第061話 継げないもの
> 【鑑定 第六十一号】
> 押印累計 ── 二百九十。
> 依頼者 ── 井桁ハツ。
> 物件 ── 継ぎ目。
> 所見 ── 当該物件 ── 継ぎ目、ございません。
> 破損の記録も、ございません。
> ……判定を、開始します。
── 翌る朝、井桁畳店の店先で、畳表が一枚だけ軽くなっていた。
井桁ハツは畳表を縫う。縁を付けるとき、糸を長く取って、針を斜めに入れる。斜めに入れないと表の目を割ってしまう。割った目は戻らない。
六十六になる。指の腹が固くなっているので、針の頭を押すのに指貫を使わない。使わない分、押す位置が毎回同じところになる。そこだけ皮が白い。白いところは、爪の付け根から一寸ほど下がった辺りにある。
その朝、ハツは干してあった表を取り込もうとして、一枚だけ持ち上げてから止まった。持ち上げた高さが、いつもより上まで行っている。
「軽い」
燈は前を通りかかったところだった。呼ばれたので、二枚目を持った。
「そうか?」
「軽い。持ってみな」
「重いだろ、これ」
「一枚目が軽い」
ハツが指したのは、去年の秋に縫い直した表になる。縁が切れたので、切れたところを解いて、糸を足して縫い直した。縫い直した分だけ糸が増えている。
増えた糸の重さは、たかが知れている。二匁か、三匁になる。それでも、持ち比べると分かる。四十年持ってきた者には分かる。
「新しいからでしょう」と、後ろから玲が言った。
「新しいのはもっと重い」
「重いんですか」
「藺草が詰まってる。使うと減る。減ると軽くなる」
ハツは表を裏返した。縫い直した縁を探して、指でなぞる。
糸が無い。切れた跡も無い。縁が最初から一続きに付いている。継いだ糸だけが色の違う縁は、この表の目印になっていた。
「縫った覚えがあるんだよ」
「ありますよね」
「あるんだ」
*
その日、街の継ぎ目が無くなった。無くなったことに気付いた者は、昼までで四人しかいない。
戸島の道具箱は、四隅に鎹が打ってある。二十年前に一度ばらけて、そのとき打った。鎹が無い。板が最初から組んであることになっている。組み方は、戸島に出来る組み方ではない。
桑名の前掛けは、腹のところに継ぎ当てが二枚当たっている。その日は当たっていない。布が一枚で通っていて、縫い目も無い。
島村の下駄の台には、割れを止めた蟻継ぎが入っていた。入っていない。木が一本で通っている。
宮下の裁ち台には、天板の割れへ埋めた木片がある。無い。
どれも壊れていない。壊れた覚えだけが、物から消えている。持ち主の覚えは残っているので、話が合わなくなる。
紬が一つずつ持ち上げて、そのたびに手の中で上下させた。重さを見ている。織り手は糸を目方で買うので、掌が秤の代わりになる。
「軽いです」
「全部か」
「継いだところがあった物だけです」
六人は昼まで歩いた。歩いて、数えた。玲が数えたのは二百七箇所になる。数えるのに、店ごとの奥まで入れてもらっている。
二百七のうち、二百七が消えていた。
消えていないものが、別に十四箇所ある。数えたのは玲だが、数える前から全員が知っていた。
市内の、金の継ぎ目になる。去年の秋から、あちこちに走っている細い線で、割れた石段や、欠けた鉢や、外れた戸の桟に入っている。線の太さが箇所ごとに違う。太いところと細いところが、一本の中で入れ替わる。
六人はそれを見て回った。十四箇所とも、走ったまま残っている。十四箇所とも、走ったままになっている。
誰も理由を言わなかった。蒼が一度だけ言いかけて、止めた。止めるとき、口の形が半分できていた。
止めたのを、燈は見ていた。見て、訊かなかった。訊けば、答えが返ってくる。返ってくると、そのあとを考えなければならない。
火村鍛冶の火床の脇に、柄だけの鎚がある。
頭が無い。柄は樫で、握りのところが掌の形に窪んでいる。窪みが燈の手には大きい。燈が握ると、窪みの縁に指が乗る。
燈の父のものになる。頭は三年前に無くなった。何処へ行ったかは分かっていない。
燈は柄を捨てなかった。捨てずに、火床の脇へ立てて置いている。立てる向きも決まっていて、窪みを壁の側へ向ける。誰かに教わった置き方ではない。
