FILE.52 乱雑な現場と整った推理〔解決編〕
*事件関係者*
・田島範平(たじま-はんぺい)
恋愛小説家。小説部を家に招いて対談する。42歳。
・田島恋那(たじま-れんな)
イラストレーター。範平の書く小説の挿絵を主に描いている。38歳。
階段の照明に首をくくり、自殺したかに思われたが……。
・三簾莉子(みすい-りこ)
田島家の家政婦。2日前から田島家に来た。23歳。
・鵜飼仁彦(うかい-きみひこ)
範平の担当編集者。締め切りの日に呑気に対談をしている範平にかなり立腹し、怒鳴りこんだ。35歳。
・米寺詩葉(よねでら-ことは)
1週間前に自殺を図った元家政婦。今も昏睡状態らしい。
「はあ……」
田島家の応接室。東谷の聴取が終わり、一人になった浦津は、思わずため息を漏らす。
「警部、どうかしたんですか?」
どうやら一人ではなかったようだ。東谷と入れ替わりに、後輩の刑事がやって来た。椅子に座っていた浦津は、その声に顔を見上げる。
「いやね、連絡してくれるとは言うものの、実際には青野くんがいないじゃない。だからさ、事件がすごーーく簡単には解決しないでしょ? すごくめんどくさいなーって思ってね」
「はあ……」
部下の刑事が呆れた顔でやれやれとため息を吐いた。これが警部という地位に立つ者の言葉だろうか?
それから、後輩君は呆れ顔のまま眉を少し寄せて、
「でも、もう自殺で決まりなんじゃ無いんですか?」
「うーん、どうかなぁ……。やっぱり遺体が揺れてなかったっていう大山くんの話が引っ掛かるんだよな……」
「警部、それを聞いたあとに自殺だと明言してましたよね」
後輩君は呆れた目で浦津を見た。それを受けた浦津は、えっへんと何故かどや顔。
「大山くんは青野くんの弟子なんだよ! 弟子のいってることなら信用しても大丈夫でしょ!」
意味のわからない論理を振りかざされ、困惑顔の後輩刑事。というか、大山は青野の弟子とは一度も名乗っていないはずだ。
「でも、椅子が落ちてきたとき、この家の中にいた人全員にアリバイがあるんですから、これは自殺でしょう」
後輩刑事が断言すると、浦津は「アリバイねぇ……」と呟いた。
「でもさ、それは椅子が落ちてきたときのアリバイでしょ? もしかしたら、それより前に殺害して、トリックを使って落としたかもしれないじゃないか。13時5分に水を運びにいったときには生きていたっていう三簾さんの証言から考えて、犯行はそれ以降。てことは、青野くんと同じ部活の人たち以外、アリバイがある人はいないよ? ……どうしたの?」
話を途中で切った浦津は、口をポカンとあけて間抜け面を晒している部下の刑事に訊く。
「いや、警部が真面目に推理しているのが珍しすぎて……」
「……うーんと、誉められてないよね?」
「もちろん! で、その“トリック”って何なんですか!?」
「即答されたよ!? ……トリックの方は知らないな。君が考えれば? もう頭使って疲れちゃったし」
「……あ、ハイ。安定の浦津クオリティーでしたね。まあ、犯人が猫だとか言い出さないだけ進歩しましたけど」
「おいおい」
過去の黒歴史を平然と掘り返してきた部下に、苦笑いを浮かべる浦津。一応恥じているのだろうか?
だが、直後、彼の口から発せられた言葉に、後輩君は耳を疑った。
「この家に猫なんていないよ。いないんだから犯人なわけないじゃないか!」
……どうやら、猫がいたら犯人候補に数えるらしい。彼の成長に少し感動を覚えた(?)後輩君は、裏切られたというような感覚に陥る。いや、まて。そもそもこの警部に成長を期待すること自体が間違いなんじゃないか?
