第八十五章 父・一鶴の最期
病院から電話が来たのは、六月のはじめだった。そろそろ、と言われた。はっきりした言い方ではなかった。でも、そういう意味だと私にも分かった。
私は夫と二人で行った。行く人は、それだけだった。
母も、宗太も、あかりもいない。父の子で残っているのは私一人だ。父の孫は、もういない。
四十年、あれだけの人を集めた人の枕もとに、二人しかいなかった。
その日、父は、ほとんど眠っていた。次の日も、そうだった。三日目の昼過ぎに、急に目を開けた。
看護師さんが、こういうことがあるんですよ、とあとで教えてくれた。最後のほうで、一度だけしゃんとされることがあります。ご家族と話される方も多いです、と。
そのときの父は、この何か月かでいちばんはっきりしていた。
目に力があった。声も出ていた。父は、まず、こう言った。
──なんだ、おまえか。
いつもの言い方だった。不機嫌そうで、少しばかにしたような、あの言い方だ。
私は笑いそうになった。ずいぶん久しぶりに、父の声を聞いた気がした。
*
それから、父は順番に聞いた。
──母さんは。
家にいるよ、と私は答えた。
──宗太は。
よくなってるって、先生が言ってた、と答えた。
──あかりは。
来てるよ、と答えた。今、外で待ってる。じきに入ってくる、と。
三つとも、うそだった。母も、宗太も、あかりも、この世にいない。三人とも、この人の知らないうちに死んだ。私は、そのどれも言わなかった。
言わなかったのは、父のためだったのか。そう書きたい。今さら知らせても、この人を苦しめるだけだ。もう何もできない人に、三人の死を背負わせてどうするのか。でも、本当はちがったかもしれない。
私が言えなかっただけかもしれない。あの朝のことを、この人に口で説明する。そのことに、私が耐えられなかっただけかもしれない。私は、うそをついた。理由は、今もはっきりしない。
父は、そうか、とだけ言った。そして、しばらく天井を見ていた。
そのあいだ、父が何を考えていたのか。本当に信じていたのか、それとも、分かっていて乗ってくれたのか。
分からない。
*
それから、父は、もう一つ聞いた。これは、私が思ってもみないことだった。
──あの子の歌は、どこかで流れたか。
敦のことだった。この人は覚えていた。手帳を最初から最後まで回して、一つも動かなかった、あの三日間のことを。私は、答えた。
──流れたよ。
小さいところだけどね、と付け足した。でも、ちゃんと流れた、と。父は、うん、とうなずいた。そして、こう言った。
──そうか。よかったな。
四つ目のうそだった。あの曲は、どこにも流れていない。今も流れていない。この世で聞いたのは、私だけだ。
でも、その一言のとき、父の顔が少しだけ動いた。安心した顔だったと、私は思っている。
やがて、父は昔の話をはじめた。急にだった。何のつながりもなかった。
──おれはな、あの頃、飯屋で、水ばっかり飲んでた。
私は、それを知っていた。母から聞いていたからだ。撮影所の近くの、小さな食堂。十九の娘がやっていた店。大部屋のいちばん下っ端が、注文もせずに座って水だけ飲んでいた話。でも、父の口から聞くのは、はじめてだった。
*
父は、こう続けた。そこの娘が、飯を多く盛りやがるんだ。金も取らずに。こっちは頼んでない。頼んでないのに、盛るんだ。
そこで、父は少し黙った。それから、こう言った。
──あれが、いちばん、うまかった。
私はうなずいた。何も言えなかった。
四十年、この人は日本じゅうのうまいものを食べてきた。名前の知られた店で、大勢に囲まれて。いちばんうまかったのは、何者でもなかった頃に、金も取らずに盛られた飯だった。そのことを、この人はずっと覚えていた。
そして、父はこう聞いた。
──おれの番組を、まだ覚えてる奴は、いるか。
私は、すぐに答えられなかった。覚えている人は、たくさんいる。それは本当だ。
でも、その人たちが覚えているのは番組ではない。父がどなっている場面と、この一家がどう滅びたか、だ。この人が作ったものではなく、この人が壊したもののほうを、みんな覚えている。
私は、こう言った。
──いるよ。
*
父は、目だけをこちらに動かした。そして、聞いた。
──何人くらいだ。
四十年、この人は数を聞いてきた人だった。何パーセントだ。何人入った。何本売れた。それが、この人にとっての世界の測り方だった。死ぬ間際にも、この人は数を聞いた。
私は、言った。
──一億人。
父は、少しのあいだ、こちらを見ていた。それから、かすれた声でこう言った。
──そんなに、おるか。
いるよ、と私は言った。みんな知ってる。お父さんのこと、みんな知ってるよ。
父は、天井のほうへ目を戻した。そして、しばらくしてから、独り言のようにこう言った。
──みんなが、な。
それが、私が聞いた父の最後の言葉だった。
そのあと、父はまた眠った。次の日の夜中に、息が止まった。私はそばにいた。夫もいた。苦しむ様子は、なかった。
父が死んだことは、その日のうちに世に出た。短い扱いだった。何十年か前の、いちばん有名だった頃の写真が使われていた。若くて、太い眉をした父の顔だ。そのあとに必ず、こう続いた。晩年は、一族の相次ぐ不幸に見舞われ、と。
不幸。四つの死が、その二文字にまとめられていた。そして、二日ほどで、その名前はどこにも出なくなった。
*
遺品は、少なかった。服と、めがねと、それから、あの手帳だ。
私は、手帳を棺に入れなかった。四十年ぶんの名前が、全部、線で消してある。あれは、この人が生きて、人とつながって、そして全部なくしたという、たった一つの証拠だった。私は、それを持って帰った。
葬儀は、家族だけでやることにした。日にちも場所も、どこにも出さなかった。それでも、少しだけ人が来た。税理士の先生。水上さん。あの団地の男の人。それから、看護師さんが休みの日に来てくださった。私と夫を入れて、六人だった。
葬儀の日、私は、あの表札を持っていった。母がくれた、栄、と彫られた古い木の札だ。布に包んだまま、かばんに入れて持っていった。
入れるつもりだった。この人が自分で書いて、自分で彫らせた字だ。この人の名前だ。いっしょに送ってやるのが、いいような気がした。
でも、私は、入れなかった。包みに手をかけて、そこで止まった。
これは、私が持っていろと、母が言ったものだ。あんたがいちばん覚えてるから、と言って渡されたものだ。母は、なぜ、これを私に持たせたのか。そのわけを、私は、そのときはじめて、少しだけ分かった気がした。
*
この札は、父のものではない。この家に、たしかに人が住んでいたという、しるしだ。父も、母も、伊織も、宗太も、あかりも、みんな、この札の下を通って出入りした。
それを、父といっしょに焼いてしまえば、あとには、何も残らない。
私は、包みを、かばんに戻した。そして、その日から今日まで、それを手もとに置いている。
かつて、この人が世に出したものを、一億人が見た。この人の名前で何百人が食べていた。この人が電話を一本かければ、日本じゅうの局が動いた。
その人の最後の日に、部屋にいたのは六人だった。
私は、その六人を数えた。数えてから、自分でぞっとした。こんなときに、人の数を数えている。
私は、この人をずっと恐れてきた。この人のようにはなるまいと思って、光の外側にいた。まん中を欲しがる気持ちが、少しも分からなかった。
それなのに、あの日、私は部屋にいる人間を数えた。私は、たしかに父の娘だった。




