第九十八章 消えない過去との対峙
書きはじめて一月ほどで、私は最初の壁にぶつかった。日付が分からないのだ。
あの番組が流れたのが何年の何月だったか、宗太が施設を移ったのはあの子の転校の前だったか後だったか、父が倒れた日の曜日は何だったか。そういうことが、いくら考えても出てこない。頭のなかでは、全部が同じ一つの塊になっていて、順番がついていなかった。
自分の記憶が、これほどあてにならないものだとは思っていなかった。ほんの十何年前のことだ。それなのに、私が確かに覚えているのは、母の手つきや、あの子の鼻歌の調子や、敦の靴の音といった、日付のつけようのないものばかりだった。
*
書くのをやめてしまえば、それで済む話だった。順番などどうでもいい、思い出した順に書けばいい、と自分に言うこともできた。
でも、私は、それをしなかった。この記録が、私の思い出したい順に並んだものになってしまえば、それはもう、あの人たちのことではなくなる。私の気分のことになる。父が話を盛ったのと、同じになってしまう。
だから、調べるしかなかった。そして、調べるための場所は、この世に一つしかなかった。
*
私たちを焼いた、あの記録だ。
番組の抜粋。当時の記事。書きこみの山。そして、熊野が何年もかけて集めた、あの一覧。日付と、名前と、証言が、順番に、正確に並べてあるもの。
あれから十年以上、私は一度もそれを開いていなかった。開かないようにしていた、というほうが正しい。名前を打ちこめば出てくることは知っていたし、消えていないことも知っていた。それでも、開けば、あの数日に戻ってしまう。私は、戻りたくなかった。
*
はじめて開いた日のことを、私は覚えている。
夫が家にいる日を選んだ。何かあったときに、隣の部屋に人がいるほうがいいと思ったからだ。台所の机に画面を置いて、しばらく指を止めていた。名前を打ちこむだけのことなのに、それに十分ほどかかった。
出てきたものは、思っていたより整っていた。十年たっても、ほとんどが残っていた。日付も、順番も、私の記憶より正確だった。父がどなっている場面も、兄の三分も、あの番組の抜粋も、変わらずそこにあった。
見ているうちに、私は、少し落ち着いてきた。文字で並んでいるだけなら、耐えられる。これは資料だ、と自分に言い聞かせながら、私は必要な日付を紙に書き写していった。
その落ち着きは、あの子のところで終わった。
あの朝の映像は、まだあった。走っている場面も、振り返った顔も、そのままだった。書きこみもついていた。かわいそうに、と書いた人の言葉も、ひどいことを書いた人の言葉も、十年前のままの形で残っていた。
私は、画面を伏せて、しばらく机に手をついていた。夫が来て、大丈夫か、と聞いた。私は、うん、と答えた。それから、続きをやった。
*
そこから何か月か、私は、ほとんど毎晩それをやった。
そのあいだに、私は、何万という書きこみを読んだ。
読まなくてもよかった。日付だけが要るのだから、飛ばして進めばよかった。それでも、私はほとんど全部に目を通した。あの人たちが、あのとき何を言っていたのかを、一度は自分の目で見ておきたかったのだと思う。
ひどいものも、たしかにあった。でも、数でいえば、いちばん多かったのは、そういうものではなかった。
いちばん多かったのは、短い一言だ。ひどいね。かわいそう。まあ、しかたないよね。そういう、五文字か十文字の言葉が、いくらでも並んでいた。
そのどれ一つを取っても、人を殺せるようなものではない。それが何万も重なると、下にいる人間は息ができなくなる。私は、それを十年前に体で知って、今、目で確かめている。
自分でも、おかしなことをしていると思った。私は、うちを焼いた火の跡を、一つずつ拾い集めていた。書きこみの日付を確かめ、記事の順番を並べ、番組の放送日を照らし合わせる。あの頃、必死で目をそむけたものを、今は、虫めがねで見るように読んでいる。
いちばん皮肉だったのは、いちばん役に立ったのが、熊野の一覧だったことだ。
あの人の作ったものは、やはり、群を抜いて正確だった。
日付が入っている。出典が書いてある。事実と推測が分けてある。まちがえたところには、あとから訂正が足してある。うちのことを、あれほど細かく、順を追って書き残したものは、この世にほかにない。父の会社が作った資料さえ、とっくに散らばって消えている。
私が家族のことを正しく書こうとすれば、あの人の記録に頼るしかなかった。
憎むために作られたものを、弔うために使っている。
そのことに気づいた夜、私はしばらく手が止まった。あの人が集めたのは、うちの罪だ。それを、私は、うちの人たちがそこにいた証拠として使っている。同じ紙が、使う人によって、こんなにも別のものになる。
熊野は、たぶん、こんな使われ方を考えたことはないだろう。私も、あの頃は考えなかった。
*
そのあいだに、私は、自分がまちがえていたことを一つ見つけた。
あの番組が流れたのは、私たちが海の近くの町へ移るより前だと、ずっと思っていた。だから私は、番組のせいであの子の仕事が消え、それで町を出た、という順番で覚えていた。
でも、日付を並べてみると、逆だった。私たちが移ったのは、その半年ほどあとだ。
順番が入れかわると、意味も入れかわる。
私の覚え方では、あの番組が私たちを追い出したことになる。実際は、番組のあとにも半年、私たちはあの家にいた。その半年のあいだに、あきらめきれずに、いろいろなことを試している。私は、その半年をまるごと落として覚えていた。
たぶん、そのほうが分かりやすかったからだ。追われて、出ていった。そう並べたほうが、話として通る。父が自分の過去を作り変えたのと、やっていることは同じだ。
そして私は、その順番で、もう書いてしまっていた。
私は、そのページを書き直した。
書き直しながら、こう思った。私は、あと何か所まちがえているのだろう。今まで書いた分にも、これから書く分にも、同じことが必ずあるはずだ。
確かめようがないことのほうが、ずっと多い。日付は残っていても、あの人が何を思っていたかは、どこにも残っていないからだ。
それでも、確かめられるところだけは、確かめようと決めた。
*
そして、その一覧のなかで、私は思いがけないものを見つけた。
栄家に切られた、ある小さな会社の記録だった。当時の日付と、担当していた者の名前と、その後どうなったかが、いつものように並んでいた。その最後に、その会社の人から聞いた話として、一行だけ、こう書き足してあった。
──なお、後年、栄家の妻が謝罪に訪れたとの証言がある。
私は、その一行を、何度も読んだ。
母が一人であちこちを回っていた、あの頃のことだ。母は、家では一言も言わなかった。父の前でも、私の前でもだ。だから私は、税理士の先生から聞くまで、何も知らなかった。
その一行は、うちの罪を並べた一覧のなかに、うちに都合のいいこととして、たった一行だけ挟まっていた。熊野は、それを切らなかった。都合の悪いところを切れば、それはもう記録ではなくなる。あの人は、そう決めて何年もやってきた人だ。
だから、母が頭を下げて回っていたことは、この世に一行だけ、残った。
*
私は、その一行を、自分のノートに書き写した。
そして、その下に、どこから取ったのかを書いた。あの人の名前を、自分の記録のなかに書く日が来るとは、思っていなかった。
書いてから、私は長いあいだ、そのページを見ていた。




