第067話 金の欠け方
> 【鑑定 第六十七号】
> 押印累計 ── 三百二十。
> 依頼者 ── 戸島。
> 物件 ── 継ぎ、八十九。
> 所見 ── 当該継ぎ ── 段が、ございません。
> 接合面 ── 面一であります。
> ……判定を、開始します。
── 翌朝、商店街の割れ物が、一つ残らず継がれていた。
戸島の湯呑みが継がれていた。三年前に落として、欠けたまま使っていたものになる。欠けた縁で唇を切らないように、そこを避けて飲む癖が付いていた。
継ぎ目は金だった。細い線が一本、縁から胴へ走っている。線の幅は、端から端まで同じになる。
戸島は指でなぞった。なぞってから、もう一度なぞる。二度とも、指が滑った。
「引っ掛からねぇんだよ」
「綺麗ですよね」と燈が言った。
「継いだら引っ掛かるもんだ」
金継ぎは、割れた面を漆で接いでから、上に金の粉を蒔く。漆にも厚みがあり、粉にも厚みがある。継いだところは、必ず元の面より高くなる。
高くなった分が、指に当たる。当たるから、そこが継ぎ目だと分かる。目をつぶっても分かる。
戸島の湯呑みは、平らだった。線は見えるのに、指は何も拾わない。
継ぎ目の線は見える。触ると、指が何も拾わない。
*
その日、街の割れ物が全部継がれていた。割れていない物には、何もされていない。触られた跡も無い。
桑名の欠けた籠の縁。島村の割れた下駄の台。井桁の鋏の欠けた刃。宮下の割れた活字受け。湯浅の割れた桶。どれも、割れたまま何年も使ってきた物になる。
玲が数えた。八十九になる。数えるのに半日掛かった。
どれも上手い。線が細く、揺れが無い。曲がるところで太さが変わらない。手で蒔いた金粉は、曲がりで必ず溜まる。
「揃ってます」と玲が言った。
「上手いんだろ」
「上手いです。八十九とも同じ手です」
「同じでいいだろ」
「八十九の割れ方は、八十九とも違います。同じ手で継げるはずがありません」
紬が籠の縁をなぞった。指の腹をゆっくり滑らせて、途中で止めた。
「段がありません」
「無いな」
「継いだ物には、段があります。継いだ分だけ、高くなります」
昼までに、街の全員が同じことを言った。ありがたい、と言う者が多い。
湯浅は桶を撫でて「これで水が漏らん」と言った。目が見えないので、指で確かめている。指で確かめても段が無いので、湯浅は継ぎ目の位置が分からなかった。
「何処が割れとったかね」
「柄の付け根です」と紬が言った。
「そうかい。分からんもんだね」
湯浅は柄の付け根を探して、探し当てられずにやめた。やめてから、桶を担いで帰った。
誰がやったかは分からない。分からないので、皆が同じ名前を出した。
「金の兄ちゃんだろ」と桑名が言った。
「ありがたいけどな」
「一言ぐらい言ってから継げばいいのに」
キンが土間へ来たのは、その昼になる。呼びに行った者はいない。
入ってきて、框の内側に座った。座る位置が、前の日と同じになる。誰も動かさなかった位置になる。
「継いだのか」と燈が訊いた。
「わたくしではございません」
キンはそれきり言わなかった。弁解をしない。言い直しもせず、座り方も変わらない。
燈は少し待った。待っても、続きが来ない。
この一年、キンは訊かれたことに全部答えてきた。答えられないときは、答えられないと答えた。言い訳をしたことは一度も無い。
言い訳を知らないのか、しないと決めているのかは、燈には分からない。
「証明できるか」
「出来ません」
「じゃあ困るだろ」
「困っております」
言い方が、困っている言い方ではなかった。事実を言っただけの言い方になる。
*
六人は市内を回った。キンも一緒に歩く。誘ったのは紬になる。
金の継ぎ目が十四箇所ある。去年の秋から、あちこちに走っているものになる。割れた石段、欠けた鉢、外れた戸の桟、割れた石灯籠の笠。どれも、直してくれと頼んだ者がいない。
これがキンの継いだものになる。誰も本人に確かめたことは無い。それでも六人は知っている。識だけが「記録が、ございません」と言い続けている。
玲が厚みを測った。
硝子屋は厚みを見る。切子の面を落とすとき、どこまで削ったかを目で決める。指で撫でて、光で確かめる。玲はそれを四年やっている。四年で、指のほうが目より速くなった。
