のところ問題ない」
「水の引きもいい」
「前みたいに溜まらなくなった」
良樹は頷いた。
だが、それだけで終わらなかった。
「実物を見る」
「音も見る」
「水の流れも見る」
「詰まりかけてないか確認する」
アルフは、横でその様子を見ていた。
村人たちは困っていない。
怒ってもいない。
感謝すらしている。
なのに、良樹はまだ見る。
井戸の周り。
排水の流れ。
吸い込み口。
魔石の状態。
水路の出口。
足場のぬかるみ。
子どもが近づける場所。
手を出せる隙間。
停止用の魔石札。
「困ってから来るのは修理だ」
「困る前に見るのが点検だ」
アルフは、小さく繰り返す。
「点検……」
「後を見るってのは、泣いてる奴の前で反省することだけじゃねえ」
「普通に動いてるものを、普通に動き続けるように見ることだ」
良樹は吸い込み口に溜まった小枝を取り除いた。
「詰まりかけてる」
「今はまだ詰まってねえ」
「だから今取る」
村人が慌てて覗き込む。
「そんな小枝でも駄目なのか?」
「今すぐ駄目にはならねえ」
「でも、ここに葉っぱや泥が絡む」
「絡んだところにまた枝が来る」
「流れが弱くなる」
「気づいた時には、水が引かなくなる」
良樹は小枝を村人へ見せた。
「大きな故障は、小さい詰まりから始まる」
アルフは息を呑んだ。
良樹は次に、魔石の消耗を見る。
「消耗は少ないな」
「ただし、村の使い方次第で変わる」
「毎日この印を見ろ」
「ここまで減ったら連絡」
「無理に使い続けるな」
村人は頷く。
「分かった」
「止め方は覚えてるか」
「この札を外す」
「そうだ」
「誰でも触れる場所に置くな」
「でも、必要な時に探さないといけない場所にも置くな」
「子どもが遊んで外せる位置は駄目だ」
「大人がすぐ取れる位置だ」
村人が、思ったより真剣に聞いている。
アルフはそれを見ていた。
良樹は村人に教えている。
自分だけではない。
使う人にも、見方を渡している。
「便利なもんほど、止め方と詰まり方を見る」
「動いてる時は、みんな褒める」
「止まった時に困るのは、使ってる奴らだ」
「……はい」
アルフの返事は、小さかった。
◇
確認が一通り終わった後、アルフは村人たちの前に立った。
良樹は少し離れていた。
アルフは、深く頭を下げる。
「井戸の件で」
「僕は、ちゃんと後を見ずに手を入れました」
「すみませんでした」
村人たちは、顔を見合わせた。
亜人集落の時のような重苦しい空気ではなかった。
怒りよりも、戸惑いがある。
「まあ、今は良くなってるしな」
「良樹さんが直してくれたし」
その言葉を聞いて、アルフは少しだけ顔を上げかけた。
だが、良樹が口を挟んだ。
「今良ければ全部いい、でもねえ」
「こいつが謝って終わりでもねえ」
「大事なのは、次からどうするかだ」
村人たちは良樹を見る。
良樹は、アルフではなく村人へ向けて言った。
「また何か便利な付与や道具を持ち込まれたら」
「すぐ使う前に聞け」
「誰が止めるのか」
「壊れた時どうするのか」
「子どもが触らねえか」
「そこを見る」
「なるほどな」
「疑えって話じゃねえ」
「使う前に、後を見る癖をつけろって話だ」
村人たちは、ゆっくり頷いた。
アルフは、横でその言葉を聞いていた。
自分だけが学べばいいわけではない。
使う側にも、見る力がいる。
良樹は、謝罪を終わらせなかった。
次へ繋げた。
◇
一方その頃。
良樹とアルフが出ていったあと、家の中には女たちだけが残された。
リシア。
カレン。
クラリス。
そして、リナたち。
台所には、水桶、野菜、干し肉、鍋、使い込まれた包丁が並んでいる。
リシアは腕を組み、リナたちを見た。
「さて」
「良樹から、あんたたちの面倒を見るように頼まれたわけだけど」
リナたちは背筋を伸ばした。
「よろしくお願いします、リシア様、カレン様、クラリス様」
「……様、ね」
リシアは少し落ち着かない顔をした。
カレンはほんのり頬を赤くする。
「で、でも……」
