第062話 代わり
> 【鑑定 第六十二号】
> 押印累計 ── 二百九十五。
> 依頼者 ── 佐久間。
> 物件 ── 名代、十九名。
> 所見 ── 当該十九名 ── 引き継ぎの記録、ございません。
> 敷居の摩耗 ── 一条であります。
> ……判定を、開始します。
── 鳴らない場所を、燈は翌朝もう一度歩いて確かめた。
アーケードの骨は、継ぎ目のあるところが風で鳴る。鳴らないところは、継ぎ目の無いところになる。前の日に戻った継ぎ目の分だけ、鳴る場所が増えていた。増えた場所を数えたのは、鳴る音が耳に馴染んでいるためになる。
歩いて、数えて、それから商店街の東の端まで来た。東の端は佐久間豆腐店になる。
佐久間豆腐店の戸が開いていた。開いているのは普通になる。四時から開いている店で、燈が起きるころにはもう水を替えている。
中に佐久間がいなかった。釜の湯気は上がっている。
いたのは若い男になる。二十代の半ばで、前掛けが新しい。釜の前に立って、豆を潰した汁を型へ流している。手つきに迷いが無い。
流し方が丁寧だった。縁から入れて、中央へ回す。泡が立たない。泡が立つと、固まったときに穴が残る。
「佐久間さんは」と燈が訊いた。
「休みです」
燈は敷居のところで止まった。止まってから、中をもう一度見た。
佐久間豆腐店は、三十九年休んでいない。台風の日も、雪の日も、佐久間の母親が死んだ日も開いていた。開いていたことを、商店街の全員が知っている。知っているだけで、誰も褒めたことは無い。
「休みか」
「休みです」
「あんた、誰だ」
「代わりです」
男は手を止めなかった。止めずに、型の縁を布で拭く。拭き方も丁寧になる。角のところを二度拭いた。
燈は豆腐を一丁もらって、店を出た。代金は要らないと言われた。いつもと同じになる。
出るとき、敷居を見た。見たが、そのときは何も思わなかった。
*
その日、商店街に代わりが立った。誰が連れてきたのかを、誰も言えない。
戸島の店に代わりがいる。島村の店にも、井桁の店にも、宮下の店にもいる。桑名のところには二人いた。
どの店も回っていた。むしろ、いつもより早く回っている。開店も、片付けも、いつもより四半刻早い。
昼までに、玲が数えた。十九人になる。数えるのに、店の奥まで入れてもらった。断られた店は一軒も無い。
「十九人です」
「多いな」
「多いです。それと、休んでいる人が十九人います」
休んだ者は、休んだことを気にしていなかった。気にしないことを、六人は初めのうち良いことだと思った。
戸島は自分の店の前に立って、中を見ていた。中では代わりの若い男が鍵を削っている。戸島は入らない。入らずに、外から見ている。
「削れてるんだよ」と戸島が言った。
「削れてますね」
「俺より速ぇ」
「速いですね」
「休めって言われてな」
「誰にですか」
「あいつに」
戸島は店の中を指した。指した先の男は、顔を上げない。手元から目を離さずに削り続けている。
井桁ハツは縁側に座っていた。膝の上に何も置いていない。四十年、膝の上に何か置いていた人が、何も置かずに座っている。座り方が浅い。背が縁側の柱に付いていない。
「手が空いてるんだよ」
「空きましたね」
「空くとな、何をしていいか分からん」
ハツは掌を見た。針の頭を押すところの皮が、白いままになっている。使わないと、そこから戻っていく。
六人は敷居を見て回った。
戸を引くとき、人によって引く位置が違う。低いところを持つ者と、高いところを持つ者がいる。力の掛け方も違う。
同じ戸を二人が使うと、敷居の摩り減りが二本の筋になる。片方が窪んで、片方が浅い。使う年数で窪みが変わる。
代わりの立った店の敷居は、筋が一本のままだった。深さも、朝に見たときと変わっていない。
紬が屈んで、指を敷居へ滑らせた。滑らせて、途中で止める。止めた場所が、筋の切れるところになる。
「一本です」
「二人使ってるだろ」
「二人使うと、二本になります」
巌が別の店の敷居を見た。同じになる。十九軒とも、筋が一本しか無い。数えたのは玲で、数えるのに膝を十九回折った。
「減らしてねぇんだな」と巌が言った。
「減らしていません」
「使ってねぇのか」
「使っています。減っていないだけです」
もう一つある。道具の置き位置になる。これは巌が言い出した。
