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第10話 止めるための一拍(挿絵有)

 朝の訓練場は、まだ少し冷えていた。


 町外れの土の広場。

 焦げ跡の残った石壁。

 隅に置かれた木剣と、古びた的。

 昨日と同じ場所だ。


 だが、良樹の顔は昨日よりも少し厳しかった。


 胸の前には、半透明の魔導盤が浮かんでいる。


 赤い線。

 青い線。

 その二つを繋ぐ、小さな部品。


 《魔導インバーター》。


 リシアの火炎球と氷閃槍から読めた、出力の上げ方。

 最初から全開にしない。

 形を作る。

 圧をかける。

 逃がす。

 止める。


 それを、良樹は自分の盤に置いた。


 そして昨日、小さな蒸気破裂が成立した。


 ぱん、と鳴る。

 白い蒸気が一瞬だけ広がる。

 魔物を倒すほどの威力はない。


 だが、足を止めるには使える。


 そしてもう一つ。


 昨日の最後に形にした、魔導レーザーセンサー。


 距離を見るための細い線。

 魔力を持った動物以上に触れ、その返りを距離として読む。

 ただし、正体までは分からない。

 数も分からない。

 良樹が向けた方向、振った範囲しか見えない。


 便利だ。


 万能ではない。


「今日は連続で見る」


 良樹は、石の上に小さな金属片を置きながら言った。


 金属片の上には、薄く削ったロウ。

 その横に、リシアが出した小さな水滴を受けるための浅い窪み。


 リシアは杖を持ったまま、少し眉を寄せていた。


「昨日のあれを、連続で?」


「ああ」


「危なくない?」


「危ない」


 良樹は即答した。


「だから、今見る」


 リシアは少しだけ目を細めた。


「良樹らしいわね」


「褒めてんのか」


「半分くらい」


「残り半分は」


「呆れてる」


「だろうな」


 少し離れたところで、カレンが木剣を抱えるように持っている。

 クラリスは包帯と薬草の入った小袋を持ち、いつものように穏やかに微笑んでいた。


 ただし、その視線は良樹の魔導盤から離れない。


「良樹さん。耳元では使わない、でしたね」


「ああ」


 良樹は頷く。


「味方の近くでも使わねえ」

「目の近くも駄目」

「閉所も駄目」

「乾いた草地も駄目」

「馬や商人の近くも駄目」

「逃げ道を塞ぐ使い方も駄目だ」


「駄目が多いですね」


「駄目が多い道具ほど、使う前に決めとかねえと事故る」


 クラリスは柔らかく笑った。


「はい。とても良いことです」


 良樹は魔導盤の中の赤い線を見た。


 《魔導インバーター》は、熱の出力を絞る。

 いきなり全開にしない。

 必要なところまで上げ、必要なところで止める。


 昨日までは、ただ形にしただけだった。

 今日は、それがどこまで続けて使えるかを見る。


「一発目」


 赤い線が細く灯る。

 金属片へ熱が入る。

 ロウが緩み、透明になって広がる。


「リシア、一滴」


「分かった」


 リシアの指先から、小さな水滴が落ちた。


 ぱん。


 乾いた音。

 白い蒸気。

 すぐに消える。


 カレンの肩が少し跳ねた。


 良樹は魔導盤を見ていた。


「一発目、安定」


 すぐに次のロウを置く。


「二発目」


「もう?」


「ああ。連続条件を見る」


 リシアは小さく息を吐き、また一滴だけ水を作った。


 赤い線が灯る。

 ロウが溶ける。

 水が落ちる。


 ぱん。


 一発目より、ほんの少しだけ蒸気が広がった。


 良樹の眉が動いた。


「……熱が残るな」


「残る?」


 リシアが聞く。


「ああ。二発目は、初期条件が一発目と違う」

「金属片にも、盤の赤い線にも、少し熱が残ってる」


「同じようにやっても、同じじゃないんですね」


 カレンが小さく言った。


「そうだ」


 良樹は頷く。


「現場でもそうだ」

「一回目と二回目じゃ条件が違う」

「さっき動いたから次も同じ、って考えると痛い目を見る」


「痛い目……」


 カレンは小さく繰り返した。


 良樹は三つ目のロウを置いた。


「三発目」


 リシアが少し不安そうに見る。


「やるのね」


「ここまでは見る。四発目はやらねえ」


「まだ三発目もやってないのに?」


「三発目で分かる気がする」


 良樹は魔導盤を見る。


 赤い線は、まだ安定している。

 だが、少し戻りが遅い。

 青い入力も、一発目より残りがある。


 それでも、今ならまだ制御できる。


「リシア、一滴」


「分かった」


 水滴が落ちた。


 ぱぁん。


 一発目、二発目より、明らかに音が大きかった。

 白い蒸気が少し荒く広がる。

 金属片が小さく跳ねる。


 カレンがびくりと肩を揺らした。

 クラリスの目が細くなる。

 リシアも息を止めた。


 良樹は、魔導盤の赤い線を睨んでいた。


 わずかに、揺れている。


「三発までだな」


 良樹は低く言った。


「それ以上は、今の盤じゃ信用できねえ」


「四発目は?」


 リシアが聞く。


「撃たない」


「試さないの?」


「試さない」


 良樹は即答した。


「怪しいって分かった時点で止める」

「事故ってから、やっぱり駄目でした、じゃ遅えんだよ」


 リシアは黙った。


 カレンは、三つ目の煙が消えた場所をじっと見ていた。


「三発目があるなら……戻れるかもしれません」


 小さな声だった。


「一発目で止めて、二発目で逸らして、三発目で……戻る道を作る」


「そうだ」


 良樹は頷いた。


「ただし、三発目を最初から当てにするな」

「三発目は保険だ」

「保険を前提に突っ込むやつは、だいたい保険ごと死ぬ」


「は、はい」


 カレンは背筋を伸ばした。


 クラリスは、静かに言う。


「音と蒸気で止めるなら、耳や目への負荷も見なければなりませんね」


「ああ」

「味方の耳元では使わない」

「人間相手に顔面近くで鳴らすのも駄目だ」

「壊さずに止めるためのものを、壊す使い方にしたら本末転倒だろ」


 クラリスは、ほんの少しだけ嬉しそうに微笑んだ。


「良樹さんらしいですね」


「らしいか?」


「はい。壊さずに止めようとするところが」


 良樹は少し困ったように頭を掻いた。


「壊さずに済むなら、その方がいいだろ」


   ◇


 その日の依頼は、ガレスから直接伝えられた。


「町道近くにゴブリンが出ている」


 ギルドの卓に広げられた粗い地図の上で、ガレスの太い指が一点を叩いた。


「商人の馬車が通る予定がある」

「討伐じゃない」

