表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
一億人が、あの一家を愛していた ~ある芸能一族の栄光と滅びの記録~  作者: 智珠
第二部 驕り

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
21/38

第十八章 敵

伊織が生きていた頃、私はあることに気づいていなかった。


伊織という存在が、栄家を守る盾でもあったということに。


父はたしかに、たくさんの敵を作っていた。傲慢なやり方で、恩を切り、人を踏みつけ、業界の恨みを買っていた。それでも、栄家が無事でいられたのには理由があった。


伊織だ。


あの、誰からも慕われるあたたかい伊織がいたからこそ、人々は栄家に、正面から牙をむくことをためらった。栄家を敵に回すことは、あのいい人の伊織を敵に回すことでもある。それは、多くの人にとって気の引けることだった。伊織の人望が、父の傲慢をそっと覆い隠していたのだ。


でも、その伊織がいなくなった。


盾は、消えた。


そして、歯止めを失った父の傲慢さは、これまで以上にむき出しになっていた。伊織という覆いがなくなった今、父の冷たいやり方は、誰の目にもはっきりと見えるようになった。


すると、どうなったか。


これまで、伊織に免じてじっと堪えていた人たちの、抑えられていた反感が。堰を切ったように噴き出しはじめたのだ。


        *


栄家に恨みを持つ者は、少なくなかった。


父に、理不尽に切り捨てられた制作会社。使い捨てにされた、かつてのスターたち。傲慢なやり方に、煮え湯を飲まされてきた、業界の人間たち。


そういう人々が、少しずつ声をあげはじめた。


はじめは、小さなささやきだった。栄一鶴は、やりすぎだ。あの一族は、天狗になっている。伊織がいなくなって、たがが外れた。そういう声が、業界のあちこちで聞こえるようになった。


父はその声を気にもとめなかった。むしろ、鼻で笑っていた。「何を言われようが、関係ない。数字がすべてだ。うちに逆らえば、干してやる」。父はあいかわらず、力でねじ伏せようとした。


でも、時代は少しずつ変わりはじめていた。


かつては、父の力の前に誰もがひれ伏した。逆らえば、干される。だから、みんな従った。でも、伊織を失い、傲慢さだけが際立つ父に、人々の心は静かに離れはじめていた。表では、まだ父に従うふりをしながら。心の底では、栄家の凋落を待ちのぞむ者さえあらわれていた。


潮目が、変わろうとしていた。


象徴的な出来事があった。長年、父に忠実だったあるベテランのプロデューサーが、ある日、栄家との仕事を静かに降りたのだ。表向きの理由は、体調だった。でも、みんな本当の理由を察していた。あの人は沈む船から、いち早く降りたのだ、と。伊織が生きていた頃なら、考えられないことだった。かつては栄家にいることが、成功の証だった。それが今は、栄家から離れることが賢い選択になりつつあった。


        *


そして、その変わりゆく潮目を。


誰よりも冷静に読んでいる男がいた。


鎌、という男だった。


私がその名をはじめて意識したのは、この頃のことだった。父の口から、その名がいまいましげにこぼれるのを聞いたのだ。「鎌の野郎、こそこそ動きやがって」。


鎌は、父とは正反対の男だった。


父は、表舞台の人だった。自分がまん中に立ち、人を惹きつけ、光を浴びる。それが、父のやり方だった。


でも、鎌はちがった。鎌はけっして表には出なかった。いつも、裏にいた。目立たず、騒がず、ただ静かに。そして、その裏で確実に力を蓄えていた。


鎌は、父に切り捨てられた者たちに、そっと手を差しのべているという噂だった。父に干された、かつてのスター。父に潰された、制作会社。行き場を失ったその人たちを、鎌は一人、また一人と拾い集めていた。


