第九十七章 なぜ書くのか
書きはじめてから、私は何度も、自分に同じことを聞いた。なぜ、こんなことをしているのか。
夜中の台所で、指がかじかんできたときや、同じ場面を三度書き直したときに、ふと手が止まる。そして、これは何なのだろう、と思う。誰に頼まれたわけでもない。誰かが待っているわけでもない。仕事でもなければ、金にもならない。私は五十を過ぎた事務員で、文章の書き方を習ったこともない。
それでも、次の晩には、また机に向かっていた。
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まず、ちがう答えのほうから書いておく。
世に問うために書いているのではない。これを誰かに読ませて、栄家の名誉を回復しようなどとは、一度も思っていない。そんなものは、もうどこにもないし、取り戻せるとも思わない。父がしたことは、本当にあったことだ。それを打ち消すために書くのなら、私は熊野に何一つ言い返せない。
無念を晴らすためでもない。晴らす相手が、どこにもいないからだ。あの朝、土手にいた人たちは、誰も追ってはいなかった。上に座っていた人は、何も指図していなかった。恨む先のない恨みは、書いたところで行き場がない。
真実を明らかにするためでもない。私が書くものの半分は、私の想像だ。母が何を決めていたのかも、宗太が何を言いたかったのかも、父が最後に何を思っていたのかも、私は確かめられなかった。私が書けるのは、私が見たものと、私がそう思いたかったことだけだ。
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では、何なのか。
私は、一度、熊野のことを考えた。あの人も、書いた。何年もかけて、日付を調べ、名前を並べ、証言を集めた。あれは、私よりずっと正確な記録だ。そして、番組も書いた。あの一家がどう滅びたかを、順番に並べて、大勢に見せた。
あの二つと、私が書いているものは、何がちがうのか。
しばらく考えて、こういうことだと思った。
熊野が書いたのは、この家が何をしたか、だ。番組が書いたのは、この家がどう滅びたか、だ。どちらも本当のことで、どちらも、たくさんの人に読まれた。
私が書きたいのは、この家が誰だったか、だ。
何をしたかは、放っておいても残る。名前を打ちこめば、いつでも出てくる。二十年前の三分も、あの朝の土手の映像も、消えない。罪は、この世でいちばん長持ちするものだ。
誰だったかは、残らない。
母がみその量をはからなかったことも、宗太が木を削るときだけ左手で持ったことも、敦が笑う前に息を吸ったことも、どこにも記録されていない。あの子が、宿題をしながら、ばらばらのいいかげんな鼻歌をうたっていたことも、どの画面にも映っていない。
そういうものは、私が書かなければ、なくなる。
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ここまでは、たぶん、きれいな答えだ。書いていて、自分でも据わりがいい。
でも、正直に書くと、これは半分でしかない。
私が毎晩あの机に向かうのは、もっと身勝手な理由からだ。書いているあいだだけ、その人が、そこにいるからだ。
母の手のことを書いていると、あの手つきが目の前に戻ってくる。米をとぐ音が聞こえる。宗太の削りかけの木のことを書いていると、あの人の照れた顔が浮かぶ。敦の名前を書けば、玄関でよろけて、それでも頭を下げた背中が見える。
書いているその一時間だけ、私は、その人といる。
だから、これは弔いなどという立派なものではないのかもしれない。死んだ人のためではなく、生きている私のためにやっていることだ。私は、さびしいのだ。ただ、それだけのことかもしれない。
──いや。
たぶん、その両方なのだと思う。人を思い出すというのは、はじめから、そのどちらでもあるものだ。分けようとするほうが、まちがっている。私は、そう思うことにした。
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一度だけ、夫に聞かれたことがある。
私が机に向かっているのを、しばらく後ろから見ていて、それから、何を書いてるの、と言った。責める調子ではなかった。ただ、聞いたのだと思う。
私は、うちのこと、と答えた。全部書いておこうと思って、と。
夫は、そう、と言った。それから、少し黙って、こう続けた。
──おれのことも、書いてある。
私は、書いてある、と答えた。あなたが会社を辞めた日のことも、あの朝、眠っていたことも、ずっとあとに一度だけ、おれが起きてれば、と言ったことも、書いてある、と。
夫は、うん、とだけ言った。そして、いつものように先に寝た。
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その晩、私は、少し手が止まった。
私は、人のことを、その人に断りもなく書いている。夫のことも、母のことも、宗太のことも、敦のことも。あの人たちが、自分をこう書かれることを望んだかどうか、私は一度も聞いていない。
聞ける人は、もう一人しかいなかった。そして、その一人も、何も言わなかった。
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もう一つ、書いておかなければならないことがある。
私は、必ずまちがえる。
好きだった人は、実際より良く書く。憎かった人は、いつのまにか小さく書いている。確かめられなかったことを、都合よく埋めている。あの人はこう思っていたはずだ、と書くとき、私はたいてい、自分がそう思いたいほうを選んでいる。
だから、これは正しい記録にはならない。まちがいだらけの、かたよった紙の束にしかならない。
それでも、私は書く。まちがった記録でも、何もないよりはましだからだ。あの無縁の石の下には、名前が一つもなかった。あれよりは、まちがっていても、名前があるほうがいい。
そして、いつか、書き直せばいい。私は、そう思うようになった。生きているうちなら、直せる。直せるということは、まだ終わっていないということだ。
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ノートは、少しずつ増えていった。
一冊目が終わったとき、私は少し驚いた。こんなに書くことがあったのか、と思った。二冊目を買いに行くと、同じものが売っていなかったので、似た色のものにした。三冊目からは、まとめて買っておくようにした。
押し入れの箱には、今、その束が入っている。書いた分だけ、あの人たちがそこにいる。そう思うと、増えていく紙の重さは、いやではなかった。
弔いとは何かと聞かれたら、私は、たぶんこう答える。
その人を、一度だけ、丸ごと引き受けて、字にすることだ。いいところも、ひどいところも、切り離さずに、同じ紙の上に置くこと。父を、人を切った男としてだけ書かないこと。あの子を、かわいそうな子としてだけ書かないこと。
世間は、それができない。世間は、いつも半分しか持てない。憎むときは悪いところだけを、悼むときは良いところだけを持っていく。両方を同じ紙に置いておけるのは、その人を近くで見ていた人間だけだ。
だから、これは私の仕事なのだと思う。うまい下手ではなく、いた者の仕事だ。
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書いていると、時々、順番が分からなくなる。
あれは母が死ぬ前だったか、あとだったか。宗太が施設を移ったのは、あの子が転校する前だったか。日付を書いた紙を並べて、確かめながら書くことも多い。
十何年しかたっていないのに、もう、こうなる。
最後に、みっともないことを書いておく。
私は、これまで何度も、誰も読まなくていい、と書いてきた。読まれるために書いているのではない、と。
それは、うそだ。
正直に言えば、読んでほしい。大勢でなくていい。一億人はいらない。たった一人でいい。この世に、私のほかにもう一人だけ、あの一家がたしかにいたことを知っている人がいてくれたら、それでいい。
ぎおんが私に言ったことと、たぶん、同じことだ。あの人も、みんなに覚えていてほしいとは言わなかった。あなただけは、と言った。
私は四十年かかって、やっとその意味が分かった。




