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一億人が、あの一家を愛していた ~ある芸能一族の栄光と滅びの記録~  作者: 智珠
第五部 滅び

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第八十七章 勝者・鎌

その頃の私は、もう、あの世界のことを追いかけていなかった。


テレビは、ほとんど見なかった。見ても、知っている顔は少なくなっていた。父の頃の人は、みんな年をとって出なくなっていた。それでも、鎌の名前だけは、時々目に入った。


あの人は、この十年でずいぶん多くのことを変えた。私が知っているのは、新聞の隅で読んだ程度のことだ。それでも、いくつかは、はっきり覚えている。


契約の決まりを、きちんと作った。若い人が、断りたい仕事を断れるようにした。長く働かせすぎないように、時間を数えるようにした。


そして、子どものことも決めた。


十八になっていない子を番組に出すときの決まりだ。夜おそくの収録には出さない。学校を休ませない。親の同意だけでなく、本人が、いやだと言えるようにする。そういうことを、細かく決めた。


守らない会社には、仕事が来なくなるようにした。


私は、それを読んだ日のことを覚えている。台所で新聞を広げたまま、しばらく動けなかった。


そこに書いてあることが、一つでも十年前にあったら。あの子は、あんなに移動しなくてよかった。学校にも行けた。いやだと言うこともできた。


夜の十一時に、車のなかで眠らずにすんだ。


        *


その決まりは、正しい。一つもまちがっていない。むしろ、なぜ今までなかったのかと思うくらいだ。それを作ったのが、鎌だった。


私は、その人をどう思えばいいのか分からなかった。


鎌は、うちを潰した人ではない。うちは勝手に潰れた。あの人は、こぼれたものを拾っただけだ。そして今、あの人は、あの子のような子が二度と出ないようにしている。


もし、あの決まりが十年早くできていたら。あの子は、生きていたかもしれない。


でも、あの決まりは、あの子のようなことが起きたからできたのだ。


その順番を、私はいまだにうまく飲みこめない。


あの子が死んだから、ほかの子が守られる。そう言われて、うれしいと思える母親が、この世にいるだろうか。


──それでも、と私は書いておく。


守られる子がいるほうがいい。それは、まちがいなくいい。私は、それをうれしいとは思えない。でも、いいことだとは思う。この二つは両方あってもいいのだと、今は思っている。


        *


その決まりには、名前がついていた。正しくは、通り名のようなものだ。作った側がつけたのではない。取り上げた人たちが、そう呼びはじめた。


あの子の名前が、そこに入っていた。


私は、それを知ったとき、しばらく息ができなかった。


決まりの中身は正しい。名前をつけた人たちに悪気はなかったと思う。そう呼んだほうが、多くの人に伝わる。忘れないための名前だ、と書いている人もいた。


でも、その名前は、私たちが二年かけて消そうとした、あの名前だった。


死んでからも、あの子は、あの名前で使われていた。今度は、いいことのために。


私は、それを、やめてくださいとは言えなかった。言えば、私は、子どもを守る決まりに反対する母親になる。


だから私は、何も言わなかった。そして、そのことを、今も少し悔いている。


──いや、ちがう。


言えなかったのではない。言わなかったのだ。あのとき私は疲れきっていて、もう誰とも争いたくなかった。それだけのことだった。


        *


父が死んだとき、鎌は談話を出した。短いものだった。私は、あとで読んだ。長いつきあいであったこと。ご冥福をお祈りすること。そういう、決まりきったことが並んでいた。


でも、最後に一つだけ、決まりきっていない文があった。


──栄一鶴という人がいたから、私は、この仕事を始めました。


私は、その一行を何度も読んだ。


あの頃、父のことをまともに書いたところは、どこにもなかった。晩年は不幸に見舞われ、で終わりだった。父が何を作ったのか。何十年、この国の茶の間に何を届けたのか。それを書いた人は一人もいなかった。


たった一人、それを言ったのが鎌だった。


父から全部を取り上げた人が、父の値打ちをいちばん最後まで覚えていた。


私は、それを感謝すればいいのか、憎めばいいのか分からない。たぶん、あの人は本当のことを言っただけだ。若い頃、あの人は父の番組を見て、この世界に入ったのだろう。


──あるいは、あれも、うまいやり方だったのかもしれない。


勝った人が、負けた人をほめる。それは、いちばん安く、いちばんよく効く。あの人は、そういうことを四十年やってきた人でもある。


私には見分けがつかない。私は、いつもそこで止まる。


        *


その頃、鎌のことで、もう一つ耳に入ってきたことがある。舜のことだ。


あの若者は、あれからずっとまん中にいた。父の時代を終わらせたのは、鎌の力と舜の勢いだった。二人は、長いこと、いっしょに歩いてきた。


その舜の名前が、その頃から少しずつ減っていた。


はっきりしたことは、何もなかった。番組を降りたわけではない。何かがあったわけでもない。ただ、大きな仕事の話に名前が出なくなった。新しい企画の顔ぶれに入らなくなった。


ある取材で、記者が鎌に舜のことを聞いたそうだ。鎌は、こう答えたという。彼は、才能のある人ですよ。


私は、その言葉を知っている。十何年か前、あの人は轟のことを、同じ言い方でほめていた。そして、しばらくして、轟はいなくなった。


あの人は、誰も攻撃しない。ただ、ほめて、待つ。


私は、それを聞いて背中が寒くなった。同時に、こうも思った。あの人は、勝ったあとも同じことをしている。


        *


父は、まん中を取るために人を切った。鎌は、まん中を取ったあとも切りつづけている。もう、争う相手はいないのに。


まん中には、何があるのだろう。父が四十年おびえながら守った場所。鎌が四十年待って手に入れた場所。


そこに座った人は、みんな、次に来る者の影におびえる。だとしたら、あの場所は、はじめから誰も幸せにしないのではないか。


──もっとも、これは負けた家の娘の言うことだ。


あの人が今、幸せなのかどうか。私には知りようがない。


私は、あの人に幸せでいてほしくないのだと思う。だから、そう見える。それだけかもしれない。


一つだけ、書き落としていたことがある。鎌には、跡を継ぐ者がいない。


結婚はしていた。子どもも、いたと聞いている。でも、その人たちは、この仕事に入らなかった。


だから、あの人が作ったものは、あの人が動けなくなったら、誰かに渡ることになる。


血のつながらない、次の誰かに。


        *


父は、それをいちばん嫌がった人だった。だから、兄に継がせようとした。兄が死んだら、宗太に継がせた。器でないと分かっていて、それでも、家に置こうとした。その結果が、あの一家だ。


鎌は、そうしなかった。血で継がせない。だから、あの人の名前は、たぶん、一代で終わる。仕組みだけが残って、作った人は忘れられる。


それが、いいことなのか、さびしいことなのか。


私には、決められない。


ただ、一つだけ思う。父は、忘れられるのがこわくて、全部を失った。鎌は、忘れられてもいいという顔をして、全部を手に入れた。そして、まん中に、たった一人で座っている。


一度、鎌が画面に出ているのを最後まで見たことがある。何かの式だった。壇の上で短く話して、それから深く頭を下げた。


その下げ方が、父と同じだった。


背筋を伸ばして、腰から折って、少し止めてから、ゆっくり上げる。若い頃の父が、いつもそうしていた。まねをしたのか、あの時代の人がみんなそうだったのか。


私は、テレビを消した。

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