「道から追い払え」

「深追い禁止」

「商人と馬車を守ることが優先だ」


「倒さなくていいのか」


 良樹が聞く。


「いい」

「むしろ、追いかけすぎるな」

「道を空ければ成功だ」


 良樹は地図を見る。


 町道。

 茂み。

 浅い林。

 逃げ込める場所。

 馬車の通る幅。


「止めて、逸らして、逃がす」


「ああ」


 ガレスは頷いた。


「お前ら向きだろ」


 良樹は少しだけ息を吐いた。


「……それなら、やれるかもしれねえ」


 リシアが横で小さく頷く。


「私が水を出す。良樹が熱を絞る。蒸気破裂は、牽制に使える」


 カレンは地図を見ながら、少し不安そうに言った。


「あの……町道の横から出られると、馬車の横腹に入られます」


 良樹はカレンを見た。


 カレンの声は震えていた。

 だが、指している場所は具体的だった。


「怖いか」


「怖いです」


 カレンは正直に答えた。


「でも、たぶん……ここです」

「ここから出られると、戻る道が塞がります」


 良樹は頷いた。


「いい。それが欲しかった」

「怖いなら、何が怖いか言え」


「はい」


 カレンは、小さく頷いた。


 クラリスは地図の別の場所を見る。


「この茂みは、足場が悪そうですね」

「倒すより、姿勢を崩して逃がす方が良いかもしれません」


「クラリスさんは、壊さずに止める係だな」


「はい」


 クラリスは清楚に微笑む。


「得意です」


 良樹は一拍だけ黙った。


「……その得意、怖いんだよな」


「護身術です」


「護身の出力じゃねえんだよ」


   ◇


 町道近くの林は、思ったより視界が悪かった。


 舗装されていない道。

 踏み固められた土。

 両側の茂み。

 ところどころに石と木の根。


 馬車が通るには十分だ。

 だが、小型のゴブリンが飛び出すには都合がいい。


 良樹は胸の奥の魔導盤を起動した。


 前。

 左。

 右。

 後ろ。


 最低限のセンサー線。


 脚に噛ませた魔導モーター系の駆動部品は残す。

 起動信号。

 出力保持。

 回転数制限。

 加減速時間。

 停止条件。

 非常停止。


 蒸気破裂用の赤と青の線も残す。


 さらに、盤の端に魔導レーザーセンサーを一本立てる。


 ただし、一基だけ。

 手動。

 振った範囲だけ。


 全部は張れない。


「リシア、馬車側を見るな。ゴブリンが出る側を見てくれ」


「分かった」


「カレン、前に出すぎるな。怖いところを言え」


「はい」


「クラリスさん、抜けたやつを止める。倒さなくていい」


「承知しました」


 カレンは腰の剣に手を添えていた。


 訓練場の木剣ではない。

 真剣だ。


 鞘の中にあるだけで、重さが違う。

 現実味が違う。

 失敗した時の意味が違う。


 カレンの指が、柄を握る。


 顔は少し青い。

 だが、視線は動いている。


 道。

 草。

 木立。

 足元。

 戻れる場所。


 遠くから、車輪の音が聞こえた。


 商人の馬車だ。


 それとほぼ同時に、良樹は魔導レーザーセンサーを前方へ振った。


「三十四メートル」


 良樹が低く言う。


 リシアが杖を握る。


「いるの?」


「ああ」

「魔力を持った動物以上」

「ただし、正体までは分からん」


「ゴブリンとは限らない?」


「限らない」

「だが、依頼内容から見れば可能性は高い」


 良樹はセンサーをもう一度振った。


「三十」

「二十八」

「近づいてる」


 カレンの手が、柄を握り直す。


「足音が軽いです」

「でも、一体じゃないと思います」

「横にも……います」


 良樹はセンサーを横へ振ろうとして、止めた。


 正面の反応を外せば、正面が見えなくなる。


 一基しかない。

 手で振っている範囲しか見えない。


 当たり前だ。


 だが、その当たり前を忘れると死ぬ。


「リシア、左の茂み」


「分かった」


 リシアが杖を左へ向ける。

 魔力の流れが、薄く広がる。


「いるわ」

「小さい反応」

「草に紛れてる」


「クラリスさん、右と足元」


「はい」


 クラリスが半歩下がる。

 良樹とカレンの位置を見ながら、道の端へ視線を落とした。


「右はまだ遠いです」

「ですが、窪みがあります」

「低い位置から来られると見落とします」


 良樹は魔導レーザーセンサーを正面へ戻した。


「二十五」

「二十二」

「速くはない」

「でも近い」


 草が揺れた。


 最初に見えたのは、緑がかった灰色の頭だった。


 小さい。

 子供ほどの背丈。

 だが、目はぎらついている。

 手には粗末な刃物。


 ゴブリン。


 一体ではない。


 正面に二体。

 左の茂みに一体。

 右の窪みに、もう一体。


「来る」


 カレンが言った。


 声は震えていた。


 だが、言えた。


「左、先に動きます」


「リシア!」


「任せて」


 リシアの指先から、細い氷の線が地面へ走った。


 刺すためではない。

 左の茂みの手前を縫うように凍らせる。


 ゴブリンの足が止まった。


 完全には止まらない。

 だが、一拍、遅れた。


「正面、十八」


 良樹は魔導盤を開く。


 赤い線。

 青い入力。

 魔導インバーター。

 ヒーター出力。

 水バルブ。

 タイマー。


 小型蒸気破裂。


 倒すためじゃない。

 一拍止めるため。


「カレン、前に出るな」

「戻れる距離を残せ」


「はい!」


 正面のゴブリンが走る。


 カレンが一歩前に出た。


 剣が低く抜かれる。

 鈍い金属音が、朝の町道に落ちた。


 踏み込みきらない。

 戻る足を残す。


 良樹はゴブリンの足元を見た。


 距離。

 十六。

 十四。


「鳴らす」


 良樹は魔導盤の赤い線を押した。


 熱。

 水。

 膨張。

 逃げ道。


 ぱん。


 ゴブリンの足元で白い蒸気が弾ける。


 ゴブリンが怯んだ。


 一拍止まる。


「今!」


 カレンが前へ出た。


 剣の腹が、ゴブリンの手首を打つ。

 刃物が落ちる。


 斬らない。

 殺しに行かない。


 手首を叩き、武器を落とし、すぐに戻る。


 戻った。


 良樹はそれを見た。


「いい」


 短く言った。


 カレンの顔が、一瞬だけ明るくなる。


 だが、次の瞬間。


「右!」


 クラリスの声が飛んだ。


 低い。


 右の窪みから、ゴブリンが這うように飛び出していた。


 良樹の魔導レーザーセンサーは正面を見ていた。

