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一億人が、あの一家を愛していた ~ある芸能一族の栄光と滅びの記録~  作者: 智珠
第三部 遷り

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第三十章 宗太の孤独

宗太は、少しずつ壊れていった。


当主という、重すぎる荷を背負わされて。その荷を下ろすことも、誰かと分かち合うこともできないまま。宗太は、たった一人でその重さに押しつぶされていった。


        *


はじめに変わったのは、お酒の量だった。


もともと宗太は、それほどお酒を飲む人ではなかった。でも、当主になってから、少しずつその量が増えていった。夜、仕事を終えて家に帰ると、宗太は、一人でお酒をあおるようになった。


飲まなければ、眠れなかったのだ。


昼間の、あのすり減るような時間。会議で否定され、社員に軽んじられ、父に覆される。そのつらい記憶を一時でも忘れるために、宗太はお酒に頼るしかなかった。


でも、お酒は、宗太の苦しみをほんの一時まぎらわせるだけだった。酔いがさめれば、現実は、またそこにある。むしろ、二日酔いの重い頭で迎える朝は、いっそうつらかった。それでも、宗太は飲むのをやめられなかった。飲まなければ、そのつらい現実に立ち向かう気力すら、湧いてこなかったからだ。


朝、目を覚ますたびに、宗太の胸は重く沈んだ。また、今日も、あの事務所へ行かなければならない。そこで、また、否定され、笑われ、覆される。その一日を思うだけで、宗太は動けなくなった。かつては、どんなに仕事がつらくても、朝が来れば、また頑張ろうと思えたという。でも、今の宗太には、その明日への希望が、どこにも見当たらなかった。ただ、同じ苦しみが終わりなく続いていく。そう思うと、宗太は、ますますお酒に逃げ込むしかなかった。


        *


お酒だけではなかった。


宗太の心そのものが、少しずつ弱っていった。かつては、真面目で一生懸命だった宗太。その目から、少しずつ光が消えていった。何をしても、うまくいかない。どうせ、自分はだめなんだ。そういうあきらめが、宗太を覆っていった。


夜、眠れない、と宗太はこぼした。布団に入っても、いろいろな考えが、頭の中をぐるぐるめぐって、朝まで目が冴えている、と。食欲も、なくなった。宗太は、目に見えてやつれていった。


以前の宗太を知る人が見たら、別人だと思ったかもしれない。かつては、頬がふっくらして、人のよさそうな笑顔を浮かべていた宗太。それが今では、頬がこけ、目の下には、いつも濃い隈があった。笑うことも、めっきり少なくなった。何を話しかけても、上の空で生返事をするばかり。まるで、心が、どこか遠くへ行ってしまったかのようだった。宗太の中で、何か大切なものが、静かに壊れかけていた。


母も、宗太のことを深く案じていた。宗太のために、あたたかい食事を作り、無理にでも食べさせようとした。でも、宗太は、ほとんど箸をつけなかった。母は、何も言わず、ただ、宗太の好きだったものを作りつづけた。かける言葉を、母もまた持たなかったのだ。


        *


私は、そんな宗太を放ってはおけなかった。


宗太くん、少し休んだら、と声をかけた。お医者さんに相談してみるのも、いいかもしれない、と。でも、宗太は、力なく首を振った。


休めるわけ、ないだろう、姉さん。おれが、当主なんだ。おれが倒れたら、栄家は、どうなる、と。


その言葉に、私は何も言えなかった。宗太の言うことは、正しかった。宗太が休めば、栄家はもっと傾く。宗太は、休むことも許されない檻の中にいたのだ。


皮肉なことに、宗太が弱れば弱るほど、宗太の当主としての評判は、さらに落ちていった。疲れきった宗太は、会議でまともに頭が回らなくなった。判断を下せなくなり、言葉に詰まるようになった。すると、社員たちは、ますます宗太を頼りなく思った。あの人には任せられない、と。宗太が追い詰められて弱ることで、宗太はさらに追い詰められる。まさに、抜け出せない悪循環だった。父の焦りが悪循環だったように、宗太の孤独もまた、出口のない渦だったのだ。