一箇所目は、去年の秋の石段になる。神社の参道の、下から三段目になる。
「厚いです」
「厚いのか」
「一分の半分くらいあります。指で撫でて、はっきり分かります」
二箇所目は、去年の冬の鉢になる。神社の手水の脇に置いてあるものになる。
「少し薄いです」
三箇所目、四箇所目。玲は膝を折って、一つずつ撫でた。撫でるたびに、少し黙る。黙る時間が、箇所ごとに長くなった。
七箇所目で、玲は立ち上がらなかった。撫でた手を、そこへ置いたままにしている。
しゃがんだまま、燈を見上げた。見上げるのに、少し間があった。
「順です」
「順って何がだ」
「継いだ順に、薄くなっています」
燈は屈んだ。屈んで、七箇所目の継ぎ目を撫でる。撫でる速さが、玲より速い。
分からない。指に何かが当たる気はする。当たっているのが継ぎ目なのか、石の目なのかは、燈には切り分けられない。
「分かんねぇ」
「分かります。四年やると分かります」
玲は残りも測った。十四箇所とも測って、それから数を言った。
測るのに、日が傾くまで掛かる。六人とも付いて回った。キンも歩いている。歩くだけで、何も言わない。
「一箇所目が、いちばん厚いです。十四箇所目が、いちばん薄いです」
「間は」
「間の十二も、順に薄くなっています」
「例外は」
「ありません」
キンは十四箇所目のところに立っていた。
先月継いだ、戸の桟になる。木が割れて、外れかけていたものを継いだ。継いだ日、その家の者は留守だった。
「知ってたのか」と燈が訊いた。
「存じております」
「言わなかったろ」
「訊かれませんでした」
燈は桟へ手を伸ばした。伸ばして、途中で止める。触っても分からないことは、もう分かっている。
「見せなくていいです」と蒼が言った。
「見ていただかないと、分かりません」
キンは十四箇所を、一つずつ指した。順に指していく。一箇所目から十四箇所目まで、全部歩いて回った。回るのに、また日が傾いた。
薄いところを隠さない。玲に測らせて、数を全部言わせる。数のうちの幾つかは、聞いていて楽なものではなかった。
言わせている間、キンは俯かなかった。顔の向きが、一度も下がらない。
「継ぐと、減るのか」と燈が訊いた。
「減ります」
「戻んのか」
「戻りません」
「じゃあ継ぐな」
キンは少し黙った。黙ってから、袂の中で手を組んだ。
「継がないと、わたくしは何もございません」
言い方が、いつもと変わらなかった。困っている言い方でも、訴える言い方でもない。書式を読み上げるのに近い。
そのせいで、聞いた側が困った。困った顔をしていないので、慰めることも出来ない。
燈は返事をしなかった。返す言葉が、どれも短すぎた。
巌も、玲も、紬も何も言わない。蒼だけが一度、口を開きかけて閉じた。
閉じたのは、似ていることに気付いたためになる。誰にも言わなかった。言えば、自分たちの話になる。
*
贋作体が出たのは、夕方になる。
戸島の店の前に出た。細い。線のような形をしている。腕が長く、先が二股に分かれていて、鋏に似ている。
二股の間へ入れたものが、継がれる。挟むのではない。通すと、通した先が一つになる。
燈が印を胸へ押した。四人が押す。キンが六人目に押した。
> 銘 ── 確認。〈火村燈〉。
> 銘 ── 確認。〈陶山蒼〉。
> 銘 ── 確認。〈綾織紬〉。
> 銘 ── 確認。〈楠木巌〉。
> 銘 ── 確認。〈硝子井玲〉。
六つの印が、一枚の紙に並んだ。二度目になる。
> 銘量 ── 火村燈 五百三。陶山蒼 五百四十四。綾織紬 三百九十二。
> 楠木巌 五百六十。硝子井玲 四百八十六。
> 六つ、減っております。
玲が線を引いた。引いた線が、その場で継がれる。
巌が継ぎ目を作る。作った継ぎ目も継がれた。
燈が打った。割れた欠片が、落ちる前に繋がる。
「継ぎます」と蒼が言った。
「継ぐな、じゃなくてか」
「継がせないんです。継ぐ先を無くします」
蒼は箱を出した。桐の箱で、蓋に紐が掛かっている。
中に破片が入っている。焼き物の破片で、大きいのも小さいのもある。四年分になる。
蒼は割った器の破片を捨てない。窯出しで割れたもの、乾かして割れたもの、落として割ったもの。全部取ってある。