 拾っていない。

 振っていない方向は、見えていない。


「クラリスさん!」


「はい」


 クラリスが一歩入った。


 法衣の裾が揺れる。

 だが、足は迷わない。


 ゴブリンの突進線から半歩外れ、腕を絡める。

 刃物を持った手首を外へ流し、肩を落とす。

 転がす。

 止める。


 殺さない。

 壊しすぎない。

 だが、動けない形にする。


 ゴブリンが地面に叩きつけられ、呻いた。


「右、止めました」


「助かる!」


 良樹は魔導レーザーセンサーを振る。


 正面。

 左。

 右。


 忙しい。


 一基しかない。

 手動。

 距離は出る。

 だが、同時には見えない。


「左、動く!」


 リシアが言った。


 氷を越えたゴブリンが、低く走ってくる。


 カレンが振り向く。

 だが、正面にもまだ一体残っている。


 足が迷う。


 左へ行くか。

 正面を見るか。

 戻る道はどこか。


「カレン、正面を見ろ!」

「左はリシア!」


「はい!」


 リシアが火球を作る。


 大きくはない。

 撃つためでもない。

 前方の地面へ落とすための小さな火。


 火が草の前で弾ける。

 ゴブリンが嫌がって足を止めた。


「燃やすなよ!」


「分かってる!」


「草に移したらこっちが事故る!」


「分かってるってば!」


 リシアは言いながらも、火をすぐに切った。


 良樹は一瞬だけ笑いそうになった。


 リシアは、もう分かっている。


 ただ出すだけではない。

 切るところまで見ている。


 だが、笑っている余裕はなかった。


「正面、十二!」


 正面のゴブリンが、もう一度突っ込んでくる。


 カレンが前へ出る。


 怖い。

 顔に出ている。


 だが、足は動いている。


 良樹は小型蒸気破裂をもう一度組む。


 ぱん。


 ゴブリンの鼻先で弾ける。


 止まる。

 カレンが打つ。

 戻る。


 うまくいった。


 そう思った瞬間。


 草の奥から、さらに影が動いた。


 一体。

 二体。

 三体。


 いや、もっといる。


 低い。

 速い。

 横へ広がる。


「数が多い!」


 リシアが叫ぶ。


「センサーには?」


「正面しか見てねえ!」


 良樹は歯を食いしばる。


 魔導レーザーセンサーを振る。

 二十四。

 十九。

 十三。

 複数反応。


 だが、どれがどれかまでは分からない。


 距離は答えではない。


 判断材料だ。


「カレン、下がれ!」

「リシア、右に火じゃなくて光!」

「クラリスさん、カレンの左足見てくれ!」


「了解!」


「はい!」


「はい」


 リシアが光を置く。

 ゴブリンの視線が一瞬ずれる。


 カレンが下がる。

 だが、左足が一瞬遅れた。


 クラリスがそれを見る。


「カレンさん、左足!」


「っ」


 カレンが戻す。

 間に合う。


 その一拍を、良樹は作る。


 ぱん。


 また小さな蒸気破裂。


 止まる。


 だが、今度は足りなかった。


 奥のゴブリンが、止まらない。


 仲間の背後から、低く抜けてくる。

 狙いはカレンではない。


 リシアだ。


 リシアは右へ光を置いた直後で、足が残っている。

 戻れる。

 だが、間に合うか。


「リシア!」


 カレンが叫ぶ。


 クラリスが動こうとする。

 だが、先ほど止めたゴブリンの押さえから完全には離れられない。


 良樹は魔導盤を見た。


 通常出力では足りない。


 小型では止まらない。


 なら、どうする。


 上げるか。


 まだ試していない。

 反射も見ていない。

 逃げ道も未完成。

 味方側の安全範囲も曖昧。


 危ない。


 分かっている。


 味方の近くで使うな。

 出力を上げるな。

 反射を読め。

 逃げ道を塞ぐな。


 朝、自分で並べた禁止事項が、頭の中で順番に点灯する。


 全部、正しい。


 だが、今は。


 リシアの位置。

 カレンの戻り。

 クラリスの拘束。

 ゴブリンの距離。

 十。

 八。

 六。


 間に合わない。


 良樹は、奥歯を噛んだ。


「確認なんて言ってる場合じゃねえ」


 良樹は、魔導盤の中でインバーターの制限を掴んだ。


 上げる。


 赤い線が、太く灯った。

 青い入力が噛む。


 熱。

 水。

 膨張。

 逃げ道。


 逃げ道は前へ。

 味方側へ返すな。


 胸の奥で、父の声がした。


『良樹』


 上村十鉄の声。


『強い女もいる。男より肝の据わった女もいる。お前よりよっぽど役に立つ女もいる』


 分かってる。


『けどな』


 十鉄は、いつもの面倒くさい顔で言った。


『いざって時に、その後ろへ隠れる男になるな』


 今が、そのいざだった。


「上げる!」


 音が、弾けた。


 ぱん、ではなかった。


「鳴れ!」


 ずどん、と地面が鳴った。


 小型蒸気破裂とは違う。


 乾いた音ではなかった。

 空気が弾けたというより、地面の中で何かが爆ぜたような音だった。


 白い蒸気が、ゴブリンたちの前で一気に膨らむ。

 土が跳ねる。

 草が根元から叩き伏せられる。

 小石が弾け、低い衝撃が町道を走った。


 ゴブリンたちの足が浮いた。


 一体が後ろへ転がる。

 もう一体は横へ弾かれ、草むらへ突っ込む。

 正面にいたゴブリンは耳を押さえ、悲鳴とも鳴き声ともつかない声を上げて尻餅をついた。


 良樹の想定より、明らかに強かった。


 ハンドグレネード。

 地雷。


 そんな言葉が、頭の奥をよぎる。


 違う。

 これはそんなものじゃない。

 そう言い切りたかった。


 だが、出た結果は近かった。


「……出すぎた」


 良樹は、喉の奥で呟いた。


 止める一拍。


 そのつもりだった。


 だが、今のは一拍ではない。

 場を丸ごと叩いた。


 白い蒸気が前方へ爆ぜる。

 ゴブリンたちの足が一斉に止まる。

 耳を嫌がるように頭を振る。

 鼻先を焼かれたように身を引く。

 土煙と蒸気が混ざり、視界が白く潰れる。


 良樹は、放った瞬間にはもう後ろを向いていた。


 リシア。

 カレン。

 クラリス。


 三人の前に背中を出す。


 両腕を広げる。

 頭を下げる。

 足を踏ん張る。


 熱い白が、背中を叩いた。


「っ、ぐ……!」


 音が遅れて耳の奥を刺した。

 背中が焼ける。

 ツナギ越しに熱が食い込む。

 魔導盤の中で赤い線が暴れる。


 挿絵(By みてみん)


