第八十六章 滅びの静寂
父を送ってから一年ほどで、家がなくなった。
手放す日は、前から決まっていた。荷物は、ほとんどなかった。母があの二年で、少しずつ減らしていたからだ。
最後に残ったものを、私は順番に片づけた。あかりの部屋の布団も、そのとき、はじめて畳んだ。
畳んでも、
何も起きなかった。あの朝は、とっくに終わっていた。私が畳まずにいたところで、何も変わっていなかった。
私と夫は、電車で二時間ほどの町に移った。古い集合住宅の二階だ。部屋は二つしかない。夫は、そこから通える仕事を見つけた。私も、また事務の仕事に出た。
誰も、私たちのことを知らなかった。
名字は夫の名字だ。もともと、それが本当の名字だった。
そこから先の日々を、私は、静かだった、としか書けない。こわいくらい、静かだった。
はじめのうちは、まだ何かあるだろうと思っていた。家を出るときには、また誰か来るかもしれないと思った。新しい町でも、いつか気づかれるだろうと思った。
何も起きなかった。
*
一年たっても、二年たっても、誰も来なかった。私の名前を呼ぶ人はいなかった。あの家のことを聞かれることもなかった。職場の人は、私を、ただの中年の事務員として扱った。
私は、あれほど守ろうとした匿名を、いくらでも手に入れた。守るものが、もうなくなってからだった。
お墓のことも、書いておく。栄家の墓は、母がいつも歩いて通っていた、あの寺にある。兄が入ってから、ずっと母が守ってきた墓だ。
そこに母が入った。宗太が入った。父が入った。
三年のあいだに、三人だ。
石屋さんに名前を彫ってもらうとき、私ははじめて、この家の墓誌というものを上から下まで読んだ。父の親の名前があった。その前の代の名前もあった。私の知らない人ばかりだった。
そのいちばん下に、兄と、母と、宗太と、父の名前が並んだ。それで、終わりだった。この墓に入る人は、もういない。
*
あかりは、そこに入れなかった。夫と二人で決めた。
あの子は栄の子ではない。書類の上では、生まれたときから、ずっとちがう名字だった。私たちが二年かけて、そこへ戻そうとした名前だ。
死んだあとまで、栄あかり、にはさせたくなかった。
だから、あの子は別のところにいる。夫の家の墓でもない。私たちが新しく、小さいのを一つ用意した。
そこに彫ってあるのは、あの子の本当の名前だ。新聞にも番組にも、一度も使われなかった名前だ。
この世で、あの子の名前が正しく書いてある場所は、そこだけになった。
私は、月に一度そこへ行く。たいていは、何も持たずに行って、少し掃除をして帰ってくる。
一度だけ、貝を持っていったことがある。あの子の上着に入っていた、あの白い巻き貝だ。置いてこようと思って、持っていった。
でも、結局、持って帰った。置いてくれば、いつかなくなってしまう。誰かが片づけるかもしれない。風で飛ぶかもしれない。私が持っていれば、少なくとも、私が死ぬまではなくならない。
そう思って、かばんに戻した。その日から、それは、私のかばんに入っている。
*
世の中から栄家の名前が消えていくのも、早かった。はじめの一年は、まだ時々出た。そのうち、出なくなった。新しいことが次々に起きたからだ。別の人が、別のことで叩かれた。そのたびに、みんながそちらへ行った。
一度、職場で若い子と話したことがある。昼休みに、テレビで昔の番組の特集をやっていた。何十年ぶんかの映像を順番に流すものだった。そこに、ほんの数秒、父が映った。
若い頃の父だ。腕を組んで笑っている。私は、思わず画面を見た。
隣にいた子が、こう言った。
──この人、誰ですか。
その子は、二十四か五だった。悪気なんて、かけらもなかった。ただ、知らないだけだ。
私は、さあ、と答えた。そして、お茶を飲んだ。
その日の帰り道で、私はずっとそのことを考えていた。
十年前、この国の人は、みんな父を知っていた。名前も、顔も、口ぐせも。そのあと、みんな父を憎んだ。そして今、二十四の子は、あの顔を見ても誰だか分からない。
*
憎まれることさえ、なくなったのだ。私は、それがいちばんこたえた。
憎まれているあいだは、まだ、こちらは存在していた。石を投げられるのは、そこに立っているからだ。立っていなければ、投げようがない。
誰も投げなくなったとき、私たちは、静かになったのではない。
いなくなったのだ。
父は、ずっとそれを恐れていた。死ぬのがこわいんじゃない。忘れられるのがこわいんだ。
父は、私が子どもの頃から、そう言っていた。私は、その言葉を、ずいぶん長いあいだ大げさなものだと思っていた。
でも、消えるのは、こんなに早かった。四十年かけて作ったものが、五年で誰も知らないものになった。
ただし、全部が消えたわけではない。一つだけ、残っていた。
名前を打ちこめば、今でも出てくる。父がどなっている場面。兄の三分。あの番組。あの朝の土手の映像。
そして、熊野が何年もかけて調べた、あの記録だ。日付。切られた人の名前。当時の証言。順番に、正確に並べてある。
あの人が消えても、あれは残っていた。
*
不思議なことだった。父が作ったものは、ほとんど残っていない。番組は流れなくなった。名前は、番組の終わりの字幕からも消えた。あの人が世に出したタレントも、今は別の事務所の人になっている。
母が作った食事も、宗太が削った木も、敦の歌も、あの子の声も、どこにも残っていない。残っているのは、この家がやったことの記録だけだ。
私たちがしたことは、消えない。私たちが誰だったかは、消える。そういうかたちで、栄家は、この世に残った。
夫とは、少しずつ、話すようになった。きっかけらしいものは、なかった。
ある日、夫が、味が濃い、と言った。それだけのことだ。私が、じゃあ次から薄くする、と答えた。それから、二人で少し笑った。
何がおかしかったのかは分からない。そのくらいのところから、また言葉が戻ってきた。
一度だけ、あの家を見に行ったことがある。移ってから三年ほどたった頃だ。用があって、その町の近くまで行った。それで、つい足が向いた。
家は、まだあった。建て替えられてはいなかった。壁は塗り直されていて、屋根の色も変わっていた。門のところに、小さな自転車が止めてあった。
新しい表札がかかっていた。知らない名字だった。
*
なかから、子どもの声がした。女の子だった。年は、聞いただけでは分からない。何かで笑っていた。それから、お母さん、と呼んでいた。
私は、少しのあいだ、その前に立っていた。腹が立つかと思った。うらやましいかと思った。そのどちらでもなかった。
私は、ただ、よかった、と思った。あの家で、また子どもが笑っている。それは、いいことだと思った。心からそう思えた。
自分でも、意外だった。
帰りの電車で、私は少しだけ、あることを考えた。もし書くとしたら、どこから書くのだろう、と。
書けるとは思っていなかった。あれから一行も書いていない。ノートは、押し入れの箱のなかだ。
それでも、その日、私ははじめて、そういうことを考えた。
四年ぶりだった。