キンが来たのは、その柄の前でになる。
金の男が土間へ入って、火床の脇で足を止めた。止まってから、柄を拾った。
拾い方が丁寧になる。両手で持って、窪みへ指を入れない。窪みは人の手の跡なので、そこへ触れない。
「これは、継げません」
「壊れてんだろ」と燈が言った。
「継ぐものが、片方ございません」
「片方だけじゃ駄目なのか」
「片方だけでは、継げません」
キンは柄を元の場所へ戻した。立てて、窪みを壁の側へ向ける。
燈と同じ置き方になる。
燈は気付かない。蒼が気付いて、何も言わなかった。
「なあ」と燈が言った。
「はい」
「頭が見付かったら、継げるか」
「継げます」
「見付からなかったら」
「継げません」
「作ればいいだろ。頭を」
「作ったものは、片方でございますか」
燈は答えられなかった。作った頭は、頭になる。それでも片方にはならない気がする。
キンは土間の隅を見て、それから外へ出た。出るとき、敷居を跨ぐ足が高い。敷居を踏まない歩き方になる。
誰に習ったのかは、訊かなかった。訊く相手が、その場にいなくなっている。
*
贋作体が出たのは、井桁の店の裏になる。
畳表の形をしている。胴が長い。表面に縁の糸が走っていて、その糸が走るたびに、走った跡が消えていく。
燈が印を胸へ押した。四人が押した。押す前に、燈が一度だけ火の見櫓の方を見る。西側に誰も並んでいない。
> 銘 ── 確認。〈火村燈〉。
> 銘 ── 確認。〈陶山蒼〉。
> 銘 ── 確認。〈綾織紬〉。
> 銘 ── 確認。〈楠木巌〉。
> 銘 ── 確認。〈硝子井玲〉。
五つの印が、一枚の紙に並んだ。六枚目のところは白いままになる。
> 銘量 ── 火村燈 五百三十九。陶山蒼 五百八十。綾織紬 四百二十八。
> 楠木巌 六百十四。硝子井玲 五百二十二。
> 六つ、減っております。
玲が最初に線を引いた。引いた線が胴へ入って、そこで消えた。消えるのに、二呼吸ほど掛かっている。
切った跡が残らない。斬られたところが、斬られなかったことになる。玲の透かし刃は、跡だけを残す刃になる。跡が残らないと、玲には何も残らない。
「消えました」
「もう一本だ」
「消えます」
巌が継手鋸を当てた。継ぎ目を作る。作った継ぎ目が消える。消えたあとの木口が、削られる前の面に戻っていた。
紬が鞭で括った。括った跡が消える。締めた分だけ、胴が細くなって、そのまま元へ戻った。
「取ってます」と蒼が言った。「継ぎ目を取ります。作ったそばから取ります」
「じゃあ、作れねぇじゃねぇか」
「作った物を取ります。取れない物なら、残ります」
「取れねぇ物って何だ」
「重さです」
蒼は自分の輪を見た。窯変の輪で、縁が欠けている。欠けたまま使っている。
「継ぎ目は取れます。継いだ分の重さは、物の中に入っています」
巌が動いた。動いた先が、贋作体ではない。四十年、木以外へ鋸を当てたことは無い。
燈のところへ来た。
「寄越せ」
「何をだ」
「柄だ」
巌は燈の鎚の柄へ、継手鋸で継ぎ目を入れた。柄の中ほどに、細い段が入る。段へ木片を差して、叩き込む。差す木片は、腰の袋から出した端材になる。楠木の作業場から出た切れ端で、いつも十本ほど持っている。
鎚が重くなった。手に持った感じで、二割は増えている。
「重ぇよ」
「重い」
「振れねぇだろ」
「振れ」
紬が来て、継ぎ目のところへ糸を巻いた。余り糸になる。箱に入れてあった、去年の春からの糸を持ってきている。巻き方は八の字で、締めると解けない。
巻いた分だけ、また重くなった。
蒼が輪の縁へ土を貼った。生乾きの土で、貼るとすぐに縁が丸くなる。玲は石掛けの輪の欠けへ、硝子の粉を詰めて焼き付けた。
四つとも重くなった。重くなった順に、四人の構えが低くなる。
贋作体が受けにきた。受ける位置が、いつもの位置になる。この一年、燈の鎚はいつも同じ速さで落ちてきた。
燈が振った。
遅れた。
重いので遅れる。振り上げてから落ちるまでが、いつもより長い。長い分、贋作体の受けが先に出た。
先に出た受けを、鎚が追い越さない。追い越さないまま、受けの外側へ落ちた。
打たれた。左の肩へ入って、燈は二歩下がる。下がった足で踏ん張って、そこで止まった。
