第二十五章 父の焦り
流出が止まらないなか、父は日に日に焦っていった。
いや、焦りという言葉では足りないかもしれない。父を内側から突き動かしていたのは、あの生涯消えなかった恐怖だった。忘れられることへの恐怖。それが、栄家の凋落を前にして、これまでにない激しさで父を追い立てていた。
追い詰められた父が選んだ道は、これまでのやり方をさらに強引に押し進めることだった。
父には、それしかなかった。父をここまでのし上げてきたのは、力だったからだ。逆らう者をねじ伏せ、金と権力で業界を動かす。その力のやり方で、父は頂点に立った。だから、栄家が傾いた今も、父は同じやり方でそれを押し返そうとした。もっと強く。もっと激しく。
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父は、去った人材を金で取り戻そうとした。
とんでもない高額の契約金を積んで。鎌のもとへ移った者に、その倍を払うから戻ってこい、と。実際、その金に目がくらんで栄家に戻ってくる者もいた。
父は、番組の枠も、金で買い戻そうとした。スポンサーに圧をかけ、多額の宣伝費を約束して、強引に栄家のタレントをねじ込んだ。実際、それでいくつかの枠を取り戻すこともできた。
一度、こんなことがあった。ある人気番組が、栄家のタレントを降ろそうとした。数字が、少し落ちていたからだ。父は、それを許さなかった。番組を持つテレビ局に直接乗り込んで、圧をかけた。うちのタレントを降ろすなら、ほかの番組からも、うちの人間を全部引き上げる。局全体と取引をやめる、と。局は、しぶしぶ折れた。父のタレントは、番組に残った。父は、勝ち誇った。ほら見ろ、力があれば、まだこういうことができるんだ、と。でも、その一件は、局の人間の心に深いしこりを残した。
短期的には、父のやり方は効いているように見えた。
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でも、その裏で、父はもっと大切なものを失っていた。
信頼だった。
金で人を取り戻す。それは、裏を返せば、金でしか人をつなぎとめられない、ということだった。かつて、栄家には、金だけではない何かがあった。この人のもとで働きたい。この一家の一員でありたい。そういう憧れや誇りが。
でも、今の栄家にあるのは、金だけだった。だから、集まってくるのも、金で動く人間ばかり。もっといい条件を出す者が現れれば、その人たちは、またあっさりと去っていく。父は、金でうわべの人を買い集めながら、本当の意味での人を失いつづけていた。
金で戻ってきた者の一人に、こんな男がいた。かつて、栄家の看板だったが、鎌のもとへ移り、そして父の金で、また戻ってきた。でも、その男は、もう以前の彼ではなかった。事あるごとに、条件をつり上げようとした。もっと金を出さなければ、また鎌のところへ行く、と。かつては、栄家への恩や忠誠があった。でも、金で動くようになった人間に、そんなものは、もうなかった。父は、そういう人間ばかりを、高い金で抱え込んでいた。それは、味方を増やしているようでいて、実は、いつでも裏切る者たちを、まわりに置いているのと同じことだった。
栄家は、金の力でなんとか体裁を保っていた。でも、それは、砂の上に建てた城のようなものだった。見た目は、まだ立派でも。土台は、もうぼろぼろに崩れかけていた。
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そして、父の強引なやり方は、父の評判を決定的に悪くしていった。
金にものを言わせる、時代遅れのやり方。力でねじ伏せる、横暴な老害。父が強引な手を使えば使うほど、業界の人々は父から心を離していった。あんなやり方は、もう通用しない。栄一鶴とは、関わらないほうがいい、と。
父は、短期の数字を取り戻すたびに、長期の信頼をさらに失っていった。
それは、底の抜けた樽のようだった。上からどんなに水を注いでも、底から、それ以上の水が漏れていく。父は、必死に水を注ぎつづけた。でも、樽は、けっして満たされることはなかった。
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私は、思う。
父のいちばんのまちがいは、時代が変わったことに気づけなかったことだ。
かつて、父のやり方が通用したのは、栄家が唯一の道だったからだ。スターになるには、栄家に入るしかなかった。だから、どんなに理不尽な扱いを受けても、みんな栄家にしがみついた。父の力に従うしかなかったのだ。
でも、今は違った。鎌という、もう一つの道があった。
栄家で理不尽な目にあうくらいなら、鎌のもとへ行けばいい。逃げ場ができたのだ。それなのに、父は、まだ自分が唯一の王であるかのようにふるまった。力で押さえつければ、みんな従う、と。でも、押さえつければ押さえつけるほど、人は鎌のもとへ逃げていった。父の力は、もう、人をつなぎとめる鎖ではなく、人を追い出す鞭になっていた。
父は、それが分からなかった。なぜ、力で押さえても、人が離れていくのか。父の頭の中には、昔の成功体験しかなかった。あのときは、こうやってうまくいった。だから、今度も同じようにやれば、うまくいくはずだ、と。父は、自分のやり方がまちがっているとは、露ほども思わなかった。うまくいかないのは、やり方がまだ足りないからだ。もっと強くやればいい、と。だから父は、ますます強引になった。まちがった方向へ、全力でアクセルを踏みつづけたのだ。そして、そのアクセルの先に待っていたのは、崖だった。父は、それに気づかないまま加速を続けていた。
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もし、伊織が生きていたら。
きっと、父を止めただろう。父さん、落ち着いてください。今は、力ずくのときではありません、と。そして、父も、伊織の言葉になら耳を傾けたかもしれない。
でも、その伊織は、もういなかった。宗太には、父を止める力はなかった。私の言葉も、父には届かなかった。
一度、私は、勇気を出して父に言ったことがある。お父さん、少し休みませんか。今のやり方は、かえって人を遠ざけているように見えます、と。でも、父は、私をにらんだ。おまえに何が分かる、と。おまえは、光の外にいた人間だ。まん中で闘う、この苦しみが分かるものか、と。その言葉は、私を深く傷つけた。でも、それ以上に、私はこわくなった。父は、もう誰の言葉も聞けなくなっている。たった一人で、見えない敵と闘っている。その孤独が、父をいっそう追い詰めているように見えた。
歯止めを失った父は、ただまっすぐに、破滅へと突き進んでいった。焦れば焦るほど、空回りし、空回りすればするほど、さらに焦る。その悪循環の渦の中で、父は、少しずつ自分で自分の首を絞めていった。
ある夜、私は、事務所で一人でいる父を見かけた。父は、誰もいない暗い部屋で、ぼんやり窓の外を見ていた。その背中は、ひどく小さく疲れて見えた。声をかけようか、迷った。でも、かけられなかった。あの、いつも自信に満ちていた父の背中に、私は、はじめて老いと、そしておびえを見たからだ。忘れられることを恐れて走りつづけた男。その男が、今、まさに忘れられていこうとする、その恐怖のただ中にいた。かける言葉が、私には、どうしても見つからなかった。
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かつて、あんなに鮮やかに時代を動かした父が。今は、その同じ力をふりかざしながら、もがけばもがくほど深みへと沈んでいく。
その姿は、見ていて痛々しく、そして、どこか哀しかった。
父は、まだ闘っていた。もう勝ち目のない戦いを。忘れられることへの恐怖だけを燃料にして。たった一人で、時代の流れそのものに抗おうとしていた。
でも、時代の流れそのものに抗える者など、この世に、ただの一人もいないのだった。




