第九十四章 舜の最期
舜が死んだのは、私がぎおんのことを書きはじめた年の冬だった。
知らせは、朝の番組で流れた。私は台所で聞いた。皿を洗っている途中だった。その名前が出たとき、私は手を止めた。それから蛇口を閉めて、テレビの前へ行った。
北のほうの町だった。海に近い、古い借家だ。あの人が東京を出てから、何度目かに移った先だという。見つけたのは、そばにいた男の人だった。長いあいだマネージャーをしていた、あの人だ。
病気だった。しばらく前から悪かったらしい。病院には行っていなかった。行けば、そこで名前を出さなければならないからだ。保険証を出せば、受付の人が見る。診察の記録が残る。それがどこかへ流れないとは言いきれない。
だから、あの人は行かなかった。
私は、それを聞いて椅子に座りこんだ。
うちも、そうだった。あの二年、私たちは病院に行くのをためらった。学校にも言えなかった。役所の窓口でさえ、名字を言うのに息を吸った。
名前を出せない、というのは、そういうことだ。体が悪くなっても隠す。隠しているうちに、手遅れになる。
*
誰も、あの人を殺していない。そう言うだろう。実際、そのとおりだ。病気で死んだのだ。
でも、あの人が、ふつうに病院へ行けていたら。
そこから先の何日かを、私は忘れられない。
世の中が、いっせいに優しくなった。
追悼の言葉が並んだ。才能のある人だった、と書かれた。あの時代を作った人だった、とも書かれた。昔の映像が流れた。若い頃の、まぶしい舜だ。歌っている場面。笑っている場面。しんみりした音楽がついていた。
亡くなる前の何年かのことは、ほとんど触れられなかった。触れるときも、こう言われた。晩年は、心ない中傷に苦しみ、と。
心ない中傷。その言葉を、私は何度も聞いた。誰がしたのか、とは誰も言わなかった。
追悼の言葉を書いていたのは、たぶん、三年前にあの人の居場所を書いていた人たちと同じ人たちだ。全員がそうだとは言わない。ちがう人も大勢いただろう。でも、いくらかは同じ人だ。
それは、まちがいない。
*
その人たちは、うそをついているのではない。三年前は、本当に面白かったのだ。そして今は、本当に悲しいのだ。そのあいだに、何も矛盾がない。そこが、いちばんこわいところだった。
私が、いちばん苦しかったのは、そこではない。私は、あの何日かのあいだ、ずっとこう思っていた。なぜ、この人には、これが来たのか。
父が死んだとき、こんなものは一つもなかった。
短い記事が出て、晩年は一族の相次ぐ不幸に見舞われ、と書かれて、二日で消えた。母のときも、宗太のときも、何もなかった。
あの子のときは、たしかに大きく扱われた。でも、あれは追悼ではない。
あれは事件だった。敦にいたっては、名前すら、ほとんど出なかった。
なぜ、舜には悲しむ人がついたのか。考えて、私は答えらしいものにたどりついた。
一つは、あの人が才能のある人だったからだ。
歌も芝居も飛び抜けていた。あの人が出ているだけで、画面が変わった。それは、認めるしかない。失われた才能は、悲しみやすい。
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もう一つは、あの人が一人だったからだ。家族がいない。守るべき子どももいない。だから、悲しむのに後ろめたさがいらない。
うちには、父がいた。はっきりした悪役がいた。だから、うちを悲しむには、まず父をどうするかを決めなければならなかった。
そんな面倒なことを、誰もしない。
悲しみやすい死と、悲しみにくい死がある。私は、そのことを、そのとき、はっきり知った。
葬儀のことも、少しだけ伝えられた。身内だけの、ごく小さなものだったという。
その席に、業界の人はほとんど来なかったらしい。かわりに、ずいぶん多くの花が届いた。送り主の名前は出なかった。会社の名前だけが、いくつも並んでいたそうだ。
そのなかに、鎌の名前もあったと聞いた。
私は、それを聞いてしばらく考えた。あの人はたぶん、心から惜しんでいる。それは、うそではないと思う。若い頃、いっしょに時代を作った相手だ。あの人にとっても、たった一人の同志だったはずだ。
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そして、あの人はその同志を静かに沈めた。その二つが、あの人のなかでは、たぶん両立している。
父も、そうだった。ぎおんを実の娘のようにかわいがって、そして捨てた。宗太を怒鳴りつけて、そして、鎌に頭を下げたことを一言も責めなかった。
私は長いこと、父を冷たい人だと思ってきた。でも、たぶん、そうではない。
まん中にいる人は、冷たいのではない。情と、切ることが、同じ人のなかに並んで入っているだけだ。だから、こわいのだ。
そして、もう一つ、起きたことがある。
そばにいた、あのマネージャーの人が叩かれた。
なぜ、病院に連れていかなかったのか。そばにいたのに、なぜ気づかなかったのか。止められたはずだ。
あなたが殺したようなものだ。
その人は、仕事も家族も置いて三年、あの人といっしょに逃げた人だ。
私は、その書きこみを読んで、しばらく息ができなかった。
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同じことを、私は前に見ている。母だ。あの朝、母は最後まであの子の手を離さなかった。それでも、あのあと、こう書いた人がいた。なぜ子どもを外に連れ出したのか、と。
いちばん最後までそばにいた人が、いちばん責められる。
そばにいなかった人は、責められない。そこにいなかったからだ。
私は、そのとき、はじめてペンを持って、あの人のことを書いた。舜のことだ。うちを潰した人だ。私が長いあいだ憎んでいた人だ。
その人のことを、私はノートに書いた。あの人が何をしたか。何をされたか。どう死んだか。そして、亡くなったあとに、世の中がどう変わったか。
ゆるしたわけではない。私は、あの人のことを今でも好きではない。
あの人がどなったスタッフのことも忘れていない。
それでも、書いた。書かなければ、こうなるからだ。三年前に面白がられたことは、なかったことになる。追悼だけが残る。そして、この国は、また同じことをする。
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私は、そのページの最後にこう書いた。この人は、病院に行けずに死んだ。それだけは、忘れないでおこうと思った。