持ち替えれば軽くなる。予備の鎚は腰に下げてある。
持ち替えなかった。持ち替えれば、巌の入れた継ぎ目が要らないものになる。
二度目も遅れる。二度目も打たれた。三度目も遅れて、三度目も入られた。
三度とも、贋作体の受けは先に出ていた。先に出て、そこで待って、待ったところへ鎚が来ない。
待つ時間が、毎回違う。読んでいる方が、待たされている。
贋作体が読んでいるのは、軽い鎚の速さになる。今の鎚は、その速さで落ちない。
四度目で、贋作体の受けが早く閉じた。閉じたあとへ、鎚が入った。
「火村燈、行きます」
燈は鎚を頭の上まで上げた。上げてから、一度止めた。止めた腕が震える。重いので震えるのであって、怖いのではない。
打ち急ぐ者が止めるのは、この一年で初めてになる。止めたのは、重かったためになる。重い物は、勝手に落ちてくれない。
「焔鎚、鍛接ッ!」
鎚が落ちた。
落ちた場所が、玲の線と、巌の継ぎ目と、紬の括りが消えた場所になる。三つとも消えている。消えた跡が三つ重なっている。
そこへ、重さが入った。
鉄を継ぐには、二つを同じ温度まで焼いて、叩いて一つにする。叩いた瞬間だけ、二つが一つになる。継ぎ目は残らない。重さだけが足される。
贋作体の胴が沸いた。沸いたところが白くなって、白いところから、内側へ潰れた。
潰れて、割れた。割れ方が内側からになる。
崩れる音がした。石が石に当たる音になる。
*
「── 量産」
通りの向こうから低い声がした。
地面が持ち上がって、同じ形のものが並んで生えた。
> 連結を確認。
「火入れッ!」
> 真、通りました。
「組み継ぎ、合体!」
継手が噛んだ。木を組む時と同じ音が、四十メートルの高さで鳴る。
噛んでから、巌が右の膝の継手を抜いて、入れ直した。
> 楠木巌さん、掛け直しを確認。三、減っております。
> 銘量 ── 六百十四であります。
ハツが店の前へ出て、上を見た。畳表を抱えたままになっている。抱えたまま出てきたのは、置く場所が無かったためになる。
見えるのは脚の一部だけになる。アーケードの屋根が上を切っていて、その向こうは白い。
「刻印!」
右の拳が前へ出た。左の掌が、その甲を上から押す。
「銘刻斬ッ!」
声が五つ揃った。
拳が並びの真ん中へ入った。入ったところで止まって、そこに朱が走る。線が字の形になっていって、銘が刻まれた。
崩れた。落ちた欠片が地面に当たって、そこで砂になる。
ハツは畳表を抱え直した。抱え直したとき、腕へ掛かる重さが変わっていた。
*
継ぎ目が戻った。
戸島の道具箱に鎹が戻る。桑名の前掛けに継ぎ当てが二枚。島村の下駄の台には蟻継ぎが入り、宮下の裁ち台の割れには木片が埋まった。
ハツの畳表には、去年の秋の縫い直しが戻っている。
街の者が一つずつ持ち上げて、そのたびに手が下がる。持ち上げた者は、たいてい二度持ち上げた。
「重いな」とハツが言った。
「重いです」と巌が言った。
「継いだ分だ」
「そうです」
ハツは表を膝へ置いて、縁の糸を指でなぞった。糸の色が本体と違う。染めた年が違うので、少し赤い。
「継いだ分が、重さで残るんだな」
「残ります」
「軽い方がいいと思ってたよ」
「思いますね」
「軽い畳は、置いても動くんだ」とハツが言った。「動くと、隙間ができる。隙間ができると、そこから傷む」
巌は頷いた。頷いてから、自分の家の柱を思い出したような顔をした。
「重いのは、そこに居るってことです」
「そうだな」
「動かんもんは、動かんなりに面倒です」
「面倒だよ」
ハツは笑わなかった。笑わずに、表を抱えて店へ入った。抱え方が、朝と変わっている。
入るとき、敷居のところで一度持ち直した。持ち直す動作を、六人とも見ていた。
夕方、颯太が巌の家に来ていた。
楠木の作業場は柱と梁が見えている。継ぎ目が全部見える建て方になる。
「つぎめ、いち、に、さん」
「ん」
「にじゅうはち」
「多いな」
「いわおさんのいえ、ぜんぶつぎめ」
「そうだ」
「こわれてるの?」
「継いであるだけだ」
「こわれたの?」
「建てるときからだ」
颯太は柱の継ぎ目を指でなぞった。なぞってから、自分の手を見た。
「てにも、つぎめある?」