そんなことを考えていた後輩刑事は、考えるのも無駄だと判断し、首をブンブンと横に振った。
「警部の言っていることもごもっともですが、だからって殺人だと決まったわけではありませんよ。揺れていなかったって証言した彼も、実際は死体を見て気が動転していて、ありもしないものを見た気になっているだけかもしれないじゃないですか」
「た、たしかに……」
後輩君の意見に傾きかける浦津。だが、それを遮るように大山が部屋へとやって来た。
「違いますよ。これは確かに殺人です。そして、犯人はあの3人の中のあの人だ」
「…………へ?」
彼の口から突いて出てきた言葉に、浦津は口を開けて唖然。後輩君も、驚いた顔をする。それから、「でも……」と切り出して、
「椅子が落下してきたときには君たちはみんな同じ場所にいたんですよね? だったらどうやって椅子を落とせたっていうんですか?」
「簡単なトリックですよ。用意しておいたので、外に見に来ていただけませんか? そこで口を開けている刑事さんと一緒にね」
その言葉に我を取り戻したのか、浦津は口を閉じる。そして、一言。
「僕は警部だぁぁぁぁ!」
*
「なにやら叫び声が聞こえたのですが、何事ですか?」
先程の浦津の叫びに驚いて、リビングで待機していた容疑者3人が、鵜飼を先頭にして廊下へと出てくる。浦津の叫びは想定外であったが、こうして彼らが外に出てきてくれたのは好都合だと大山は思う。
「いえ、なんでもありません。ところで、今からちょっとした実験を行いますので、ここで待機していただけますかね?」
「実験?」尋ねる鵜飼。
「ええ、一階にいながら、指ひとつ触れることなく、階段の上にある椅子を落とす実験です」
「お、おいおい。ちょっと待ってくれよ」
大山の言葉に慌てて静止をかけるのは田島範平だ。
「それじゃあ何かい? 君はあれが殺人だったというのかね?」
「ええ」寸分の迷いもなく頷く大山。
「な、何の根拠があってそんなことを……」
尋ねる三簾莉子に、大山は2本の指を立てた右手を顔の前に出して答える。
「根拠は2つです。1つは先ほど僕が言った、首を吊った直後にもかかわらず、遺体が揺れていなかったこと。もう1つは、落ちてきた椅子の足が不自然に濡れていたことです」
「濡れていた?」
どういうことだ、と鵜飼が眉を顰めた。大山は先ほど浦津の部下から聞いた話を、そのまま彼らに伝える。
「背もたれとは反対側の椅子の足2つの裏が濡れていたんですよ」
「……はぁ?」
範平が意味が分からんとばかりに首を傾げる。
「どういうことだね? 現場は水浸しになっていたんだから、濡れているのは当たり前なんじゃ……」
『ドン!』
範平が言い終わる前に、2階から椅子が落ち、階段の壁に大きな音を立てて激突した。
「ちょ、ちょっと、これって……」
音に驚いて少し怯んだ浦津が、落ちてきた椅子をしげしげと見つめながら言う。
「あ、あの時にそっくりです!」
莉子が浦津の言葉を継ぐようにして叫ぶ。それに、後輩君が確かめるように呟いた。
「あの時ってまさか……」
「ちょっと! 騙されないでくださいよ! どーせこの子の友達が二階から椅子を落としたに決まってるじゃないですか!」
「あら? 全員揃っていますけど……」
声を荒げる鵜飼に、東谷が冷静に言う。ふたりの態度は見事に対照的だ。
「それじゃあ、彼に頼まれて二階から捜査員が落としたんだ。まだ残ってるんでしょ?」
「あ、その手があったか。おーい、上にいるんだろー? 返事しろーい」
二階に向かって呼びかける浦津。すると、上から男の声が返ってきた。
「はい、まだいます。ですけど、椅子には指一本も触れていませんよ」
「なんだって!? おい君、僕に虚偽報告をしちゃいかんよ」
「いえ、ほんとですって。その少年の言うとおりになるかどうか、きちんと録画もしています」
捜査員は、はっきりとした口調でそう言う。その調子からは、嘘などついてはいないように思われる。