 だが、三人は後ろにいる。


 なら、まだ倒れるな。


 良樹は歯を食いしばり、振り返らずに叫んだ。


「今だ!」


 声が掠れた。


 それでも、届いた。


「三人とも、頼む!」


 最初に動いたのは、リシアだった。


「任せて!」


 青白い魔力が走る。

 氷閃槍ではない。

 地面を縫うように伸びた氷が、ゴブリンの足元を止める。


 次に、カレンが出た。


「怖いです……でも、見えます!」


 震える声。

 けれど、剣は迷わない。


 踏み込みすぎない。

 戻る足を残す。

 ゴブリンの鼻先を斬るのではなく、進路を断つ。


「こっちは、通しません!」


 最後に、クラリスが前へ滑り込んだ。


「壊しません。止めます」


 柔らかい声。

 冷えた目。


 杖が、ゴブリンの足を払い、顎下を押し上げ、喉元の動きを止める。

 倒すのではない。

 呼吸と姿勢を奪って、動きを止める。


 三人が、動いた。


 良樹が作った一拍を、三人が繋いだ。


 白い蒸気が晴れた時、ゴブリンたちは完全に崩れていた。


 一体が悲鳴を上げて草むらへ逃げ込む。

 それを見た別の一体が、落とした刃物も拾わずに背を向けた。

 さらに奥の茂みが揺れる。


 そこに、まだいた。


 良樹のセンサーで拾いきれていなかった反応。

 草の陰に伏せていた小さな影。

 様子を見ていた数体のゴブリン。


 それらが、ずどん、という音と白い蒸気に怯え、一斉に動き出した。


 逃げていく。


 一体ではない。

 二体でもない。


 群れが、草を割って奥へ逃げていく。


 リシアが杖を構えたまま、息を呑んだ。


「……あんなにいたの」


「見えてなかった」


 良樹は低く答えた。


「俺が振った範囲には、全部入ってなかった」

「やっぱり、見てないところは見えてねえ」


 カレンが剣を握ったまま、震える声で言った。


「でも……逃げています」

「追っては、きません」


 クラリスが周囲を見た。


「道は、空きましたね」


「ああ」


 良樹は頷いた。


「依頼としては、成功だ」


 そう言った直後。


 足から力が抜けた。


 背中の熱より先に、膝が落ちた。

 耳鳴りが遠くなる。

 魔導盤の赤い線が、ぶつりと消える。


「良樹!」


 リシアの声が聞こえた。


 良樹は返事をしようとした。


 大丈夫だ。

 三人は動けた。

 止まった。

 逃がせた。


 そう言おうとして、口が動かなかった。


 そのまま、良樹は前のめりに倒れた。


   ◇


 ギルドへ戻った時、良樹は自分の足で歩いていなかった。


 リシアとカレンに両側を支えられ、クラリスが背中と耳の応急処置を続けている。

 本人は歩けると言い張った。

 だが、三人が許さなかった。


「歩けるっつってんだろ」


「歩ける人は、さっき倒れないわよ」


 リシアの声は硬い。


「あ、あの……良樹さん、少しだけ黙っていてください」


 カレンは泣きそうな顔で、それでも良樹の腕を離さない。


「良樹さん。動くと治療がずれます」


 クラリスの声は穏やかだった。


 穏やかだったが、逃がす気配はなかった。


 ガレスは、その様子をしばらく黙って見ていた。


 報告自体は簡潔だった。


 ゴブリンは町道から離れた。

 商人も無事。

 馬車も通れる。

 ゴブリンは群れごと林の奥へ逃げ、追撃はしていない。

 依頼条件は満たしている。


「依頼としては成功だ」


 ガレスは言った。


「報酬は出す。追加もつける」


「助かる」


 良樹は椅子に座らされながら、短く答えた。


「ただし、お前は倒れた」


「そこはまあ、予定外だな」


「予定外、ねえ」


 ガレスは太い腕を組み、良樹を見る。


 そして、良樹の隣に立つ三人を見た。


 リシアは怒っている。

 だが、怒りの下に怯えがある。

 良樹の背中を見るたびに、口元がわずかに強張っている。


 カレンは、良樹の袖を掴んだまま離さない。

 怖がっている。

 ゴブリンではなく、良樹がまた倒れることを怖がっている。


 クラリスは治癒を続けている。

 手つきは落ち着いている。

 だが、目だけは笑っていない。


 ガレスは、その三人の顔を見た。


 それから、良樹へ視線を戻す。


「お前は、そういう無茶をするタイプには見えなかったけどな」


 良樹は少しだけ顔をしかめた。


「無茶をしたつもりはねえよ」


「倒れておいて言うか」


「予想通り、クソ痛かったし散々な目にあった。そこは認める」


 三人の空気が、さらに硬くなった。


 リシアが唇を噛む。

 カレンが息を飲む。

 クラリスの治癒の光が、ほんの少し強くなる。


 ガレスはそれも見ていた。


 良樹は、気づいているのかいないのか、淡々と続ける。


「あそこは俺が前に出る場面だった」


「なぜだ」


 ガレスの声は、責めるものではなかった。

 ただ、確認する声だった。


 良樹は少し黙った。


 リシア。

 カレン。

 クラリス。


 三人が後ろにいた。

 三人が動くには、一拍足りなかった。


 なら。


「男なら、って時もあんだろ」


 ガレスは、一瞬だけ目を細めた。


 良樹の言葉を聞いた。

 そしてもう一度、三人を見た。


 良樹を支える手。

 袖を掴む指。

 治癒を続ける白い手。


 三人とも、良樹を心底心配している。


 守られたからではない。

 頼りないからでもない。

