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一億人が、あの一家を愛していた ~ある芸能一族の栄光と滅びの記録~  作者: 智珠
第五部 滅び

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第七十五章 一つの死

熊野は、それを公開した。


いつもと同じやり方だった。順番に、省かずに全部。言い訳も注釈もつけなかった。あの人は、はじめからそういう人だ。都合の悪いところを切れば、それはもう記録ではなくなる。そう決めて何年もやってきた人だった。


だから、あの日の音は、そのまま世に出た。


世間が受け取ったのは、たった一つの場面だった。栄家の若い男が、被害者の家にまで上がりこんで加害者側の事情を語った。それだけが切り取られて広まった。


見出しは、こうだった。被害者の前で言い訳。


それは、うそではなかった。敦は、たしかにそう言ったのだ。あの電話は伊織さんの意志ではなかった、と。切られた家の息子の前で、そう言った。だから、誰も、うそだとは言えなかった。


言えるのは、その前後だけだ。何時間も話を聞いたこと。何度も頭を下げたこと。自分で気づいて、言うことじゃなかったと謝ったこと。ものを食べさせてもらって、ごちそうさまでしたと言ったこと。


そういうものは、全部切り落とされた。


        *


あの番組のときと同じだった。本当のことを並べて、順番を変えるだけでいい。それで人は、いくらでも殺せる。


一年前、私たちはそれで焼かれた。今度は、あの子が焼かれた。


あとに残っていた、わずかな仕事が消えた。商店街の司会も、酒場の弾き語りもなくなった。頭を下げに行っても、もうドアは開かなくなった。


いちばんこたえたのは、あの子が会いに行った人たちのなかから、いくつか声が出たことだ。


あれは、言い訳をしに来たのだ。そう言う人がいた。うちにも来ました、と話す人がいた。人がいい顔をして、結局は家のためだったのだ、と。


そう言わされたのか、本気でそう思ったのか。私には分からない。世間がその方向に流れているとき、そこに乗るのは、いちばん楽なことだ。私にも、それは分かる。


それでも、あの子は次の家へ行った。やめなかった。一度も、やめなかった。


        *


倒れたのは、それから半月ほどあとだった。小さな駅の階段の下だったという。次の家に向かう途中だった。あの子は何時間もかけて、その町まで行くところだった。


見つけたのは駅の人だ。すぐに運ばれた。でも、間に合わなかった。


もともと体は、もう限界だったのだと、あとで医者に言われた。何か月もろくに食べていなかった。休んでもいなかった。それでも歩きつづけていた。


知らせの電話を受けたのは母だった。母は、私に電話をかけてきて、こう言った。


──あの子が、死んだって。


それきり、何も言わなかった。私も何も言えなかった。二人とも、しばらく黙って受話器を持っていた。


母は、その日も、おにぎりを握っていた。知らせの電話を受けたとき、台所に立っていたのだという。手を止めて電話を取って、それから、また握りはじめたそうだ。あとで、母は言った。


──あの子、いつも、三つは食べたから。


その日にできたおにぎりを母がどうしたのか、私は聞かなかった。


        *


あかりにも、話さなければならなかった。私は、なるべく静かに話した。じゅんくんが病気で死んでしまったこと。もう会えないこと。あかりは、しばらく黙っていた。それから、こう聞いた。


──じゅんくんのギター、どうなるの。


私は、答えられなかった。


あの子は、それきり何も聞かなかった。夕方まで、ひとりで外にいた。帰ってきたときには、いつもの顔をしていた。あの子は、そういう子になっていた。


あの子の持ち物は、ほとんどなかった。上着のポケットに、紙が一枚入っていた。次に行く家の名前と住所が書いてあった。字は、あの子の字だった。紙は何度も折りたたまれて、角がやわらかくなっていた。ずっと持ち歩いていたのだろう。


それと、古い携帯が一つ。それだけだった。


葬儀は、ごく小さなものだった。あの子には身内がほとんどいなかった。だから母と私で、できることをした。


来たのは数人だった。母と、私と、夫と、税理士の先生と、水上さんと、それから、あの団地の男の人が来てくれた。私と敦がいっしょに階段を上った、あの人だ。


その人は線香を上げたあと、私のところへ来て、こう言った。


──こんなことになるんなら、あの日、引き止めればよかった。


もう少し話していけばよかった。あの子は、もう一度来ると言っていたのに。そう言って、その人はしばらく動かなかった。


        *


父は、来られなかった。母が家で話したという。父はそれを聞いて、何も言わなかったそうだ。


そのあとのことは、次に書く。


数日後、熊野がまた画面に出た。私は身がまえた。何を言うのかと思った。あの人にも言い分はあるはずだった。切ったのは自分ではない。自分は、あったことを出しただけだ。言い訳をしようと思えば、いくらでもできた。


でも、熊野はこう言った。


──私が、殺しました。


それから、あの人は順番に話した。自分が、あの音を公開したこと。公開すればどう使われるか、分かっていたこと。分かっていて出したこと。


みんながやったことだ、とは言いません。熊野はそう言った。


たしかに、切り取ったのは私ではありません。言葉を広めたのも私ではありません。でも、はじめに火をつけたのは私です。それを、大勢のせいにはしません。


そして、こう続けた。


私は、名前を出してやってきました。まちがえたら、その名前で謝ると言ってきました。だから今日も、名前を出して言います。私が、あの人を殺しました。


        *


私は、その言葉をどう受け取ればいいのか、今も分からない。赦せるはずがない。あの子は、もう戻らない。


でも、あのとき、あの子を追い立てた人間は何万人といた。そのなかで、自分がやったと言った人は一人しかいなかった。


一人しか、いなかったのだ。


顔のない何万人は、次の週には別のものを見に行った。自分が何を書いたかも、たぶん覚えていない。名前のある一人だけが、そこに残って頭を下げていた。


それから、私は、自分のことを考えた。止めるなら、いつでも止められた。あの子が謝りに回りはじめたとき。やせていくのが目に見えたとき。玄関でよろけたとき。


私は口では止めた。何度も止めた。でも、本気ではなかった。


この世に一人だけ、栄家のしたことをなかったことにしないでいてくれる人がいる。私は、それに救われていた。だから続けさせた。あの子を歩かせつづけたのは、世間だけではない。


        *


あの子の携帯は、母が預かって、そのまま私に渡された。しばらく、私はそれを開けなかった。押し入れの、あの表札の包みの横に置いたまま、何か月もそのままにしていた。


はじめて開けたのは、冬の夜だった。録音が、いくつか入っていた。いちばん新しいものは、倒れる四日前の日付だった。


あの曲だった。途中までしかなかった、あの曲だ。事務所の隅で鼻でつないでいたところに、歌詞がついていた。


終わりまで、あった。


私は、それを最後まで聞いた。どんな曲だったかを、ここに書くことは私にはできない。書けば、たぶん、こわしてしまう。


ただ一つだけ、書いておく。


この世で、あの曲を知っているのは、私だけになった。

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