第九十六章 徳子、ペンを執る
寛さんの名前を書き、ぎおんのことを書き、舜のことまで書いてはいたけれど、そのどれもが、まだばらばらの紙きれでしかなかった。名前と、その下に三行。思い出したことを、順番も気にせずに書きつけたもの。それを、私は引き出しにためていただけだった。一つのものとして、はじめから終わりまで書こうと思ったことは、その頃まで一度もなかった。
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その日は、冬の平日の昼下がりだった。私は、休みの日にいつもそうするように、古い喫茶店のいちばん奥の席に座っていた。コーヒーを一杯だけ頼んで、窓の外を流れていく人をぼんやり眺める。それだけの時間が、その頃の私にはいちばん楽だった。
誰も、私のことなど気に留めない。昔は逆だった。どこへ行っても視線が追ってきて、あの一家の娘だと、ひそひそ指をさされた。今はそれがない。私はただのくたびれた中年の女で、どこにでもいる名もない一人だった。その名もなさこそ、私が長いあいだ、いちばん欲しかったものだ。
その店の棚の上に、古いテレビが置いてあった。音は消してあって、昼のワイドショーが映っていた。若い司会者と、私の知らないタレントたちが、声も聞こえないまま、口を大きく開けて笑っていた。私はなんとなく、その画面を見ていた。
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そして、ふいに、それは流れた。懐かしのスターたち、とでもいうような特集だったのだと思う。色あせた古い映像から、少しずつ新しいものへと移り変わっていく。その途中に、ほんの数秒だけ、あの一家が映った。
父がいた。兄がいた。まだ若かった頃のみんなが、カメラに向かって、まぶしいくらいの笑顔で手を振っていた。父はあの頃まだ四十を過ぎたばかりで、髪も黒々として、目に力があった。その隣で兄が、少しはにかむように笑っていた。
ああ、と声がもれそうになった。二人とも、こんなに若かったのか。こんなに生き生きとしていたのか。私は、その顔をもう長いあいだ忘れていた。忘れていたつもりで、ほんの数秒見ただけで、胸の奥がぎゅっと締めつけられた。私はあわてて窓の外に目をそらした。こんな所で泣くわけにはいかなかった。
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落ち着いてから、私は店のなかを見まわした。私のほかに、客は四人か五人いた。窓ぎわの若い二人は、それぞれの画面をのぞきこんでいる。奥の年配の男の人は新聞を読んでいた。カウンターの向こうでは、店の人がグラスをふいていた。
誰も、テレビを見ていなかった。見ていた人がいたとしても、あの数秒が誰なのかは、たぶん分からない。分かったとしても、ああ昔の人だ、と思って、それきり忘れる。この店のなかで、あの数秒に何が映っていたのかを知っているのは、私だけだった。
その日、私が思ったのは、悲しい、ということではなかった。これは、なくなる、と思ったのだ。
私が今この店で見たものは、私が死ねば、この世から消える。あの数秒は、そのあとも残るだろう。誰かの持っている古い映像として、どこかに置かれつづける。でも、あれが誰で、どんな声で、その日どんな気持ちで手を振っていたのかは、もう誰も知らない。ただの、色あせた昔の映像になる。
寛さんのときと、同じだった。あの人の名前を彫った石は、どこにもなかった。名前がないというのは、なかったことになる、ということだ。そして、この一家には、私しかいなかった。
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私は、コーヒーを飲み残したまま店を出た。歩いて帰るには遠かったのに、その日は電車に乗らずに歩いた。二時間近くかかったと思う。歩きながら、どこから書けばいいのかを、ずっと考えていた。
父の生まれた町からか。兄が死んだ日からか。それとも、あの朝からか。
歩いているうちに、ずっと昔の声を思い出した。あなただけは覚えてて。みんながわたしを忘れても、あなただけは、ぎおんっていう人がいたことを。あの人が私に言ったのは、私がまだ子どもの頃だ。それから四十年以上、私はその言葉を、何をするでもなく抱えてきた。
たぶん、あれは頼みごとだったのだ。私は、それを四十年、返事もせずに持っていた。
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途中、あの子の墓へ行く道の前を通った。曲がれば、四十分ほどで着く。
その日は、曲がらなかった。行けば、また泣くだけだと分かっていたし、その日は、泣くよりも先にしたいことがあった。
家に着いて、私は押し入れを開けた。段ボールの箱を出して、蓋を取った。手紙の束の上に、あのノートが入っていた。何年も前、あの朝のすぐあとに、日付だけを書いて、そこで止まってしまったノートだ。その横に、水上さんが持ってきてくれたテープの袋が、そのまま置いてあった。
私は、ノートを取り出して、台所の机に置いた。日付の書いてあるページを開くと、その下は白いままだった。何年も、白いままだった。あのとき私は、書けば、あの朝がそのとおりに決まってしまう気がして、手が動かなかった。
でも、その日は、そうは思わなかった。書かなければ、あの朝もなかったことになる。あの子が生きていたことも、母の手つきも、宗太が左手で木を削っていたことも、敦の笑い方も、全部なかったことになる。決まってしまうことより、なかったことになるほうが、こわかった。
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どこから書くかは、歩いているあいだに決めていた。父の生まれた町からでも、兄の死んだ日からでもなかった。その日の、あの喫茶店から書くことにした。
いちばん光から遠かった人間が、いちばん長く、その光のことを覚えている。そういう場所から始めるのが、この記録にはいちばん正しいと思ったからだ。
私が最初に書いた一行は、こうだった。
──冬の平日の昼下がりだった。
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はじめの三日ほどは、書いては消した。
私の書く文が、あまりに下手だったからだ。思っていることは頭のなかにあるのに、字にすると、まるでちがうものになる。何度もやり直して、そのたびに、これは無理だ、と思った。
四日目に、私はうまく書こうとするのをやめた。見たままを、そのまま書くことにした。あの人が何を着ていたか。どんな声だったか。手をどう動かしたか。それだけを、順番に書く。
それからは、少し楽になった。
書きはじめてから、すぐに分かったことがある。順番に書こうとすると、必ず、書けない場所にぶつかるということだ。
父のことは、書けた。腹の立つことも、ずるいことも、思い出すそばから字になった。兄のことも書けた。宗太のことは、はじめは書けなかったけれど、施設の机にあった削りかけの木のことを書いたら、そこから先が動いた。母のことは、手つきから書けばよかった。着替えを出す手、背中をふく手、米をとぐ手。あの人は、言葉より先に、手のほうを覚えている人だった。
あの子だけが、どうしても書けなかった。
だから私は、あの子のところを空けて書くことにした。
順番に書いていって、あの子の生まれた日のところまで来たら、そこを飛ばして次へ行く。まるで、道の途中に穴があいていて、そこだけ板を渡して通り過ぎるようだった。
いつかは、書く。そう決めてはいた。でも、その日はまだ来ていなかった。
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書いてしまえば、あとは、あんがい手が動いた。その晩、私は一時間ほど書いた。次の晩も書いた。その次の晩も書いた。うまい文章ではない。長く書けば疲れるし、同じことを二度書いてしまうこともある。指も、昔ほど動かない。それでも、毎晩少しずつ進んだ。
夫は、何も聞かなかった。ただ、私が台所の机にいる晩は、先に寝るようになった。ある夜、寝る前に、電気は消さないでおくよ、とだけ言って、そのまま部屋へ入っていった。
その日から、私は、この記録を書いている。