 良樹が傷ついたことが、ただ辛いのだ。


 ガレスは、にかっと笑った。


「……そうだな」


 太い手が、良樹の肩を軽く叩く。


「男なら、って時はある」


「だろ」


「だがな」


 ガレスは、少しだけ声を低くした。


「そういう時に前へ出る男は嫌いじゃねえ」

「だが、帰ってきて心配されるところまで含めて、責任だ」


 良樹は、一瞬黙った。


 ガレスは顎で三人を示す。


「見ろ。お前が守った連中だ」


 良樹は、横を見る。


 リシアが目を逸らさない。

 カレンが泣きそうな顔で見ている。

 クラリスは、微笑んでいなかった。


 良樹は、返す言葉を失った。


 ガレスは、もう一度にかっと笑う。


「いい仲間じゃねえか」


「……ああ」


 良樹は、小さく答えた。


「そうだな」


「なら、次からは倒れる前に戻ってこい」


「それは俺もそう思ってる」


 ガレスは低く笑った。


「今日はもう休め。報酬は後で渡す」


「助かる」


「それと」


 ガレスは三人を見た。


「そいつが無茶をしそうなら、止めろ」


 リシアが即答した。


「言われなくても」


 カレンも、小さく頷く。


「止めます」


 クラリスは、良樹の背中に手を添えたまま、静かに言った。


「ええ。何度でも」


 良樹は嫌な予感を覚えた。


「……俺の扱い、決まってきてないか」


「決まってきてるわよ」


 リシアが冷たく言った。


   ◇


 ギルドの奥。


 報告用の卓から少し離れた席に、一人の男が座っていた。


 目立つ男ではない。


 薄い外套。

 手入れされた革手袋。

 旅人にも、商人にも、下級の役人にも見える服装。


 ただ、その目だけは妙に静かだった。


 男は、良樹たちの報告を聞いていた。


 ゴブリンの群れ。

 追い払い。

 白い蒸気。

 地面を叩くような音。

 魔物が群れごと逃げたこと。


 そして、ガレスの言葉。


 お前は、そういう無茶をするタイプには見えなかったけどな。


 男は、杯を置いた。


「……慎重な男が、必要な時だけ無茶をする」


 小さな声だった。


 周囲の喧騒に紛れる程度の。


 だが、男の隣に座っていた細身の男が、わずかに目を動かした。


「噂の異邦人ですか」


「らしいな」


「ただの変人では?」


「ただの変人は、ゴブリンの群れを音と蒸気で散らさない」

「それに、ガレスがああ言った」


「信用している、と?」


「少なくとも、見ている」

「ガレスは馬鹿を褒めない」

「無茶をしたことより、普段は無茶をしない男だと見ている」


 男は、良樹の背中を見る。


 リシアが隣で何かを言っている。

 クラリスが良樹の身体を確認している。

 カレンが少し後ろで周囲を見ている。


 四人の距離感は、ただの臨時パーティには見えなかった。


「面白い」


 男は、そう呟いた。


「報告だけ上げておけ」

「まだ近づくな」


「よろしいのですか?」


「今近づけば、あの魔法使いと僧侶が警戒する」

「剣士も、怖がりの目をしている割に、よく見る」

「それに、あの男」


 男は、良樹を見た。


 ツナギ。

 腰袋。

 見慣れない靴。

 そして、魔法使いらしくない目。


「自分が何をしたか、もう反省している」

「危ない奴だ」

「火力を誇る奴より、失敗を持ち帰る奴の方が伸びる」


 細身の男は、黙って頷いた。


 良樹たちはまだ気づかない。


 ガレスへの報告を終え、宿へ戻ろうとしている。


 男は杯を持ち上げ、少しだけ笑った。


「止めて逃がす、か」

「妙なことを考える」


 その声は、誰にも届かなかった。


   ◇


 その夜。


 宿の食堂の隅で、良樹は椅子に座らされていた。


 部屋で寝ていろと言われたが、ギルドへの報告を終え、最低限の食事だけは取れと言われた。

 本人としても、水だけ飲んで寝るよりはましだった。


 ただし、背中にはクラリスの治癒。

 右側にはリシア。

 左側にはカレン。


 逃げ道はなかった。


「……俺、囚人か何かか」


「患者よ」


 リシアが即答した。


「怪我人です」


 カレンが小さく付け足す。


「自分を遮蔽板にした方です」


 クラリスが穏やかに締めた。


「言い方」


 良樹は、ため息をつこうとして、背中の痛みに顔をしかめた。


「っ……」


「ほら。痛いんでしょ」


 リシアの声が少し震えた。


「痛いよ。予想通り、クソ痛かったしな」


 言ってから、良樹は三人の顔を見た。


 誰も笑っていなかった。


「……何だよ」


 リシアが低く答えた。


「予想してたのに、やったのね」


「ああ」


「痛いって分かってたのに?」


「まあな」


「倒れるかもしれないって分かってたのに?」


「可能性はあった」


 リシアの目が揺れた。


「それでも、私たちを取ったのね」


 良樹は、少しだけ黙った。


 取った。


 その言い方は、自分の中にはなかった。


 あの瞬間、良樹は選んだつもりではなかった。

 ただ、前に出た。

 それがやるべきことだったから。


 だが、リシアの言葉は間違っていなかった。


「……そうなるな」


 リシアが唇を噛んだ。


 カレンは、俯いていた。


「良樹さん」


「何だ」


「それが、勇気なんですか」


 良樹は少し困ったように笑った。


「立派なもんじゃねえよ」


「でも」


 カレンは顔を上げた。