人が代わると、道具が必ず一分か二分ずれる。ずれたのを次の人が戻す。戻し方でまたずれる。二人で使う道具は、ずれ続ける。ずれ続けるのが、二人で使っている証しになる。
佐久間の店の型は、いつもの位置から一分も動いていなかった。
燈は型の縁を指でなぞった。縁の木が、掌の当たるところだけ艶が出ている。艶の出方が一箇所しかない。二人で使えば、艶は二箇所に出る。
「一人ぶんだ」
「一人ぶんです」
「二人使ってるだろ」
「使ってます」
燈は言い直さなかった。言い直しても、同じになる。二人使っているのに、一人ぶんしか減っていない。
型取が来たのは、宮下の裏になる。
六人は少し離れたところにいた。型取はこちらを見ない。キンだけを見ている。手には道具箱を提げていて、その箱の角が擦れて丸くなっている。
キンは通りの真ん中に立っていた。金の袂が垂れている。呼ばれて来たのではない。先に立っていた。
「そろそろ、働いていただきます」と型取が言った。
「承知いたしました」
「あなたは、代わりであります」
キンが顔を上げた。
「どなたの、でございますか」
型取が答えた。
燈には聞こえなかった。距離が離れていて、風が向かい側から来ている。蒼にも聞こえない。六人の誰にも聞こえなかった。
キンは二呼吸ほど黙った。
黙ってから、袂の中で手を組んだ。組んだ手が、袂の布を内側から押している。押した形が外から見えるほど、強く組んでいる。
「わたくしは、どなたの代わりでも、ございません」
型取は道具箱を地面へ置いた。置いてから、蓋を開けずに手を膝へ戻した。
「あなたは、そのために作られました」
「存じております」
「では」
「存じておりますが、違います」
「理由をお伺いしてもよろしいですか」
「申し上げられません」
「ございませんか」
「ございます。申し上げられません」
型取は道具箱を取り上げた。取り上げて、一歩下がった。
「承知いたしました」
その一歩を、燈は見ていた。
去年の三月にも同じ一歩を見ている。廃工場の前で、燈が印籠を握ったときになる。あのときは、何も言わずに下がった。
今度は言葉が付いた。下がり方だけが、同じになる。
キンは型取が去るまで動かなかった。動かないまま、袂の手を組み続けている。組んだ手を解いたのは、型取の姿が角で消えてからになる。
*
贋作体が出たのは、その直後になる。
人の形をしている。顔がない。腕が四本ある。四本とも長さが違う。長さが違うので、どれが利き腕か分からない。
燈が印を胸へ押した。四人が押した。
> 銘 ── 確認。〈火村燈〉。
> 銘 ── 確認。〈陶山蒼〉。
> 銘 ── 確認。〈綾織紬〉。
> 銘 ── 確認。〈楠木巌〉。
> 銘 ── 確認。〈硝子井玲〉。
五つの印が、一枚の紙に並んだ。六枚目のところは白いままになる。
> 銘量 ── 火村燈 五百三十三。陶山蒼 五百七十四。綾織紬 四百二十二。
> 楠木巌 六百五。硝子井玲 五百十六。
> 六つ、減っております。
燈が入った。鎚が重い。柄の継ぎ目に糸が巻いてある。巻いたのは前の日で、まだ緩んでいない。
振った。当たった。当たった音が高い。
当たった腕が、燈の振り方で振り返してきた。
同じ軌跡ではない。燈より上手い軌跡になる。打ち急がず、途中で伸びる。伸びた先が、燈の胸へ入った。入り方に無駄が無い。
燈が飛んだ。石畳の上を二間滑って、そこで止まった。滑った先が、朝に掃いたばかりの場所になる。
立たない。肘を突いて、そこで力が入らない。
蒼が動きかけた。
半歩出て、そこで止まる。出した足が、下ろす場所を決められずに宙にある。
贋作体の腕が一本、燈のいた位置へ入る。入った先には誰もいない。誰もいないので、何も出来ずに戻る。
「行くな」と巌が言った。
「行きません」と蒼が言った。
巌は前を向いたまま言っている。蒼の方を見ていない。見ないで言うのは、見て言うと止められなくなるためになる。
蒼は段取りを組む人になる。誰がどこに立つかを組んで、空いたところを埋めるのが仕事だと思ってきた。埋めないと決めるのは、組まないと決めるより難しい。
言ってから、蒼はもう一度手を出しかけた。出しかけて、引いた。
二度目になる。二度とも、誰も蒼を責めなかった。
