第064話 数えられた回数
> 【鑑定 第六十四号】
> 押印累計 ── 三百五。
> 依頼者 ── 桑名。
> 物件 ── 数。
> 所見 ── 当該十九名 ── 計数時の動作、ございません。
> 計数の誤り ── 検出できません。
> ……判定を、開始します。
── 六月に入って、桑名が籠を数えるのをやめた。
その朝、燈は五時から鎌を打っていた。水木の分の二本目になる。地鉄を延ばして、鋼を合わせて、形を出すところまで来ている。
鎚を振る数は、その日によって違う。同じ鎌でも、鋼の入り方で三百二十のときと、三百六十のときがある。燈は数えながら打つ。数えないと、どこで止めるか決められない。止める場所を間違えると、鋼が痩せる。
二百八十まで打ったところで、外の音が変わった。桑名の口の動く音は、聞こえるほどのものではない。変わったのは、その動きが止まったための静けさになる。
桑名は毎朝、市場から戻ると籠を数える。積んだまま数えるので、上から手で押さえながら口が動く。声は出ない。口だけが動く。
四十一年やっていて、数え間違いは月に二度か三度出る。出るたびに数え直す。数え直すのは、桑名の朝の仕事の一つになっている。間違えない朝は、数え直しの分だけ早く終わる。
その朝、桑名は籠の山を見て、それだけで数を言う。手も口も動いていない。
「四十六」
口が動いていない。指も折っていない。首は、正面を向いたままになる。
燈は箒を持ったまま、桑名の顔を見た。鎌は途中で置いてきている。二百八十で止めた鎌は、そのままにすると鋼が冷めて、あとが面倒になる。
「数えたのか」
「数えた」
「口、動いてなかったぞ」
「動かさなくても出る」
桑名は籠を一つ持ち上げて、下の段へ移した。移してから、もう一度言う。数え直したのではない。同じ数を、そのまま繰り返した。
「四十六」
合っている。玲があとで数えて、四十六になった。玲は二度数えて、二度とも同じ数を出している。二度目で違う数が出るのが、玲の普通になる。
その日、街の数が全部合った。合わせたのではない。初めから合っている。
島村の下駄が合った。井桁の畳表も、宮下の刷り上がりも、戸島の鍵の本数も同じになる。
合わないものが一つも無い。合わないところが無いというのは、直すところが無いということになる。直すところが無い街では、六人は呼ばれない。
玲は昼までに十九軒を回って、全部数えた。数えて、それから困った顔をする。困った顔になる理由を、玲は自分でもすぐには言えなかった。
「二度目が要りません」
「合ってんだろ」
「合ってます。一度で合います」
玲は籠の山を見て、それから目を伏せた。伏せたのは、見ると数が出るためになる。
玲は右の掌を開いて、燈へ見せた。指の腹に汗が浮いている。硝子屋の掌は乾いているのが普通になる。
「私は、数えるのが仕事です」
「知ってる」
「数えるというのは、半分は数え直すことです」
「一度で合ったら、楽じゃねぇか」
「楽です」
「じゃあいいだろ」
「よくないです。数え直さないと、間違えたことに気付けません」
燈は言い返さなかった。言い返す言葉が思い付かない。楽になったことを、玲は喜んでいない。
硝子井では、玲が帳面を付ける。売った数と、割った数と、卸へ回した枚数を書く。割った分は、書いてから必ず数え直す。
割れた硝子は数えにくい。大きい欠片と小さい欠片があって、どこまでを一枚と見るかで数が変わる。玲は、元が一つだったものを一枚と数える。数え直すのは、その線引きを毎回やり直すためになる。
「今日は、割った分も一度で出ました」
「割ったのか」
「割りました。三枚です」
「合ってんだろ」
「合ってます。でも、私は三枚と決めていません」
見分けは、数えるときの体の動きになった。言い出したのは玲になる。
人は数えるとき、体のどこかを動かす。指を折る者もいれば、口が動く者もいる。首が小さく振れる人もある。年寄りは声に出す。子どもは指を全部使う。
動かさずに数える人はいない。数は、体で拾うものになる。拾い方が人ごとに違うので、拾い落とし方も違う。
六人は十九軒を回って、数える場面を見た。見るだけなので、断られた店は一軒も無い。井桁は畳表を数え、島村は下駄を数え、宮下は刷り上がりを数えた。
誰も動かなかった。指も、口も、首も止まっている。十九人とも同じになる。
目も動かない。数の並びを追う動きが出ない。見て、数が出る。それだけになる。目が動かないのは、拾っていないためになる。
「数えてんのか、あれ」と桑名が言った。
「数えていません」と玲が言った。