その捜査官の対応に痺れを切らせたのか、浦津は階段を上っていった。
「全く、正直に白状するなら今の内だよ? 今なら許してあげちゃうんだからね!」
「まあ、皆さんも見ればわかりますよ。上に行きましょう」
大山が浦津の後を追うように、階段を上る。それに、訝しげな顔をしながらも、容疑者三人、小説部組、若手刑事という順でついて行った。
「あ、あれ? なんだいこれは! またコップと氷が散らばってるじゃないか」
真っ先に上へと辿り着いた浦津が、床を見て言う。そこには、水たまりこそないものの、溶けかけの氷と二つのコップが転がっていた。
「まるであの時を再現したかのようだが……。だが、これでいったいどうやって椅子を落としたっていうんだい?」
範平が口の上の髭を触りながらきく。それを受けて、大山はコップを手に取り、その場の皆に見えるように顔の前に持った。それから、階段を下り、リビングの方へと向かって行く。
「取り敢えずリビングの机の上で説明したいので、こちらに来ていただけますか」
大山は扉から顔を覗かせて言った。
「はあ……。あっちこっちに振り回して……」
心底嫌そうな顔をしながら、鵜飼が入ってくる。彼に続いて入ってきた皆が見ると、中では大山がコップを二つ手に持って立っていた。彼の前にあるテーブルには、今さっき製氷機から取り出されてきたと思われる氷が2つ置いてある。
「簡単なトリックなんです。まず、コップを逆さまにして、階段の上に置きます。それから、その上に氷を二つ、縦に重ねる」
大山は言いながら、コップを机の上に置き、その上に氷を二つ、重ねて置いた。
「コップ一つと氷二個分で大体階段一段分になります。これを、椅子を置いた段の一段下に置いて、その足を支えれば……」
「で、でも、先輩、さっきそれだと無理だって言ってましたよね? それをやったら、氷が直接椅子の足についちゃうからって……」
「美月の言う通りですよ。犯人が自殺に見せかけるためにトリックを使ったんだったら、椅子の背もたれ側の足に水がついているはずだって……」
美月と柚希に言われて、大山はフッと笑みを浮かべる。それから、もう一つのコップを手に取って、先ほど作ったコップと氷の上に被せるように置いた。
「これなら、水がつかないんじゃない? どうせコップは水の上に散らばってたんだから、内側に水がついていてもバレないし」
「てことは……現場が水浸しだったのは、このトリックをカモフラージュするためだったんだね!」
少し不可解だった謎が解けて、ほくほく顔の浦津。
「で、でも、そしたらもう片方の足を支えるものが無くなっちゃいません? 他にコップは無かったんだし……」
不安げに尋ねる高堂に、大丈夫だと笑いかけてから、大山は指を三本立てる。
「三点がしっかりしていれば、四本足の椅子はちゃんとバランスを取るんだよ。だから、階段と接している二点とこのコップで支えた一点で、きちんと支えられるって訳さ。それに、コップで支えるのが一点の方が、氷が解けてコップが低くなった時にバランスを失って崩れやすいしね」
「なるほど……。それならこの3人にでも犯行は可能っぽいね」
大山の説明に、浦津と後輩刑事が頷いた。
「でも、このままだと重なったコップとその間に入った妙な氷が見つかっちゃうんじゃ……」
高堂はまだ不安が拭いきれていないらしく、怪訝そうに眉を寄せて問う。
「それも大丈夫。椅子が落ちるときの衝撃で弾き飛ばされちゃうだろうから。実際、さっきの実験でもそうなってたしね。
ちなみに、このトリックが使われたのは間違いないと思います。さっき小林さんたちには説明しましたけど、氷を剥き出しのまま椅子につけると、氷の水分が椅子に移るのと同時に、椅子の埃も氷に移ってしまうんです。潔癖症の度が過ぎる奥さんの椅子だったらともかく、あの時落とされた椅子は範平さんの寝室にあった彼の椅子らしいですから、裏には埃や汚れだったりがくっついているはずですよ。しかし、現場に落ちていた氷には汚れなんて全くありませんでした。つまり、氷にカバーがかけられていたということなんです」