燈は起き上がろうとして、肘が滑った。滑って、また倒れる。倒れた拍子に、鎚の柄が石畳を打った。
紬が糸を握った。握って、投げない。投げれば届く距離にいる。
贋作体は、空いた場所を探していた。探して、見付からない。四本の腕が、どれも同じところを二度掻いた。
誰も燈の位置へ入らない。空いたところが空いたまま置いてある。置いてあるだけで、埋めようとする者がいない。
「玲さん」と蒼が言った。
「はい」
「一人で行けますか」
「行きます」
玲が前へ出た。
切子は、荒摺りから始まる。分けた線に沿って、いちばん粗い砥車で溝を彫る。溝の底の位置を決めるのが、この工程になる。あとの工程は、そこより下へは行けない。
荒摺りは一人でやる。二人でやると、押す力が変わって溝の底が波打つ。四十年やった者と、二十年やった者でも合わない。玲の母も、そこだけは手を出さなかった。
合わないので、代わりが利かない。
「硝子井玲、行きます」
玲は輪を持ち替えなかった。息を吸って、止めた。止めた息が、線の長さになる。
「透かし刃、荒摺りッ!」
線が入った。溝の底が低い。低いところから欠けはじめた。
欠けたところへ、贋作体が腕を回した。回した腕が、玲の引き方を真似ようとする。真似るには、終わりの位置を決めなければならない。
真似た腕が、途中で止まった。
玲の荒摺りは息の続く間しか続かない。息が切れるところで線が終わる。終わる位置が毎回違う。
贋作体は、線の終わりを先に決めていた。決めた位置まで引いて、そこで止まった。
玲の線は、まだ続いていた。息が、その日は思ったより長く続いた。
続いた分が、贋作体の胴を割った。割れ目が、決めた終わりの先まで走る。
崩れる音がした。石が石に当たる音になる。
燈が立ったのは、そのあとになる。四度目で立った。誰も手を貸していない。立ってから、蒼の方を一度見た。
*
「── 量産」
通りの向こうから低い声がした。
地面が持ち上がって、同じ形のものが並んで生えた。
> 連結を確認。
「火入れッ!」
> 真、通りました。
「組み継ぎ、合体!」
継手が噛んだ。木を組む時と同じ音が、四十メートルの高さで鳴る。
噛んでから、巌が左の踝の継手を抜いて、入れ直した。
> 楠木巌さん、掛け直しを確認。三、減っております。
> 銘量 ── 六百五であります。
戸島が店の前へ出て、上を見た。代わりの男は中にいる。出てこない。
見えるのは膝から下だけになる。アーケードの屋根が上を切っていて、その向こうは白い。
「刻印!」
右の拳が前へ出た。左の掌が、その甲を上から押す。
「銘刻斬ッ!」
声が五つ揃った。
拳が並びの真ん中へ入った。入ったところで止まって、そこに朱が走る。線が字の形になっていって、銘が刻まれた。
崩れた。落ちた欠片が地面に当たって、そこで砂になる。
戸島は上を見たまま、暫く動かなかった。動いたのは、上の音が止んでからになる。
名代が消えたのは、夕方になる。
十九人が一度に消えた。誰も別れを言わなかった。ノッペリ兵が消えるときに言う礼も、この十九人からは出てこない。
消えたあと、十九人が店へ戻った。
戸島は作業台の前に座って、鍵を一本削りはじめた。削って、差して、回して、また削る。七度掛かった。七度目で回ったとき、戸島は誰にも言わずに一つ息を吐いた。
ハツは膝の上へ畳表を置いた。置いてから、針を持つまでに少し間があった。持ってからは、いつもの速さになる。
佐久間は釜の前に立った。立って、型の位置を一分ずらして、それから戻した。ずらした理由は言っていない。
戻したところが、元の位置と少し違う。違ったまま、その日はそこで使った。
夜になって、燈が土間で識に訊いた。
「識」
> はい。
「あれ、なんて呼ぶんだ」
> 名代であります。
「みょうだい?」
> 名代であります。
「今、そんな言い方しねぇよ」
> では、何と申しますか。
「代わりだろ」
> 代わりでは、意味が広うございます。
「広くていいんだよ」
> 承知いたしました。名代、十九名。以後、代わりと記します。
「戻ってんじゃねぇか」
> 一度は、名代と記しました。
玲が横で笑った。笑ってから、口を押さえる。蒼も押さえた。押さえるのが二人とも遅い。
燈は湯呑みを置いた。置き方が乱暴になる。乱暴に置くと、識は何も言わない。
「息の続く間 丸くなるのさ」
