第四十五章 見捨てられる
時がたつにつれて、栄家をめぐる、あの激しい炎上も、少しずつ人々の記憶から薄れていった。
そしてしばらくすると、ある噂が、業界に流れはじめた。
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追放された人たちの何人かが、ひそかに業界に戻りはじめている、というのだ。
炎上のほとぼりが冷めれば、人々は、もう、その人たちのことを責めなくなる。だからそっと、また仕事を始めても、誰も文句を言わない。実際、栄家の騒動で姿を消していた、いくつかの顔が、いつのまにか、また現場に戻ってきていた。
なかには、寛さんと長年、一緒に仕事をしてきた仲間もいた。その人たちは、栄家の騒動のときには、寛さんと同じように批判を浴び、現場を追われた。でも時がたつと、しれっと、また、テレビの世界に顔を出しはじめた。以前と変わらない笑顔で。まるで、あの騒動など、なかったかのように。人々もまた、その人たちを、あっさりと受け入れた。喉元すぎれば、熱さを忘れる。世間とは、そういうものだった。
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その噂を、寛さんも、聞いたにちがいない。
寛さんの胸にも、小さな希望の火がともったはずだ。もしかしたら、自分も、いつか、また、あの世界に戻れるかもしれない。あの、大好きだった番組づくりの現場に、もう一度、立てるかもしれない、と。
寛さんは、きっと、待っていた。自分を呼ぶ声を。もう一度、来てくれ、という、誰かの言葉を。
寛さんは、毎日、電話の前で待っていたのかもしれない。いつ鳴るとも知れない、その一本の電話を。あの遠い町の小さな部屋で、かつての仲間からの連絡を、じっと待ちつづける。今日は、来るだろうか。明日は、来るだろうか。そんな日々を、寛さんは、どれほど過ごしたのだろう。希望というのは、時に、人を生かす力にもなる。でもかなわぬ希望は、じわじわと、人を追い詰めていく。寛さんは、その、かなわぬ希望に、静かにすがりつづけていたのだ。
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でも寛さんのもとには、その声が、いつまでもかからなかった。
一緒に追放されたはずのほかの人たちが、次々と業界に戻っていく。それを、寛さんは、遠くから見ているしかなかった。あの人も戻れた。この人も戻れた。それなのに自分にだけは、誰も手を差し伸べてくれない。
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なぜ、寛さんだけが、見捨てられたのか。それは、寛さんが、栄家の悪の象徴にされてしまったからだ。
人々の記憶のなかで、寛さんは、栄家のすべての罪を背負った悪役だった。その寛さんを、また業界に戻せば、せっかく忘れかけていた、栄家の、あのいやな騒動を、人々に思い出させてしまう。
だから業界の誰もが、寛さんだけは、そっと遠ざけておきたかった。臭いものに蓋をするように。栄家の罪の象徴である寛さんには、永遠に消えていてほしかったのだ。
考えてみれば、これは、恐ろしい仕組みだった。誰かを、みんなの罪の身代わりにする。そしてその身代わりを、永遠に封じこめておく。もし、その人が戻ってきてしまえば、みんなが目をそむけたかった、あの罪の記憶がよみがえってしまう。だから身代わりにされた者だけは、けっして赦されない。ほかの誰もが赦されても、栄家の罪を一身に背負わされた寛さんだけは、その罪ごと、闇に葬られなければならなかった。それが、生贄というものの、いちばんむごい定めだった。
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私は、思った。これほど残酷な仕打ちが、あるだろうか、と。
もし、はじめから、誰一人戻れないのなら、寛さんも、あきらめがついたかもしれない。みんなが同じ運命なら、まだ耐えられたかもしれない。
でもほかのみんなは戻れて、自分だけが戻れない。その、むごさは、ただ追放されることよりも、はるかに深く、寛さんの心をえぐったにちがいない。
人は、絶望よりも、裏切られた希望に、いちばん深く傷つくのかもしれない。何も期待していなければ、失望もしない。でもほんの少しでも望みを抱いてしまえば、その望みが断たれたとき、その痛みは、望みの分だけ大きくなる。寛さんは、仲間たちが戻っていくのを見るたびに、何度も希望を抱いては、そのたびに裏切られた。その、繰り返される失望こそが、寛さんを、いちばん深く傷つけたのだと思う。
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私は、こんな光景を思い浮かべた。
遠い孤島に、たった一人残された寛さん。その目の前を、仲間たちを乗せた迎えの船が、ゆっくりと遠ざかっていく。待ってくれ。おれも、連れていってくれ。寛さんは、必死に叫ぶ。でも船は、止まらない。だんだん小さくなり、やがて、水平線のかなたに消えていく。
あとには、ただ一人、取り残された寛さんの姿だけが、ぽつんと残される。
その、遠ざかる船を見送る寛さんの胸のうちを思うと、私は、いたたまれない気持ちになった。あんなに、栄家のために尽くしたのに。あんなに、まわりの人に優しかったのに。その報いが、この、たった一人の孤独なのか。世の中に、正しさなど、ないのかもしれない。善い行いが報われ、悪い行いが罰せられる。そんな、当たり前のことすら、この、残酷な世界では、まるで通用しなかった。
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私には、寛さんを助ける力はなかった。
落ちぶれた栄家には、もう、誰かを業界に戻すような力は残っていない。むしろ栄家こそが、寛さんを、この孤島に追いやった張本人だった。私たちは、寛さんに償うことすら、できなかった。
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私は、思う。人々の赦しというのは、なんて身勝手なものなのだろう、と。
人々は、赦す相手を、気分で選ぶ。この人は赦そう。でもこの人は赦さない。そこに、何か、はっきりとした基準があるわけではない。ただ、なんとなく、誰かを赦し、誰かを見捨てる。見捨てられた者の痛みなど、赦す側は、考えもしない。
寛さんは、その、気まぐれな赦しから、ただ一人こぼれ落ちた人だった。
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それから、寛さんがどうなったのか、私は、くわしくは知らない。
ただ、風の噂に聞いた。寛さんは、最後まで、業界に戻ることはなかった、と。そしてあの遠い町で、誰にも看取られることなく、ひっそりと、この世を去った、と。
栄家の栄光を陰で支えつづけた、一人の男の、あまりにも寂しい最期だった。
寛さんの、あの寂しい最期を、父も、風の噂に聞いたようだった。その夜、父は、一人、酒を口にしながら、ぽつりと言った。おれが、あいつを殺したようなものだ、と。父の、その言葉は、重かった。たしかに、寛さんを孤島に追いやったのは、栄家であり、父自身だった。父は、その罪の重さを、最後まで背負っていくしかなかった。栄家の栄光は、こうして、たくさんの人の犠牲の上に成り立っていたのだ。
私は、せめて、心のなかで、寛さんに手を合わせた。あなたのことは、忘れません。あなたが、たしかに、ここにいたことを、私だけは、覚えています、と。
私が、こうして、栄家のことを書き残そうと思ったのには、寛さんのような、人たちのことも、あったのだと思う。栄光の、まぶしい光のなかでは、こういう影の人たちのことは、誰も見ようとしない。そして栄光が去れば、今度は、こういう人たちが、まっさきに切り捨てられ、忘れられていく。でもこの、名もない影の人たちこそ、栄家という大きな夢を、いちばん下で支えていた人たちだった。せめて、この記録のなかでだけは、その人たちに、光を当てておきたい。私は、そう願っていた。
でも栄家の都落ちは、まだ、底には届いていなかった。この、寛さんの悲劇もまた、栄家を待つ、長い滅びの道のりの、ほんの一つの通過点にすぎなかったのだのである。