(もちろん、範平さんが奥さんを気遣って綺麗にしている可能性も有るけど……。さっきのあの恍惚な表情を見ると、わざと汚して怒られるのを心待ちにしているって考える方が自然だな)
本人の前では言えないので、心の中にぐっと押しとどめておく。それから、大山は心の声を誤魔化すようにコホンと咳払いをすると、
「問題は、誰がこのトリックを使ったかということですが、ご存知の通り、ずっとまとまっていた僕ら以外は、みなさん死亡推定時刻のアリバイがあやふやなところがありますよね」
「そうですね。三簾さんは水とコーヒーを届けに行った後から鵜飼さんが来るまでずっと一人ですし、鵜飼さんはコンビニから帰ってきたあと、トイレに行くと言って姿を消しています。そして、事件の直前になって範平さんもトイレに行っていたと証言していますし……。結局、今の段階では分からずじまいですよね」
大山に同調して、後輩刑事が手帳を見ながら述べた。それに、鵜飼が慌てたように止めに入る。
「ちょっと待ってくださいよ! 確かに、さっきのトリックなら椅子を落とすことは可能みたいですけど、それ以前にこれが他殺だと決まったわけではないですよね!?」
「そうですね。自殺かもしれないのに犯人扱いなんて酷いと思います」
三簾も鵜飼の言葉に頷いた。それに、浦津が若干控えめに反論する。
「しかし、遺体が揺れていなかったっていう証言もありますし……」
「その話だって彼の見間違いかもしれないだろう? 殺人だって明確な証拠もないのに、それを前提にして話すなんて……」
「証拠なら他にもありますよ? さっき言ったじゃないですか。根拠は2つあるって」
大山は澄ました顔で応じた。
「そういえば、そんなことも言っていましたよね」
後輩君は思い出したような顔。それから頭をツンツンと指で叩きながら、
「確か……不自然に濡れた椅子の足が……って話でしたよね? 途中で椅子が落ちてきたので中断されましたけど」
「それの何が根拠になるのかさっぱり分からないんですけど」
髪の毛を掻いて、鵜飼が不機嫌そうに言った。そんな彼に、大山は分かりやすい言葉を選び選び答える。
「まず、先ほど小林さんや柚希ちゃんが言っていたように、自殺に見せかけるために椅子置くなら、無意識のうちに背もたれを遺体とは反対の壁側に向けると思います。しかし、そう考えると少しおかしいんですよ」
「な、何がでしょうか……?」丁寧語で聞き返す莉子。
「いいですか? 背もたれとは反対側の足の裏が濡れていたんですよね? ということは、椅子は少なくとも現場を水浸しにした後に置かれたことになります」
「そのようですね」
範平が頷いて応えた。
「しかし、これは実に不自然なんです。なぜなら、被害者は床に埃が落ちているだけで激怒するほどの潔癖症。その被害者が死の間際に床を水浸しになんてするでしょうか?」
「た、確かに!」
浦津が子供のように手を叩いて納得する。
「つまり、これは他者が仕組んだ殺人である――ってことです。どうです? わかっていただけましたか?」
「あ、ああ」
「確かにそうみたいですね……」
大山に話を振られて、頷いて見せる鵜飼と範平。彼らが納得したのを見届けてから、大山は面白そうに笑みを浮かべて、
「そして、この事実――椅子の足が不自然に濡れていたことが、犯人をただ一人に絞り込むことが出来るんですよ」
「え? どゆこと?」
大山の言葉に、浦津が首を傾げた。それに、大山が学校の先生のように優しげな口調で説明する。
「いいですか? 犯人は恋那さんを自殺に見せかけようとしたんですよ? しかし、自殺した被害者が潔癖症だと知っていたのなら、わざわざ現場を水浸しにしたりなんてしないでしょう。逆に、少しでも綺麗になるように、目を配るんじゃないですか?」
