第八十八章 舜の暗転
その名前を、私は長いあいだ、口にしたくなかった。
舜。父の時代を終わらせた若者だ。
あの人がまん中に立ったとき、栄家は、はっきりと過去のものになった。うちの番組が終わり、うちのタレントの枠が消えた。そのほとんどが、あの人のところへ行った。
私は、あの人を憎んでいた。憎んでいいと思っていた。
その舜が、追われる側になった。
はじまりは、静かだった。鎌が業界の頂点に立ってから、何年かたった頃だ。舜の名前が、大きな仕事の話から少しずつ抜けていった。理由は、誰も言わなかった。
そのうち、記事が出るようになった。舜と鎌のあいだが、うまくいっていないらしい、と。
私は、それを読んでずっと前のことを思い出した。父が滅びたあと、私はぼんやりと考えたことがある。今は手を組んでいる鎌と舜のあいだにも、いつか亀裂が生まれるのではないか、と。
そのときは、負けた者の当てずっぽうだと思っていた。
*
そして、去年の秋にそれが来た。古い映像が出たのだ。
十年以上前のものだった。若い頃の舜が収録の合間に、スタッフをどなりつけている。二分ほどの荒い映像だ。
言っていることは、ひどかった。若い女性のスタッフに向かって、使えないなら帰れ、というようなことを言っていた。
私は、それを見た。そして、背中が寒くなった。
同じだった。父の映像と、まったく同じだった。長さも、荒さも、出てきた順番も。そして、その二分でその人の全部が決まってしまうところも。
そこから先は、私が知っているとおりに進んだ。告発が続いた。最初は一人。そのあと、堰を切ったように大勢になった。ずっと黙っていた人たちが、これほどいたのかと思うほど出てきた。
スポンサーが離れた。番組が外れた。かつて舜をもてはやしていた人たちが、いっせいにそちらを向いた。
*
その映像に出てくる女性のことも、書いておかなければならない。どなられていた、若いスタッフだ。
その人が誰なのかを、大勢が調べた。名前が出た。今どこで何をしているかも出た。十年以上前の話だ。その人は、とっくに別の仕事に移っていた。
はじめのうち、その人は気の毒な人として扱われた。そのうち、こう言われはじめた。なぜ、あのとき声を上げなかったのか。黙っていたから、あの男が調子に乗った。あなたが我慢したせいで、あとの人が同じ目にあった。
その人は何も言わずに、勤め先を辞めたと聞いた。
私は、そのことを知ったとき、あの子のことを思い出した。守れ、と言われて居場所をなくした子だ。守るという言葉も、被害という言葉も、正しいものほどよく人を切る。
私は、それを、いやというほど見てきた。
そして、鎌は、何もしなかった。かばいもしなかった。切りもしなかった。聞かれれば、こう答えた。事実関係を確認しています。彼は、才能のある人ですよ。
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その言い方を、私は二度聞いている。一度目は轟のときだ。あのときも鎌は、そう言って待った。轟は、自分で崩れた。二度目が、これだった。
かばわないというのは、この世界ではいちばん確かな殺し方だ。
殴れば、殴った人が悪者になる。何も言わなければ、誰も悪者にならない。そして、下にいる人間だけが静かに沈む。
私は、その頃、毎晩そのことを追いかけていた。
自分でも、おかしいと思った。もう、あの世界とは何の関わりもない。テレビも、ほとんど見なくなっていた。それなのに、舜のことだけは細かく調べていた。
はじめは、ざまあみろ、と思いたかったのだと思う。この人は、うちを踏んでまん中に立った。あの頃、私はこの人の顔を見るのもいやだった。その人が今、同じ目にあっている。
私は、それを見てすっとするだろうと思っていた。
でも、すっとしなかった。
*
映像が出て、告発が続いて、スポンサーが逃げて、局が外して、まわりの人間が一人ずつ離れていく。
その順番を、私は全部知っていた。次に何が来るかも分かった。次は家族だ。そのあとが、まわりの人だ。そのあとに、誰も来なくなる静けさが来る。
私は、この道を歩いた人間だ。
私は、あの人を憎みつづけたかった。そのほうが楽だったからだ。うちを潰した相手が天罰を受けて落ちていく。そう思えれば、この十年に少しは意味がついた。
でも、私には意味がつけられなかった。これは、天罰ではない。
同じ仕組みが、同じように動いただけだ。父のときも、轟のときも、うちのときも、そして今も。
誰かがまん中に立つ。そのうち、まわりが我慢できなくなる。古い記録が出る。堰が切れる。上の人が、何も言わずに待つ。
それだけの話だった。
一つだけ、ちがうことがあった。舜には、あかりがいなかった。
守らなければならない子どもが、あの人にはいなかった。それが、あの人にとって幸せなことなのか、そうでないのか。私には分からない。
ただ、私はそれを思ったとき、はじめて、あの人をただの人として見た気がした。
*
舜は、一度だけ自分の言葉を出した。
長い文章だった。若かったこと。現場が厳しかったこと。自分が未熟だったこと。傷つけた人に心から詫びること。そして、あの二分の前後に何があったかを、順を追って書いてあった。
前後の説明は、たぶん本当だった。
でも、それは、いちばん言ってはいけないことだった。言い訳だ、と言われた。反省していない、と言われた。
あの子と同じだった。敦も、そうやって死んだ。
私は、あの長い文章を最後まで読んだ。そして、思った。
もし、うちが炎上したあの日に、父がこれを書いていたら。兄が、あの三分の前後を順を追って説明していたら。結果は、同じだっただろう。
説明は聞いてもらえない。聞いてもらえないから、誰も説明しない。誰も説明しないから、記録だけが残る。
夫に、そのことを話したことがある。夫は、しばらく黙ってからこう言った。
──あの人のこと、かばうのか。
私は、答えられなかった。
かばってはいない。あの人がしたことは、たぶん本当にひどいことだ。どなられた人が、十年たっても覚えているようなことだ。
*
それでも、私はこう言った。
──同じやり方で、また誰か死ぬのが、いやなだけ。
夫は、うん、とだけ言った。そして、それきり、その話はしなかった。
その頃、こんな話も聞いた。舜が、鎌に会いに行ったというのだ。約束もなく、一人で。受付で名乗って、待たされて、それでも待ったのだと。
その話を聞いて、私はしばらく動けなかった。宗太と同じだった。
会えたのかどうかは分からない。会えたとしても、あの人は丁寧にお茶を出して、最後まで話を聞いて、そして何もしなかっただろう。そういう人だ。
その冬、舜は東京から消えた。どこへ行ったのかは、誰も知らなかった。
私は、その知らせを読んでテレビを消した。そして、その晩、ずいぶん久しぶりに押し入れの箱を開けた。
なかには、ノートが入っている。日付だけを書いた、あの紙が挟んである。
私は、それを開けなかった。ただ、箱の蓋を閉めるとき、少しだけ手が止まった。




