第八十四章 光が消えた後
そのあとのことを順番に書くことが、私にはできない。
日にちが分からなくなった。朝が来て、夜が来る。それは分かる。でも、それが何日目なのかが分からない。
三日たったと思っていたら、二週間たっていた。誰かに、あれからもう一月ですね、と言われて、はじめて知った。
その一月のあいだ、私が何をしていたのかを、私はほとんど覚えていない。
いちばんおかしかったのは、体だった。体は、平気で動いた。
朝になると目が覚めた。お腹もすいた。ご飯を出されると食べた。食べれば味もした。夜になると眠くなった。眠れば眠れた。
あの子がいないのに、私の体は、いつもどおりに動いていた。私は、それが許せなかった。
やることは、たくさんあった。役所へ行って、紙を出す。判をつく。同じことを何度も説明する。窓口の人は、みんな丁寧だった。
母の分と、あかりの分を、同じ日に出した。
そのあと、宗太の分も出すことになった。
宗太のことを知ったのは、その頃だ。家の留守番の伝言に、施設の先生の声が三つ入っていた。何日も誰も聞いていなかったのだ。
私は、それを聞いてから、しばらく、その場に座っていた。
不思議なことに、そのときの私は、あまり驚かなかった。もう、入る場所がなかったのだと思う。器がいっぱいになっていた。
*
外の人は、いなくなった。いつのまにか車が減った。人が減った。二週間もすると、家の前は、もとの静かな道に戻っていた。
あれだけの人が、あんなに毎日いたのに、いなくなるのは、あっという間だった。
そのことが、私にはいちばん分からなかった。
あの人たちは、私の母と娘が死んだところを見にきていた。実際に、そうなった。そうなったら、みんな帰った。怒っていたわけでもない。恨んでいたわけでもない。ただ、見るものがなくなったから帰っただけだ。
私は、その静けさのなかに置いていかれた。殴られたのなら、まだいい。相手がいる。
そうではなかった。大勢が来て、大勢が帰った。それだけだった。あとに残ったのは、静かな道と、いない二人と、私だった。
あの子の部屋には、入れなかった。戸を開けることはできる。実際、何度か開けた。でも、そこから先へ足が出なかった。
布団も、そのままにしてあった。畳んでいない。あの朝、母が起こして、そのままだ。
畳んでしまえば、あの朝が終わってしまう気がした。
*
色が分からなくなった。これは、うまく説明できない。目は、ちゃんと見えている。信号が赤なら、赤だと分かる。
ただ、何を見ても同じに見えるのだ。空も、道も、人の服も、区別はつくのに、どれもこちらへ何も言ってこない。以前は、たとえば夕方の空を見れば、きれいだと思ったり、寒そうだと思ったりした。
そういうものが、いっさい起きなくなった。
一つだけ、例外があった。夕方の、あの色だ。窓から入ってくる、あの黄色がかった光。あかりが生まれた日と同じ色。
あれを見ると、息が浅くなった。だから私は、その時間、窓のない場所にいるようにした。台所の隅とか、押し入れの前とか。
一日のうちの、その三十分だけ、私は、まだ何かを感じることができた。感じたくないものだけを。
夫とは、あまり話さなかった。嫌いになったのではない。責めてもいない。ただ、話すことがなかった。二人とも、同じものを見て、同じものをなくした。だから、何を言っても、相手がもう知っていることになる。
朝、おはよう、と言う。夜、おやすみ、と言う。食事のときに、しょうゆ、と言う。それくらいだった。
一度、夜中に、夫が台所に立っているのを見た。何をするでもなく、暗いまま、そこに立っていた。
私は声をかけなかった。そのまま部屋へ戻った。
*
手紙が、たくさん来た。段ボールの箱に、二つ分になった。
知らない人からのものだ。ほとんどがお悔やみだった。丁寧な字で長く書いてくださったものもあった。子どもの写真を入れてくださった方もいた。うちの子と同じ年です、と書いてあった。
そういうものを、私は、はじめのうち一通ずつ読んだ。でも、途中でやめた。
なかに、ちがうものも混じっていたからだ。数は多くない。全体の、ほんのわずかだ。でも、一通あれば、その日は、もう何も読めなくなった。
だから私は、封を切るのをやめた。箱に入れて、押し入れにしまった。
優しい手紙も、そうでない手紙も、同じ箱に入れた。分けることができなかったからだ。
そんななかで、私は父のところへ行った。行かないわけにはいかなかった。父には、母も、宗太も、あかりも、もういない。
裏の通用口は、もう遠回りをしなくてよくなっていた。誰も来なくなっていたからだ。
その日、父は目を開けた。そして、私が分かったらしかった。手を少しこちらへ動かした。私は、その手を持った。
父は口を動かした。声は、ほとんど出ていない。私は耳を近づけた。
*
──あかりは。
私は、息が止まった。前と同じ言葉だった。あの子を連れてきた日と同じだ。
誰も父には話していなかった。母のことも、宗太のことも、あの子のことも。話せる状態ではなかった。
私は、こう答えた。
──来てるよ。
うそをついた。すぐそこにいるよ、と私は言った。おじいちゃんが起きたら、また来るって。
父は、そうか、と言ったように見えた。そして目を閉じた。
廊下に出て、私はしゃがみこんだ。看護師さんが来て、大丈夫ですか、と聞いてくれた。私は、大丈夫です、と答えた。それも、うそだった。
私は、ずっと記録をつけてきた。子どもの頃から、光の外側で見てきた人間だ。見て、覚えて、書いてきた。それが、私にできるたった一つのことだった。
あの日、私は決めたはずだった。この家のことを全部書く、と。私は、この家の最後の一人になる。だから書く、と。
でも、あの朝から、私は一文字も書けなくなった。ノートは開いた。何度も開いた。
母が最後に握ったおにぎりの数。あの子の上着のポケットに入っていた貝。宗太の机にあった、削りかけの木。
そういうことを書いておかなければ、なくなってしまう。それは分かっていた。分かっていて、書けなかった。
*
書くというのは、終わったことを、終わったこととして並べることだ。私には、まだ終わっていなかった。
あの朝を字にしてしまったら、それが、そのとおりに決まってしまう気がした。書かなければ、まだどこかで、あの子が土手を歩いているような気がした。
書けない、というのは、たぶん、そういうことだった。
一度だけ、ペンを持った日がある。夜中に台所の机でノートを開いた。そして、いちばん上に、その日の日付を書いた。
そこで、止まった。何を書いても、うそになる気がした。あの子について私が書けることは、何一つ、たしかではなかった。
その紙は、今も、そのままにしてある。日付だけが、書いてある。
そのあとの行は、白い。