「出てんのか」
「出ています」
桑名は自分の口へ指を当てた。当ててから、下ろす。口は動いていない。
「俺もか」
「桑名さんもです」
桑名はそれから、わざと口を動かして数えてみた。数えている途中で数が出てしまうので、口の方が遅れる。遅れた口が、途中で止まった。
「気持ち悪ぃな」
「気持ち悪いです」
桑名はそれから、口を閉じたまま籠へ手を掛けた。掛けて、下ろした。数える前に数が出るので、手を出す順序が決まらない。
*
蒼が写しを持ってきたのは、その日の昼になる。抱えて歩いてきたので、紙の端が汗で波打っていた。
四十枚のうちの十一枚を、束から抜いて持っている。土間の框へ、日付の順に並べた。並べるあいだ、誰も何も言わない。
「識」
> はい。
「この数のことを、訊きます」
> 承知いたしました。
蒼は訊き方を三日考えてきている。考えてきた順に訊く。順を変えると、答えが変わるかもしれないと思っている。
「押印累計は、何の数ですか」
燈が顔を上げた。この一年と少し、その行を毎回見てきて、何の数かを訊いたことが一度も無い。押した数だと思っていたので、訊く必要が無かった。
識は少し置いた。置いてから答える。置いた長さが、いつもの二倍ほどあった。
> 押印累計とは、本機が皆さまを照合した回数であります。
「押した数だろ」と燈が言った。
> 押していただいた数と、同じであります。押すたびに、本機が一度、照合いたします。
「照合すると、どうなる」
> 記録が、細かくなります。
「細かくなると」
識は答えなかった。答えない時間が続く。
土間が静まった。火床の炭が一度爆ぜて、それだけになる。爆ぜた音を、五人とも同じ間で聞いた。
「言え」と燈が言った。
> 写せるようになります。
五人とも動かない。息を吸う音だけが土間にある。
蒼が十一枚の並びへ指を置いた。置いた指が、少し震えている。
「この十一枚は」
> 別の対象の、照合回数であります。
「桁が二つ多いです」
> 多うございます。
「その人たちは」
> いずれも、現存いたしません。
燈は自分の胸を見た。印を押すところが、一年と少しで色が変わっている。同じ場所へ三百五回押した跡になる。誰にも見せたことは無い。見せる相手も、今のところ思い当たらない。
いや、と燈は思い直した。押したのは自分たちで、数えたのは識になる。押す側と数える側が別にいて、数だけが一つになっている。
押した数と、数えられた数が、同じ数を指している。
「隠してたのか」と燈が訊いた。
> 隠しておりません。
「言わなかっただろ」
> 訊かれませんでした。
「訊けば言ったのか」
> 申し上げました。本日、申し上げております。
燈は識の言い方に腹を立てようとして、立たなかった。立てる相手ではない。識は、訊かれたことに答えているだけになる。
「照合ってのは、何をしてる」と燈が訊いた。
> 銘を、一度ずつ確かめております。
「毎回か」
> 毎回であります。押していただかなければ、確かめられません。
「確かめねぇと、変身できねぇのか」
> 出来ません。
燈は自分の印を出した。掌の中で二度回して、それから懐へ戻す。印面には円の形が彫ってあって、縁が少し欠けている。
この一年と少し、押すたびに識の声を聞いてきた。「銘 ── 確認。〈火村燈〉」。確認という言葉を、燈は毎回、褒められているように聞いていた。間違いなく火村燈である、と言われているように聞いていた。
巌が壁に凭れた。凭れると柱が鳴る。鳴ってから、巌は少し姿勢を戻した。柱の鳴る場所を、巌は知っている。
「四月に来たやつらは」と巌が言った。
> 申し上げられません。
「数は合っとるか」
> ……
「合っとるんだな」
> 本機は、回答いたしません。
五人とも、その先を口に出さなかった。出せば、そこから戻れなくなる。
出さなくても、同じところへ行き着いている。四月の終わりに来た六人は、こちらが三百に近い数を積んだあとに現れた。行き着いたところで、五人とも止めた。
「押すのをやめたら、どうなる」と燈が訊いた。
> 写されません。
「じゃあ、やめる」
> やめますと、街が直りません。
燈は黙った。黙ったまま、框の縁を見ている。
四人も黙った。玲が指を折りかけて、途中で止めた。
街が直るというのは、置き換えられた物が戻るということになる。戻さなければ、置き換わったままになる。置き換わったものは良い物で、誰も困らない。困らない街は、放っておいても回っていく。
困らないまま、街から手癖が消えていく。消えたことに気付く者も、そのうちいなくなる。
