第068話 返らない皿
> 【鑑定 第六十八号】
> 押印累計 ── 三百二十五。
> 依頼者 ── 井桁ハツ。
> 物件 ── 皿、百二十。
> 所見 ── 当該皿 ── 重ね跡、ございません。
> 使用の痕跡 ── 検出できません。
> ……判定を、開始します。
── 七月に入って、井桁ハツが貸し皿の箱を開けた。
商店街の寄合には貸し皿がある。祭りのとき、寄合のとき、葬式のときに出す皿になる。百二十枚あって、ハツが預かり、蔵の棚に積んである。
皿は重ねて仕舞う。重ねると、上の皿の高台が下の皿の見込みを擦る。擦った跡が、細い輪になって残る。輪の径は、高台の径と同じになる。
輪は、使うほど濃くなる。何年出し入れしたかが、濃さで分かる。出す回数が多い皿ほど濃い。
ハツの手元の皿は、輪が濃い。四十年分出し入れしてきた濃さになる。濃いところに、細かい傷も混じっている。
その朝の箱には、白い皿が積んであった。数は合っている。並びも同じになる。
輪が無い。一枚も無い。積んであるのに、擦れていない。
「重ねてないんだよ、これ」
「重ねてありますよ」と紬が言った。
「重ねてあるけど、重ねてきてない」
紬は一枚取って、見込みを光へ向けた。斜めから当てると、輪は出やすくなる。
滑らかだった。焼き上がったばかりの面に近い。四十年、一度も擦られていない面になる。使っていない皿は、こういう顔をする。
「縫うのも同じです」と紬が言った。
「同じかい」
「使った糸は、通した穴のところが潰れます。潰れない糸は、通してない糸です」
玲が数えた。百二十枚ある。数は合っている。二度数えて、二度とも合った。
一枚ずつ見ていって、六十一枚目で手が止まった。止まったのは、光の返り方が違ったためになる。
「これだけ違います」
「どう違う」
「継いであります」
金の線が一本、縁から見込みへ走っている。途中で二股に分かれて、また合わさる。
去年の秋、キンが継いだ皿になる。寄合で誰かが落として、二つに割れた。捨てるという話になったところへキンが来て、そのまま継いだ。
継いだあと、誰も礼を言わなかった。言い忘れたのではなく、誰が継いだのか分からなかったためになる。翌朝には、皿は箱へ戻っていた。
その皿にも、輪が無い。継ぎ目の段は、ある。無いものと、あるものが、一枚の上に載っている。
玲は指でなぞって、確かめた。なぞる速さが、いつもより遅い。
「段があります」
「本物か」
「継ぎ目だけ本物です。皿は違います」
燈は皿を受け取って、光へ透かした。透かすと、線が黒く見える。
継ぎ目の線は本物になる。線の下にある皿は、四十年使われていない皿になる。
「気持ち悪ぃな」
「気持ち悪いです」
ハツは箱の前に座って、六十一枚目を膝へ置いた。膝の上で、皿の向きを一度直した。
「これ、誰が継いだんだったかね」
「金の兄ちゃんです」と紬が言った。
「そうかい」
ハツはそれ以上訊かない。訊かずに、皿の縁を撫でた。撫でる指が、継ぎ目のところで一度引っ掛かる。
「引っ掛かるね」
「引っ掛かります」
「引っ掛かるのは、いいことだね」
紬は返事をしなかった。返事の代わりに、皿を受け取って箱へ戻す。戻す向きを、元と同じにした。
*
その日、贋作体が出た。出たのは一度きりになる。
昼前に、井桁畳店の裏に出た。皿の形をしている。丸い。薄い。立っているのに、正面が見えない。向きを変えても、こちらを向かない。
燈が印を胸へ押す。四人が押した。キンが六人目になる。
> 銘 ── 確認。〈火村燈〉。
> 銘 ── 確認。〈陶山蒼〉。
> 銘 ── 確認。〈綾織紬〉。
> 銘 ── 確認。〈楠木巌〉。
> 銘 ── 確認。〈硝子井玲〉。
六つの印が、一枚の紙に並んだ。三度目になる。
> 銘量 ── 火村燈 四百九十七。陶山蒼 五百三十八。綾織紬 三百八十六。
> 楠木巌 五百五十一。硝子井玲 四百八十。
> 六つ、減っております。
燈は数を聞いた。聞いて、鎚を握り直す。四百九十七という数が、耳に残った。
燈が打った。当たる。手応えが薄い。
当たったところに、皿が一枚増えた。増えた分だけ、面が厚くなる。
玲が線を引いた。引いた高さが、燈の打った高さと近い。近いだけで、同じではない。
そこにも一枚増えた。二枚が重なって、厚くなる。厚いところは、次の一撃を通さない。