「た、確かに……。あれ、ってことは、犯人は恋那さんの夫である範平さんでも、自分から潔癖症の話を持ち出した鵜飼さんでもなく……」
浦津は言いながら視線をその人物へと向ける。それは彼だけでなく、その場の誰も――犯人以外の――が視線をたった一人の元へ集中させていた。見つめられた人物は、その視線を茶色い床へと定め、きつく睨み付けている。
その反応を見届けてから、大山はしっかりと頷き、
「ええ、恋那さんを殺した犯人は、何故かコップを二つも持って二階に行き、トリックの準備をすることができた三簾莉子さん、あなたですよね?」
視線を浴びていた時から俯いていたが、大山からその言葉が告げられた瞬間、彼女の目は大きく見開かれた。大山はその反応を無視するようにして、話を纏める。
「つまり、犯行の手順はこうです。まず、僕たちに水を運んだあと、奥さんの部屋にコップに入った水を運びます。この時、彼女はコップを二つ持って行ったはずです。このトリックには二つのコップが必要不可欠ですから。彼女なら、さりげなく二つ持って行くことが容易にできたことでしょう。
それから、あなたは部屋に水を置いた後、あらかじめ用意しておいたロープで恋那さんを絞殺し、今のトリックを仕掛けて、何食わぬ顔で下の階へと降りてきた。で、椅子が落ちてくる頃合いを見計らって、適当な理由をつけて僕たちと合流してしまえば、椅子が落ちてきた時のアリバイが成立し、自分は容疑の圏外に外れることができるというわけですよ。違います?」
大山は挑発するかのように首を傾げて尋ねた。それに、莉子は口調を丁寧な物から乱れさせて反論する。その様子からは、冷静さが失われているように見て取れた。
「ち、違うも何も、そんなの勝手な推測じゃないですか! 私がコップ2杯分の水を持って行ったのは、奥様がつい飲むのを忘れてしまうって言っていたから、気を利かせて多めに持って行ったことなんです。それに、私が奥様の潔癖症を知らなかったことだって、あなたたちが勝手に導き出した結論でしょう? 実際、私はちゃんと知っていましたから! ただ警察には言わなかっただけですよ」
「確かに……彼女が知っていた可能性もゼロではないんじゃないか?」
鵜飼が莉子を擁護するように言う。しかし、大山は首を横に振ると、
「いえ、それはないと思います。僕たちが範平さんに聴取した時のことなんですが、恋那さんの潔癖症のことを最初に彼に尋ねたんです。そしたら、彼は『鵜飼君から聞いたのか』と言ったんですよ。言いましたよね?」
「あ、ああ。確かに言ったな」
大山の確認に、範平は戸惑い気味にも頷いた。
「しかし、彼の聴取の前には鵜飼さんのほかに三簾さんの聴取も行われていました。なのに、彼は『鵜飼君』と人物を限定して話した。範平さんの認識では、三簾さん、あなたが恋那さんの潔癖症のことを知らないということになっていたんですよ」
「そんなの個人の認識の話でしょう!? 旦那様の認識でそうなっていたからって、私がそうだとは限らないじゃない!」
必死に反駁する莉子。やはり、今の彼女は範平を“旦那様”と呼んでいたことに気付かないくらい、冷静さを欠いているようだ。
「ええ。これはあくまでも認識の話です。しかしねぇ。あなたは聴取の時に、自分が潔癖症のことを知らない、つまり自分が犯人であると喋っちゃっているんですよ」
「は、はあ!? 何を言っているんですか。私、潔癖症を知らないなんて一言も言っていませんよね!?」
莉子は浦津に掴みかかるようにして確認をする。浦津はそれにたじろぎながらも、「ええ、そうでしたね」と言った。
「ほら! 同席していた刑事さんもそう言っているんですよ!」
「いえ、警部ですっ!」
「えっ……はい」
浦津はどうでもいいところにツッコミを入れる。緊迫したその場の空気は一瞬静かになったが、それが続いたのもほんの少しの間で、直ぐに莉子が反論を続けた。
