第九十二章 寛さんの後日
引き出しの紙を全部並べた冬から少しして、私は一つのことをした。寛さんを、探しに行った。
寛さんのことを、私はずっと書けずにいた。父がまだ若かった頃から栄家の番組を支えた、古参のプロデューサーだ。うちの汚れ仕事を引き受け、うちが炎上したときに全部を一人でかぶって、業界から消えた人だ。
私が子どもの頃、撮影所の廊下の隅で、こっそりあめ玉をくれた人でもある。
あの頃、私は便せんを広げて、途中でやめた。長いあいだ、ありがとうございました。そう書いて、その先が書けなかった。
その便せんは、まだ私の手もとにある。何度かの引っ越しで荷物はずいぶん減ったのに、あれだけは、いつも残った。
行こうと決めたのは、たいした理由ではない。引き出しの紙を並べたあの日から、私は少しずつ書きはじめていた。ノートを開いて、思い出したことを、順番も気にせずに書いていった。
書いているうちに、寛さんのところで必ず手が止まった。
*
私は、あの人がそのあとどうなったのかを、何も知らなかった。風の噂で聞いた、小さな町の名前。古いアパート。ねこを一匹だけ飼っているという話。それだけだ。
知らないままでは、書けない。だから、行くことにした。
その町は遠かった。電車を三度乗り換えて、最後はバスだった。海のほうから風が来る、平らな町だった。商店街は、半分ほどが閉まっていた。
私は、まず、その名前を出して聞いてみた。商店街の、開いているほうの店だ。年配の方に、こういう名字の人をご存じないでしょうか、と聞いた。だいたいの年格好も言った。
その人は首をかしげた。
三軒目まで同じだった。四軒目の小さな薬局で、そこの奥さんが少し考えてから言った。
──ああ、あの人かねえ。
その人は覚えていた。背が低くて、いつも同じ上着を着ていた人。よく、そこの角の自動販売機のところに立っていた人。
でもね、と、その奥さんは言った。
──あの人、もう、ずいぶん前に。
*
十年近く前だった。私が栄家のことで何もかもを失っていたのと、ちょうど同じ頃だ。
私は、その場に立ったまま、うなずいていた。覚悟はしていた。あの人は、あのとき、もう若くなかった。それでも、十年、と聞いて足の力が抜けた。
奥さんは、その先も話してくれた。見つかったのは、少ししてからだった、と。
アパートの人が、においで気づいたのだという。
その言葉を、私はうまく飲みこめなかった。奥さんは言ってから、少し困った顔をした。ごめんなさいね、と言われた。いえ、と私は答えた。
三週間ほどだった、という話だった。
三週間、誰も、あの人がいないことに気づかなかった。新聞は取っていなかった。仕事はしていなかった。訪ねてくる人もいなかった。だから、三週間、あの人はそこにいた。
薬局の奥さんは、もう一つ、話してくれた。あの人は、たまに店に来たそうだ。買うのは決まったものだけだった。目薬と、湿布と、ねこのための何かを、ときどき。
*
無口な人だった、と奥さんは言った。でも、こちらが話しかければ、ちゃんと答えてくれた。天気の話とか、そういうことだ。
一度だけ、店の奥のテレビがついていて、そこに古い番組が流れていたことがあったという。
そのとき、あの人がぽつりと言ったそうだ。
──これ、うちで作ったやつだ。
奥さんは、意味が分からなかった。うち、というのがどこなのか。この人が何をしていた人なのか。聞き返そうとしたら、あの人は、もう別の話をしていたという。
私は、それを聞いて、その場でしゃがみそうになった。
あの人は、言いたかったのだ。たった一言でも、誰かに。
そして、聞き返してもらえなかった。それきり、二度と言わなかった。
私は、そのアパートまで歩いていった。奥さんが場所を教えてくれた。
建物は、まだあった。ずいぶん古い二階建ての木造だ。階段の鉄が赤くさびていた。その一階の、いちばん奥だという。
今は、別の人が住んでいた。洗濯物が干してあった。子どもの靴下が二つ並んでいた。私は、その前に立って、しばらく動かなかった。
*
ねこのことも聞いた。奥さんは覚えていた。あの人が死んだあと、しばらく、そのへんをうろうろしていたそうだ。そのうち、いなくなった。誰かが飼ったのか、そうでないのか。それも分からないという。
お墓のことも聞いてみた。身寄りがなかったらしい。
奥さんの話では、市のほうで、そういう方をまとめて納める場所があるという。名前を彫った石が並んでいるのではない。大きな石が一つあって、そこにまとめて納める。
私は、その場所を教えてもらって行った。
寺の裏の、日当たりの悪いところにあった。大きな石が、一つ。その前に、名前は何も書いていなかった。
私は、そこでしばらく立っていた。この下に、あの人がいる。たぶん、何十人かといっしょに。
誰が誰なのかは、もう分からない。分ける必要がなかったからだ。分けてほしいと言う人が、一人もいなかったからだ。
私は、かばんから、あの便せんを出した。二十年近く出せなかった手紙だ。
*
読み返して、私は少しおかしくなった。そこに書いてあることは、うそではない。ありがとうございました、というのは本当だ。
でも、いま読むと、それは私のための手紙だった。
私は、この人に、うちの罪をゆるしてほしかったのだ。あなたに感謝しています。だから、うちのことを恨まないでください。そういう手紙だった。
だから私は、それを読み上げなかった。たたんで、かばんに戻した。
そのかわりに、私はノートを出した。外で書くつもりなど、なかった。たまたま入れていただけだ。
私は、そこにしゃがんで、膝の上でノートを開いた。
そして、あの人の名前を書いた。名字と名前を、全部。
それから、その下にこう書いた。
栄家の番組を四十年つくった人。父が切った人たちに、陰で仕事を世話していた人。私に、あめ玉をくれた人。
書いているうちに、指がかじかんできた。風が冷たかった。
私が書いたことが正しいかどうかは分からない。あめ玉のことは、たしかだ。でも、あとの二つは人から聞いた話だ。あの人が本当にそうしていたのかは、確かめていない。
私は、いつもそうだ。
*
それでも、私は書いた。
この石の下には、名前がない。誰も、この人を、この人として覚えていない。
私が書いたその三行が、たぶん、この世で唯一、あの人の名前と、あの人がしたことがいっしょに書いてある場所になった。
帰りのバスで、私はずっとノートを持っていた。閉じずに、開いたままだった。
そのとき、私ははじめて、はっきり思った。
書かなければ、なくなる。書いても、大したことは起きない。誰も読まないかもしれない。でも、書かなければ、この三行もなかったことになる。
私は、それから家に帰るまでのあいだに、次に誰を書くかを考えていた。




