第四十九章 鎌の高み
栄家が崩れ落ち、轟が自滅していくなかで、鎌は、静かにしかし、確実に、その高みへとのぼりつめていった。
*
気がつけば、芸能界の実質的な中心は、もう鎌になっていた。
鎌の育てたタレントたちが、あらゆる番組の主役を占めるようになった。どのテレビ局も、どの制作会社も、何かを始めるときには、まず、鎌に相談した。鎌の意向を無視して、この業界で何かを動かすことは、もうできなくなっていた。
かつて、栄家に頭を下げていたテレビ局の重役たちが、今度はこぞって、鎌のもとへ日参するようになった。少しでも鎌に気に入られようと、みなが必死だった。あの栄一鶴が、かつて業界に君臨していたのと、まったく同じ光景が、そこにはあった。ただ、玉座に座っている人間だけが入れ替わっていた。権力のかたちは、変わらない。ただ、中心にいる者の顔が、変わっただけだった。
*
でも鎌自身は、けっして表に出ようとはしなかった。
鎌は、自分がスターになることには、まるで興味がなかった。彼は、いつも舞台のいちばん後ろにいた。華やかな光を浴びるのは、いつも鎌が育てたタレントたちだった。鎌自身は、その栄光の、いちばん深い影のなかに、静かに身を置いていた。
*
私は、思った。これこそが、父と鎌の、いちばん大きな違いだったのだ、と。
父は、いつも光のまん中にいたかった。自分が、まぶしく輝いていたかった。テレビの顔として。一億人に愛されるスターとして。
でも鎌は、逆だった。鎌は、光を求めなかった。むしろ影であることを選んだ。表舞台の栄光は、ほかの誰かに譲り、自分は、その裏で、静かにすべてを動かす。それが、鎌の生き方だった。
私は、こんなふうに思った。父は、太陽になろうとした人だった。みずから、まぶしく燃えて、まわりを照らす。でも太陽は、いつか燃え尽きる。一方、鎌は、大地になろうとした人だった。みずからは光らず、ただ静かに、すべてを支える。太陽が燃え尽きても、大地は、そこに残りつづける。まぶしさでは、太陽にかなわない。でも長く残るのは、いつも地味な大地のほうなのだ。
*
そしてその違いが、二人の運命を分けた。
光は、まぶしい。でも光は、いつか消える。人々に飽きられ、忘れられ、そして、消えていく。父の栄光が、そうだったように。
でも影は、表に出ないぶん、飽きられることも、憎まれることもなかった。だから影は、光が消えたあとも、静かに残りつづけた。
光は、消え、影が、残った。かつて、父が、鎌に言い放った、その言葉が、今、こうして現実のものとなっていた。
*
なんという皮肉だろう、と、私は、思った。
父が、生涯をかけて追い求め、そして、けっして手に入らなかったもの。永遠に続く力。それを、鎌は、いとも、たやすく手に入れていた。しかも、それは、父とは、正反対のやり方によって、だった。
まん中に居続けようと、必死にあがいた父は、まん中から転がり落ちた。まん中を求めなかった鎌が、気がつけば、まん中に立っていた。
求めれば、逃げていき、求めなければ、向こうからやってくる。力とは、そういう、天邪鬼なものなのかもしれない。父は、力に執着しすぎた。だから力は、父の指のあいだから、すり抜けていった。鎌は、力に執着しなかった。だから力は、鎌のもとに、自然と集まってきた。この皮肉な道理を、父は、生涯、理解できなかった。そして鎌は、はじめから、それを知っていたのだ。
*
鎌のもとには、栄家が切り捨てた、たくさんの人々が集まっていた。
栄家では、使い捨てにされた才能。栄家に傷つけられた人たち。鎌は、その一人一人を拾い上げ、大切に育てた。おかげで、鎌の事務所は、義理と人情にあつい、あたたかい場所として知られていた。
そういえば、栄家が、かつて非情に切り捨てた、ぎおんも、風の噂では、鎌から、そっと手を差し伸べられていた、という。ぎおんは、それを断ったらしいが、鎌は、栄家が傷つけた人々のことを、一人ずつ覚えていて、その傷を、静かに癒そうとしていた。それは、まるで栄家がまいた憎しみの種を、鎌が、あとから拾い集めて、消して回っているかのようだった。父が壊したものを、鎌が直していく。そういう構図さえ、あったのだ。
今にして思えば、鎌こそが、この物語の、本当の勝者だったのだろう。父が、あれほど恐れた、忘れられるということ。鎌は、その恐怖に、正面からあらがうのではなく、まったく別の答えを出した。目立とうとしなければ、飽きられることもない。愛されようとしなければ、憎まれることもない。求めなければ、失うこともない。鎌は、何も求めないことによって、すべてを手に入れたのだ。それは、父には、生涯たどりつけなかった境地だった。父と鎌は、同じ場所から歩きだして、これほどまでに遠い場所へ、行き着いたのだった。
でも私は、それを、手放しで、いいことだとは、思えなかった。
鎌の、その優しさ。それは、本当に、心からのものなのか。それとも、人をつなぎとめておくための、冷静な計算なのか。私には、最後まで分からなかった。ただ、一つ、言えるのは、鎌は、人のいちばん弱ったところを、誰よりも正確に見抜く人だった、ということだ。
*
鎌が頂点に立った芸能界は、父の時代よりも、ずっと穏やかで、ずっと風通しがよくなった、と言われた。
たしかにそうだったのかもしれない。でも私は、時々、思う。それは、本当に、自由な世界なのだろうか、と。
すべてが、鎌という、たった一人の掌の上にある。誰もが、鎌の意向をうかがう。それは、父の恐怖政治とは、また別のかたちの、静かな支配なのかもしれなかった。
どんなに優しい王様でも、王様は、王様だった。鎌の世界では、誰もが、鎌に逆らえなかった。逆らえば、この業界で生きていけない。それは、暴力による支配では、なかった。でもみなが、自分から進んで従うという点で、ある意味では父の時代よりも、もっと完成された支配だったのかもしれない。恐怖で縛るよりも、恩と居心地のよさで縛るほうが、人は、はるかに抜け出しにくくなるものだから。
私は、栄家の滅びを、内側から見てきて、この栄枯盛衰の大きな輪のこわさを、身にしみて知っていた。今、頂点にいる鎌も、いつか必ず、この輪のまわる先で、落ちていく。それは、明日かもしれないし、何十年も先かもしれない。でもその日は、必ず来る。まぶしい者も、地味な者も、強い者も、優しい者も。この大きな輪のまわる力の前では、みな等しく、はかない存在だった。
*
ともあれ、時代は、完全に、鎌のものとなった。
かつて、父に切り捨てられた、一人の裏方。何十年もの忍耐の果てに、彼は、ついにこの世界の頂点に立ったのだ。
私は、その鎌の高みを、栄家の、いちばん低いところから、静かに見上げていた。
一度だけ、私は、遠くから、鎌を見かけたことがある。頂点に立ってもなお、鎌は、あの地味で、目立たない裏方のままだった。その静かな横顔からは、勝者のおごりも、喜びも、うかがえなかった。ただ、深い、疲れのようなものだけが、にじんでいるように見えた。
でもと、私は、思う。盛りは、必ず過ぎる。それは、鎌にとっても、けっして例外では、ないはずだ。いつか、この鎌の栄華にも、終わりが来る日が、あるのだろうか。
そのときには、また、新しい誰かが、この頂点を目指して、同じ物語を繰り返すのだろう。栄枯盛衰の、その終わりのない輪のなかで、静かに回りつづけていた。