「悪い呼び方ではないと思います」
「カレン、そこで照れない」
クラリスは、にこりと微笑んだ。
「良い心がけです」
「クラリス、便利に使いすぎ」
リナたちは、そんな三人のやり取りを不思議そうに見ていた。
英雄の妻たち。
そう思っていた。
けれど、目の前にいる三人は遠い存在ではなかった。
強くて、美しくて、確かに良樹の隣に立つ女性たちなのに。
よく笑い、照れ、言い合い、少しだけ慌てる。
リナは、胸の前で手を握った。
「あ、あの」
リシアが見る。
「何?」
「その、リシア様、カレン様、クラリス様にお聞きしたいことが……」
「聞きたいこと?」
リナは少しだけ顔を赤くした。
「英雄……」
「いえ」
「良樹様との、馴れ初めを……」
台所の空気が止まった。
リシアの耳が赤くなる。
カレンが持っていた野菜を落としそうになる。
クラリスだけが、静かに目を細めた。
「馴れ初め」
クラリスが、ゆっくりと繰り返した。
「良い質問です」
「良くないわよ!」
リシアが即座に叫んだ。
「い、いえ」
「悪い質問ではないけど」
「料理中に聞くこと!?」
カレンは真っ赤な顔で俯いた。
「な、馴れ初め……」
「良樹さんとの……」
リナたちは真剣だった。
「私たち、知りたいんです」
「どうやって」
「どういうふうに、良樹様の隣に立てるようになったのか」
リシアは、言い返そうとして止まった。
茶化しだけではない。
この子たちは、自分たちもアルフの隣に立ちたいのだ。
止めたい。
支えたい。
でも、どうすればいいのか分からない。
だから、良樹の妻たちの始まりを知りたい。
リシアは、小さく息を吐いた。
「……分かったわよ」
「ただし、料理しながら」
「手を止めると、帰ってくる二人のご飯が遅れるわ」
「はい!」
◇
「最初は私ね」
リシアは野菜を切りながら言った。
「良樹とは、川で会ったわ」
「川……」
「水辺で出会ったのですか?」
「運命的ですね……」
「違う」
「事故よ」
「完全に事故」
リシアの包丁が、まな板にこつんと当たる。
「良樹は、突然空から川に落ちてきたの」
「私が水浴びしてるところに」
リナたちの顔が、一気に赤くなった。
「み、水浴び……」
「良樹様が……?」
「先に言っておくけど、あいつは覗こうとしたわけじゃないわ」
「本当に落ちてきたの」
「意味が分からないでしょ」
「私も分からなかったわ」
クラリスが穏やかに補足する。
「そして、リシアは良樹くんを氷漬けにしました」
「したわよ」
「当然でしょ」
リシアは、少しだけ目を伏せた。
「最初の印象は最悪」
「変な服で、変な腰袋を持っていて」
「しかも、落ちてきた直後にまず工具を確認するような男だった」
カレンが少し笑う。
「良樹さんらしいです」
「今ならね」
リシアは小さく息を吐いた。
「でも、あいつは誤魔化さなかった」
「見るつもりはなかった、だけで逃げなかった」
「見た。見たのは事実だ。悪い、って言った」
リナたちは黙って聞いていた。
「最悪の出会いだった」
「でも、そこで嘘をつかない男だった」
「そこから全部が始まったのよ」
◇
「カレン様は……?」
リナたちの視線がカレンへ向いた。
カレンは耳まで赤くなった。
「わ、私は……」
「最初に会ったのは、荷崩れの時です」
「荷崩れ?」
「はい」
「ニルが巻き込まれそうになって」
「その時に、良樹さんたちと一緒に……」
カレンは少しだけ目を伏せた。
「でも」
「ちゃんと良樹さんを意識したのは」
「その後、二人で偵察に出た時だと思います」
リシアが柔らかく見る。
「あの時ね」
「はい」
カレンは、胸元で手を握った。
「私は、偵察先で足を挫きました」
「怖い場所を見ていたのに」
「戻る足場を見ていたはずなのに」
「それでも、失敗しました」
一拍。
「良樹さんは、私を抱えて戻ってくれました」
「お姫様抱っこで」
リナたちが息を呑む。
「お姫様抱っこ……!」
「良樹様が……!」
カレンの顔が真っ赤になる。
「そ、そうです」
「でも、良樹さんは」
