第百章 一億人の不在
父が最後に聞いたのは、数だった。
おれの番組を、まだ覚えてる奴はいるか。そう言って、少し間を置いて、何人くらいだ、と聞いた。四十年、視聴率と動員と売り上げで世界を測ってきた人が、死ぬ間際にも同じ聞き方をした。私は、その枕もとで、一億人、と答えた。
あれは、うそだった。父を安心させるために、いちばん大きな数を言っただけだ。父は、そんなに、おるか、と言って、それから、みんなが、な、とつぶやいた。それが、私の聞いた最後の言葉になった。
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書きはじめてから、私は、その数のことを何度も考えるようになった。
うそをついた負い目もあった。でも、それだけではない。この記録を書いていると、どうしても、誰のために書いているのかという問いが出てくる。誰も読まないと分かっていて書くのは、平気だ。けれど、この世に一人も覚えている人がいないのなら、私が書いていることは、何になるのだろう。
だから、あるとき、私は数えてみることにした。
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紙を一枚出して、上から名前を書いていった。
水上さん。あの団地の男の人。税理士の先生。父の葬儀に来てくださった看護師さん。あられの会社の、あの年配の人。海の近くの町の、隣のおかみさん。あの子の担任だった先生。熊野。ぎおん。あの青い画面を五十年守っている人。鎌。夫。そして、私。
十三人だった。
書き出してみて、すぐに分かったことがある。この十三人のうち、何人かは、もう死んでいる。
団地のあの人は、亡くなった。舜も死んだ。名前を書きかけて、消した。税理士の先生も、事務所をたたんでから何年もたつ。最後にいただいた手紙の日付を見ると、あれからもう十年近い。生きておられるかどうかも、私は知らない。
看護師さんの名前は、そもそも思い出せなかった。あられの会社の人も、名前を聞いていない。熊野が生きているのかどうかも分からない。巴という人にいたっては、名前が本当にそう書くのかさえ、私は知らない。
残った人の年を数えてみると、ほとんどが七十を過ぎていた。
一度、あられの会社に電話をかけてみた。
十何年ぶりだった。番号は、古い書類に残っていた。何を話すつもりだったのかは、自分でもよく分からない。ただ、あのとき、うちのばあさんが好きなもんで、と言って笑ったあの人が、まだそこにいるかどうかを知りたかった。
呼び出し音は鳴らなかった。この番号は現在使われておりません、という声が流れた。
私は、受話器を置いて、紙のその行に線を引いた。
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鎌の名前を書いたとき、私は、少し手が止まった。
この人を、覚えている人の数に入れていいのかどうか、迷ったのだ。あの人は、うちのことをよく知っている。父がどんな仕事をしたかも、うちがどう崩れたかも、たぶん、私より正確に把握している。
でも、あの人が覚えているのは、仕事としての栄家だ。父がいちばんうまいと思った飯のことは、知らない。
それでも、私は消さなかった。父の死んだとき、たった一人、栄一鶴という人がいたから私はこの仕事を始めました、と書いたのは、あの人だった。あれを書ける人が、覚えていないはずがない。
そこで私は、もう一つ、面倒なことに気がついた。
覚えている、というのは、どういうことなのだろう。
栄一鶴という名前を知っている人なら、今でも、そこそこいるはずだ。六十を過ぎた人なら、昔そういう人がいたな、と思い出す。あの騒ぎを覚えている人も、まだ少しはいるだろう。それも、覚えているうちに入るのだろうか。
私は、紙を二つに分けた。片方に、名前を知っている人。もう片方に、その人がどんな人だったかを知っている人。
片方は、そこそこの数になった。もう片方は、ほとんど埋まらなかった。
父が、いちばんうまいと思った飯が、金も取らずに盛られた飯だったこと。母が、みその量をはからなかったこと。宗太が、木を削るときだけ左手で持ったこと。敦が、笑う前に息を吸ったこと。あの子が、誰にも聞かせずに鼻歌をうたっていたこと。
そういうことを知っている人は、私しかいなかった。
夫は、あの子のことなら知っている。でも、父の若い頃のことは知らない。ぎおんは、父のことは知っているだろうけれど、あの子のことは知らない。全部を続けて知っているのは、私一人だった。
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そこから、私は、どうしても先のことを考えてしまった。
十年たてば、この十三人は、何人になるだろう。七十を過ぎた人が多い。私自身も、その頃には六十を大きく過ぎている。
二十年たてば、たぶん、一人か二人だ。三十年たてば、誰もいない。
そのとき、この一家がこの世にいたということは、どこに残っているのだろう。熊野の一覧も、そのころには消えている。私の写した四冊も、たぶん捨てられている。
そう考えて、私は、そこで考えるのをやめた。考えつづけると、書く手が止まるからだ。
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一億人という数のことを、私は、そのときあらためて考えた。
あれは、たしかにあった数だ。父がいちばん輝いていた頃、この国の茶の間には、たしかにあの一家がいた。数字の上でも、うちの番組を同じ時間に見ていた人は、それに近い数になったことがある。父は、それを毎週、紙で受け取っていた。
あれは、見ていた人の数だ。
では、あれは愛ではなかったのか。私は、そうは書かない。
あの人たちは、本当に、うちを好きだった。それは、あとになって分かった。町のおばあさんが、あの子の歌はよかったです、とだけ書いてよこした手紙。うちのばあさんが好きなもんで、と言って契約を続けてくれた人。父の番組が好きでした、と言って頭を下げて帰った、若い銀行の人。
あれは、まちがいなく愛だった。作りものではなかった。
ただ、愛は、覚えていることとはちがう。
人は、心から誰かを好きになって、そして、忘れる。忘れたことを、その人は悪いとも思わない。思う必要もない。ほかに好きになるものが、次から次へ来るからだ。愛したことと、覚えていることは、まるで別のはたらきなのだと、私はこの十何年で知った。
一億人は、たしかにうちを愛していた。そして、たしかに忘れた。その二つは、どちらも本当のことだ。
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そう考えたとき、私は、この記録に題をつけようと思った。
題を書くとき、私は、少し迷った。
一族の記録、とでもしておけば、それで済む話だった。誰も読まないものに、そんな題をつけるのは、身のほど知らずのような気もした。
それでも、この一行にしたのは、これが、あの人たちの一生でいちばん大きかったことだからだ。父も、兄も、宗太も、あの子も、みんな、その一億人のほうを向いて生きた。向いたまま、焼かれた。
だから、題は、その数から始めるのが正しいと思った。
それまで、私はノートの表紙に何も書いていなかった。書くほどのものではないと思っていたし、題をつけると、大げさなものになる気がしていた。
でも、その日は、一冊目を出してきて、表紙を開いた。いちばん上に、一行だけ、空けてある。私は、そこに書いた。
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──一億人が、あの一家を愛していた。
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書いてから、しばらく見ていた。
過去形にしたのは、わざとだ。愛していた、と書けば、今はもうそうではない、という意味になる。それでいいと思った。うそを書くつもりはなかったし、あの人たちを責めるつもりもなかった。
あれは、本当にあったことで、そして、終わったことだ。
ただ、その一行を見ているうちに、私は、妙な気持ちになった。
その下に、もう一行、書きたいことがある気がしたのだ。何を書きたいのかは、自分でも分からなかった。ただ、この一行だけでは、まだ終わっていない、という感じがあった。
私は、しばらく待ってみて、それでも出てこなかったので、ペンを置いた。
その行は、今も空けてある。