「と、とにかく! 警部さんもそう言っているんです! なかったことをさもありましたって言う風に語るのは止めて……」
「コピー用紙……」
「え?」
話を折られて、三簾はびっくりしたように硬直する。その隙をつくように、大山が話を続けた。
「あなた、奥さんにコピー用紙を整えておくようにって言われたんですよね」
「そ、そうよ。それがどうしたの!?」
「確か、コピー用紙からあなたの指紋が出たとか」
「そうだったのね。だったら私のその証言は正しかったっていうことなんじゃない?」
得意顔で笑みを浮かべる莉子に、大山が彼女をしっかりと見据えて言い放つ。
「なら、やっぱりあなたが犯人だ」
「……は?」
彼女は言っていることがよくわからないという風な声を漏らす。その彼女が何かを言う前に、大山は先手を打つように言った。
「時に、恋那さんは漫画の本を片付けるときに、巻数の並び順が間違っていたり、カバーがずれていたりしただけで凄い怒られた――そうでしたね? 範平さん」
「あ、ああ。そうだが、何か?」
その言葉を聞くと、大山は満足そうに莉子の方を見る。
「な、何なの。今の話がどうしたっていうんですか?」
「いえね、おかしくありませんか?」
大山は問いかけるようにする。それは、あえて彼女に気付かせるように仕向けているように受け取れた。
「おかしいって、漫画本とコピー用紙になんの繋がりが……っ!?」
大山の思惑通りか、莉子は何かに気付いたかのように息をのみ、目を一層大きく見開いた。その表情を見て、大山は説明を始める。
「やっと気づきましたか。恋那さんは漫画のカバーがずれただけで怒るほどの潔癖症。その彼女が、知り合って間もないあなたにコピー用紙の整理なんて頼むはずがないんですよ。つまり、あのコピー用紙の指紋こそが、あなたが嘘をついている犯人だって証拠なんです。こんな嘘を吐いたのは、あの時恋那さんが生きていたということを印象付ける為だったのでしょうが……。裏目に出ましたね」
その言葉に、莉子はすっと地面に目を落とし、静かに項垂れた。
「そっか、潔癖症か……。そんな理由だったのね」
「理由って?」
範平が彼女の顔を覗きこむと、莉子は俯いていた顔を上げ、彼の目を確りと見つめた。それから、顔を悲痛そうに歪めて叫ぶ。
「つい一週間前、車に飛び込んで自殺しようとして、今も昏睡状態になってる詩葉が死ぬほど思いつめてた理由よ!」
「詩葉って……前の家政婦の米寺さんの事かい!?」
今度は鵜飼が驚いたように彼女に尋ねる。
「ええそうよ! 彼女は私の幼馴染だったんだから!」
「なんだって!?」
その言葉の意外さに、範平が目を見開いた。
「嘘だと思うんなら調べてくださいよ。そういうの、警察って得意なんでしょう?」
彼女は浦津を見て、少し挑戦的にフンと鼻を鳴らした。それから、また地面を見つめてぽつぽつと話し始める。
「詩葉が自殺したと知った時には、何があったんだって気が動転しちゃいました。彼女はみんなのムードメーカーのような存在で、とても自殺するようには思えなかったから……。
それから、つい二日前にこの家に来ました。彼女が自殺したことで、家政婦がいなくて迷惑をかけているんじゃないかと思いまして、その責任を友人として取っておこうかなぁと……。まあ、たんなる気まぐれだったんですよ。ちょうどフリーでしたからね」
聞きながら、彼女の根は謙虚だったんだなと思う美月。誰もが邪魔をせずに、彼女の話に聞き入っている。それに彼女も気付いているのか、「でも……」と顔を上げて訴えかけるように言った。
「でも、でも、この家に来て、全てがはっきりしたんです! このお下がりのエプロンのポケットにくしゃくしゃになってしまわれていたこの紙を見てね! このエプロン、詩葉が死んでからまだ洗濯されていなかったみたいで、紙に書かれた言葉ははっきりと読み取れました。『奥さんの要求にもう耐えられない。死にたい』っていう文字がはっきりと!
