第六十五章 炎上の極点
その頃のことを、私は、今でもうまく書けない。誰かに殴られたわけではない。家を壊されたわけでもない。警察が来たわけでもない。何一つ、目に見えることは起きていなかった。それなのに、私たちのまわりの人が一人ずつ、いなくなっていった。
はじめは、田島さんだった。給料も出せなくなってから、それでも残ってくれていた、いちばん古い社員だ。父が若い頃から四十年近く働いてくれた人だった。
その田島さんの家に、電話がかかるようになった。昼も夜も鳴る。出ると切れる。出ないと、また鳴る。娘さんの通っている学校にも何度か電話が入ったらしい。あの家の父親は、こういう会社にいる人ですよ、と。
田島さんはある日、私のところへ来て深く頭を下げた。申し訳ありません、と。私は、あわてて言った。謝るのは、こっちのほうです、と。田島さんは、それでも頭を上げなかった。ほんとうに申し訳ありません、と、もう一度言った。その人はそのまま辞めていった。四十年働いた場所を、そういうかたちで去っていった。
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次は、私の番だった。私はあのころ、小さな会社の事務の仕事をしていた。栄家の娘だということは、はじめから話してあった。それでも誰も気にしなかった。もう、そういう時代でもなかったからだ。
でも、あの番組のあと、会社にも電話が来るようになった。あの一家の人間を働かせているんですか、と。そういう会社なんですか、と。
やがて、若い子たちが私の顔を見ると、話をやめるようになった。以前は給湯室でいっしょに笑っていた子たちだ。悪気はなかったと思う。ただ、何を話していいのか分からなかったのだろう。私が入っていくと、部屋が少し静かになる。その静けさがいちばんこたえた。
上司はいい人だった。だから言いにくそうにこう言った。しばらく休まれてはどうですか、と。栄さんのためを思って言っているんです、と。あのとき上司は、本当に私のためを思って言っていた。私にも、それは分かった。
あかりの学校からも、連絡が来た。校門の前に、知らない大人が立つようになったのだという。写真を撮ろうとする人。声をかけようとする人。ほかの子の親御さんからも心配の声が出ています、と先生は言った。
しばらく、お休みになったほうが。お嬢さんの安全のために。その言葉も、正しかった。何も言い返せなかった。
あかりは、事情を聞かされても、うん、と言っただけだった。学校の友だちにいつ会えるのかは、聞かなかった。あの子は、そういうことを聞かない子になっていた。
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いちばんこたえたのは、宗太のことだった。兄はあの頃、静かな場所で療養していた。人と会わずにゆっくり休むことだけが必要だった。そういう場所だった。
その場所の名前が、どこかに書きこまれた。
母が知ったのは、施設から連絡が来たからだ。門の外に人が来るようになりました、と。ほかの入所者の方もいますので、と。母は、その日のうちに動いた。頭を下げ、あちこちに電話をかけ、もっと遠くの、もっと小さな施設をさがした。兄はわけも分からないまま、また知らない場所へ移された。
その移動の車のなかで、兄が母に一度だけ聞いたそうだ。おれ、何かした、と。母はそれを、ずいぶんあとになってから、ぽつりと私に話した。話しながら母は、めずらしく声を詰まらせた。何もしてないよ、と言ってやったの、と。
敦のところにも、それは行った。あの短い受け答えが広まってから、若い彼にもたくさんの声が向けられた。あんな家をかばうのか。あの家に飼われているのか。そういう言葉が、毎日のように積み上がった。
わずかに残っていた仕事も、いくつか消えた。事務所の入っている建物の持ち主からも、ほかの部屋の方に迷惑がかかるので、と言われた。
ある朝、私が事務所に着くと、敦が、ドアの前にしゃがんでいた。
ドアには、何か書かれていた。あの子はぞうきんで、それを何度もこすっていた。私に気づくと立ち上がって、いつものようにゆっくり笑った。おはようございます。すぐ落ちますから、と。
私は、何と言えばいいのか分からなかった。手伝おうか、と言うと、敦は首を振った。だいじょうぶです、と。それから、こう付け足した。伊織さんも、こういうの、自分で消したんじゃないかと思うんです、と。
私は、その場から動けなくなった。兄がそんなことをしていたのかどうか、私は知らない。たぶん、この子も知らない。それでも、あの子はそう思っていた。
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そのあいだ、父は、ほとんど口をきかなかった。テレビをつけなくなった。新聞も見なくなった。一日じゅう縁側に座って、庭を見ていた。庭といっても、ほんのわずかな、草だらけの土があるだけだ。
一度だけ、私に言った。──おれの名前が、みんなに迷惑をかけている。それだけだった。私は、そんなことない、と言った。うそだった。父もたぶん、分かっていた。
私は、その一つ一つを、憎むべき相手をさがしながら見ていた。でも、どこにもいなかった。
電話をかけてきた人たちは、たぶんそれぞれの生活のなかで、まっとうに暮らしている人たちだ。誰も、人を殺すつもりなどなかった。ただ、正しいと思うことを一つ口にした。書きこみを一つした。それだけのことだ。
一人が投げた小石は、小石でしかない。でも、それが何万も同じ方向に飛べば、下にいる人間は息ができなくなる。誰も自分のことを、群れの一人だとは思っていない。みんな、自分はたった一言、正しいことを言っただけだと思っている。
そして、その総和が四十年働いた人の職場を奪い、子どもの学校を奪い、病んで休んでいる人の静かな部屋を奪った。
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熊野は、その最中に、一度だけ、こう言った。私が調べているのは、責任のある大人のことです。家族の方や療養中の方にまで押しかけるのは、やめてください。それは、私の望むことではありません、と。
その回だけ、熊野はいつもより早口だった。でも、何も変わらなかった。押しかける人は、押しかけつづけた。名前を出し、顔を出し、いちばん熱心に調べてきた人ですら、いったん動き出した群れを止めることはできなかった。
そのとき私は、この人も、もう自分の手には負えないものを作ってしまったのだ、と思った。──もっとも、これも私の想像でしかない。この人が本気で止めようとしていたのか、それとも、ただ格好をつけただけなのか。私には分からない。
正直に書いておくことが、もう一つある。私も、あの側にいたことがある。
ずっと昔、栄家がまだ栄えていた頃だ。ある人の不祥事が世間をにぎわせた。私はテレビでそれを見ながら、ひどいことをする人がいるものだ、と言った。夫にも言ったし、母にも言った。それだけだ。それきり、その人のことなど次の週には忘れていた。
その人が、そのあとどうなったのかを、私は知らない。私が言ったその一言も、たぶん何万分の一の小石だった。私は、自分が石を投げたことすら覚えていなかった。今こうして下敷きになってみて、はじめて、あのときの自分を思い出した。
だから私は、この群れを、まっすぐには憎めない。憎めないことが、いっそう苦しかった。
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ある夕方、家に帰ると、母が玄関の前に立っていた。母はドライバーを持って、表札を外していた。栄、と彫られた古い木の表札だ。父が事務所を作ったときに、記念にこしらえたものだった。
私が声をかけると、母はこちらを見ずに言った。
──こうしておいたほうが、みんなが静かに暮らせるから。
外した表札を、母は布で丁寧に包んだ。そして押し入れにしまった。
その日から、私たちの家には、名前がなくなった。