「照れたり、茶化したりしませんでした」
カレンは、あの時の良樹の顔を思い出す。
「足元を見ていました」
「木の根を見ていました」
「戻る道を見ていました」
「私を揺らさないように」
「痛めた足をぶつけないように」
「ちゃんと帰ることだけを考えていました」
声が、少し柔らかくなる。
「私は、その時思いました」
「良樹さんは、私を見ていない」
「でも、私を置いていない」
リナたちは、静かに聞いていた。
「怖い私を」
「失敗した私を」
「荷物みたいにではなく」
「ちゃんと連れて帰る人でした」
カレンは、小さく笑った。
「だから、怖いままでも」
「この人の隣に立っていいのかもしれないって」
「そう思ったんです」
◇
最後に、リナたちはクラリスを見た。
「クラリス様は……」
「様」
クラリスは、にこりと微笑んだ。
「良い響きですね」
「受け入れすぎよ」
リシアが呆れる。
クラリスは微笑んだまま、鍋をかき混ぜた。
「私も、最初に会ったのは荷崩れの時です」
「ただ、その時から良樹くんのことは好ましい殿方だと思っていました」
リナたちが身を乗り出す。
「一目惚れですか?」
「はい」
クラリスは当然のように頷いた。
「一目惚れです」
カレンが真っ赤になり、リシアが額に手を当てる。
「相変わらず正面から言うわね……」
「事実ですので」
クラリスは静かに続けた。
「ですが、決定的だったのは、その後です」
「私は、良樹くんに清楚な僧侶として見られたかった」
「可愛らしい女の子だと、思われたかった」
鍋の火を、少し弱める。
「でも、戦いで見せてしまいました」
「私の本性を」
「本性……」
「はい」
「壊れたなら治せば済む」
「痛みは後で処理すればいい」
「誰かを守れるなら、自分の身体を少し壊すくらい構わない」
「そういう戦い方です」
リナたちは、息を呑んだ。
クラリスは、自分の右手を見た。
「良樹くんは、本気で怒りました」
「胸倉を掴んで」
「治せば済むという言い方をやめろ、と」
「お前が壊れていい理由にはならない、と」
リシアも、カレンも黙った。
クラリスの声は静かだった。
「その時、ついでに胸も見られました」
「クラリス!」
リシアが叫ぶ。
カレンが真っ赤になり、リナたちも一斉に顔を赤くした。
「だ、大事なことなのですか……?」
「大事です」
クラリスは真顔で言った。
「良樹くんは全力で謝ってくださいました」
「ですが、私にとって本当に大きかったのは」
「見られたことではありません」
一拍。
「清楚な僧侶の私も」
「好ましい殿方に見せたくなかった私も」
「痛みを、痛みとして数えなくなっていた私も」
「その全部を見て」
「私を、私のまま怒ってくださったことです」
クラリスは、柔らかく微笑んだ。
「だから」
「私は良樹くんの隣に立ちたいと思いました」
◇
リナたちは、しばらく言葉を失っていた。
水浴び中の川に落ちてきた男。
足を挫いたカレンを、お姫様抱っこで連れ帰った男。
壊れたなら治せばいいと言ったクラリスを、本気で怒った男。
どれも、ただの英雄譚とは少し違っていた。
綺麗な出会いばかりではない。
甘い言葉ばかりでもない。
むしろ、事故で。
気まずくて。
怒られて。
泣きそうになって。
それでも、目を逸らさなかった時間だった。
リナが、小さく呟いた。
「……皆さん」
「その時から、良樹様のことを……」
リシアは、少しだけ苦笑した。
「そうね」
「気にはなっていたわ」
「でも、それだけで今みたいに好きになった訳じゃない」
カレンも、胸元で手を重ねる。
「……そう、ですね」
「色んなことが、少しずつ」
「ちょっとずつあって」
クラリスが、穏やかに頷いた。
「はい」
「今は、私たちは良樹くんを愛していますし」
「良樹くんも、愛してくれています」
リシアは、少しだけ視線を逸らした。
「分かりにくいけどね」
カレンが小さく笑った。
「……それは、そうですね」
クラリスも微笑む。
「良樹くんですから」
リナたちは、三人を見る。
