第五章 最初の星
有名になった父は、あるとき、ふと考えるようになった。
一人の人気者でいることの、こわさを。
人気というものは、はかない。今日テレビに出ている人が、来年も出ているとはかぎらない。人々は、新しい面白いものを、つねに求めている。いつか自分より面白い、若い誰かがあらわれれば、人々の目は、あっというまにそちらに移ってしまう。そして自分は、また、あの忘れられていく側に逆戻りする。
父は、それがこわかった。
父はテレビの世界で、たくさんの先輩たちを見てきた。かつて飛ぶ鳥を落とす勢いだった大スターが、数年後には、誰にも名前を呼ばれなくなっている。そういう姿を、父はいくつも目にした。あれは明日の自分だ。父はそう思うと、夜も眠れなくなることがあった。せっかくつかんだ、このまぶしい場所から、いつかまた引きずり下ろされる。その恐怖が、父の胸から消えることはなかった。
だから、父は考えた。
一人ではだめだ。一人の人気なんて、いつ消えるか分からない。でも、もし自分の周りに、何人ものスターをそろえたら、どうだ。一つの大きな一族として、みんなでテレビのまん中を占領してしまえたら。
そうすれば、たとえ自分一人の人気がかげっても、一族の誰かが、かならずまん中にいる。栄という名前だけは、けっして茶の間から消えない。
忘れられないためには、自分一人が有名になるだけでは足りない。忘れられない一族を、丸ごと作りあげてしまえばいい。
それは、一人の役者としては、とても思いつかない発想だった。普通の役者なら、自分がいい役をもらうことしか考えない。でも、父はちがった。父は一人のスターである前に、人をスターにする才能の持ち主だった。人の心を動かす、その技術を、自分だけでなく、ほかの誰かのためにも使える。そのことに、父は気づいてしまったのだ。
*
そう思いついた父は、さっそく動きだした。
自分の事務所を立ち上げたのだ。サカエ・プロダクション。のちに芸能界を揺るがす、あの巨大な事務所のはじまりだった。
父はその小さな事務所の壁に、一枚の紙を貼った。そこには、父の手でこう書かれていた。
――茶の間の、まん中に居続けろ。
それが父の口癖であり、栄家の家訓のようなものになっていった。まん中に居続けろ。端に追いやられるな。忘れられるな。その言葉には、父のあの深い恐怖が、そのまま込められていた。
所属するタレントたちには、父は口を酸っぱくして言った。「いいか。お茶の間のまん中に居続けろ。人に忘れられたら、おしまいだ。忘れられるくらいなら、嫌われたほうがまだましだ。とにかく、話題のまん中に居続けろ」。それは、父が自分自身に、ずっと言い聞かせてきた言葉でもあった。
*
事務所を作った父が、いちばん最初に世に送り出したスター。
それが、ぎおん、だった。
父がぎおんを見つけたのは、まったくの偶然だったという。
ある日、父は地方の小さな催しに呼ばれていた。その片隅の小さな舞台で、一人の若い女の子が歌を歌っていた。お世辞にも、上手とは言えなかった。声もまだ細い。振り付けもぎこちない。客もほとんど見ていない。
でも。父の足は、その舞台の前で止まった。
周りの人は、みんな、その子の舞台を通り過ぎていった。誰も足を止めない。あの日の父と同じだった。誰にも見られない通行人。誰の記憶にも残らない、その他大勢。その子は、今の父がかつていた場所に立っていた。だからこそ、父には分かったのかもしれない。
「あの子には、何かがある」
父はそう直感したという。
歌がうまいわけでも、顔が飛びぬけてきれいなわけでもない。でも、その子が歌っていると、なぜだか目が離せない。応援したくなる。人の心を引きつける、何か。うまく言葉にはできない、その何かを、その子はたしかに持っていた。