それを見つけてから、私は仕事もそっちのけでこの殺人計画を練ったんですよ。だん……範平様から、どこかの高校の生徒たちが今日来るって話を聞いて、利用しようと思ったんです。奥様が一日中部屋に籠って作業するという話を朝に聞いた時には天は我に味方しているのではないかという錯覚にも陥りましたよ。まあ、結果は最後の最後で見捨てられちゃったんですけどね」
悲しそうな目でそう言ってから、彼女は最後にぼそりと呟いた。
「でも……私、今になって後悔しているんですよ。彼女が目覚めた時に、傍にいることが出来なくなってしまったのですから……」
◇
「なんか、悲しい事件でしたね。三簾さんももっと早く後悔することに気が付いていれば、こんなことにはならなかったのに……」
連行されていく莉子をぼんやりと見つめながら、美月が呟く。それに、高堂も頷いて、
「ええ。後悔先に立たずっていいますしね」
それを聞きながら、柚希が感心したように大山を見て、
「それにしても、大山先輩の推理、凄かったですね」
「ええ、青野君と見間違えるほどだったわ。まあ、私も真相には辿り着いていたんだけどね」
「え、それ本当ですか? テキトーなこと言ってるんじゃないでしょうね」
何がテキトーよ! と怒ったように大山をジト目で見る東谷。隣にいる大山を見るのに少し横を向いたため、彼女の長い黒髪はふわりと綺麗に揺らされた。
「まあまあ。でも、今回のことで、青野君の苦労がよくわかりましたよ。確信はしていたんですけど、実際にあっているかどうかはちょっと不安で……。彼女が折れてくれた時は内心すごいホッとしていたんですよ」
「フーム、探偵はかなり精神的にキツイ職業なのかも」
「そうだね。青野君の凄さが身に染みてわかる……」
青野がいないからか、何ら抵抗なしに彼を誉める柚希と美月。本人の前では、口が裂けても言えないことだろう。
「ふっふん。青野君はすごいんだぞ!」
「うっ、うわぁ! なんだ、刑事さんですか」
「だから警部だぁっ!!」
ドヤ顔で現れた浦津は、高堂の言葉に本日何度目かの“警部”宣言をした。だが、これに限っては間違えられる彼の素行の問題ではないかと大山は思ってしまう。
「とにかく、青野君は凄いんだ! それはそうと、今日の君の推理はなかなか大したもんだね」
「あ、ありがとうございます」
この人に褒められてもあまり嬉しく感じないのは何故なのだろうか?
「まあ、さっすが青野君の弟子って感じだね」
「で、弟子!?」
予想を大きく外してきた浦津の言葉に、大山は思わず大声を出してしまった。
「大山君、自分から弟子を名乗ったりしたの?」
「し、してませんって!」
彼は顧問の言葉を全力で否定する。
(で、でも、もしかしたらそんなようなことを言ったかも……。やべぇ、自分から後輩の弟子発言ってかなり精神的に堪えるぞ。当分安眠できそうにねぇ!)
事件が解決した後も、彼は自分の脳みそをフル回転させて、必死に過去の記憶を辿るのだった。
次回は長編です!
青野たちが演劇部の友人に頼まれて手伝いに行ったのは、ちょっとワケアリっぽい映画サークル……?
何故か必死になって『浦島太郎』の映画を撮ろうとする彼ら。その裏で、“浦島太郎”の凄惨な殺人劇が幕を開ける……!
CASE15 浦島太郎の殺人脚本
FILE.53 乙姫
Next hint
・映画サークル
*作者のひとこと
今回も長くなりました。
次回は全5話の予定だけど、この調子で書き続けると50000字とか行きそう……。あれ、東照宮が50000弱くらいだったから、それくらいになるのか?