「無ぇな」
「ないの」
「無ぇ」
颯太は手を握って、開いた。開いた掌を、暫く見ていた。十歳の掌には、線しか入っていない。
*
夜、六人が火村鍛冶の土間にいた。
蒼が土を練っていた。菊練りは三拍子で、押して、回して、また押す。押すたびに空気が抜けていく。
「割れた茶碗の 継ぎ目のほうが」
一行で止めた。二行目は出さない。誰も続きを訊かなかった。
燈は鎚を膝へ置いていた。柄の中ほどに継ぎ目が入っている。巌の入れた段へ、木片が差してある。
紬の糸が巻いてある。糸は薄い山吹で、去年の春の色になる。
「外すか」と巌が訊いた。
「外さねぇ」
「重いぞ」
「重い」
燈は柄を握り直した。掌が段のところに当たる。当たるところが、まだ馴染んでいない。
道具は減って自分のものになる。柄は握った形に艶が出て、艶の出たところが手の置き場になる。今の柄には、その置き場が二つある。前からのところと、段を避けたところになる。
どちらで持つかを、燈はまだ決めていない。
「馴染むまで、どのくらいだ」
「三月だな」
「長ぇな」
「木だからな」
玲が算盤を出した。今日の数を入れる。
「継ぎ目が二百七、戻りました」
「二百七か」
「はい。それと、戻さなかったものが十四あります」
「戻さなかったのか」
「戻す必要がありませんでした。消えていないので」
玲は算盤を伏せた。伏せると珠が鳴る。鳴らしてから、玲は一度だけ西の方を見た。
誰も、十四の話を続けなかった。続けると、そこから先が長くなる。
キンは土間の外に立っていた。
入ってこない。戸口の外の、明かりの届く際のところに立っている。
蒼が気付いて、湯呑みに湯を入れて持っていった。
「どうぞ」
「頂戴いたします」
キンは受け取って、両手で持った。持ってから、少し待って、それから飲んだ。待ったのは、熱かったためになる。
味は分からない。この一年、何を食べても分からないままになっている。熱いか冷たいかだけは分かる。その湯は熱かった。
「美味いか」と燈が土間から訊いた。
キンは湯呑みを見た。
「みなさんが美味いとおっしゃいますので」
「訊いてんのは、お前がどうかだ」
キンは答えなかった。
湯呑みを両手で持ったまま、外に立っている。答えを探している顔でもない。探して見付からない顔でもない。
燈は待った。蒼も待った。巌も玲も紬も、誰も次を言わない。
キンは湯呑みを蒼へ返して、頭を下げた。下げ方が丁寧になる。
「頂戴いたしました」
「あの」
「失礼いたします」
キンは戸口から離れた。離れる足が、敷居を踏まない。
燈は框まで出て、外を見た。金の背中が通りの角で曲がって、そこで見えなくなる。角の石段には、金の継ぎ目が一本走っている。
答えなかったのは初めてになる。この一年、キンは何を訊かれても必ず何か答えていた。答えられないときは、答えられないと答えていた。
今日は、それも言わなかった。言えなかったのか、言わないと決めたのかは分からない。
燈は框に座ったまま、暫く通りを見ていた。座った框の板が、そこだけ黒く光っている。何十年も同じところへ腰を掛けてきた跡になる。
風が出て、アーケードの骨が鳴った。鳴る音が低い。継ぎ目のあるところが鳴る。継ぎ目の無いところは、風が通っても鳴らない。
> 【鑑定 第六十一号 追記】
> 押印累計 ── 二百九十。
> 物件 ── 継ぎ目。
> 追記 ── 本日、押印五。搭乗六、刻印一。銘量の減少を確認。
> 所見 ── 当該物件 ── 継ぎ目、ございません。破損の記録も、ございません。
> 原物 ── 返却済み。継ぎ目、二百七箇所であります。
> 当該原物の重量 ── 増えております。
> 贋作体一体、消失。焔鎚、鍛接による。止めたのは火村燈さんであります。
> 本隊の打撃 ── 四。命中 ── 一。
> 未処置の継ぎ目 ── 十四。市内。金であります。
> 当該十四箇所の処置者 ── 記録が、ございません。
> 継げなかった物件 ── 一。柄、一本。所有者 ── 火村燈さんであります。
> 当該物件の欠損 ── 頭部、一。所在 ── 不明であります。
> 本件、真贋判定 ── 〈贋〉。
> ただし、




