第五十章 白川の影
栄家の興隆と滅び。鎌の栄達。轟の乱入と増長。私はそれらを、すべて見てきた。でも、あるときから、私は一つの奇妙な感覚にとらわれるようになった。
これらすべての出来事の、いちばん奥に、何か、もっと大きな力が働いているのではないか、と。
*
栄家はなぜ、あれほどあっけなく崩れたのか。鎌はなぜ、あれほど都合よくのしあがれたのか。轟はなぜ、あの絶妙なタイミングで現れたのか。
一つ一つは偶然のように見える。でも、それらをつなぎ合わせると、まるで誰かが裏で糸を引いているかのように思えてくるのだった。
そして私は、ある名前に行き当たった。白川、という。
*
その人は、私たちのいる芸能界よりも、さらに上の世界にいる人だった。
いくつもの放送局や新聞社を束ねる、巨大なメディアの頂点に君臨する老人。表にはほとんど出てこない。でも、この国のあらゆる情報の流れを、その掌のなかに握っていると言われる人だった。
私が白川の名をはじめて耳にしたのは、まだ栄家が栄えていた頃だ。ある夜、父がひどく緊張した面持ちで電話をしていた。あの天下の栄一鶴が、電話の前で、まるで子どものように背筋を伸ばしてかしこまっている。相手の名をあとで母に聞くと、白川さんだよ、と母は声をひそめて答えた。その、母の声のひそめ方まで、私は今でも覚えている。父より上の存在が、この世にいる。それを私は幼心に、はじめて知ったのだった。
*
一度だけ、白川を見たかもしれない、という記憶がある。
栄家がまだ絶頂だった頃の、あるパーティーでのことだ。会場のいちばん奥のソファに、一人の老人が静かに座っていた。地味な和服姿で、何をするでもなく、ただ、にぎやかな会場を眺めている。ふしぎなことに、あれほど傲慢だった父が、その老人の前を通るときだけ、深々と頭を下げた。あの方は、どなた。私が母にそっと聞くと、母は答えなかった。見てはいけないものを見た、というように、私の手を引いて、その場を離れた。
あれが白川だったのか。今でも私には分からない。あの老人の顔さえ、私は、はっきりとは思い出せないのだ。
*
白川は、これまで何人ものスターを作り、そして消してきた、という。
父をテレビのまん中に押し上げたのも、もとをたどれば白川の意向があったからだ、とも言われていた。父がいちばん輝いていた頃、白川は父をあらゆる番組に押し出し、この国の顔に仕立て上げた。でも栄家が傾きはじめると、あのあたたかい後押しは、いつのまにか、ぱたりと途絶えた。あまりに静かで、あまりにあっけない見捨て方だった。父はたぶん、最後まで気づいていなかった。自分を頂点に押し上げたその同じ手が、いつのまにか、そっと自分から離れていたことに。
栄家が傾いてからも、父はときどき、電話の前で、じっと待っていることがあった。かつてのように、あの上の世界から、また何か引き上げの話を持ってきてくれるのを。でも、電話はもう鳴らなかった。それでも父は、その電話を、なかなかあきらめきれずにいた。その、待つ父の背中を、私は遠くから見ていた。
白川にとって、栄一鶴も、鎌も、轟も、しょせんは自分の大きな盤上の、駒の一つにすぎなかったのだ。
*
栄家が炎上したとき、あらゆる番組が、いっせいに栄家をたたきはじめた。
まるで、どこかで号令がかかったかのように。ばらばらなはずのメディアが、あのときだけは、ぴたりと足並みをそろえていた。あれは本当に、ただの偶然だったのだろうか。それとも、いちばん上で、誰かがそっと、たいこの音頭を取っていたのだろうか。
私は鎌のことを、この物語の勝者だと思っていた。でも、その鎌でさえ、白川から見れば、次に使う便利な駒にすぎないのかもしれない。鎌が栄家に勝てたのも、白川がそれを許したからで、いつか鎌が都合の悪い駒になれば、鎌もまた静かに切り捨てられるのだろう。白川のような者は、味方どうしを争わせて力を保つ。今は手を組んでいる鎌と、あの若い舜のあいだにも、いつか大きな亀裂が生まれるのかもしれない。──その不吉な予感は、のちに、思いがけないかたちで現実のものとなる。
*
でも、と、私は思い直す。これは、ただの私の思い込みなのかもしれない、と。
負けた者は、自分の負けを認めたくない。だから、何か大きな陰謀があったのだと思いたがる。栄家が崩れたのは白川のせいだ。そう思えば、父の失敗も、私自身のふがいなさも、少しは救われる。私はそういう弱さから、ありもしない黒幕を思い描いているだけなのかもしれなかった。
思えば、私はいつもそうなのだ。人を勝手に美しく描き、出来事に勝手に意味を読みとる。この白川という影も、私が、自分の胸の痛みに耐えるために、暗がりのなかから勝手に立ちあげた幻なのかもしれない。一度、私は白川のことを、自分なりに調べてみたことがある。でも、出てくるのは断片ばかりだった。顔写真もなく、経歴もはっきりしない。調べれば調べるほど、その人は、私の手のひらから、するりと逃げていくのだった。
*
本当に白川という黒幕がいたのか。それとも、すべてはただの偶然と成り行きだったのか。
私には分からない。たぶん、誰にも分からない。姿を見せず、証拠も残さず、ただ結果だけがそこにある。──いつか、私がこの記録を書き返す日が来たら、この白川という影のことも、書き直すことになるのかもしれない。今はまだ、うまく書けない。
*
ただ、一つだけ、確かに思うことがある。
まん中でまばゆく輝く者ほど、いちばん弱い駒なのかもしれない、ということだ。人々に見られ、消費され、そして飽きられて捨てられる。父も、あかりも、轟も、そういうまばゆい駒だった。光の当たる場所に立つ者は、いつか必ず、その光ゆえに焼かれる。だから、いちばん大きな力を持つ者は、いつも、いちばん暗いところにいるのだろう。
そしてもう一つ。栄家を滅ぼした本当の力は、どれも顔を持たなかった、ということだ。私たちを見捨てた、顔のない群衆。私たちを断罪した、顔のない世間。そして、もし本当にいるのなら、この、顔のない黒幕。栄家には、はっきり憎むべき敵の顔さえ、最後まで見えなかった。戦うべき相手の顔が見えていれば、まだ、闘う気力だけは湧いただろう。でも、顔のない大きな力に、ただ音もなく押し流されていく。それが、この新しい時代の、いちばんのむごさだったのかもしれない。
*
栄家を滅ぼしたのは、誰なのか。
鎌なのか。轟なのか。顔のない群衆なのか。それとも、白川という影なのか。私には今も、はっきりとは分からない。ただ確かなのは、栄家が、大きな大きな力の流れのなかで、あまりにも無力に押し流されていった、ということだけだ。
その流れのいちばん深いところに、白川の影が、ゆらり、と揺れているような気がしてならなかった。──それが本物の影なのか、それとも、私が水面に映した、自分の不安の影なのか。それさえ、もう、確かめるすべはなかったのだった。