リシアは照れ隠しのように鍋をかき混ぜている。
カレンは赤くなりながらも、柔らかく笑っている。
クラリスは静かに、けれど迷いなく良樹への愛を口にしている。
リナは、その姿を見て、少しだけ胸が熱くなった。
好きになる、というのは。
一度の出来事だけで決まるものではないのかもしれない。
見て。
助けられて。
怒られて。
怒って。
支えて。
止めて。
それでも一緒にいたいと思う時間が、少しずつ積み重なっていく。
その先に、今の三人がいる。
リナは、自分の手を見た。
アルフの袖を掴んだ手。
止めたいと思った手。
離したくないと思った手。
自分たちは、アルフを好きだ。
アルフの力がすごいと思った。
自分たちを変えてくれるかもしれないと思った。
救ってくれるかもしれないと思った。
だから、惹かれた。
けれど。
それだけでは、まだ足りない。
アルフがすごいから好き。
アルフが自分たちを救ってくれそうだから好き。
アルフが特別だから好き。
それだけでは、たぶん隣には立てない。
アルフを、アルフとして見なければならない。
すごいところだけではない。
間違えるところも。
弱いところも。
見ないまま進んでしまうところも。
必要とされたいと焦るところも。
自分の善意で誰かを傷つけてしまうところも。
それを見た時、自分たちはどう思うのか。
幻滅するかもしれない。
怖くなるかもしれない。
許せないと思うかもしれない。
あるいは。
それでも、もっと好きになるかもしれない。
その答えは、まだ分からない。
分からないからこそ、見なければならない。
リナは、三人を見た。
この人たちは、良樹のすごいところだけを見て妻になったのではない。
面倒なところを見た。
危ういところを見た。
逃げるところを見た。
壊れそうになるところを見た。
それでも、隣に立つことを選んだ。
だから今、妻としてここにいる。
リナは、自分の手を握った。
この手で、ただ縋るだけでは駄目なのだ。
止めるために。
支えるために。
アルフを、アルフとして見るために。
隣に立たなければならない。
その方法を、学ばなければならない。
リナは顔を上げた。
「リシア様」
「カレン様」
「クラリス様」
三人が、リナを見る。
リナは、少し震えながらも、目を逸らさなかった。
「私たちは」
「アルフがすごいから、好きになったのかもしれません」
「私たちを変えてくれるかもしれないって」
「救ってくれるかもしれないって」
「そう思ったのかもしれません」
アルフのことを口にすると、胸が痛んだ。
好きだ。
それは嘘ではない。
けれど、その好きの中に、自分たちの弱さも混ざっていたのだと、今は分かる。
「でも」
「それだけでは、駄目なんですよね」
リシアは、何も言わなかった。
カレンも。
クラリスも。
リナは続けた。
「アルフを」
「アルフとして見たいです」
「すごいところだけじゃなくて」
「間違えるところも」
「弱いところも」
「見ないまま進んでしまうところも」
一拍。
「それを見た時に」
「私が、どう思うのか」
「幻滅するのか」
「もっと好きになるのか」
「まだ分かりません」
リナは、胸元で手を握る。
「だから」
「知りたいです」
「どうやって見るのか」
「どうやって隣に立つのか」
「どうやって、好きな人を止めるのか」
リナの後ろで、他の少女たちも頷いた。
「私たちも、知りたいです」
「アルフを、ちゃんと見たいです」
「隣に立ちたいです」
リシアは、小さく息を吐いた。
その顔は、少しだけ優しかった。
「……いいじゃない」
「それが分かってるなら、最初の一歩としては十分よ」
カレンは、柔らかく頷いた。
「怖くても、見ようとしているなら」
「もう、始まっていると思います」
クラリスは、満足げに微笑んだ。
「良い心構えです」
カレンが小さく首を傾げる。
「意味は変わってないような……」
リシアが額に手を当てた。
「言い方だけ変えればいいって訳じゃないのよ……」
クラリスは、少しだけ目を丸くした。
