第七十九章 決戦・壇ノ浦(一)
実家に着いたのは夕方だった。
駅を出たときから分かっていた。改札の外に人が立っていた。私たちを見て、すぐに携帯を出した人がいた。声はかけてこなかった。ただ、こちらを見て指を動かしていた。
家までは歩いて十五分ほどだ。その十五分のあいだに、道の先に車が二台増えた。
その夜のうちに、あかりの写真が世に出た。
二年、私たちは、あの子の名前を消してきた。頼んで回って、断られて、それでもできるところから消してきた。学校を変えて、町を変えて、名字を戻して。
一日で、全部元に戻った。栄あかりがどこにいたのか。今どうしているのか。そういう見出しが、いっせいに並んだ。
私はそのとき、はじめて、消すという言葉の意味が分かった。あれは、水を手ですくうようなことだったのだ。
朝になると、家の前に人が並んでいた。十人ほどだった。多くはない。でも、少なくもない。
窓のカーテンは閉めきったままにした。あかりには、二階から下りないように言った。それでも、朝から夕方まで外の音は絶えなかった。
車のドアの音。誰かが誰かに話しかける声。足音。それから、時々、家のほうを見上げている気配。夫が一度だけ、玄関を開けて言った。子どもがいるので、静かにしてもらえませんか、と。
みんな素直にうなずいた。そして、動かなかった。
*
父は病院にいた。意識は、あったりなかったりだった。目を開けても、こちらが分かっているのかどうか、はっきりしないことが多かった。
母は毎日通っていた。朝に行って、夕方に帰ってくる。着替えを持って、体をふいて、また帰ってくる。それを一日も休まなかった。
その病院にも、人が来るようになった。
看護師さんが、申し訳なさそうに母に言ったそうだ。正面からの出入りは、なるべく避けていただけますか。ほかの患者さんのご家族から、心配の声が出ておりまして。母は、分かりました、と答えた。
それから母は、毎日、裏の通用口から出入りするようになった。年寄りの足で遠回りをして、雨の日も傘をさして、そこから入った。母は、一度も文句を言わなかった。
私も一度、病院へ行った。母に教わったとおり、遠回りをして裏の通用口から入った。
父は、思っていたより小さくなっていた。もともと大きな人ではなかったのに、布団の下の体が子どものように見えた。呼吸に合わせて、そこがゆっくり動いていた。
私が横に座ると、父が少しだけ目を開けた。
*
私が分かったのかどうかは分からない。でも、父は口を動かした。声は、ほとんど出ていなかった。私は顔を近づけた。
──あかりは。
そう言ったのだと思う。私は、連れてきてるよ、と答えた。すぐそこにいる。会いに来るよ、と。
父は、そうか、と言ったように見えた。それから目を閉じた。
廊下に出てから、私はうそをついたと思った。
あの子をこの病院に連れてくることは、その時点ではできなかった。外に人がいた。裏の通用口も、そのうち知られるだろうと言われていた。
会いに来るよ、と私は言った。言ってしまった以上は、連れてこなければならなかった。
私たちは、動けなかった。出ていくことはできなかった。父が、いつどうなるか分からない。母を一人にすることもできない。かといって、ここにいれば、あかりは、この家の中から一歩も出られない。
前の町へ戻ることもできなかった。あそこも、もう同じことになっている。夫の会社の支店にも電話が入っていた。行く先が、どこにもなかった。
*
そのとき、私はあの言葉を思い出していた。父がずっと言っていたことだ。まん中を追われれば、忘れられて消える。父はそれを恐れて、四十年、人を切りつづけた。
でも、私たちは忘れられなかった。
忘れられるどころではない。この家は、日本じゅうから、はっきりと覚えられていた。名前も顔も過去も、全部、いつでも取り出せる場所に置かれていた。
父がいちばん望んだことが、いちばんひどい形でかなっていた。
そういうなかで、一つだけ思いがけないことがあった。熊野が口を開いたのだ。あれから一度も出てこなかった人だ。もう、この世からいなくなったのかとさえ思っていた。
その人が、短い文章を一つ出した。
長いものではなかった。私は、栄家について調べ、書いてきた者です。その責任は私にあります。ですが、今、あの家に残っているのは、老人と女と子どもだけです。私が調べたことは、その人たちの罪ではありません。
どうか、あの家の前から、離れてください。そう書いてあった。最後に、あの人はいつものように、自分の名前を入れていた。
*
その文章は、たくさんの人に読まれた。そして、何も変わらなかった。いや、正直に書くと、少しだけ変わった。悪いほうにだ。
熊野が急に手のひらを返した、と言う人がいた。今さら、いい人ぶるのか、と。あの若者を死なせた責任から逃げようとしている、と。
そして、その騒ぎのせいで、栄家のことが、また、たくさん語られた。
私は、そのことをどう思えばいいのか分からなかった。あの人は、たしかに止めようとした。それは本当だと思う。
でも、あの人がこしらえたものは、もう、あの人の手を離れていた。何年もかけて集めた名前も日付も証言も、今は、誰のものでもない道具になっていた。
道具は、作った人の言うことを聞かない。
そして私は、もう一つのことに気づいた。四十年前、父も同じことをしたのだ。父は人を切った。切って、忘れた。その一本の電話が、その後どこまで転がっていくかなど、考えもしなかった。
熊野は覚えるためにやった。父は忘れるためにやった。まるで正反対だ。それなのに二人とも、自分の手を離れたものが人を殺すところまでは止められなかった。
*
その晩、あかりが私のところへ来た。外の音が聞こえる部屋で、あの子は小さな声で聞いた。
──あかりが、いなくなったら、みんな、帰るのかな。
私は、あの子の肩をつかんだ。思ったより強くつかんでしまった。あの子が、少し驚いた顔をした。
そんなことを言うんじゃない、と私は言った。声が震えていた。絶対に、そんなことを考えるんじゃない。あなたは何も悪くない。悪いのは、外にいる人たちだ。あなたじゃない。
あの子は、しばらく私を見ていた。それから、うん、と言った。
あの晩のことを、私は何百回も思い返した。あのとき、あの子が何を思ってそう言ったのか。ただ、外がうるさくて、早く静かになってほしかっただけかもしれない。子どもの、その場かぎりの言葉だったのかもしれない。
そう思いたい。今でも、そう思いたい。
でも私は、あの子のことを何も分かっていなかった。カセットのことも知らなかった。二年間、この子が何を考えていたのか、私は一度も聞かなかった。
だから、私には分からない。
*
その夜、外の人は、なかなか帰らなかった。
私は、あかりを自分の布団に寝かせた。あの子は、すぐに眠った。子どもは、どんなときでも眠れるのだと、私はそのとき知った。
私は、眠れなかった。窓の外が白くなるまで、あの子の寝息を聞いていた。




