第056話 同じ顔の客
> 【鑑定 第五十六号】
> 押印累計 ── 二百六十五。
> 依頼者 ── 桑名。
> 物件 ── 来訪者、四十名。
> 所見 ── 当該四十名 ── 顔、異なります。
> 購入品 ── 同一であります。
> 選択に要した時間 ── いずれも、ございません。
> ……判定を、開始します。
── 陶山の轆轤場には、跡が四本の茶碗が置いてある。
四月になって、銘洲川の土手の桜が開いた。去年より四日早い。
商店街は花見の客をあてにしている。土手までは駅から歩いて十分で、途中に通りがある。通らずには行けない。
この一週間で、一年の四分の一を売る店がある。桑名の八百屋がそうで、筍と山菜を並べる。三日前から仕入れを増やしている。
巌は八百屋の前で縁台を組んでいた。桑名に頼まれたもので、三台ある。貫を通して、楔を打つ。楔は少し細くする。
「急ぐな待てよ 木は千年で」
一行だけ唄って、そこで止めた。木槌の音が続いた。
「今日中に要るんだけどな」と桑名が言った。
「今日中に出来る」
「唄が急いでねぇぞ」
「唄は急がん」
桑名は八百屋で、五十四になる。父の代から同じ場所で店を出している。花見の時期は筍と山菜を並べる。
筍は朝掘りを仕入れる。掘ってから時間が経つほど、えぐみが出る。だから朝のうちに売る。売れ残った分は、その日のうちに茹でてしまう。
燈は値札を書いていた。桑名に頼まれて、三十枚ほど書く。書いてから、桑名が全部書き直した。
字が下手だからではない、と桑名は言う。下手なのは知っていて、それでも毎年頼む。頼んでおいて書き直すのが、十年ほど続いている。
「読めねぇんだよ」
「読めるだろ」
「三が八に見える」
その日の昼、深野の客が値札を指した。桑名が書き直した方ではなく、燈の書いた方が一枚だけ残っていた。
「これはいくらですか」
「三十だ」
「八十に見えます」
「三十だ」
「では、八十お支払いします」
「三十だっつってんだろ」
客は三十置いて行った。八十では払わない。言われた額を払う。
*
汽車が着いたのは十時になる。上りの二本目で、花見の時期は臨時が付く。
深野町から四十人来た。汽車で三十分の町で、花見の時期にはよく来る。去年も来た。
通りに入ってきたところまでは、いつもと同じだった。話し声もある。笑っている者もいる。
最初に気付いたのは島村になる。履物屋の店先に下駄を並べていて、四十人のうち十人が通った。
十人とも、同じ下駄を取っていく。順番に来て、順番に同じ物を取った。
台の右端に置いてある、桐の三寸五分になる。並べ方の都合でそこに置いてあるだけで、一番いい品ではない。
いい品は真ん中にある。値が張るので、真ん中に置いて、手に取ってもらう。右端は数を出す品になる。
この並べ方は島村の父が決めた。五十年、そのままにしてある。客の目は右から入るとか、左から入るとか、諸説あるらしい。島村はどちらとも言わない。
十人とも、それを取って、そのまま買った。値札も見ていない。
「置き直しが無いんだよ」と島村が言った。
「置き直し?」
「客が来たのに、直すとこが無い」
買い物は迷う。手に取って、置いて、また取る。値札を二度見る。迷った手は、物の置き場所を僅かにずらす。
並びが乱れる。乱れたのを、店の者が直す。
その日は、十人が通ったあとの台が、朝並べたままの形をしていた。抜けた場所だけが空いている。
桑名の店でも同じことが起きていた。筍を全員が同じ籠から取る。二番目の籠には誰も手を出さない。中身は同じになる。
桑名は籠を入れ替えてみた。二番目を右端へ移した。次の客は、右端の籠から取った。籠を見ているのではない。場所を見ている。
「選んでません」と蒼が言った。
「買ってるだろ」
「買ってます。決まってるものを、取ってます」
燈が一人に声を掛けた。四十くらいの男で、深野の駅前で床屋をやっているという。
「どっちがいいですか」
燈は筍を二本、両手に持って見せた。太さが違う。片方は根元が張っていて、片方は細くて長い。
男は右を指した。迷いが無い。見てから指すまでが速い。
「なんでですか」
「そっちがいいので」
「どこがですか」
「いいところが」
燈は二本を持ち替えた。左右を入れ替えて、もう一度見せた。
男は同じ方を指した。持ち替えた分だけ、指す手も変わっている。品を見て、迷わずに決めた。
男は困った顔をしていない。答えに詰まってもいなかった。ただ、それ以上の言葉が出てこない。出てこないことを、本人は変だと思っていなかった。
「深野は、どんな具合ですか」と蒼が訊いた。
「いいですよ」
「店は」
「潰れてません。去年の秋から、一軒も」
「揉め事は」
「ないですね」
「一つも?」
「一つも」