「あら」
小さな笑いが、台所に落ちた。
◇
「……私たちも」
「そうなれるでしょうか」
リナが小さく聞いた。
リシアは、鍋から目を離さずに答えた。
「なれるかどうかじゃないわ」
「なるのよ」
リナが顔を上げる。
リシアは、少しだけ照れたように言った。
「ただ待つんじゃない」
「帰ってくる場所を作る、だけでもない」
一拍。
「疲れて」
「汚れて」
「失敗して」
「それでも、ここに帰りたいと思う」
「そういう場所に」
「自分がなるのよ」
リナたちは、息を呑んだ。
「自分が……」
「ええ」
リシアは少しだけ柔らかく笑う。
「私は、良樹にとって、そういう場所になりたい」
「だから、ご飯も作る」
「怒る時は怒る」
「無理をしたら止める」
「帰ってきたら、ちゃんと迎える」
カレンは、優しく続けた。
「でも、何でも許すこととは違います」
「帰ってきてほしいからって、全部受け入れてしまうと」
「その人は、帰るのではなく、甘えに来るだけになります」
クラリスも頷く。
「帰る場所とは」
「相手を壊さず」
「自分も壊れず」
「互いに戻ってこられる場所です」
リナは、両手を胸の前で握った。
「……私も」
「アルフにとって」
「そういう場所になりたいです」
リシアは、少しだけ笑った。
「なら、まずは焦げないように鍋を見なさい」
「は、はい!」
台所に、少しだけ笑いが生まれた。
リシアは、リナたちへ野菜を渡す。
「好きな男を知りたいなら」
「帰ってきた時の顔を見ること」
「疲れている時」
「腹が減っている時」
「失敗した後」
「上手くいった後」
「その時に、どんな顔で帰ってくるかを見ること」
カレンも続ける。
「食べている時は、少し分かります」
「無理している時」
「安心している時」
「考え込んでいる時」
「隠そうとしている時」
クラリスが静かに言う。
「身体も、心も」
「帰ってきた時に少し緩みます」
「そこを見るのです」
リシアは、鍋を見ながら言った。
「だから今日は」
「二人が帰ってきた時に」
「ああ、ここに帰ってきてよかったって思えるご飯を作る」
一拍。
「それが、あんたたちの最初の課題よ」
リナたちは、真剣に頷いた。
「はい!」
台所に、包丁の音と、水の音が戻った。
リナたちは、もう先ほどまでのようにただ緊張しているだけではなかった。
学ぶために、手を動かしていた。
◇
帰り道。
良樹は、来た時と同じようにアルフを背負っていた。
移動特化盤の脚力補助は、行きよりも少しだけ出力を落としている。
集落での確認は終わった。
排水ポンプは動いていた。
吸い込み口に大きな詰まりはない。
水の引きも悪くない。
村人たちも、使い方を覚え始めていた。
問題がないことを見た。
それもまた、後を見ることだった。
アルフは、良樹の背中でしばらく黙っていた。
走る速度は速い。
けれど、怖くはない。
良樹は足場を見ている。
着地する場所を見ている。
速度を上げる場所と落とす場所を分けている。
無理に突っ込まない。
止まれる速度で進んでいる。
速いのに、乱暴ではない。
アルフは、小さく息を吸った。
「……師匠」
「師匠じゃねえって何回も言わせんな!」
良樹は即座に返した。
だが、速度は乱れない。
アルフは、良樹の肩越しに前を見る。
「師匠は」
「どうやって、このようなことを覚えたんですか?」
良樹は、少しだけ黙った。
足元の石を避け、木の根を踏まない場所へ着地する。
次の一歩で、少し出力を落とした。
「俺は、ガキの頃から親父に叩き込まれた」
「家業の手伝いって名目でな」
「家業、ですか」
「ああ」
「親父は電気屋だった」
「俺も子どもの頃から、現場に連れ回された」
アルフは、背中の上で少しだけ身を固くした。
「子どもの頃から……」
「十歳くらいの頃からだったか」
「こっちの世界では、早くもないみたいだが」
「俺のいた日本では、かなり早かったな」
「十歳から、ですか」
「ああ」
良樹は短く笑った。
「最初の頃は、毎日親父に拳骨を食らってたな」
