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一億人が、あの一家を愛していた ~ある芸能一族の栄光と滅びの記録~  作者: 智珠
第四部 都落ち

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第五十六章 周縁へ

栄家の居場所は、もうまん中には、どこにもなかった。


かつて、日本じゅうの注目を集めていた一族が、今では、芸能界の中心から、はるか遠くの周縁へと、追いやられていた。


        *


私たちに残された仕事は、もうほんのわずかだった。


大きなテレビ局からの依頼は、いっさい来なくなった。かわりに、時々、舞い込んでくるのは、地方の小さなイベントや、ちいさなローカル番組からの声がけばかりだった。


かつての栄家なら、見向きもしなかったような、小さな仕事。でも今の私たちには、それが精いっぱいだった。あかりはその数少ない仕事のために、遠い地方の町まで出かけていった。


私はその旅に、よく付き添った。何時間も、電車を乗り継いで、たどりつく、小さな町。かつて、栄家が、専用の車や飛行機で移動していたことを思えば、それは、あまりにも質素な旅だった。でも車窓を流れていく、のどかな田園の風景を、あかりは、めずらしそうに、うれしそうにながめていた。狭い、まん中の世界しか知らなかった、あの子にとって、それは、はじめて見る、広い世界だったのかもしれない。


        *


ある日、私は、あかりについて、地方の小さな町の、ささやかなお祭りのステージに立ち会った。


かつて、あかりが立っていたのは、何万人もの観客が埋めつくす、まばゆい大舞台だった。でもその日のステージは、町の広場に作られた、小さな仮設の舞台。集まった観客も、ほんの数十人ほどだった。


それでもあかりはかつてと変わらぬまっすぐさで歌った。小さなステージの上で、精いっぱい歌うあかりの姿を、私は胸を熱くしながら見つめていた。


音響も、照明も、都会の大舞台とは、くらべものにならないほど、粗末だった。伴奏の音が、途中で途切れることさえ、あった。でもあかりは少しも動じなかった。むしろあかりはその手作りのあたたかい舞台を、心から楽しんでいるようだった。まばゆいスポットライトも、大がかりな演出も、なかった。ただ、あかりの、まっすぐな歌声だけが、小さな町の、夕暮れの空に、澄んで響いていった。


        *


ステージが終わったあと、集まった町の人たちが、あかりのもとに寄ってきた。


よかったよ。感動したよ。来てくれて、ありがとう。そう言って、あかりの手を握る、素朴な人たち。そのあたたかいまなざしのなかに、私は、都会の、あのまばゆい、けれど冷たい世界には、なかった何かを感じた。


ある、おばあさんは、あかりに、手作りのおにぎりを、そっと手渡してくれた。長旅で疲れたろう、これでも食べて、と。あかりは、それを、うれしそうに頬張った。その光景を見て、私はなぜか、母のことを思い出した。余っちゃったから、と言って、おにぎりを握る、母。栄家が、いちばん豊かだった頃も、いちばん貧しくなった今も、人と人をつなぐのは、こういう、素朴なあたたかさ、なのかもしれなかった。


        *


まん中にいた頃、私たちは、何万人もの、顔のない群衆に囲まれていた。その群衆は、気まぐれに私たちを持ち上げ、そして、気まぐれに私たちを突き落とした。


でもこの小さな町の人たちは、ちがった。彼らは、あかりを、悲劇の象徴としてでも、落ちぶれた名家の娘としてでもなく、ただ目の前で一生懸命歌う、一人の女の子として、あたたかく迎えてくれた。


都会の大きな舞台では、私たちは、いつも、値踏みされていた。視聴率は、とれるのか。話題性は、あるのか。人々は、私たちを、そういう、冷たいものさしで、はかっていた。でも、この小さな町の人たちは、そんなものさしなど、持っていなかった。彼らは、ただあかりの歌を聞いて、素直に感動し、素直に喜んでくれた。損得も、打算も、なかった。そこには、ただ人と人との、まっすぐな心の通いあいだけが、あった。


