第九十九章 忘却の速さ
書きはじめて二年目の秋に、私は、思ってもみなかったことに気がついた。あの記録が、少しずつ消えはじめていたのだ。
はじめは、ただの手ちがいだと思った。前の月に見た記事を、もう一度確かめようとしたら、開かなかった。打ちまちがえたのだと思って、何度もやり直した。どうやっても、同じ短い断り書きが出るだけだった。この頁は見つかりません、というようなことが書いてある。その記事は、大きな新聞社のものだった。まさか、こんなものが消えるとは思っていなかった。
気になって、私は、書き写しておいた一覧を上から順に確かめていった。半分ほどが、もう開かなかった。会社ごとなくなっていたものもある。置き場所が変わったものもある。理由は、どこにも書かれていない。ただ、そこにあったはずのものが、ある日、なくなっている。
あれほど、消えない消えないと言われたものが、こんなにあっさり消えるのだと、私はそのとき知った。
*
そのうち、映像も減りはじめた。古いものから、順にだった。画質の悪いもの、置いた人が長く来ていないもの、そういうものから静かになくなっていく。父がどなっている場面も、いくつかは見られなくなっていた。
十年前、私たちはあれを消したくて、頭を下げて回った。弁護士の先生には、全部は消せません、と言われた。写しがいくらでもある、追いかけてもきりがない、と。その、きりがないと言われたものが、誰も追いかけなくなったとたんに、勝手に減っていた。
消えるのは、誰かが消したからではない。置いていた人が飽きたり、忘れたり、死んだりするからだ。仕組みが変わって、古いものが運ばれなくなるからだ。誰も悪くない。誰も手を下していない。
うちを焼いたときと、同じやり方で、その火の跡も消えていた。
*
私は、そこで、自分でもおかしいと思うことをした。急いで、書き写しはじめたのだ。
残っているうちに、日付を、名前を、証言を、紙に写しておかなければならない。そう思って、私は毎晩、机に向かった。開くものから順に、必要そうなところを片っ端から書き写した。ペンを持つ右手の指が、途中から痛むようになった。冷やしながら書いた晩もある。
十年前、私は、これが一つ残らず消えてくれることを願っていた。あの子の顔が出てこなくなることを、毎日祈っていた。その同じ私が、十年たって、それが消える前に写しておこうと必死になっている。
*
自分でも、何をしているのか分からなくなる夜があった。それでも、理由だけは、はっきりしていた。
あの記録が全部消えてしまえば、うちの人たちがしたことも、されたことも、この世からなくなる。父が人を切ったことも、あの朝、大勢が土手にいたことも、なかったことになる。
罪が消えるというのは、赦されることではない。なかったことになる、ということだ。そして、なかったことになれば、次に同じことが起きたとき、誰も、前にもあったとは言えなくなる。
*
一度だけ、職場の若い子に聞いたことがある。
画面に出ているものを、あとから見られなくなることってあるの、と。その子は、ありますよ、と言った。よくあります、消えちゃうんで、大事なものは写しておくといいですよ、と。
どうやって写すのかも教えてくれた。私は、その場で紙に書き取った。その子は、何を写すんですか、とは聞かなかった。たぶん、年寄りが古い写真か何かを気にしているのだと思ったのだろう。
家に帰って、教わったとおりにやってみた。うまくいくものと、いかないものがあった。それでも、手で書くよりは、ずっと速かった。
*
一度、間に合わなかったものがある。
敦が、たった一度だけ受けた小さな取材の記事だ。あなたも、あの一家の被害者ではないのか、と聞かれて、あの子が、おれは、あの人たちに拾ってもらいました、それだけです、と答えた、あの記事だ。
私は、あれを書き写していなかった。いつでも見られると思っていたのだ。あの子のことを書く番になったら、そのときに開けばいいと思っていた。
いざ開こうとしたときには、もう消えていた。載せていた小さな出版社が、なくなっていた。
だから、あの子の言葉は、私の覚えているままで書くしかなかった。
たぶん、だいたい合っている。あの短さと、あの言い方は、まちがえようがない。それでも、一字一句そのままかと聞かれたら、私には答えられない。
私は、その頁に、こう書き足しておいた。この言葉は、記事が残っていないため、私の記憶によるものである、と。
そんな断りを入れたところで、何の役にも立たない。それでも、書いておかないと、いつか私自身が、これを確かめたものだと思いこんでしまう。
*
いちばん困ったのは、熊野の一覧だった。
あれは、あの人が一人で置いていたものだ。あの人が置くのをやめれば、次の年には消える。実際、その頃には、開けない日が増えていた。開いても、途中の頁が抜けていた。私は、あの人がまだ生きているのかどうかも知らなかった。
だから私は、あの一覧を、最初から最後まで写すことにした。何百という名前と、日付と、証言だ。夜に少しずつやって、一年近くかかった。ノートが四冊になった。
うちを憎むために作られたものを、うちの娘が手で書き写している。おかしな話だと思う。でも、あれを写せる人間は、たぶん、この世に私しかいなかった。
写しているあいだ、私は、あの人の書き方をずいぶん近くで見ることになった。
日付の書き方に癖がある。同じ言い回しが何度も出てくる。まちがえたところの訂正が、必ず次の項目のいちばん上に付いている。あとから読む人が、まちがったままの版だけを読まないようにするためだ。
そういうものが、写しているうちに、少しずつ手にうつってきた。私が今書いているものにも、たぶん、あの人のやり方が入っている。私は、うちを潰した人から、書き方を教わったことになる。
*
押し入れのテープのことも、その頃、ようやく調べた。
町の電気屋に持っていって、これを見られるようにできますか、と聞いた。年配の店主は、テープを一本手に取って、しばらく眺めてから、うちではできません、と言った。機械がもうないのだ、と。直せる人も、部品も、ずいぶん前になくなったらしい。
やってくれる店もあるにはあります、と教えてもらって、住所を控えた。ただ、それなりのお金がかかるとも言われた。私は、礼を言って持ち帰った。
その袋は、今も押し入れにある。父が作った番組は、まだ一度も見ていない。
そのあいだにも、世の中では、別のことが次々に起きていた。
新しい人が叩かれ、新しい家族が晒され、新しい映像が出回っていた。名前を打ちこめば、どこにでも出てくる。私は、それを見ないようにした。見れば、うちのときと同じ順番で進んでいくのが分かってしまうからだ。
十年前、あれほど大勢が見ていた栄家のことは、その頃にはもう、誰の話題にも出なかった。忘れられるのが早かったのではない。次のものが、次から次へ来ていただけだ。
一つのことを長く覚えていられるほど、この国には空いた場所がなかった。
*
写し終わった夜、私は、四冊を机に積んで、しばらく見ていた。
これは、私の記録ではない。あの人の記録だ。それでも、私の字で書いてある。私が死ねば、これも捨てられる。分かっている。それでも、捨てられるまでのあいだは、この世にある。
一つだけ、写さなかった頁がある。あの朝のことを書いた頁だ。あの人は、そこも、いつもと同じように正確に書いていた。時刻。人数。土手の様子。証言の食いちがい。
私は、その頁の前で何日か止まって、結局、飛ばした。いつか写す。そのつもりでいる。でも、その日は、まだ来ていない。