それは、たぶん、うまくやろうという気持ちよりも、ただ、この歌が好きだ、というまっすぐな思いだった。下手でも、ぎこちなくても、その子は心から歌っていた。その懸命さが、見ている者の胸をそっとつかむのだ。技術はあとから、いくらでも教えられる。でも、あのまっすぐさだけは、教えて身につくものではない。父は、それを知っていた。
かつて、自分が無名の大部屋役者だった頃、誰にも見つけてもらえなかった、あの悔しさを、父は忘れていなかった。だからこそ、まだ誰にも気づかれていない原石を、父は誰よりも早く見つけることができたのだ。
父はその子に声をかけた。それが、ぎおんの人生を大きく変えることになった。
*
父はぎおんを、自分の事務所に引き入れた。そして、あの大衆の心を読む才能のすべてを注いで、ぎおんを磨きあげていった。
どんな歌を歌えば、人が泣くか。どんな笑顔を見せれば、人が応援したくなるか。父はそれを知り尽くしていた。父の手にかかると、ぎおんはみるみる、輝きを増していった。
ぎおんも必死だった。父の言うことを、何ひとつ聞きもらすまいと、朝から晩まで、歌と踊りの練習に明け暮れた。見出してくれた父への恩を返したい。その一心だった。父の才能と、ぎおんの努力が、ぴたりとかみ合った。二人はまるで、一つの夢を追う同志のようだった。父はぎおんに、自分の若い頃の話をよくした。無名だった時代の、みじめで、けれど夢に燃えていた日々のことを。ぎおんはそれを、目を輝かせて聞いた。二人は、似た者どうしだったのかもしれない。
そして、数年後。ぎおんは、日本中が知る大スターになっていた。
テレビをつければ、ぎおんが歌っている。街には、ぎおんのポスターがあふれる。若い子たちは、こぞってぎおんの真似をした。ぎおんは栄家の名を世に広めた、まぎれもない、最初の大きな星だった。
サカエ・プロダクションは、ぎおんの成功で、一気に大きくなった。
父のもとには、売れたいと願う若者たちが、次々と集まってきた。若手たちは、みんな父を慕った。父のもとにいれば、かならず売れる。忘れられずにすむ。そう信じて、多くの才能が、サカエ・プロダクションの扉を叩いた。父はその一人ひとりに、かつての自分を重ねていたのかもしれない。日の目を見なかった、あの頃の自分を救うように、父は若者たちを、光の当たる場所へと押し上げていった。
事務所には、次々と新しい才能が入ってきた。歌手。俳優。お笑い。モデル。父はその一人ひとりを見極め、それぞれに合った売り出し方を考えた。誰を、どの番組に、どんな役で出せば、いちばん輝くか。父の頭の中には、まるで一枚の大きな絵地図のように、芸能界の全体が広がっていた。そして父はその地図の上で、自分の駒を、一つ、また一つとまん中へ進めていった。
こうして、栄家の王国は、少しずつそのかたちをあらわしはじめた。
*
今思えば。
ぎおんは父にとって、ただの最初の成功ではなかったのかもしれない。
ぎおんは、父の夢の証明だった。自分は一人だけじゃない。自分の手で、何人でもスターを作れる。忘れられない一族を、作りあげることができる。ぎおんの輝きは、父にその確信をあたえた。
だから父は、ぎおんを誰よりも大切にした。実の娘のように目をかけ、どんな仕事も、いちばんいいものをぎおんに回した。ぎおんもまた、そんな父を心から慕い、この人のためなら、と身を粉にして働いた。二人はまるで、本当の親子のようだった。
はじめは。
そう。はじめは、だった。
この、まぶしい最初の星が、のちにどんな運命をたどることになるか。そのときの父には、そしてぎおん自身にも、まだ知るよしもなかった。
まん中に居続けろ。その父の願いが、いつかこの最初の星を、いちばん残酷なかたちで傷つけることになるとは。そのときは、まだ誰も思っていなかったのだ。




