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一億人が、あの一家を愛していた ~ある芸能一族の栄光と滅びの記録~  作者: 智珠
第三部 遷り

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第三十五章 遷りの果て

気がつけば、何もかもが移り変わっていた。


ほんの数年前まで、栄家は、この国の芸能界の、まぎれもない中心だった。それが今では、時代の片隅へと追いやられ、かつての面影は、どこにも見当たらなくなっていた。


人が去り、番組が消え、スポンサーが離れ、世間が背を向けた。父を支えていたものが、一つ、また一つと崩れ落ちていく。そして、その空いた場所を鎌が、舜が、新しい時代の人々が、静かに埋めていった。


移り変わる。それは、この世の避けようのないことわりだった。栄えるものはいつか衰え、盛んなものはいつか移ろう。頭では、分かっていたつもりだった。でも、それが、自分の一族の身に、これほど容赦なく降りかかってくるとは、思ってもみなかった。


思えば、栄家の栄光は、あまりにも長く続きすぎたのかもしれない。父が築いた王国は、何十年ものあいだ、びくともせずにそびえ立っていた。だからこそ、私たちは、その栄光が永遠に続くものだと、どこかで信じきっていた。まさか、こんなにもあっけなく崩れていくとは、誰も想像していなかったのだ。でも、どんなに高い山も、風雨にさらされれば少しずつ削られていく。栄家という山も、時代という風雨の前では、けっして例外ではなかったのだ。


        *


その移り変わりを私がいちばんはっきりと感じたのは、あの、事務所の変わりようだった。


かつて、サカエ・プロダクションの事務所は、活気に満ちていた。大勢のタレントが行き交い、電話が鳴りやまず、笑い声と熱気が、いつもうずまいていた。芸能界の中心が、たしかにそこにはあった。


でも、今は違った。


多くのタレントが去り、社員も減り、事務所は、がらんとして静まりかえっていた。かつて栄光の記念写真がずらりと飾られていた壁も、今では、どこか色あせて見えた。鳴りやまなかった電話も、今は、めったに鳴らない。あのにぎわいは幻だったのかと思うほど、事務所は静かだった。


その、がらんとした空間に、私は、栄家の遷りの果てを見た。


やがて、栄家は、あの大きな事務所を手放さざるをえなくなった。かつて、業界の力の象徴だった、あの立派なビルを。維持していくだけのお金が、もうなかったのだ。事務所は、街の中心から、はるかに小さな、目立たない場所へと移ることになった。荷物をまとめ、慣れ親しんだ部屋を出ていく日。私は、空っぽになった事務所を、最後にひとめぐりした。ここで、たしかに一つの時代が輝いていた。でも、その時代は、もう終わったのだ。それは、栄家にとっての、都落ちのはじまりだった。


出ていくとき、私は、あの栄光の記念写真を、一枚だけ持ち出した。父がいちばん輝いていた頃の、家族みんなが笑って写っている写真だ。ほかのものは、すべて置いていくことにした。でも、その一枚だけは、どうしても捨てられなかった。それは、たしかに、栄家がまん中で輝いていた、動かぬ証だったから。私は、その写真をそっと胸に抱いて、事務所をあとにした。


新しい事務所は、みじめなほど小さかった。かつては、数えきれないほどのタレントを抱えていた栄家に、今、残っているのは、ほんのひと握りの人間だけ。最後まで父についてきてくれた、古参の社員が数人。そして、栄家の最後の希望の光である、あかり。その、こぢんまりとした顔ぶれを見わたして、私は、栄華の日々が本当に遠い昔のことになったのだと、あらためて思い知らされた。かつて業界を震え上がらせた栄家が、今では誰からも恐れられなくなっていた。


        *


父は、その静かな事務所の社長室に、一人で座っていた。


かつて、この部屋には、ひっきりなしに人が訪れた。指示を仰ぐ者、頭を下げる者、機嫌をうかがう者。父は、その王座のような椅子に座って、芸能界を動かしていた。


でも、今、その椅子に座る父を訪ねてくる者は、ほとんどいなかった。父は、ただ一人、誰も来ない部屋で、窓の外の、移りゆく景色をじっと眺めていた。


        *


私は、思った。もう、後戻りはできないのだ、と。


一度、移り変わってしまった時代は、二度と元には戻らない。かつての栄光をどんなに懐かしんでも、あのまばゆい日々が帰ってくることは、けっしてなかった。栄家に残されていたのは、坂道を下っていくことだけ。それも、もう止めることのできない下り坂だった。


坂を下りはじめたのは、父だけではなかった。宗太は、当主の重荷に心をすり減らし、酒に逃げつづけていた。あかりは、あのあふれそうな我慢を、小さな体に抱えたまま、それでも、けなげにまん中に立ちつづけていた。母だけが、いつもと変わらず、静かに家族を見守っていた。栄家という一つの船が、少しずつ沈んでいくなかで、私たちは、それぞれの場所で、それぞれの重荷を抱えていた。そして、その船から降りることは、誰にもできなかったのだ。


そして、私は感じていた。この家は、これから、いよいよ本当の意味で坂を下りはじめる、と。


これまでも、栄家は傾いてきた。でも、それは、まだ頂の近くでの話だった。これから待っているのは、もっと深い、谷への転落だった。かつて、都のまん中に君臨した一族が、今、その都を追われようとしている。住み慣れた栄光の座を離れ、行く先も知れぬまま、落ちのびていく。そういう、都落ちの日々が、すぐそこまで来ていたのだ。


        *


移り変わり。


私は、この栄家の遷りを内側からずっと見つめてきた。そして、思う。


盛りは、必ず過ぎる。どんなにまばゆい栄光も、いつかは移ろい、消えていく。それは、栄家だけの話ではない。この世のすべてのものが、そうなのだ。今、頂点にいる鎌も、舜も、いつか必ず同じ道をたどる。移り変わりの大きな流れの中で、永遠にまん中に居続けられる者など、どこにもいない。


父が、あれほどしがみつこうとした、あのまん中。それは、はじめから、誰のものでもなかったのだ。ただ、時が移ろうまでの、かりそめの居場所にすぎなかった。


昔の人は、こういう移り変わりのことを、無常と呼んだのだという。形あるものはいつか壊れ、盛んなものはいつか衰える。会う者はいつか別れ、生まれた者はいつか死んでいく。この世に、変わらないものなど、何一つない。栄家の、この遷りもまた、その大きな無常の、ほんの一つのあらわれにすぎなかった。そう思うと、私の胸の中のやりきれなさは、少しだけ静かなものに変わっていった。抗いようのないものを、抗いようのないものとして受け入れる。それしか、私たちにできることは、なかったのだ。


それでも、と私は思う。ただ、静かに受け入れるだけでは、いけない。せめて、この一族が、たしかにこの世に生きて、輝いて、そして滅びていったことを、誰かが覚えていなければならない。忘れられて、無になってしまう前に。私は、その誰かになろうと思った。だから、私は、こうして今、栄家のことを書いている。


        *


栄家の、遷りの季節は、終わった。


そして、これから始まるのは、滅びへと向かう、長い下り坂の物語だった。


私は、その坂の入り口に立って、これから、この一族を待ち受けるものを思った。きっと、それは、つらく、哀しい日々になるだろう。でも、私は、そのすべてを見届けなければならない。たとえ、この一族の最後の一人になっても。その滅びゆくさまをこの目に焼きつけ、そして、いつか書き残すために。


移りゆく季節の、その先で。栄家を待っていたのは、いよいよ本格的な、あの長い滅びの始まりだったのだ。

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