アルフの指が、良樹の肩に少しだけ力を込めた。
「拳骨……」
「ああ」
「危ない手の出し方をしたら、すぐだ」
「図面を見ないで触ろうとしたら一発」
「止め方を見ないで動かそうとしたら一発」
「勝手に判断して端子に触ろうとしたら、もっと重い一発」
アルフは何も言えなかった。
良樹は、前を見たまま続ける。
「電気は目に見えねえんだ」
「ちょっとしたことでも命取りになる」
「電気を舐めるな」
「見えないからこそ、確認しろ」
「動かす前に、止め方を考えろ」
「親父には、そんなことばっか言われてた」
アルフは、眉を寄せた。
「電気……?」
「こっちで言うと、魔力みたいなもんか」
「生活のほとんどを支えてる力だ」
「灯りをつける」
「機械を動かす」
「物を冷やす」
「水を汲み上げる」
「遠くと連絡を取る」
「そういうもんを支えてた」
「魔力みたいに……生活を」
「ああ」
「便利だ」
「だが、舐めると死ぬ」
「便利なもんほど、止め方を見ろ」
「親父は、それを身体に叩き込んだ」
アルフは黙った。
良樹の言葉が、胸の奥へ落ちていく。
拳骨。
アルフは、思い出していた。
良樹に殴られた時のことを。
怖かった。
痛かった。
悔しかった。
情けなかった。
だが、今なら分かる。
あれは、ただの怒りではなかった。
ただの制裁ではなかった。
良樹は、あの時、止めたのだ。
これ以上間違えるなと。
これ以上、見ないまま進むなと。
自分の力を舐めるなと。
まだ何の関係もなかった自分に。
弟子でもなく。
仲間でもなく。
ただ危うい力を持っただけの自分に。
良樹は、自分が父から受け取ったものを、渡してくれた。
乱暴でも。
痛くても。
止めるために。
教育するために。
アルフは、良樹の背中で唇を噛んだ。
「――僕」
良樹は何も言わない。
アルフは、ゆっくりと言葉を出した。
「僕、頑張ります」
「やります」
一拍。
「だから」
「これから、指導をお願いします」
「師匠」
良樹は、すぐには返さなかった。
いつもなら、反射で返ってくるはずだった。
師匠って呼ぶな。
そう言うはずだった。
けれど、良樹は言わなかった。
ただ、少しだけ速度を落とした。
足場の良い場所へ着地する。
そこで一度、息を吐く。
「……簡単じゃねえぞ」
「はい」
「俺も、人に教えるのが上手いわけじゃねえ」
「腹が立ったら怒る」
「危ないことをしたら止める」
「場合によっちゃ、また拳骨もある」
「はい」
「泣き言も聞かねえ時がある」
「はい」
「でも」
「分からねえことを、分かったふりはさせねえ」
「危ないことを、危ないままやらせねえ」
「やった後を、見ないまま終わらせねえ」
アルフは、良樹の背中で深く頷いた。
「はい」
良樹は前を見る。
夕方の光が、木々の隙間から差していた。
「なら、まず覚えろ」
「生活も」
「仕事も」
「謝罪も」
「点検も」
「全部、後がある」
「はい、師匠」
良樹は、今度も否定しなかった。
ただ、少しだけ面倒くさそうに言った。
「……落ちるなよ」
「はい」
「舌噛むぞ」
「はい」
移動特化盤が、再び立ち上がる。
良樹は走り出した。
アルフは、その背中にしがみついた。
その背中は、師匠の背中だった。
◇
夕方。
良樹とアルフが戻ると、家の中には温かい匂いが広がっていた。
スープ。
焼いたパン。
干し肉と野菜を煮込んだもの。
香草の匂い。
アルフは、玄関で足を止めた。
「……いい匂いがします」
リナが、台所から顔を出した。
「おかえり、アルフ」
その一言に、アルフは一瞬止まった。
これまで、自分は必要とされることばかり考えていた。
役に立ちたい。
認められたい。
誰かを救いたい。
すごいと言われたい。
けれど今は、帰ってきたらご飯がある。
待っている人がいる。
それだけで、胸の奥に何かが落ちてきた。
良樹は、その横顔を見た。
「食え」
「疲れてる時は、まず飯――」
そこで、良樹は三人の妻を見た。
リシアが、じっと見ている。