父が光で人を集めたのに対して。鎌は、父が捨てた影を集めていた。


父に切り捨てられた、あるベテラン俳優がいた。かつては栄家の看板の一人だったが、若い新人に押しのけられ、干されていた。その人を、鎌は拾った。そして、じっくりと時間をかけて、もう一度輝ける場所を用意した。数年後、その俳優は、鎌のもとでみごとに返り咲いた。父に捨てられた者が、鎌のもとで生き返る。そういう例が、一つ、また一つと増えていった。父が捨てた人材は、そのまま鎌の力になっていった。


考えてみれば、それは父自身がまいた種だった。父が人を、数字だけで切り捨てなければ。恩を大切にしていれば。鎌につけ入る隙など、なかったのだ。父の傲慢さが、皮肉にも、いちばん恐ろしい敵を育てていた。そして父は、その敵の名前さえ、まともに覚えようとしなかった。


        *


私は、その鎌という男のやり方にぞっとした。


父のやり方は、分かりやすかった。力で、押さえつける。敵には、正面から牙をむく。派手で、傲慢で、けれど、どこか単純だった。


でも、鎌は、ちがった。


鎌は、笑顔で近づいてくる。栄家に恨みを持つ者に、そっと寄りそう。つらかったでしょう、と、やさしくささやきながら。そうやって、栄家に不満を持つ人々を、静かに自分の側へと引き入れていく。表向きは、栄家と事を構えるそぶりも見せずに。


父がいくら力を誇示しても。その足元では、鎌が静かに地面を掘り崩していた。


いつか、その掘り崩された地面が。栄家という大きな建物を、根こそぎ飲み込む日が来る。


私には、なぜかそれが見えるような気がして。背筋が寒くなった。


私は、そのことを父に伝えようとしたことがある。お父さん、鎌という人が、裏で良くない動きをしているみたい、と。でも、父は取り合わなかった。「あんな日陰者が、何をしようが関係ない。表で勝負できない、負け犬だ」。父は、鎌を見下していた。表舞台こそが、すべて。裏でこそこそ動く者など、恐れるに足りない。それが、父の考えだった。でも、私には思えた。その、父が見下している場所からこそ、いちばん恐ろしいものが育つのだと。


        *


一度だけ、私は鎌を、遠くから見かけたことがある。


ある業界の、集まりの席でのことだった。父は、その会場のまん中で大きな声で笑い、大勢の人に囲まれていた。あいかわらずの栄一鶴だった。


その、にぎやかな輪のずっと外側に。鎌は、一人で立っていた。


地味な男だった。目立つところは、何もない。ただ、静かにグラスを傾けながら。その細い目で、じっと会場を見わたしていた。


その目が、こわかった。


その目は、笑っている父を見ていた。父に群がる大勢の人を見ていた。そして、その目はたぶん、見抜いていた。この栄家の栄華が、もう長くは続かないということを。このまん中で笑っている男の足元が、すでに崩れはじめているということを。


鎌は、待っていた。


栄家が、自らの重みで崩れ落ちる、その時を。じっと、静かに。獲物を待つ狩人のように。


その目が、何を見据えているのか。そのとき、私にはまだ分からなかった。でも、ひとつだけ確かなことがあった。あの男は、栄家にとって、これまでのどんな敵ともちがう。いちばん恐ろしい敵になる——。


        *


伊織を失い、栄家は盾を失った。


宗太は、器でない席にすり潰されていた。あかりは、何も知らずに光のまん中に立たされていた。父は、傲慢さを増し、敵を増やしつづけていた。そして、その足元では、鎌が静かに力を蓄えていた。


栄家の栄華は、まだ続いているように見えた。


でも、その内側では、もういたるところにひびが入りはじめていた。


盛りは、必ず過ぎる。


あんなに高くのぼった栄家も、その例外ではありえなかった。頂点をきわめた、まさにその瞬間から。栄家は、静かに滅びへの坂道を下りはじめていたのだ。


これが、栄家の栄光の、いちばん高いところ。


ここから先は、下り坂だ。


長い、長い滅びの物語が。いよいよ、ここから始まる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