男は笑った。笑い方が普通だった。困っていることが無い人の笑い方になる。
燈は返す言葉が無かった。困っていないことを、こちらから困らせる言い方が思い付かない。思い付いても、言う気にならなかった。
*
昼に六人が集まった。桑名の店の裏で、筍の入った籠を挟んで立っている。
> 当該四十名 ── 真であります。
燈が識を見た。識は籠の縁に腰を掛けている。
「真って、本物ってことか」
> 本物であります。複製ではございません。
「じゃあ、なんでこうなってんだ」
> 当該四十名の居住地は、銘洲市外であります。
誰も次を言わなかった。玲が先に口を開いた。
「深野は、どうなってるんですか」
> 本機の記録は、銘洲市に限られます。
「見に行けば分かるだろ」と燈が言った。
> 分かります。
「じゃあ」
> 直せません。
「なんでだ」
> 物件が、本機の範囲にございません。
燈は立ち上がった。立ち上がって、それから座り直した。座り直すまでに、汽車の時刻を思い出している。上りは一時間に二本ある。
汽車で三十分になる。行けば見える。見えても、鑑定書が出ない。鑑定書が出ないと、贋作体が出ない。贋作体が出ないと、倒すものが無い。
置き換えは、困った者がいて初めて物件になる。困っていない置き換えは、書式に載らない。
深野には、困っている者がいない。
これまでの置き換えにも、困らなかった者は大勢いた。湊屋も、蒲原の兄弟も、平尾もそうになる。それでも、隣に困った者が一人いた。一人いれば、依頼が出る。
深野には、その一人がいない。
「今まで、街の外でやってきただろ」と燈が言った。
> 依頼者が、銘洲市の者でありました。
「小名瀬も、柚木も」
> いずれも、依頼が銘洲市から出ております。
「深野からは」
> ございません。
困っている者がいないので、依頼が出ない。出ないので、鑑定書も出ない。
紬が糸を巻きながら、それを聞いていた。巻く手が止まっている。
「深野に、織屋はありますか」と紬が訊いた。
> ございます。二軒であります。
「知ってるんですね」
> 知っております。記録には、ございません。
「どんな織屋ですか」
> 申し上げられません。
「知らないんじゃなくて」
> 知っております。申し上げられません。
紬は糸を巻き直した。それ以上訊かなかった。
訊いても答えが決まっている。決まっている問いを重ねるのは、迷っていないのと同じになる。紬はそう思って、巻く手を速めた。
金色の男は、その日の昼過ぎに佐久間豆腐店の前へ来た。
佐久間が豆腐を二丁、水に浮かべて出している。花見の客向けに、朝から二釜炊いた。
「どちらでございましょうか」と男が訊いた。
「どっちでもいい」
「同じでございますか」
「同じじゃねぇ」
佐久間は二丁を指した。一丁は角が立っている。もう一丁は少し崩れていて、その分だけ柔らかい。
同じ日に、同じ釜で、同じ型で作った。それでも違う。二釜目は水の温度が上がっているので、固まり方が変わる。四十年やっていて、揃った日が一度も無い。
「じゃあ、どっちがいいんですか」と燈が訊いた。
「どっちもいい」
「決められねぇのか」
「決めねぇんだ」
男は二丁の前で動かなくなった。掌を出したまま、下ろさない。
「では、決められません」
「決めなくていい」
「決めずに、頂けますか」
佐久間は両方渡した。男は両方食べた。両方とも味が無かった。
男は空になった器を返して、頭を下げた。食べるのに掛かった時間が、二丁とも同じだった。
「どちらも、同じでございました」
「そうか」
「わたくしには、同じでございます」
佐久間は器を受け取って、水を張り直した。張り直す水の量が、いつもと同じになる。
「そりゃ、こっちの問題じゃねぇな」
男は佐久間を見た。見る目の位置が変わらない。
「お困りではございませんか」
「困ってねぇよ」
「では、直すものがございません」
「そうだな」
佐久間は水に指を入れて、温度を見た。見てから、二丁分の水を足した。
男は少し黙ってから、通りを歩いていった。歩き出す前に、二丁の載っていた盆を一度見ている。
*
贋作体は八百屋の土間から起きた。籠が三つ、横へ倒れた。
人の形をしている。手も足もある。表面が滑らかで、継ぎ目が無い。立ち方が正しい。正しすぎて、何処にも力の抜けたところが無かった。
五人が印を胸へ押した。桑名は縁台の裏へ回った。
> 銘 ── 確認。〈火村燈〉。
> 銘 ── 確認。〈陶山蒼〉。
> 銘 ── 確認。〈綾織紬〉。
> 銘 ── 確認。〈楠木巌〉。
> 銘 ── 確認。〈硝子井玲〉。
五つの印が、一枚の紙に並んだ。六枚目のところは白いままになる。
> 銘量 ── 火村燈 五百六十五。陶山蒼 六百六。綾織紬 四百五十四。
> 楠木巌 六百五十八。硝子井玲 五百四十八。