取ってあるが、揃ってはいない。片方だけの破片が多い。もう片方は掃いて捨てられたか、窯の底で焼けて無くなっている。
合わせる相手が、この世に無い破片になる。
蒼は四年、この箱を開けていない。開けると、割った日のことを思い出すためになる。日付は書いていないのに、どれがいつのものかは全部分かる。
蒼は蓋を開けて、傾けた。
破片が石畳へ落ちた。散る音が、小さく続いた。
贋作体が動いた。二股の腕が下りて、破片を拾う。拾い方が丁寧になる。
拾って、継ごうとした。二股の先を合わせて、そこで止まる。
継ぐ先が無い。合わせる相手が、この世に無い。窯の底で焼けたものは、もう戻らない。
もう一つ拾った。それも片方になる。次も、その次も片方だった。
二股の先が、破片を持ったまま止まった。持ったまま、次を探す。探して、見付からない。持った破片を置かないので、手が塞がっていく。
「今です」と蒼が言った。
巌が前へ出た。出る前に、腰の袋から端材を一本抜いた。
木には表と裏がある。木表と木裏になる。皮に近い側が木表で、芯に近い側が木裏になる。
乾くと、裏の側が起きる。裏どうしを合わせて留めると、乾いた分だけ、必ず開く。大工はそれを避けるために、表と裏を交互に組む。
開くのを止める方法は無い。押さえれば、押さえた場所が割れる。四十年やって、巌が一度も勝てなかった相手になる。
「楠木巌、行きます」
巌は刃を、二股の付け根へ入れた。入れ方が斜めになる。
「継手鋸、木裏ッ!」
入った刃が、面を二つに分けた。分けた面の向きが、両方とも同じになっている。合わせれば、必ず開く向きになる。
贋作体は、その面を継ごうとする。継ぐのが仕事になる。
継いだ。継いだところが、すぐ開く。
もう一度継いだ。また開く。開く速さが、継ぐ速さと同じになる。
継ぐ力が働くほど、開く力も働く。二つとも同じ強さになる。上手く継ぐほど、よく開く。
開いて、継いで、開いて、継いで、それを七度くり返したところで、付け根が裂けた。裂けたのは、継いだ側になる。
崩れる音がした。石が石に当たる音になる。散った破片は、そのまま石畳に残った。
*
「── 量産」
通りの向こうから低い声がした。
地面が持ち上がって、同じ形のものが並んで生えた。
> 連結を確認。
「火入れッ!」
> 真、通りました。
「組み継ぎ、合体!」
継手が噛んだ。木を組む時と同じ音が、四十メートルの高さで鳴る。
噛んでから、巌が左の肩の継手を抜いて、入れ直した。
> 楠木巌さん、掛け直しを確認。三、減っております。
> 銘量 ── 五百六十であります。
戸島が店の前へ出て、上を見た。継がれた湯呑みを持ったままになっている。
見えるのは肩から先だけになる。アーケードの屋根が上を切っていて、その向こうは白い。
腕の金の線は、前の日より細く見えた。戸島にはそう見えた。見間違いかもしれないし、そうでないかもしれない。
「刻印!」
右の拳が前へ出た。左の掌が、その甲を上から押す。
「銘刻斬ッ!」
声が六つ揃った。
拳が並びの真ん中へ入った。入ったところで止まって、そこに朱が走る。線が字の形になっていって、銘が刻まれた。
崩れた。落ちた欠片が地面に当たって、そこで砂になる。
割れ物が戻った。
戸島の湯呑みが欠けた。三年前の欠けが、そのまま戻ってくる。欠けの形まで同じになる。
戸島は縁を指でなぞって、それから欠けたところを避けて口を付けた。避け方が身体に入っている。三年で入った癖になる。
「戻ったな」
「戻りましたね」
「これでいい」
「継ぎましょうか」とキンが言った。
戸島はキンを見た。
「継げんのか」
「継げます」
「金はどこから出す」
「わたくしから出ます」
戸島は湯呑みを持ったまま、暫く黙っていた。黙ってから、縁をもう一度なぞった。
「やめとくわ」
「承知いたしました」
「割れてんのが、俺の湯呑みだ」
「はい」
「継いだら、綺麗になんだろ」
「なります」
「綺麗な湯呑みは、うちに無ぇんだよ」
戸島は縁を人差し指で弾いた。欠けたところで、音が濁った。
「これが、うちの音だ」
「はい」