「厚くなります」と蒼が言った。
「打つと増えんのか」
「増えます。同じ高さへ入れると、重なります」
「重ねなきゃいいのか」
「重ねなければ、厚くなりません」
巌が耳の鉛筆を抜いた。抜いて、地面に線を引く。膝を突かずに引いた。
六本引いた。高さが六つとも違う。等分ではない。
「これだ」
「どれがどれだ」
「上から、俺、燈、蒼、紬、玲、金の順だ」
巌は背丈で決めた。届く高さが、六人とも違う。決めるのに、三つ数えるほども掛からない。四十年、人の背丈に合わせて造作を決めてきた男になる。
「同じとこ入れんなよ」
「入れねぇ」
六人が入った。入る順は、上から下へ決めてある。
巌が上から入れる。燈が次に入った。蒼が中ほど、紬がその下、玲が膝の高さ、キンが足元へ入れた。
六箇所とも高さが違う。どこにも二枚目が重ならない。重ならないので、面が薄いままになる。
贋作体は厚くなれなかった。厚くならないので、刃も鎚も通る。
一巡目が終わって、贋作体の面に六つの跡が付いた。上から下まで、間が空いている。
跡は消えない。増えもしない。重ならない限り、そこは薄いままになる。薄いところは、次も通る。
「これでいいのか」と燈が訊いた。
「いいです」と蒼が言った。
「増えてねぇぞ」
「増やさないのが、今日の勝ち方です」
二巡目に入るとき、燈が一度、巌の高さへ入りかけた。
「そこは俺だ」
「悪ぃ」
燈は打つのをやめて、下がって、自分の高さへ入り直した。打ち急ぐ者が、途中で止めて入り直したことになる。
三巡目で、贋作体の面が薄くなった。光が透けるほど薄い。
「玲さん」と蒼が言った。
「はい」
被せ硝子というものがある。透明な硝子に、色硝子を薄く着せたものになる。切子は、その色を削り落として文様を作る。
着せる厚みは、髪の毛ほどしかない。厚く着せると、削ったときに縁が汚くなる。薄く着せると、削りすぎて透明が出すぎる。
どこまで削るかを決めるのは、削る者になる。戻せないので、決めたところで終わりになる。
削ると、着せた色が落ちて、下の透明が出る。
落とした色は戻らない。着せ直すには、もう一度焼くところからやり直すことになる。
「硝子井玲、行きます」
玲は輪を構えた。息を吸って、止めた。
「透かし刃、被せ落としッ!」
薄くなった面を、一枚分だけ削いだ。削ぐ音がしない。
削いだ下から、別の色が出た。出た色は薄く、ほとんど無色に近い。
贋作体は、削がれた一枚を戻そうとした。戻す先が無い。着せ直すには焼き直しが要る。焼き直せる窯は、この通りに無い。
崩れる音がした。石が石に当たる音になる。割れた面が、光を返さなかった。
*
「── 量産」
通りの向こうから低い声がした。
地面が持ち上がって、同じ形のものが並んで生えた。
> 連結を確認。
「火入れッ!」
> 真、通りました。
「組み継ぎ、合体!」
継手が噛んだ。木を組む時と同じ音が、四十メートルの高さで鳴る。
噛んでから、巌が右の肘の継手を抜いて、入れ直した。
> 楠木巌さん、掛け直しを確認。三、減っております。
> 銘量 ── 五百五十一であります。
ハツが蔵の前へ出て、上を見た。皿を一枚持ったままになっている。持っているのが六十一枚目かどうかは、あとで分かる。
見えるのは腰から下だけになる。蔵の屋根が上を切っていて、その向こうは白い。
「刻印!」
右の拳が前へ出た。左の掌が、その甲を上から押す。
「銘刻斬ッ!」
声が六つ揃った。揃うのが、三度目になる。
拳が並びの真ん中へ入った。入ったところで止まって、そこに朱が走る。線が字の形になっていって、銘が刻まれた。
崩れた。落ちた欠片が地面に当たって、そこで砂になる。
*
皿が返った。返るのに、いつもより時間が掛かった。
輪の跡が戻る。四十年分の濃さが、一枚ずつ戻ってくる。細かい傷も一緒に戻っている。
ハツは棚へ積み直した。積みながら数える。声には出さず、口だけが動いた。
「百十九」
数え直した。百十九だった。
三度目も百十九になる。四度目は数えなかった。
「一枚足りん」
「足りませんか」と紬が言った。
「六十一枚目だ」
六十一枚目は、継いだ皿になる。金の線が二股に分かれていた一枚になる。
棚の上に、一枚分の隙間が空いていた。埃が積もるほどの時間は、まだ経っていない。
「識」と燈が言った。
> はい。
「一枚返ってねぇ」