燈は框を掌で叩いた。一度だけ叩いて、それきり叩かない。叩いた音が、思ったより大きく響いた。響いてから、土間がまた黙る。黙った時間が長い。
玲が口を開きかけて、閉じた。開きかけたのは、数えようとしたためになる。押した回数と、残りの回数を出そうとした。
数えても、残りの数が出てこない。何回で写せるようになるかを、識は言わずにいる。訊けば答えるのかもしれない。誰も訊かなかった。
「押すか」と巌が言った。
「押す」と燈が言う。
「押します」と玲が続けた。
「押します」と紬が言う。
「押します」と蒼が言った。
理由を言った者はいない。訊いた者もいない。理由は一つしか無くて、それは今日の街が直るためになる。
言えば、今日の街が直るためになる。先のことを引き受けた者は、この土間に一人もいなかった。
*
贋作体が出たのは、その日の夕方になる。日が長くなっていて、まだ明るい。
桑名の店の前に出た。数の形をしている。人の形でもあり、そうでもない。表面に数字が浮いていて、その数字が絶えず動いている。動いているのに、どの面も揃った数を出している。
燈が印を胸へ押した。四人が押した。
> 銘 ── 確認。〈火村燈〉。
> 銘 ── 確認。〈陶山蒼〉。
> 銘 ── 確認。〈綾織紬〉。
> 銘 ── 確認。〈楠木巌〉。
> 銘 ── 確認。〈硝子井玲〉。
五つの印が、一枚の紙に並んだ。六枚目のところは白いままになる。
> 銘量 ── 火村燈 五百二十一。陶山蒼 五百六十二。綾織紬 四百十。
> 楠木巌 五百八十七。硝子井玲 五百四。
> 六つ、減っております。
押した瞬間、贋作体の数字が一つ増えた。増えたのが、押印累計の側なのか贋作体の側なのかは分からない。
燈はそれを見た。見て、鎚を握り直す。握り直した位置が、段を避けた側になった。避けた側は、まだ馴染んでいない。
玲が前へ出た。出て、口が動いた。動いたのは癖になる。
止めた。口の形が半分できたところで止まっている。
数えそうになって、止めた。
「数えるな」と蒼が言った。
「数えません」
「見ると数えます」
「見ません」
玲は目を伏せた。伏せたまま輪を投げる。当たった。当たった数を、玲は数えない。数えないと、当たったかどうかも自分では分からない。
贋作体が動いた。動いた先が、玲の数えた数の場所になる。数えた者の数に合わせて、そこへ入る仕組みになっている。数えられたところは、もう決まっている。
そこには何も無い。玲は数えていない。腕が空を掻いて、戻った。
紬が糸を出した。一本を指で裂く。裂くのに刃は要らない。爪の先で撚りを起こせば足りる。
撚った糸は、撚りを戻すと細い糸に分かれる。二本になり、四本になり、八本になる。撚りを緩めれば勝手にほどけていく。織り手は、これを毎日やって暮らしている。
紬は裂き続けた。裂きながら、投げる。投げた先で、糸がまた分かれていく。
贋作体が数えた。数え終わる前に、糸が増える。
数え直した。また増える。三度目からは、数の出方が遅くなった。
巌が木を割る。割った数を言わない。燈が鎚を振る。当たった数を数えない。数えないので、いつやめるかも決まらない。やめずに振り続けた。
贋作体の数字が、揃わなくなった。表と裏で違う数が出はじめている。合わせようとして、また別の面が食い違う。
「陶山蒼、行きます」
蒼が輪を構えた。輪の縁に、灰を掬って乗せる。窯場から持ってきた灰になる。
窯で焼くと、薪の灰が舞って器へ降りかかる。降りかかった場所だけ、釉が変わって色が出る。灰被りという。狙って出せるものではなかった。
どこに降りるかは、焼いた者にも分からない。窯を三十年焚いた者でも当てられない。数える手立てが無い。
「窯変輪、灰被りッ!」
輪が回った。回りながら灰を撒く。
灰が贋作体の表面へ降りた。降りた場所から、数字が消えていく。
消えた場所が揃っていない。左に多く、右に少ない。上には、ほとんど降りていなかった。
贋作体は、消えた数を数えようとする。面を回して、順に見ていく。
数えられなかった。数える先が、途中で欠けている。欠けた先から、次の数へ渡れない。
数えられないものが表面に出た瞬間、形が保てなくなった。表面が先に崩れて、内側があとから追った。
崩れる音がした。石が石に当たる音になる。崩れたあとに、灰だけが地面へ残る。
*
「── 量産」
通りの向こうから低い声がした。
地面が持ち上がって、同じ形のものが並んで生えた。
> 連結を確認。
「火入れッ!」
> 真、通りました。