        *


私は思った。もしかしたら、周縁に落ちてきたことは、私たちにとって、ただの不幸ではなかったのかもしれない、と。


まん中の、まばゆい光のなかでは、私たちは、いつも何かに追われ、消費され、傷ついていた。でもこの光の届かない周縁でなら、私たちは、やっと、ただの人間として、息をすることができるのかもしれなかった。


        *


あかりも、この小さな仕事のほうが、むしろ、生き生きとしていた。


大勢のまなざしにさらされ、悲劇の少女を演じさせられる大舞台よりも、目の前の、数十人の、素朴な笑顔のために歌う、小さなステージのほうが、あかりには、合っていたのだ。歌い終わったあかりの顔には、ひさしぶりに、心からの笑顔が浮かんでいた。


私はそのあかりの笑顔を見て、涙が出そうになった。それは、ずいぶん久しぶりに見る、あの子の、本当の笑顔だった。仕事だから、と、無理に作る、けなげな笑顔ではなく、心の底からあふれてくる、しぜんな笑顔。ああ、この子は、こういうときに、いちばんしあわせなんだ。私はそう気づいた。まん中の、まばゆい光など、この子には、はじめから、必要ではなかったのかもしれない。あの子が望んでいたのは、ただ目の前の誰かを、自分の歌で笑顔にすること。それだけだったのだ。


        *


でもそれでも、私の胸の奥には、かすかなさびしさが、あった。


かつて、一億人が愛した、栄家。そのまばゆい栄光は、もうどこにもなかった。私たちは、日本のまん中から、誰も知らない、小さな町の片隅へと、静かに、流れ着いていた。


盛りは、必ず過ぎる。その過ぎ去ったあとに残るのは、こういう、ささやかで、けれど、あたたかい、周縁の暮らしなのかもしれなかった。


考えてみれば、栄光の日々のなかで、私たちは、たくさんのものを手に入れた。お金も、名声も、大勢の人の羨望も。でも、そのなかで、いちばん大切なものを、私たちは、見失っていたのかもしれない。目の前の、たった一人の人と、まっすぐに心を通わせる。そんな、あたりまえのしあわせを。すべてを失って、周縁にたどりついて、はじめて、私たちは、それを取り戻しはじめていたのだ。


小さな家では、母が、いつものように、私たちの帰りを待っていた。老いた父も、少しずつ、この静かな暮らしに、なじんでいくようだった。かつての、まばゆい栄光を知る者から見れば、それは、あまりにもみじめな、落ちぶれた暮らしだったかもしれない。でも、私たちは、その小さな家で、ひさしぶりに、ふつうの家族として、食卓を囲んでいた。栄光を失って、はじめて、私たちは、ただの家族に戻れたのだった。


でも、私は心のどこかで、分かってもいた。この、つかのまの、おだやかな日々が、いつまでも続くわけではないことを。栄家の滅びは、まだ終わっていなかった。私たちは、ただ坂の途中の、小さな踊り場で、ひととき、息をついているだけだった。その踊り場の、すぐ先には、まだもっと深い、暗い谷が、口をあけて、待っていた。あかりの、あの無邪気な笑顔を見るたびに、私の胸は、しあわせと、そして、名づけようのない不安とで、いっぱいになるのだった。


        *


周縁の日々。それは、栄家の都落ちの、ほとんど、いちばん底に近い暮らしだった。


でも私はその静かな日々のなかで、かすかなやすらぎさえ、感じはじめていた。もう、失うものは、何もない。そう思うと、かえって、心は、奇妙なほど軽かった。


でもそのつかのまのやすらぎも、長くは続かなかった。栄家には、まだ越えなければならない、いちばんつらい坂が、残されていたのだった。その坂の名を、私は、まだ知らずにいた。ただ、その気配だけを、静かに恐れていたのだった。

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