> 返却 ── 出来ません。
「壊れたのか」
> 壊れておりません。
「じゃあ何処にある」
> 判定が、出ておりません。
燈は棚の隙間を見た。指の幅ほどの隙間になる。
「どういうことだ」
> 当該一枚は、割れた状態と、継いだ状態の、二つがございます。
「継いだのが今の姿だろ」
> 割れたのも、当該一枚であります。
「どっちが本物だ」
> 決められません。
「どっちも本物だろ」
> そう書ける欄が、ございません。
燈は言い返さなかった。言い返す先が、この場に無い。
この一年と少し、倒せば返ってきた。一度も外れていない。返ってきた物は、たいてい前より下手だった。下手でも返ってきた。
外れたのが、継いだ一枚になる。継いだのは、六人の側になる。
燈は棚の隙間へ手を入れた。入れて、何も掴まずに出す。出した手を、前掛けで拭いた。
「返らねぇのか」
> 返却の見込みについて、本機は申し上げられません。
「見込みが無ぇってことか」
> 見込みの有無も、申し上げられません。
「知らねぇのか」
> 知りません。判定が出ておりませんので、記録もございません。
識が知らないと言うのは、この一年で数えるほどしかない。数えているのは玲になる。
ハツは棚の前に立っている。立ったまま、隙間を見ていた。
「返ってきますか」と紬が訊いた。
「分からんね」
「待つんですか」
「空けとくだけだよ」
ハツは百十九枚を積み直して、一枚分の隙間をそのままにした。積み直すとき、六十枚目と六十二枚目の間を、指の幅ぶん空けている。
その隙間は、三日空いたままになる。三日のうちに、埃は積もらなかった。
一日目、寄合の使いが来て、皿を借りていく。ハツは百十九枚だと言った。使いは何も訊かずに帰っている。
二日目、桑名が蔵を覗いて「一枚割ったのかい」と訊いた。ハツは「割ってない」と答える。
「そうかい」と言って、桑名は帰った。割っていないなら、そこにあるはずになる。そこまでは考えなかった。
三日目に、ハツは隙間の上へ布を掛けた。埋めはしなかった。
布を掛けたのは、埃が入るためになる。ハツはそう言った。誰も、それ以上は訊かなかった。
キンが聞いたのは、その日の夕方になる。伝えたのは紬になる。
土間の框の内側に座って、話を最後まで聞いた。聞いてから、少し黙った。
「わたくしが継いだ皿でございますか」
「そうだ」
「六十一枚目でございますね」
「数えてたのか」
「継いだ物は、覚えております」
キンは指を折らずに数を出した。第六十一枚目、去年の秋、寄合の帰りに割れたもの、二つに割れて、割れ口が斜め。全部言った。
「継がなければ、返っておりました」
燈は湯呑みを置いた。置く音が、思ったより大きく鳴った。
「そうだな」
キンは何も言わなかった。座り方も変えない。
言わないので、燈がもう一度言った。二度目のほうが短くなった。
「そうだな、って言っただけだ」
それも慰めではない。慰めの言葉を、燈は持っていない。持っていないので、余計なことを足さずに済んだ。
蒼が横で口を開きかけて、閉じた。この日も閉じた。
閉じたのは、言いかけたことが慰めだったためになる。慰めは、この場では嘘に近くなる。
継がなければ返っていた。それは本当のことになる。本当を言った相手へ、そうでないものを返すわけにはいかない。
蒼は湯を替えに立った。替えたのは、立つ理由が要ったためになる。替えた湯を、キンは飲まなかった。
*
夜、六人が火村鍛冶の土間にいた。戸を開けてある。七月の夜は、開けないと暑い。
玲が氷を食べていた。削った氷に蜜を掛けたもので、桑名がくれた分になる。
「三杯目です」
「三杯目です」と玲が言った。
「頭が痛くなりますよ」
「なりました」
「やめてください」
「やめると、治りません」
蒼は理屈を確かめようとして、やめた。玲は四杯目を取りに立つ。立つときに、こめかみを押さえていた。
紬が皿を布で拭いていた。ハツから預かった分になる。拭いてから、重ねて仕舞う。重ねるときは、一枚ずつ紙を挟む。
紙を挟むと、輪が付かない。付かないほうがいいと思う者もいるし、付いたほうがいいと思う者もいる。
ハツは挟まない。四十年、挟まずに重ねてきた。だから輪が濃い。
紬は挟む。紬の家では、母がそうしていた。
「要ると言ったの 誰だっけ」
紬が口の中で低く唄った。一行で止めた。一行目は出さない。