「怖いことが分かった上で、それでもやることだって、言いました」


 良樹は黙った。


「良樹さんは、分かっていたんですよね」

「痛いことも、危ないことも」

「それでも、やったんですよね」


「……あの時は、それがやるべきことだった」


 カレンの目が揺れた。


「痛いと分かっていても、私たちを取ってくれたんですか」


「……そうなるな」


 カレンの肩が小さく震えた。


 クラリスの手が、良樹の背中で止まりかけて、また治癒を続けた。


「良樹さん」


 クラリスの声は柔らかかった。


 けれど、逃がさない声だった。


「予想していたのですね」


「全部じゃねえよ」


「傷つく可能性は、見ていたのですね」


「……見てた」


「それでも、自分の身体を遮蔽板にしましたね」


 良樹は、答えなかった。


 クラリスは、治癒の光を流し直す。


「私は、治せるから大丈夫だと思っていました」


 静かな声だった。


「あなたは、予想通り痛かったと言いました」


 そこで、ほんの少しだけ声が沈む。


「どちらも、同じくらい危険です」


 良樹は顔をしかめた。


「……俺にも返ってくるか、それ」


「返します」


 クラリスは穏やかに微笑んだ。


「何度でも」


 良樹は、ため息をついた。


「献身とか、自己犠牲とか、そんな綺麗なもんじゃねえんだよ」


「では、何ですか」


 クラリスが聞く。


「親父に叩き込まれただけだ」


「お父様に?」


「ああ」


 良樹は、背中の痛みに耐えながら続けた。


「いざって時に、女子供を守れねえ男になるなってな」


 リシアが目を細める。


「私たちは、守られるだけの女じゃないわよ」


「知ってる」


 良樹は即答した。


「お前らが強いのは知ってる」

「俺よりよっぽど戦えるのも知ってる」

「だから、止めた後は頼んだ」


 リシアは黙った。


「でも、あの一拍だけは違った」

「俺が前に出れば、お前らが動けた」

「なら、出るだろ」


 カレンが小さく聞いた。


「女だから、ですか」


「それだけじゃねえよ」


 良樹は答える。


「仲間だからだ」

「好きだからだ」

「でも、あの時に背中を出した理由を一個だけ言えって言われたら」


 少しだけ間を置く。


「男だからだ」


 誰も、すぐには言葉を返さなかった。


 リシアは顔を赤くして目を逸らした。

 カレンは胸元で手を握りしめた。

 クラリスは、良樹の背中に治癒を流し続けながら、静かに瞬きをした。


「……好きな人が傷つくのは」


 クラリスの唇から、小さな声が漏れた。


「こんなにも、辛いことなのですね」


 リシアが顔を上げる。

 カレンも、涙をこらえるように口元を押さえていた。


 クラリスは、良樹の背中を見つめたまま、静かに続ける。


「私は、治せるから大丈夫だと思っていました」


 トロルの時。

 拳を痛めた時。

 治しましたから、と笑った時。


 良樹は怒った。


 治したから大丈夫じゃない。

 壊れた事実は消えていない。

 自分を使い潰す許可証に、回復魔法を使うな。


 あの時の言葉が、今になって胸の奥へ落ちてくる。


「良樹さんは、これを見ていたのですね」


 クラリスは、良樹の背中へ治癒を流し続ける。


「私が傷つくたびに」

「私が治せますと笑うたびに」

「良樹さんは、こんな気持ちになっていたのですね」


 胸が痛い。

 けれど、その痛みは、どこか温かかった。


 だって、これは。


 好きな人が傷つくから、辛いのだ。


 なら。


 クラリスは、ゆっくりと瞬きをした。


「つまり」


 嫌になるほど自然に、結論が出た。


「良樹さんは、私のことが好きなのですね」


「待って」


 リシアの声が、即座に飛んだ。


「今どこでそうなったの」


 クラリスは良樹の背中に手を添えたまま、穏やかに微笑んだ。


「論理的帰結です」


「違うわよ。途中までは分かるけど、最後で橋が落ちてるわよ」


「落ちていません。渡りました」


「飛んだのよ」


 カレンが、おろおろと二人を見た。


「あ、あの……でも、良樹さんは、クラリスさんが傷つくのを本当に嫌がっていました」


「カレンまで!?」


 クラリスは、少しだけ嬉しそうに目を細める。


「ありがとうございます、カレンさん」


「い、いえ……」


 リシアは頭を抱えた。


「良樹、起きなさい」

「今すぐ起きなさい」

「あなたが倒れている間に、ものすごく不利な既成事実が作られてる」


「起きてる」


 良樹は低く言った。


「そして、何の話だ」


 クラリスはにこりと微笑んだ。


「良樹さんが私を好きなのではないか、という確認です」


「確認?」


 良樹は、少しだけ眉を寄せた。


 そして、三人を見た。


 リシア。

 カレン。

 クラリス。


 三人とも、心配していた顔だった。

 怒っている顔でもある。

 泣きそうな顔でもある。

 そして、何かを待っている顔でもあった。


 良樹は、まだ少しぼんやりする頭で息を吐いた。


「好きだよ」


 三人の動きが止まった。


 リシアの目が見開かれる。

 カレンの肩が跳ねる。

 クラリスの微笑みが、ほんの少しだけ固まる。


 良樹は続けた。


「三人とも好きだ」

「じゃなきゃ、一緒にいねえよ」


 一拍。


 空気が、完全に止まった。


 良樹は少し照れくさそうに視線を逸らす。