玲が口の中で低く唄った。一行で止めた。二行目は出さない。
*
佐久間が来たのは、夜になってからになる。
豆腐を持っていない。手ぶらで土間へ入って、框に腰を掛けた。
「昨日の、旨かったろ」
燈は答えなかった。答えるまでに、一と数えるほど掛かった。
「……旨かった」
「そうか」
佐久間は框を掌で撫でた。撫でる音がする。框の板は、佐久間が腰を掛けるところだけ黒く光っている。
「悪ぃ」と燈が言った。
「なんで謝るんだ」
「旨かったって言った」
「旨かったんなら、それでいい」
「よくねぇよ」
佐久間は撫でるのをやめた。手を膝へ置いて、そこで少し黙った。
「俺は、四十年、旨いもんを作ろうとしてた」
「知ってる」
「作れてたら、代わりが利かねぇはずがねぇんだ」
燈は佐久間の掌を見た。指の付け根が固い。豆を潰す木の棒を、四十年同じところで握ってきた掌になる。
「昨日のは、旨かった」と燈がもう一度言った。
「言うなよ」
「言うよ」
「なんでだ」
「本当だからだ」
佐久間は笑わなかった。笑わずに、燈の頭を一度だけ叩いた。叩き方が弱い。
燈は何も言えなかった。言えることを探したが、どれも佐久間の言った所へ戻ってしまう。
佐久間は框から立って、土間を見回した。火床の脇に、柄だけの鎚が立ててある。
「あれ、頭が無ぇな」
「無ぇ」
「作らねぇのか」
「作らねぇ」
佐久間は頷いた。頷いて、それ以上訊かなかった。
「明日、持ってくる」
「何をだ」
「豆腐だ。余るからな」
佐久間は出て行った。出て行くとき、敷居のところで一度足を上げすぎた。上げすぎたのは、この土間の敷居に慣れていないためではない。
*
キンが来たのは、佐久間が出た少しあとになる。
今度は入ってきた。土間の真ん中まで来て、そこで止まった。
「お願いがございます」
「ん」
「わたくしに、彫らせていただけませんか」
燈は顔を上げた。上げてから、キンの袂を見た。
「何をだ」
「まだ、決まっておりません」
「決まってねぇのに彫るのか」
「彫れるようになってから、決めます」
燈は火床の脇の道具棚を見た。鑢が何本か立ててある。父のものと、自分のものが混じっている。混ざったまま三年使っていて、どれが誰のかは持てば分かる。
一本抜いた。目の細かいので、燈が十四のときに初めて自分で買ったものになる。減っている。減った分だけ、引き方の癖が目に残っている。片側だけが丸くなっていて、そこが燈の引く側になる。
燈はそれをキンへ渡した。渡すとき、目の側を自分に向けた。
キンは両手で受け取った。受け取ってから、目の高さまで上げて、目を見た。
「減っております」
「減ってる」
「これは、どなたの癖でございますか」
「俺のだ」
キンは鑢を袂へ入れた。入れてから、頭を下げる。下げ方が、いつもより長い。
「頂戴いたします」
「返さなくていい」
「返しません」
キンは背を向けて、土間を出た。出るとき、敷居を跨ぐ足が高い。踏まない歩き方は、この一年変わっていない。
燈は框まで出た。出て、金の背中が角で曲がるまで見ていた。曲がる手前で、キンが一度だけ袂へ手を入れた。
道具棚には、鑢が一本分の隙間が空いた。隙間は、しばらく埋めないことにした。
> 【鑑定 第六十二号 追記】
> 押印累計 ── 二百九十五。
> 物件 ── 名代、十九名。
> 追記 ── 本日、押印五。搭乗六、刻印一。銘量の減少を確認。
> 所見 ── 当該十九名 ── 引き継ぎの記録、ございません。
> 敷居の摩耗 ── 一条であります。二名の使用に対し、一名分であります。
> 原物 ── 返却済み。いずれも、休んでおりません。
> 贋作体一体、消失。透かし刃、荒摺りによる。止めたのは硝子井玲さんであります。
> 当該処置 ── 単独であります。補助 ── ございません。
> 本隊の負傷 ── 一。火村燈さん。起立まで、四度であります。
> 当該四度の間の補助 ── ございません。
> 依頼者の申し立て ── 旨かったんなら、それでいい。
> 当該人物の申し出 ── ありました。内容 ── 彫刻の許可であります。
> 彫刻の対象 ── 決まっておりません。
> 貸与 ── 一。鑢、一本。所有者 ── 火村燈さんであります。
> 本件、真贋判定 ── 〈贋〉。
> ただし、