キンは頭を下げた。下げ方が長い。上げたとき、戸島はもう店へ入っていた。入る前に、湯呑みを棚の奥ではなく、手前へ置いたのが見えた。
*
夜、六人が火村鍛冶の土間にいた。
紬が手袋を出していた。組紐で編んだもので、指の付け根に結び目が幾つも付いている。柄は、見た者がたいてい黙る柄になる。
「三つ増えてます」と玲が言った。
「増えました」
「解かないんですか」
「解くと、どこで切れたか分からなくなります」
「結び目は残るでしょう」
「結び目が、切れたところです」
玲は結び目を数えた。数えて、途中でやめる。やめてから、自分の指を見た。硝子で切った跡が、幾つも残っている。
蒼が破片の箱を閉めた。使った分だけ、中身が減っている。減った分は、通りの石畳に散ったままになる。
「もとの形を よく覚え」
蒼が口の中で低く唄った。一行で止めた。一行目は出さない。
誰も続きを訊かなかった。蒼は箱の紐を掛け直して、棚の下へ押し込んだ。押し込む音が、床に長く残った。
キンは框の内側に座って、自分の掌を見ていた。見る角度を、少しずつ変えている。
掌に金の色がある。薄い。春に初めて見たときは、もっと濃かった気がする。気がするだけで、誰も比べていない。比べる方法も無い。
「識」と燈が言った。
> はい。
「あいつの金、減ってんのか」
> 計測できません。
「見りゃ分かるだろ」
> 本機は、見て記録いたしません。測って記録いたします。
「測れねぇんだったな」
> 測れません。
燈は湯呑みを置いた。置いてから、少し考えた。
自分の朱は、識が毎回読み上げる。数が出るので、あと何回で無くなるかが出せる。玲なら出す。玲は出したうえで、言わないでいる。
キンの数は出ない。出ないので、誰にも計算のしようが無い。
数えられないのは、いいことになる。いいことのはずになる。
置いてから、キンの方を見ずに訊いた。
「あと何回だ」
「存じません」
「数えてねぇのか」
「数えております」
「じゃあ言え」
「言いますと、みなさんが数えはじめます」
燈は言い返さなかった。
言い返せなかったのは、その通りだったためになる。言われた瞬間に、燈はもう数えはじめていた。
帰りがけに、土間の隅で茶碗が一つ割れた。玲が肘を当てた。
玲は屈んで、破片を拾いはじめた。二つに割れている。両方ある。両方あるものは、継げる。
「継ぎましょうか」とキンが言った。
燈が先に言った。
「継がねぇ」
「継げます」
「継がねぇ」
キンは手を止めた。止めて、少し立っている。伸ばしかけた手が、途中で止まったままになった。
「本日は、いたしません」
「明日もだ」
「明日は、分かりません」
「なんでだ」
「明日、継ぎたいものが出るかもしれません」
燈はそれ以上言わなかった。明日のことは、明日にならないと分からない。
玲は破片を紙に包んで、蒼の箱の横へ置いた。両方あるので、いつでも継げる。
置いたまま、その日は誰も継がなかった。紙の包みは、箱の横に置いたままになる。
燈は框に座って、外を見た。通りは暗い。金の継ぎ目のある場所は、この土間からは一つも見えない。
見えないところで、十四本の線が薄くなっていく。薄くなる速さは、誰も測っていない。
測ってくれと、キンは言わなかった。測ろうかと、誰も言わなかった。言えば、数が出る。数が出れば、残りが出る。
> 【鑑定 第六十七号 追記】
> 押印累計 ── 三百二十。
> 物件 ── 継ぎ、八十九。
> 追記 ── 本日、押印五。変身六。搭乗六、刻印一。
> 所見 ── 当該継ぎ ── 段が、ございません。八十九件、いずれも同一の手であります。
> 原物 ── 返却済み。いずれも、割れております。
> 贋作体一体、消失。継手鋸、木裏による。止めたのは楠木巌さんであります。
> 当該処置 ── 継がせております。開くまで、七回。
> 当該人物の継ぎ ── 十四。厚み、順に減少しております。
> 当該減少の理由 ── 本機は、記録しておりません。
> 当該人物の申し立て ── 継がないと、わたくしは何もございません。
> 本日の継ぎ ── ございません。
> 未処置の物件 ── 一。茶碗、一。破片、二。いずれも現存いたします。
> 本件、真贋判定 ── 〈贋〉。
> ただし、