        *


私は、思った。


宗太は、あまりにも孤独だ、と。


大勢の社員に囲まれていても。家族が、そばにいても。宗太が背負っている、あの重さを本当に分かってくれる人は誰もいなかった。父は宗太を叱るばかり。社員は宗太を頼りないと見下す。世間は宗太を優柔不断だと笑う。


誰も、宗太の味方ではなかった。


当主の重荷というのは、そもそも分かち合えるものではなかった。ふつうの仕事なら、責任をみんなで分担できる。でも、栄家の当主というのは、ただ一人がすべてを背負う立場だった。うまくいかなければ、すべて当主のせい。その逃げ場のない責任を、宗太はたった一人で引き受けていた。どんなに、そばに人がいても、その重さだけは誰も肩代わりできない。それが、当主という座のいちばん残酷なところだった。


私だけは、宗太の味方でいたい。そう思っていた。でも、私にできることは、あまりにも少なかった。


私は、宗太の話を聞くことはできた。宗太のつらさに寄り添うこともできた。でも、宗太が背負っている、その荷そのものを代わりに背負ってあげることはできなかった。私は、光の外にいた人間で。栄家の当主という、あの重さは、私にはどうすることもできないものだった。


だから、私は、ただそばにいることしかできなかった。宗太が、一人でお酒を飲んでいる、その隣に。ただ、黙って座っていることしか。


一度、私は、思いきって宗太に提案したことがある。宗太くん、いっそ当主を降りたら、と。誰かに任せて、あなたは楽になっていいのよ、と。でも、宗太は、悲しそうに笑った。降りて、どこへ行くんだ、姉さん。おれには、ここしかないんだ、と。宗太には、逃げ場がなかった。栄家を離れれば、宗太には何も残らない。この家の二代目という肩書きだけが、宗太のすべてだった。だから、宗太は、壊れかけながらも、その椅子にしがみつくしかなかったのだ。


        *


一度、こんなことがあった。


夜遅く、宗太の部屋をのぞくと、宗太が、一人でお酒を飲みながら泣いていた。


姉さん、と宗太は言った。おれ、兄さんに、なりたかったわけじゃないんだ。ただ、静かに、生きていきたかった。それだけ、なんだ、と。


宗太は、当主になんてなりたくなかったのだ。伊織が、生きていれば。宗太は、こんな重荷を背負わずにすんだ。ただ、次男として、気楽に生きていけたはずだった。でも、伊織がいなくなって、宗太は、望みもしない当主の座に就かされた。そして、その座が、宗太を少しずつ壊していった。


私は、宗太の隣に座って、その背中をそっとさすった。


かける言葉は、見つからなかった。大丈夫、とも言えなかった。だって、大丈夫じゃ、なかったから。頑張って、とも言えなかった。宗太は、もう、じゅうぶん頑張っていたから。


私は、ただ、宗太が泣きやむまで、その震える背中をさすりつづけた。


母が、かつて、無名だった父にそうしたように。私も、壊れかけた弟の背中をさすることしかできなかったのだ。


        *


宗太の孤独は、深かった。


そして、その孤独を本当の意味で癒せる者は、この世に一人もいなかった。当主という、重すぎる荷。それを下ろせるのは、栄家が滅びるとき。あるいは、宗太自身が壊れてしまうとき。そのどちらかでしかなかったのだ。


私は、こわかった。


このままいけば、宗太は、いつか本当に壊れてしまう。そんな予感がした。でも、その予感をどうすることも、私にはできなかった。


ただ、傾いていく栄家の、当主の椅子の上で。宗太は、一人、静かにすり減りつづけていた。誰にも、その痛みを分かってもらえないまま、ただ一人で。

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