カレンも、少しだけ笑っている。
クラリスは、にこりと微笑んでいる。
良樹は、言い直した。
「……ご飯だ」
リシアが半眼になる。
「今、言い直したわね」
「気のせいだ」
クラリスが満足げに頷いた。
「良い心がけです」
「お前それ本当に好きだな」
◇
食卓を囲んだ。
良樹とアルフは、井戸集落で見たことを話した。
排水ポンプが動いていたこと。
詰まりかけていた小枝。
魔石の消耗。
止め方の確認。
村人たちに、使う前に後を見る癖をつけるよう話したこと。
リシアたちは、料理を作りながらリナたちと話したことを簡単に話した。
馴れ初めの話は、良樹の前ではかなり省略された。
なぜかリシアは水浴び事故の詳細を伏せ。
カレンはお姫様抱っこのところで真っ赤になり。
クラリスは胸倉説教の話をしようとして、リシアに止められた。
良樹は、何かを察して黙っていた。
そして、アルフがリナたちの作った煮込みを口にした。
ゆっくり噛む。
飲み込む。
そして、少しだけ驚いたように顔を上げた。
「おいしい」
リナたちの顔が、ぱっと赤くなった。
「良かった」
アルフは、もう一口食べた。
その顔は、少し疲れていた。
少し考え込んでいた。
でも、緩んでいた。
リナたちは、それを見ていた。
帰ってきた時の顔を見ること。
食べている時に少し緩むところを見ること。
好きな人を、すごいところだけではなく、そのまま見ること。
リシアの言葉を思い出す。
アルフは、リナたちを見た。
「ありがとう」
「おいしいよ」
リナたちは、ますます赤くなる。
良樹は、スープを飲みながら言った。
「帰ってきて食えるもんがあるってのは、当たり前じゃねえ」
「礼はちゃんと言っとけ」
「はい、師匠」
良樹は一瞬、口を開きかけた。
だが、閉じた。
リシアがそれに気づき、少しだけ目を細める。
カレンも柔らかく笑う。
クラリスは満足げに頷く。
「良い心がけです」
「クラリス」
「その締め方、定着させるな」
「あら」
◇
食事が終わる頃には、外はすっかり暗くなっていた。
良樹は、ふと今日一日を振り返る。
朝は裸の寝台にアルフが突撃。
午後は井戸集落のアフターフォロー。
帰り道では、アルフが師匠として指導を願った。
その間に、三人の妻はリナたちへ馴れ初めと、隣に立つ方法を教えていた。
夜には、ご飯が待っていた。
良樹は、短く息を吐いた。
「……なんだ」
「ちゃんと二本立てで進んでるじゃねえか」
リシアが首を傾げる。
「何よ、二本立てって」
「男は仕事の後を見て」
「女は帰りたいと思う場所を作ってた」
リシアの耳が、少し赤くなる。
「言い方」
カレンは、少し照れたように微笑んだ。
「で、でも……悪くないです」
クラリスは、いつものように目を細めた。
「良い心構えです」
カレンが小さく呟く。
「やっぱり、意味は変わっていないような……」
リシアは額に手を当てる。
「言い方だけ変えても駄目って、さっき言ったばかりでしょ……」
クラリスは、首を傾げた。
「あら」
小さな笑いが、食卓に広がった。
重かった昨日の後。
良樹はアルフに、仕事の後を見ることを教えた。
三人の妻はリナたちに、
帰ってくる場所を作るのではなく、
帰りたいと思う場所に自分がなることを教えた。
この世界で生きるということは、
力を使うことだけではない。
謝りに行くこと。
点検すること。
ご飯を作ること。
誰かが帰りたいと思う自分でいること。
そういう、小さなことの積み重ねだった。
食事の片付けが終わる頃、アルフが良樹へ頭を下げた。
「明日もよろしくお願いします、師匠」
良樹は、少しだけ黙った。
アルフが不安そうに顔を上げる。
良樹は、面倒くさそうに言った。
「……朝はもう少し遅く来い」
アルフの顔が明るくなる。
「はい、師匠!」
良樹は今度も、師匠って呼ぶなとは言わなかった。
リシアはそれに気づいて、少しだけ笑った。
カレンも、柔らかく目を細めた。
クラリスは満足げに頷いた。
「良い心構えです」
「お前はそれ禁止な」




