第二十九章 舜の熱狂
舜の勢いは、とどまるところを知らなかった。いや、勢いという言葉では足りない。それは、熱狂だった。国じゅうが、舜という一人の若者に熱狂していた。
朝、目を覚まして、スマートフォンを開けば、そこには舜の話題が、あふれていた。舜の、昨夜の発言。舜の、新しい映像。舜の、何気ない一言。そのすべてが、瞬く間に何百万回も共有され、語られていく。テレビをつけても、雑誌を開いても、街を歩いても、舜、舜、舜。まるで、この国全体が、舜という一人の若者を中心に回っているかのようだった。こんな熱狂を、私は、父の全盛期以来、久しく見ていなかった。
ただ、同じ熱狂でも、父の頃とは、決定的に違うことがあった。父の頃の熱狂は、何年も何十年も続くものだった。でも、今の熱狂は、あまりにも速く燃えて、そして速く冷める。人々が、一つのものに夢中でいられる時間が、どんどん短くなっているようだった。まるで、時代そのものが、せっかちになっていくかのように。次から次へと、新しい刺激を求めて。人々は、休むことなく移り変わっていくのだった。
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私は、父の全盛期を知っている。あの頃、父もまた、国民的なスターだった。でも、舜の熱狂は、父のそれとは、どこか質が違っていた。
その違いを私はこんなふうに感じていた。
父の人気は、いろりの火のようなものだった。薪をくべ、じっくり燃やす、あたたかな炎。一度おこれば、長いあいだ消えることなく家全体をあたためつづける。父は、何十年もかけてその火を育ててきた。だから、その熱は深く、そして長く続いた。
でも、舜の人気は、それとはまるで違った。
舜の人気は、野火のようだった。一度火がつくと、あっという間に燃え広がる。ネットの中で、舜の名は、一日のうちに、何百万という人々のあいだを駆けめぐった。昨日まで誰も知らなかった若者が、今日には国じゅうの話題になっている。その広がりの速さは、父の時代には考えられないものだった。
でも、野火は、燃えるものがなくなればあっけなく消えてしまう。いろりの火のように、長くあたため続けることはない。花火のように、夜空をまばゆく彩って、そして一瞬で消えていく。舜の熱狂には、そういうはかなさがつきまとっていた。激しければ激しいほど、その火がいつかふっと消える日の近さを私は感じずにはいられなかった。
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そして、もう一つ、大きな変化があった。
スターを作るものが、変わったのだ。
父の時代、スターを作るのは、テレビだった。大きな力を持つ一部の人間が、この人をスターにしよう、と決める。そうやって、スターは作られた。父は、その仕組みの頂点にいた。
でも、舜をスターにしたのは、テレビではなかった。名もない、無数の人々だった。ネットの中で、一人一人が、舜を面白いと言い、舜を広めた。その、小さな声の途方もない集まりが、舜を時代のまん中へと押し上げたのだ。
もう、一部の人間がスターを決める時代ではなかった。顔の見えない大勢の人々が、スターを作る時代になっていた。
それは、ある意味では、公平な仕組みなのかもしれなかった。かつては、力を持つ者に気に入られなければ、どんなに才能があっても世に出られなかった。でも、今は違う。誰かに媚びなくても、実力さえあれば、人々が勝手に見つけて広めてくれる。舜は、まさに、その新しい仕組みが生んだ、最初の本物のスターだった。テレビに頼らず、名もない人々の力だけで、頂点まで駆けのぼった若者。それは、確かに、新しい時代の象徴だった。
でも、その新しい時代には、新しい残酷さもあった。名もない人々がスターを作れるということは、名もない人々が、スターを壊すこともできる、ということだった。作る力と壊す力は、同じ手の中にあったのだ。
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でも、それは、こわいことでもあった。
大勢の人々が、一斉に熱狂する。その同じ人々が、いつか、一斉にそっぽを向くかもしれない。群がる速さと引く速さは、同じなのだ。
昨日まで、神のように崇めていた相手を今日には、平気でけなしはじめる。飽きた、もう古い、と。顔の見えない群衆の、その変わり身の速さを私はうすら寒い思いで見ていた。愛と憎しみのあいだに、境界はなかった。同じ人々が、同じ勢いで、愛し、そして憎むのだ。
現に、私は、それまでにも、何人もの若者が同じように、熱狂の中に現れては消えていくのを見てきた。ある日、突然、時代の寵児としてもてはやされる。でも、しばらくすると、人々は飽きる。そして、次の新しい誰かへと移っていく。かつて、あれほど騒がれた人が、半年後には、もう誰の口にものぼらなくなる。そんなことが、めまぐるしく繰り返されていた。舜も、いつか、その一人にならないという保証は、どこにもなかった。
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そして、父は、その新しい時代の波に完全に乗り遅れていた。
あるとき、街頭で若者にインタビューする映像を見た。栄一鶴を知っていますか、と。すると、何人もの若者が、きょとんとした顔で答えた。えっと、だれ、それ、と。
栄一鶴。かつて、一億人がその名を知っていた男。日本中が愛した、テレビの顔。その名を今の若者たちは、もう知らなかった。
私は、その映像を見て、言葉を失った。
一億人という数字は、けっして永遠を約束するものではなかった。むしろ、それは、砂のようにもろいものだった。一億人が知っていた名前も、たった数年で、若い世代からはきれいに消えてしまう。人の記憶とは、そういうものだ。新しいものが入ってくれば、古いものは押し出されていく。父が、生涯をかけて築き上げた、あのまばゆい名声も、時の流れの前では、あまりにもはかないものだった。
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父も、その残酷な現実を感じていたはずだ。
一度、父が、テレビで舜の特集をじっと見ていたことがある。画面の中で、熱狂に包まれる舜。かつての自分の姿をそこに重ねていたのだろうか。父は、ぽつりと一言だけつぶやいた。
おれのときも、あんなふうだったな、と。
そのたった一言に、どれほどの思いが込められていたか。栄光の日々への懐かしさ。それが、もう戻らないことへのあきらめ。そして、自分もまた、こうして忘れられていくのだ、という静かな絶望。私には、その背中が見ていられなかった。
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名声とは、砂の上に書いた文字のようなものだ。
どんなに大きく書いても、波が一度寄せれば、跡形もなく消えてしまう。父の名も、今、まさにその波に消されようとしていた。かつて、あんなにまぶしかった父が、もう、過去形でしか語られない人になりつつあった。
そして、ふと、私は思った。
内側から激しく燃える、この舜という炎。それは、どこか、あかりに似ている、と。
まわりをまぶしく照らしながら、そのまぶしさゆえに、自分自身を削って燃やしていく。舜も、あかりも、同じ危うさを抱えていた。激しく燃えるものは、いつか燃え尽きる。その、同じ運命の影を私は、二人の中に見ていたのかもしれない。
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舜が、時代のまん中でまばゆく燃えている、その同じ時に。父の火は、静かに消えかけていた。そして、私は知っていた。いつか、舜の、あのまばゆい野火もまた、同じように消える日が来ることを。それは、誰にも避けようのないことだった。
盛りは、必ず過ぎる。
その当たり前の理をまばゆい光の中にいる者は、けっして信じない。でも、光の外からずっとそれを見ている私には、すべてが、いつか覚める、はかない夢のように思えるのだった。




