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一億人が、あの一家を愛していた ~ある芸能一族の栄光と滅びの記録~  作者: 智珠
第五部 滅び

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第六十七章 スポンサーの総離反

終わりは、どなり声ではなく、丁寧な手紙で来た。


あの映像が出てから二週間ほどのあいだに、残っていた契約がほとんど全部なくなった。どの会社も、同じような文面だった。今般の状況をふまえ、慎重に検討いたしました結果。誠に遺憾ながら。今後のご発展をお祈り申し上げます。


紙はどれも上等だった。字も、きれいに印刷されていた。封筒の裏には、担当の方の名前が、きちんと手書きで添えてあることもあった。


私たちは、その紙で一つずつ息の根を止められていった。


電話を受けるのは、私の役目になった。宗太は遠くの施設にいる。父は、もう電話に出られない。母には出させたくなかった。残っているのは、私しかいなかった。


私はそれまで、この家の商売にはいっさい関わってこなかった人間だ。契約書というものを、じっくり読んだことすらなかった。ずっと外側にいた。それでも、誰かが受話器を取らなければならなかった。


はい、栄でございます。そう名乗ることに、私はなかなか慣れなかった。


電話の向こうの人は、たいてい若い人だった。声が申し訳なさそうに震えていることもあった。上から言われてかけてきているのが分かった。私はそのたびに、こちらこそご迷惑をおかけしました、と言って頭を下げた。相手には見えないのに、いつのまにか電話口で頭を下げるようになっていた。


        *


ある日、契約書を読んでいて、私ははじめて、それに気がついた。どの契約にも、同じような一文があった。社会的な信用を著しく損なう事由が生じた場合には、こちらから契約を解除できる。そして、その場合はこちらが違約金を支払う。


つまり、こういうことだった。私たちは、仕事を失うだけではなかった。仕事を失ったうえに、金を払わなければならなかったのだ。


私は、その一文を何度も読み返した。うそだと思いたかった。でも、何度読んでもそう書いてあった。父も兄も宗太も、その紙に判を押していた。景気のいい頃に、誰も読まずに押した判だったのだろう。


ただ、一つだけ、離れていかない相手があった。地方の小さな食品の会社だった。あかりが、その会社のあられの袋に、ずっと絵といっしょに載せてもらっていた。ほんのわずかな金額の仕事だ。父の全盛期には、こんな小さな契約を事務所の誰も気にとめていなかった。


その会社から電話が来た。私は身がまえた。でも、電話に出た年配の男の人は、こう言った。うちは続けさせてもらいます、と。うちは小さいので、世間さまがどう言おうと、たいして関係ありませんから。それに、うちのばあさんが、あの子の歌が好きなもんで。そう言って、その人は笑った。


私は受話器を持ったまま、うまく返事ができなかった。ありがとうございます、とだけ言った。それしか言えなかった。


その契約は、年に何万円かの、本当に小さなものだった。私たちが払わなければならない違約金にくらべたら、何の足しにもならない金額だった。


それでも私は、その日、その電話のことを何度も思い出した。


        *


お金の話は、あっという間に、私たちの手からこぼれていった。事務所には、もともと、ほとんど貯えがなかった。父のやり方は、入ったものを全部使い、次の大きな仕事でまた取り返す、というものだった。傾きはじめてからは借りて回していた。


その借りたものの返済が、待ってくれなくなった。銀行の人が二度、家に来た。二度目に来た人はずいぶん若い人で、最後に小さな声でこう言った。おれの母親、栄一鶴さんの番組が好きでした、と。


それから頭を下げて帰っていった。私は玄関に立ったまま、しばらく動けなかった。


敦のことも、決めなければならなかった。もう、あの子に払えるものは何もなかった。私は事務所で、そのことを話した。あなたを、いつまでもここに置いておくわけにはいかない、と。


敦は少し黙ってから言った。分かりました、と。それから、こう続けた。


──でも、辞めるとは言ってません。


私はあきれて、それから腹が立った。あなたのためを思って言っているのが分からないのか、と。世間はあなたを見ている。ここにいたら、あなたの先までなくなってしまう、と。


敦はうつむいて聞いていた。そして、こう言った。


──おれ、ほかに行くところがないんです。


そんなはずはなかった。この子には、行き先などいくらでもあった。少なくとも私は、そう思っていた。


──もっとも、それも私がそう思いたかっただけかもしれない。あのとき、あの子に本当にどれだけの道が残っていたのか。私は確かめもしなかった。


税理士の先生が、母と私に、これから何が起きるかを説明してくれた。老眼鏡の下からこちらを見ながら、その人はゆっくり話した。難しい言葉は使わなかった。会社は、たたむことになります。人には、それぞれ身の振り方を考えてもらわなければなりません。ご自宅は、いずれ手放すことになるかもしれません。


母は背筋を伸ばして、うなずきながら聞いていた。時々、それはいつ頃になりますか、と落ち着いて聞き返した。私のほうが途中で、何も頭に入らなくなった。


説明が終わったあと、先生は少し黙ってから、こう言った。会長には、まだ話されないほうがいいかもしれません、と。


        *


でも、どうしても避けられないことが一つあった。会社の代表は宗太だった。


たたむにも書類がいる。書類には、代表の名前と判がいる。父の名前ではだめだった。私の名前でもだめだった。


母と私は、書類の束を持って電車を乗りついだ。宗太のいる施設はずいぶん遠かった。窓の外の景色は、だんだん家がまばらになって、しまいには山ばかりになった。母は、ずっと膝の上のふろしき包みを両手で押さえていた。


宗太は、思ったより穏やかな顔をしていた。日当たりのいい部屋で私たちを見ると、あ、と言って笑った。よく来たな、と。


母が、書類のことをできるだけ優しく話した。名前を書いて判を押すだけだから、と。


宗太は、うん、と言った。それから机に向かって、一枚ずつ名前を書きはじめた。字は少し震えていた。何も聞かずに、順番に書いていく。何枚も、何枚も。


途中で一度だけ顔を上げた。そして、母に聞いた。


──これ、書いたら、お父さん、楽になる。


母は、少し間を置いてから、言った。


──なるよ。


宗太は、うん、と言って、また書きはじめた。全部書き終わると、ごくろうさん、みたいな顔をして私たちを見た。


        *


帰りの電車で、母はひとことも話さなかった。窓の外は、もう暗くなっていた。ガラスに母の顔が映っていた。母はまっすぐ前を見たまま、ふろしき包みを、行きと同じように両手で押さえていた。


私は、何か言おうとしてやめた。


その夜、私は台所の机で数字を書き写した。いくら残っていて、いくら足りないのか。いつまでに何を払わなければならないのか。先生に言われたことを、私は自分のノートに一つずつ書いていった。


そのノートは、私がこの家のことを書きためていた、あのノートだった。うしろのほうのページには、父のことや兄のことや、あの子の歌のことが書いてある。その前のほうに、私は数字を並べていった。


思い出と借金が、同じ一冊に並んだ。


私は、それを少しおかしいと思った。おかしいと思ったとたん、涙が出た。声を出さずに、しばらく泣いた。それから鼻をかんで、続きを書いた。

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