「リシアは、最初に俺を拾ってくれた」

「何も分からねえ俺に、魔法を見せてくれた」

「隣で盤を見てくれる」

「お前がいなかったら、俺は今ここにいねえ」


 リシアの頬が、じわりと赤くなる。


「カレンは、怖いのに前を見る」

「怖いことを誤魔化さない」

「戻る道を考えてくれる」

「俺には見えねえ危険を、お前は見てくれる」


 カレンは、目を潤ませて俯いた。


「クラリスさんは、人の身体を見る」

「怪我も、無理も、壊れそうなところも見てくれる」

「俺が自分で気づかねえ危なさまで、止めようとしてくれる」


 クラリスは、静かに瞬きをした。


「だから、好きだ」

「人として」

「仲間として」

「一緒に現場に立つ相手として」


 三人の顔から、何かがすっと抜けた。


 リシアが、低い声で言った。


「……良樹」


「何だ」


「そこまで言って、どうして最後に安全側へ逃げるの」


「逃げてねえよ。本音だ」


「本音なのが余計に悪いのよ」


 良樹は眉を寄せる。


「そもそもさ」


「何よ」


「まだ付き合いも浅い俺に、そんなこと聞くんだ?」


 空気が、また止まった。


「いや、嫌だとか、迷惑だとか言ってるんじゃねえぞ」

「三人のことは好きだ」

「それは本当だ」


 リシアが何か言いかける。

 良樹は、少しだけ手を上げて止めた。


「でも、そういうのはもっとじっくりだろ」


「じっくり?」


「ああ」


 良樹は息を吐いた。


「一緒に飯食って」

「一緒に仕事して」

「失敗も見て」

「怒った顔も見て」

「どうしようもねえところも見て」

「それでも一緒にいたいか、確認していくもんじゃねえのか」


 リシアは、言葉を失った。


「今の俺は、お前らに助けられてる」

「異世界で右も左も分からねえ」

「命も預けてる」

「そんな状態で、勢いだけで答えを出すのは違うだろ」


 カレンが、小さく唇を噛む。


「勢い、ですか……」


「悪い意味じゃねえ」

「ただ、俺は確認不足のまま、運転開始したくねえんだよ」


 リシアが頭を抱えた。


「そこで現場語に戻るの、ほんと良樹ね」


「俺が俺以外の何になるんだよ」


 クラリスは、少しだけ首を傾げた。


「つまり、良樹さんは私たちとの関係を、時間をかけて育てるつもりなのですね」


「まあ、そういう言い方になるのか?」


「分かりました」


「何が」


「長期戦ですね」


「待て。何を始める気だ」


「確認です」


 クラリスは、にこりと笑った。


「じっくり、なのですよね?」


 良樹は嫌な予感を覚えた。


「……俺、何か許可出したか?」


 リシアが即答した。


「出したわよ」


 カレンが小さく頷く。


「出したと、思います……」


 クラリスは穏やかに微笑んだ。


「確認期間の開始です」


「主幹落としてえ」


「落とさないで」


   ◇


 さらに夜が深くなってから、良樹はクラリスの強い指示により、ようやく部屋へ戻された。


 背中は治癒された。

 耳も処置された。

 魔導盤の揺れも、時間を置けば戻るだろうと言われた。


 だが、無理は禁物。


 そう言われ、良樹は簡易宿の部屋で横になっている。


 そして食堂の隅には、三人が残っていた。


 リシア。

 カレン。

 クラリス。


 三人は、同じ卓に座っていた。


 誰も、すぐには話さなかった。


 先に口を開いたのは、リシアだった。


「……確認しておきましょう」


 カレンが小さく姿勢を正す。

 クラリスは穏やかに微笑んだ。


「抜け駆けはなし」


 リシアは、まっすぐ二人を見た。


「良樹は、じっくり見るって言った」

「だったら、私たちが変に急かして、あいつを混乱させるのは違うと思う」


「は、はい……良樹さん、真面目に考えてくれようとしていました」


 カレンが頷く。


「そうですね。無理に答えを求めるのは、清楚ではありません」


 クラリスも頷いた。


「今、清楚かどうかの話はしてないわ」


「大事なことです」


「大事かなあ……」


 リシアは軽く息を吐いた。


「邪魔はしない」


「はい」


「抜け駆けもしない」


「はい」


「ただし」


 リシアはそこで一拍置いた。


「良樹に自分を知ってもらう努力は、止めない」


 クラリスが、静かに目を細めた。


「つまり、正当な確認活動は認める、ということですね」


「言い方」


「違いますか?」


「違わないのが嫌なのよ」


 カレンが、おずおずと手を上げるような仕草をした。


「あ、あの……それって」


 二人がカレンを見る。


「良樹さんに、好きになってもらうために頑張る、ということですよね」


 場が、止まった。


 リシアは少し赤くなる。

 クラリスは微笑みを深くする。


「……まあ、そういうことになるわね」


 リシアは観念したように言った。


 しばらく沈黙が落ちる。


 そしてリシアが、自分の胸元へ手を当てた。


「私は、良樹が好き」


 少しだけ視線を伏せてから、はっきりと言った。


「たぶん、もう誤魔化せない」

「最初は変な人だと思った」

「怪しいし、事故とはいえ最悪の出会い方だったし、工具の心配ばかりしてたし」


「そ、それは……良樹さんらしいですね」


 カレンが小さく言う。


「でも、あいつは私の魔法をちゃんと見た」

「器用貧乏だと思っていたものを、中途半端じゃなくて、工程を組める力として見てくれた」

「私の魔法が、あいつの盤に入った」