誰も続きを訊かなかった。訊けば二行目が出る。
「識」と燈が言った。
> はい。
「五百切ったな」
> 四百九十七であります。
「教えるんじゃなかったのか」
> 半分は、四百四十であります。
「まだか」
> まだであります。
燈は指を折った。折って、途中でやめる。四百九十七から四百四十まで、いくつ引けばいいかを数えていた。
やめたのは、割り算が面倒だったためではない。数えると、答えが出てしまうためになる。
答えが出ると、そこから逆算が始まる。あと何回出られるか、何回で終わるか。玲はもう出している。出したうえで、言わないでいた。
言わないでいたのが、この日で終わった。
玲が横で言った。器を持ったままになっている。
「九回です」
「数えたのか」
「数えました」
「言うなよ」
「言いました」
「もう遅ぇな」
「遅いです」
玲は器を置いた。置いてから、両手を膝へ揃えた。
「私は数える人です」
「知ってる」
「数えたものは、言います」
「全部か」
「全部です。言わないと、数えた意味がありません」
燈は返事をしなかった。返事の代わりに、玲の器へ氷を足してやった。四杯目になる。
玲は受け取って、蜜を掛けずに食べた。掛ける気が失せたのではなく、掛け忘れただけになる。
誰も、それを指摘しない。指摘する場面ではなかった。
玲は氷を食べ終えて、器を伏せた。伏せると音がする。鳴らして伏せるのは、硝子井のやり方になる。
*
土間の隅に、紙の包みが置いてある。前の日に玲が割った茶碗で、破片が二つ入っている。両方揃っている。
キンがそれを見た。見てから、燈を見る。訊く前に、もう手が動きかけていた。
「継ぎましょうか」
燈は少し考えた。考える時間が、思ったより長くなった。
「継げよ」
「よろしいのでございますか」
「返らなくなるぞ」
キンは包みを開けた。破片を二つ、掌に載せる。割れ口を合わせて、少し見た。
「はい」
「それでも継ぐか」
「継ぎます」
キンは掌を合わせた。合わせた場所から、金の線が一本走る。走る速さが、去年より遅い。
走り終わると、茶碗が一つになっていた。継ぎ目に段がある。指でなぞると引っ掛かる。引っ掛かるのは、いいことになる。
キンは掌を見た。金の色が、少し薄くなっている。前の日より薄いかどうかは、キンにも言えない。
誰も測らなかった。玲も測らなかった。
燈は茶碗を受け取って、棚へ置いた。置いた場所が、湯呑みの並びの端になる。手前でも奥でもない。
その茶碗は、割れたものではなくなった。継いだものになった。
次に何かが起きたとき、それが返ってくるかどうかは、誰にも分からない。
燈は棚の戸を閉めた。閉めてから、少しの間、戸に手を掛けたままにしていた。
棚の中には、湯呑みが五つと、継いだ茶碗が一つある。数えると六つあった。
六つ目が増えたのは、その日になる。
継げと言ったのは燈自身で、返らなくなると分かっていて言っている。
分かっていて言ったことを、燈は取り消さない。取り消し方も知らない。
外は暑い。七月の夜で、通りの石が昼の熱を持っている。誰かが打ち水をした跡が、まだ乾ききっていなかった。
蔵の棚では、一枚分の隙間が空いたままになっている。ハツが布を掛けるのは、二日先になる。
その隙間に何が入るかは、まだ決まっていない。決めるのは識ではないし、六人でもない。
今のところ、空いているだけになる。
> 【鑑定 第六十八号 追記】
> 押印累計 ── 三百二十五。
> 物件 ── 皿、百二十。
> 追記 ── 本日、押印五。変身六。搭乗六、刻印一。
> 所見 ── 当該皿 ── 重ね跡、ございません。
> 原物 ── 返却済み。百十九であります。
> 未返却 ── 一。継ぎのあるものであります。
> 当該一枚 ── 返却、出来ません。
> 当該不能の理由 ── 原物の定義が、定まりません。
> 贋作体一体、消失。透かし刃、被せ落としによる。止めたのは硝子井玲さんであります。
> 本隊の打撃 ── 十八。重複した高さ ── ございません。
> 高さの割り当て ── 楠木巌さんによるものであります。
> 依頼者の申し立て ── 空けとくだけだよ。
> 本日の継ぎ ── 一。茶碗、一。返却の可否 ── 判定いたしません。
> 本件、真贋判定 ── 〈贋〉。
> ただし、




