第三十七章 炎上の構造
私は、栄家が炎上の渦に飲み込まれていくのを見ながら、その炎上というものの、恐ろしい仕組みについて、ずっと考えていた。
炎上とは、いったい何なのだろう。それは、大勢の人が、一人の相手をいっせいに非難する現象だ。でも、その仕組みをよく見つめてみると、そこには、これまでの世界にはなかった、まったく新しい種類の暴力の姿があった。
栄家の炎上は、日ごとに勢いを増していった。はじめは、あのタレントへの批判だったものが、やがて、栄家という一族全体への攻撃に変わり、さらには、これまで栄家がしてきた、あらゆる過去の行いへの糾弾へと広がっていった。次から次へと新しい燃料が投げ込まれ、炎は、消えるどころか燃えさかるばかりだった。まるで、栄家という一つの的をめがけて、日本中の悪意が、いっせいに集まってきているかのようだった。
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炎上の、いちばん恐ろしいところ。それは、誰も責任を取らないことだった。
一つの炎上には、何万、何十万という人が加わる。でも、その一人一人は、ほんの小さなことしかしていない。たったひとこと、批判の言葉を書き込む。あるいは、誰かの批判をほかの人に伝えるだけ。それは、その人にとって、ほんの軽い、いたずらのようなものだった。
でも、その小さなひとことが、何万も集まったとき、それは、一人の人間を押しつぶすほどの巨大な力になった。
一人が投げる石は、小さい。当たっても、かすり傷ほどだ。でも、何万人もがいっせいに石を投げれば、その石つぶては、一人の人間を生き埋めにしてしまう。しかも、石を投げたその一人一人は、こう思っている。自分は、ほんの小さな石を一つ投げただけ。人が死んだとしても、それは自分のせいではない、と。
だから、誰も、自分が人を傷つけているとは思っていなかった。一人一人は、ただ、みんなが言っていることに、自分もひとこと付け加えただけ。祭りに参加するような軽い気持ちで、その言葉を放っていた。でも、その、何気ないひとことが、何万も積み重なれば、それは、人ひとりの人生を、たやすく壊してしまう。加害者がいないのに、たしかに、被害者だけは生まれる。それが、炎上という現象の、いちばん奇妙で、いちばん恐ろしいところだった。
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そして、もう一つ、こわいことがあった。
炎上に加わる人々は、みな、自分は正しいことをしていると信じていた。
悪いやつをこらしめている。社会の正義を行っている。だから、どんな激しい言葉を投げつけてもかまわない。相手は、それだけのことをしたのだから、と。正義という旗を掲げているから、人々は、いくらでも残酷になれた。
いちばんたちの悪い暴力は、悪意から生まれる暴力ではないのかもしれない。正義の顔をした暴力。それこそが、いちばん歯止めがきかず、いちばんこわいものだった。
正義を振りかざすとき、人は、驚くほど無慈悲になれる。ふだんは、やさしくてまともな人でも、これは悪だと思った相手には、平気で、刃のような言葉を突き立てる。しかも、大勢が同じ方向を向いているという安心感が、その残酷さに拍車をかける。みんなで叩いているのだから、自分だけが悪いわけではない。そういう気持ちが、一人一人の心のブレーキをはずしてしまう。集団の中で、人は、一人でいるときにはけっししないような、むごいことをしてしまうものらしかった。
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私は、これを顔のない暴力、と呼ぶことにした。
昔の暴力には、顔があった。誰かが、誰かを殴る。そこには、殴る者と、殴られる者が、はっきりといた。だから、責任のありかも、はっきりしていた。
でも、炎上には、顔がなかった。誰が栄家を追い詰めているのか。それは、特定の誰かではなかった。顔の見えない、無数の人々。その大きなまとまりが、まるで一つの生き物のように栄家に襲いかかっていた。
そして、顔がないからこそ、それは、どうしようもなくこわかった。
もし、はっきりとした敵がいれば、話し合うことも、反論することもできる。でも、炎上には、話し合う相手がいなかった。ただ、顔のない大きな声が、四方八方から押し寄せてくる。それに対して、栄家には、なすすべがなかった。謝っても、火に油を注ぐだけ。黙っていても、逃げた、と責められる。何をしても、その顔のない力は、栄家を許さなかった。
昔なら、こういうとき、栄家には、まだ戦いようがあった。敵対する相手がいれば、その相手と話をつけることもできた。でも、炎上には、代表者がいなかった。交渉する窓口も、頭を下げる先も、どこにもなかった。それは、実体のない、霧のようなものだった。つかもうとすれば、指のあいだをすり抜け、それでいて、栄家の全身をじわじわと締めつけてくる。相手がいないということが、これほど絶望的なことだとは、私も、それまで知らなかった。
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そして、私は、気づいた。
この、顔のない群衆こそ、かつて栄家を愛していた、あの茶の間の人々の正体だったのだ、と。
同じ顔のない群衆が、ある時は、栄家を愛し、まん中へと押し上げ、そして、ある時は、栄家を憎み、こうして追い詰める。愛も、憎しみも、同じ、顔のない海から生まれていた。栄家を育てた、その同じ手が、今、栄家を殺そうとしていたのだ。
その頃、栄家の人間は、誰もが、外に出るのがこわくなっていた。町を歩けば、後ろ指をさされる。何を言われるか、分からない。あかりも、しばらくのあいだ、表の仕事を休まざるをえなかった。あんなに人々に愛されていたあの子が、今度は、その同じ人々の冷たい視線にさらされている。私は、あの子を外の世界から守るように、ただ家の中に抱えているしかなかった。顔のない暴力は、幼いあかりの日々の暮らしさえ、静かに奪っていったのだ。
逃げ場は、どこにもなかった。テレビをつけても、雑誌を開いても、外を歩いても、栄家への非難が、耳に入ってくる。まるで、世界じゅうが栄家を憎んでいるかのようだった。もちろん、実際には、栄家のことなど気にも留めていない人が、大半だったはずだ。でも、非難の声だけが大きく響くために、まるで、すべての人が敵にまわったように感じられた。その、四面楚歌の感覚が、家族の心を少しずつ蝕んでいった。
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栄家を本当に追い詰めていたのは、鎌でも、舜でもなかった。
それは、この、顔のない群衆だった。姿もなく、名もなく、責任も取らず、ただ、気分の赴くままに、人を持ち上げ、そして、突き落とす。その、つかみどころのない巨大な力。それこそが、この時代の、本当の支配者なのかもしれなかった。
昔の物語では、一つの家を滅ぼすのは、たいてい、はっきりとした敵だった。強い者や、ずる賢い策略家が正面から攻めてくる。でも、栄家を滅ぼそうとしているのは、そんな、顔のある敵ではなかった。名もない、ふつうの人々。ふだんは、やさしい隣人であるはずのその人たちが、集まったときにだけ現れる、恐ろしい何か。それが、栄家の、本当の敵だったのだ。
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私は、栄家が、その顔のない力に飲み込まれていくのをただ、なすすべもなく見つめていた。
そして、思った。この恐ろしい仕組みは、栄家だけを襲うものではない、と。今日、栄家を追い詰めている、その同じ人々が、明日は、まったく別の誰かを同じように追い詰めるだろう。この顔のない暴力は、これから先、いくらでも繰り返されていく。
誰もが、加害者になりうる。そして、誰もが、その犠牲者になりうる。それが、この新しい時代の、いちばんのこわさだったのだ。