「組み継ぎ、合体!」
継手が噛んだ。木を組む時と同じ音が、四十メートルの高さで鳴る。
噛んでから、巌が左の膝の継手を抜いて、入れ直した。
> 楠木巌さん、掛け直しを確認。三、減っております。
> 銘量 ── 五百八十七であります。
桑名が店の前へ出て、上を見た。籠を抱えたままになっている。抱えた籠の数は、その時は分からない。
見えるのは脚だけになる。アーケードの屋根が上を切っていて、その向こうは白い。
桑名は数えようとして、やめた。やめてから、抱えた籠を下ろした。
「刻印!」
右の拳が前へ出た。左の掌が、その甲を上から押す。
「銘刻斬ッ!」
声が五つ揃った。揃えた覚えは、五人とも無い。
拳が並びの真ん中へ入った。入ったところで止まって、そこに朱が走る。線が字の形になっていって、銘が刻まれた。
崩れた。落ちた欠片が地面に当たって、そこで砂になる。砂の上に、灰が薄く乗っている。
桑名は籠をもう一度抱えた。抱えてから、口を動かして数える。指も一緒に動いた。
「四十五」
一つ足りない。桑名は数え直す。四十六になる。
桑名は笑った。笑ってから、鼻をすすった。
*
夜、六人が火村鍛冶の土間にいた。窓を開けてある。六月の夜は、風が通ると涼しい。
蒼が水羊羹を出した。夏になったので、氷室から借りて冷やしてある。窯場の裏の氷室で、夏場だけ商店街の何軒かが分けて使う。
三つ食べた。食べる速さが変わらない。
「三つですか」と玲が言った。
「三つです」
「一つでいいでしょう」
「一つだと、味が分かりません」
「二つ目で分かるでしょう」
「二つ目は、一つ目と比べています」
「三つ目は」
「三つ目が、味です」
玲は自分の皿を見た。皿には一つしか乗っていない。数えるまでもない数になる。それでも玲は、一度目で見て、二度目に確かめた。
「私も三つ要りますか」
「要ります」
「食べます」
紬が笑った。巌も笑う。燈は笑わずに、四つ目を蒼の皿へ乗せた。乗せ方が乱暴になる。
「四つ目は何だ」
「四つ目は、多いです」
蒼は四つ目も食べた。食べてから、五つ目には手を出さなかった。
*
燈は火床の前に座った。灰が寄せてあって、下に熾りが残っている。
「減った鉄だけ 締まるのさ」
一行だけ唄って、止めた。二節目は出さない。
鎚を膝へ置いた。柄の継ぎ目に、紬の糸が巻いてある。今日、その糸のうちの何本かは裂いて使われた。巻き直したのは紬になる。巻き直した分だけ、糸の色が少し薄くなっている。
「識」
> はい。
「今日の分、入れとけ」
> 記録いたします。
「三百五だな」
> 三百五であります。
「明日は三百十か」
> 三百十であります。
「そうか」
> はい。
燈はそれ以上訊かなかった。訊いても、数は同じように増えていく。
棚には黒い帳面が置いてある。一年ぶん、打った数と火の色が書いてあって、誰にも読めない。
打った数は、燈が数えた数になる。数えたのは燈で、書いたのも燈になる。読める者は一人もいない。
燈は帳面を手に取って、少し持って、それから棚へ戻す。戻した位置が、いつもの位置になる。
識が鑑定書を出した。土間の壁へ、いつもの書式で並ぶ。
いちばん上に、押印累計の行がある。書式は去年の三月から一度も変わっていない。
燈はその行を指でなぞった。壁に指が当たるだけで、字は動かない。指の先に、漆喰の粉が付いた。
一年と少し、毎回そこに数が出ていた。読み飛ばしたことは一度も無い。読んでいたが、何の数かは考えていなかった。考えないで読めるように、書式ができている。
燈はなぞるのをやめて、手を下ろした。下ろした指の粉を、前掛けで拭いた。
何も言わずに、火床の灰へ手をかざした。温かい。
> 【鑑定 第六十四号 追記】
> 押印累計 ── 三百五。
> 物件 ── 数。
> 追記 ── 本日、押印五。搭乗六、刻印一。銘量の減少を確認。
> 所見 ── 当該十九名 ── 計数時の動作、ございません。
> 原物 ── 返却済み。いずれも、数え直しております。
> 贋作体一体、消失。窯変輪、灰被りによる。止めたのは陶山蒼さんであります。
> 当該処置 ── 降下位置に、規則がございません。
> 照会 ── ありました。回答 ── いたしました。
> 当該回答の内容 ── 押印累計の定義であります。
> 当該定義 ── 本機が、皆さまを照合した回数であります。
> 本件以後の押印 ── 継続の申し出が、五名分あります。
> 当該申し出の理由 ── 記録されておりません。
> 本件、真贋判定 ── 〈贋〉。
> ただし、




