第八十九章 生き残った者たち
栄家に連なった人のうち、生きて残った者は、そう多くない。
私は、時々数えた。父も母も、兄も宗太も、あかりも、もういない。敦もいない。
残っているのは、私と夫。そして、あの家に関わって、それでも生きている、わずかな人たちだ。
その一人から電話が来たのは、家を移って五年ほどたった頃だった。水上さんだった。二十年以上うちにいて、菓子折りを持って辞めていった、あの人だ。
どこで番号を調べたのかは聞かなかった。その人は電話口で、ずいぶん恐縮していた。突然すみません、と何度も言った。一度だけ、お目にかかれませんか、と。
会ったのは、駅前の古い喫茶店だった。水上さんは、すっかり年をとっていた。テレビで見ていた頃より二回りは小さくなっていた。
もう、仕事はほとんどないという。年に何度か、地方の小さな催しに呼ばれるくらいだ。
それでも、その人はまだ辞めていなかった。
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しばらく、当たり障りのない話をした。天気の話。膝が痛いという話。そのうち、水上さんが湯のみを両手で持ったまま、こう言った。
──なんで、おれみたいなのが、残ったんですかね。
私は、返事ができなかった。
その人は続けた。会長も、若旦那も、伊織さんも。あの若い子も。みんな、おれよりずっといろんなものを持ってた人たちだ。おれは何も持ってません。番組の隅で、決まった顔をしてただけだ。
それが、残った。
私は、水上さんがずっとそれを抱えていたのだと知った。十年だ。十年、この人はそれを誰にも言わずに、小さな舞台に立ちつづけていた。
ほかの人のことも、書いておく。団地のあの人は、あれから三年ほどで亡くなった。敦の葬儀に来てくれた、七十くらいの男の人だ。写真に写ってしまったせいで電話が鳴るようになった人だ。
知らせてくれたのは、その人の姪だという方だった。生前、栄さんという方に世話になったと聞いていました、と言われた。
私は何もしていない。世話をしたのは敦のほうだ。
でも、その姪の方はこう言った。伯父は、亡くなる前に、あの若い人が来た日のことを何度も話していました、と。同じ話を、繰り返し繰り返し。二時間、話を聞いてもらったのだと。あんな日は、生きているうちに一度きりだった、と。
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私は、その電話を切ってから、しばらく座っていた。
敦が歩いた百何十軒の、たった一軒だ。あの子は何も変えられなかった。世間は動かなかったし、栄家の評判も上がらなかった。あの子自身は、そのせいで死んだ。
それでも、あの二時間は、あの人の一生に残った。
税理士の先生は、その少しあとに事務所をたたんだ。年だからね、と言っていた。最後に、うちの書類を全部まとめて送ってくださった。段ボールが二つあった。
先生は手紙を一枚だけ入れていた。長いものではなかった。ご自愛ください、とだけ書いてあった。
看護師さんとは、あれきり会っていない。名前も、はっきりは覚えていない。父の葬儀に、休みの日に来てくださった方だ。あの人はたぶん、今もどこかで働いている。夜中に、知らない誰かの家族に、大丈夫ですか、と声をかけている。
私は、その人にちゃんとお礼を言えたのだろうか。言った気もするし、言っていない気もする。あの頃のことは、そのくらいあやふやだ。
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熊野のことは、何も分からなかった。あの短い文章を出したきり、あの人はどこにも現れなかった。生きているのかどうかも、私には分からなかった。
同じことを、私もずっと思っていた。なぜ、私なのか。
あの朝、先生のところへ行かなければ、私も土手にいた。母の代わりに私があの子を連れて出ていれば、走ったのは私だった。
そういうことを、私は何千回も考えた。
ずっと前にも一度、同じことを考えたことがある。兄が死んだときだ。なぜ、あの人ではなく私が残ったのか。この家でいちばん要らない人間は、私のはずなのに。その頃から、私はずっと同じことを考えつづけている。
でも、その日、水上さんに言われて、はじめて分かったことがある。
残った者が、みんな同じことを思っているということだ。私だけが特別に苦しいのではない。この人も、たぶん、あの団地の人も、看護師さんも、先生も。
助けられなかった人は、みんな、なぜ自分が、と思って生きている。
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私は、水上さんにこう言った。残ってくれて、よかったです、と。
その人は、いえ、と言って下を向いた。しばらくして、鼻をかんだ。
帰りぎわに、水上さんは紙袋を出した。持ってきたんです、と言った。
なかに入っていたのは、古いビデオテープだった。十本以上あった。ラベルに、日付と番組の名前が手書きで書いてある。
うちで、ずっと録ってたんです、と水上さんは言った。昔は、自分が出た番組は全部録ってました。女房が、うるさいって言うくらい。それがね、栄家のは、今どこにも残ってないでしょう。局にも、ないって言われて。
私は、その袋を両手で受け取った。重かった。
そのなかには、父の作った番組が入っていた。どなっている場面でも、切り取られた二分でもない。ふつうに人が笑っている番組だ。それは、この世で、たぶん、ここにしか残っていない。
水上さんは、こう付け足した。
──おれ、なんの役にも立たなかったから。
せめて、これくらいは。
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私は、その言葉に頭を下げた。深く下げた。長いあいだ、上げられなかった。
家に帰って、私はその袋を押し入れにしまった。ノートの箱の横に置いた。
見なかった。その日も、次の日も、見なかった。見る道具も家になかった。テープをかける機械など、もう、どこの家にもない。
でも、私は、それがそこにあることを毎日意識していた。押し入れを開けるたびに、目に入った。
生き残るというのは、こういうことなのかもしれない。その頃から、私はそう思うようになった。
死ななかった、というだけのことではない。死んだ人が持っていたものを、こちらが預かってしまうということだ。
私は、母のおにぎりの数を知っている。あの子の貝を持っている。宗太が削った木がある。敦の歌を聞いた。父の最後の言葉を聞いた。そして今、父の番組が家にある。
どれも、私が死ねばなくなる。そのことに、私はその頃から、はっきり気づきはじめていた。
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なぜ、私が残ったのか。その答えは、今も分からない。
ただ、残ってしまった者には、預かったものがある。それだけは、たしかだった。