 リシアは、自分の手を見た。


「それが、嬉しかった」


 そして、少しだけ顔を赤くする。


「良樹の隣にいたい」

「あいつが何を見て、何を組もうとしているのか、私が一番近くで見たい」

「あいつが変なことを始めた時に、最初に止めるのも、最初に手伝うのも、私でいたい」


 言ってから、小さく付け足す。


「……あと、普通に、女の子としても見てほしい」


 カレンは、膝の上で手を握った。


「私は……怖いです」


 リシアとクラリスは、黙って聞いた。


「良樹さんのことを好きだと言うのも怖いです」

「嫌がられたらどうしようって思います」

「近いと思われたらどうしようって思います」

「面倒な子だと思われたらどうしようって思います」


 それでも、カレンは顔を上げた。


「でも、良樹さんは、怖がる私を駄目だと言いませんでした」

「怖いなら、何が怖いか言えって」

「怖さは入力になるって」


 声が、少し震える。


「私、自分が怖がりなのが嫌でした」

「でも、良樹さんは、それを見てくれました」

「弱さじゃなくて、役に立つものみたいに」


 カレンは、胸元で手を握る。


「良樹さんの前に立ちたいです」

「怖いです」

「でも、良樹さんが戻る道を作ってくれるなら、前に出たいです」


 言ってから、顔を真っ赤にした。


「あ、あの……それと、その……」

「良樹さんに、可愛い子って言われたのが、すごく嬉しかったです」


 リシアが小さく呻いた。


「そこ、強いのよね……」


 クラリスが頷いた。


「天然は、強いです」


 そして、クラリスはいつものように穏やかに微笑んだ。


「私は、良樹さんが好きです」


 あまりにも自然に言ったので、リシアが少し身構えた。


「早いわね」


「はい。早いと思います」


 クラリスは認めた。


「けれど、もう違うとは言えません」


 彼女は、自分の手を見た。


「私は、自分を壊すことに慣れていました」

「治せるから」

「痛みに慣れているから」

「誰かが助かるなら、それでいいと思っていました」


 その声は柔らかい。

 けれど、奥に静かな熱があった。


「良樹さんは、それを怒りました」

「治したから大丈夫じゃない」

「壊れた事実は消えない」

「自分を使い潰す許可証に、回復魔法を使うな、と」


 クラリスは、少しだけ目を伏せる。


「今日、良樹さんが傷つくのを見て、分かりました」

「好きな人が傷つくのは、とても辛いです」


 リシアが眉を寄せる。


「そこで、良樹もあなたが好きって結論に行くのは、まだ納得してないけどね」


「論理的帰結です」


「違うわよ」


 クラリスは、静かに続けた。


「私は、良樹さんを止めたいです」


 リシアも、カレンも、黙って聞く。


「あの方は、人を壊すことを嫌うのに、自分を遮蔽板にしました」

「他人には許さないことを、自分には許してしまう方です」


 清楚な微笑みの奥に、揺るぎないものがあった。


「だから、私は良樹さんを止める一番でいたい」

「あの方が自分を壊そうとした時、胸倉を掴んででも止める役目が欲しいです」


 それは、恋の言葉であり。

 誓いのようでもあった。


 リシアは、深く息を吐いた。


「認めましょう」


「何をですか?」


 クラリスが聞く。


「私たち三人とも、早い」


 カレンが小さく肩を縮めた。


「は、早い……ですか」


「早いわよ」


「でも、良樹さんは命を助けてくれて……」


「それを言ったら私も、異世界に来たばかりの良樹を助けたわ」


 クラリスが穏やかに言う。


「私は、壊れるなと怒られました」


 リシアが頷いた。


「全員、理由はある」


「はい」


「でも、全員、早い」


「……はい」


 三人は黙った。


 そして、ほぼ同時に小さく息を吐いた。


「だからこそ、焦らない」


 リシアが言った。


「良樹が言った通り、じっくり見る」

「私たちも、じっくり見てもらう」


 クラリスが頷く。


「抜け駆けはしない」


 カレンも頷く。


「邪魔も、しません」


 リシアは二人を見た。


「ただし、自分の気持ちは隠さない」


 クラリスが微笑む。


「確認材料は、正しく提示するべきですから」


「そういう言い方やめて」


 カレンが、少しだけ笑った。


「良樹は、たぶん一人だとまた無茶をする」


 リシアが言った。


「はい」


 カレンが頷く。


「しますね」


 クラリスも頷いた。


「だから、恋の前にまず一つ」


 リシアは指を一本立てた。


「あいつを一人で壊れさせない」


 カレンの表情が引き締まる。


「良樹さんの戻る道を、見ます」


 クラリスが静かに微笑んだ。


「良樹さんの身体を、見ます」


 リシアは頷いた。


「私は、良樹の隣を見る」


 三人は、そこで互いの顔を見た。


 恋敵。

 仲間。

 共同運用者。


 どれも、たぶん間違っていなかった。


 沈黙のあと、カレンが小さく言った。


「あ、あの……これは、秘密ですか?」


 リシアは少し考えた。


「良樹には言わない方がいいわね」


 クラリスが微笑む。


「そうですね。良樹さんに伝えると、主幹を落としたがります」


「落とすでしょうね」


「落としますね……」


 三人は、妙なところで意見が一致した。

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