> 六つ、減っております。
音が先に来た。石畳を擦る音になる。足の裏が地面から離れずに動いている。
燈が打った。肩で受けられた。肩が一番硬い。
玲が斬った。手の甲で受けられる。そこが一番硬い。
巌が歯を当てた。踵で受けられた。
「全部一番硬いです」と玲が言った。
「どこ狙っても同じか」
「当てた側が、一番いい受け方をします」
「三秒くれ」と蒼が言った。
燈が蒼を見た。蒼は言い直さなかった。三秒黙って、それから佐久間の方を向いた。
「佐久間さん」
「何だ」
「豆腐、二丁ください」
佐久間は水から二丁上げて、盆に載せて持ってきた。角の立った一丁と、崩れた一丁になる。
「これをどうすんだ」と燈が訊いた。
「置きます」
蒼は盆を贋作体の正面へ置いた。置いて、下がった。
贋作体が動いた。動いて、盆の前で止まった。止まり方が急ではない。歩いてきて、そのまま歩くのを止めた形になる。
二丁のうち、どちらか一つを取ろうとしている。手が出て、途中で止まった。もう一方へ寄って、また止まる。
良い方を選ぼうとしている。選べない。
佐久間にも選べない。作った者に選べないものを、贋作体が選べる理由が無い。
「今です」と蒼が言った。
玲が前へ出た。刃を胴へ当てて、線を引きはじめた。
割り出しになる。器の面をいくつに分けるかを決めて、等しい間隔で線を入れる。切子は、そこから始まる。
等しくすると、何処も一番にならない。切子の割り出しは、そのための作業になる。
贋作体の腕が振られた。玲の背に当たった。膝が落ちて、戻った。線は引き続けた。
割り出しは震えると狂う。狂った線は消せない。切子は、引いた線の上に彫っていく作業になる。最初の割り出しが狂えば、全部が狂う。
もう一度打たれた。今度は肩に入った。玲は引き直さなかった。
引き直すと、そこだけ濃くなる。濃くなれば、そこが一番になる。
「硝子井玲、行きます」
「透かし刃、割り出し」
線が一周した。八つに分かれた。八つとも同じ幅になっている。
玲の手は震える。震えるので、八つが厳密に同じにはならない。それでも、どれが一番かは決められない幅に収まった。
決められない幅、というものがある。
贋作体が受けようとする。受ける場所が決まらない。八つとも同じ硬さになっている。
何処にも当てられないまま、八つに割れた。割れ目が八つとも同じ幅になる。
落ちた面が土間に当たって、そこで白い粉になった。粉が盆の脇で止まって、豆腐には掛からなかった。
二丁とも残っている。佐久間が盆ごと引き取って、水を張り直した。誰も食べていない。
土間からノッペリ兵が出てきて、五人がそれを片付けた。消える時、全員が一斉に言った。
「……ありがとうございました」
*
「── 量産」
通りの向こうから低い声がした。桜の下からになる。
石畳が持ち上がって、同じ形のものが並んで生えた。数は数えていない。
> 連結を確認。
「火入れッ!」
> 真、通りました。
「組み継ぎ、合体!」
継手が噛んだ。木を組む時と同じ音が、四十メートルの高さで鳴る。
噛んでから、巌が右の膝の継手を抜いて、入れ直した。もう誰も何も言わない。
> 楠木巌さん、掛け直しを確認。三、減っております。
> 六百五十五であります。
桑名が店の前へ出て、上を見た。手に筍を持ったままになっている。
見えたのは脚だけになる。アーケードの屋根が上を切っていて、その向こうは白い。屋根の隙間から花が入ってきて、土間へ落ちた。
屋根の縁に、緑の線が動くのが見えた。動いて、消えて、また出る。
「刻印!」
右の拳が前へ出た。左の掌が、その甲を上から押す。
「銘刻斬ッ!」
声が五つ揃った。
拳が並びの真ん中へ入った。入ったところで止まって、そこに朱が走る。線が字の形になっていって、銘が刻まれた。
崩れた。落ちた欠片が石畳に当たって、そこで白い粉になった。粉が溝を流れて、側溝の格子で止まっている。
*
四十人は帰った。土手で二時間ほど過ごしている。
夕方の汽車に乗って、四十人とも同じ車両に乗った。座る位置まで詰めて座っていた。
誰も変わっていない。買ったものも、そのまま持って帰った。
燈は改札のところまで見送りに行った。行っても、することが無い。四十人が順に改札を通って、順に同じ扉から乗る。切符を出す手つきまで揃っていた。
押し合いが起きない。譲り合いも起きない。順が最初から決まっている。
燈は改札の外から、汽車が出るまで立っていた。出てから、暫くそこにいた。ホームの向こうに、深野の方角の線路が延びている。
島村が台を直しに来た。直すところが無い。
「乱れてねぇんだよ」
「戻らねぇんですか」
「戻る戻らねぇじゃなくて、最初から乱れてねぇんだ」
島村は下駄を一足取って、置き直した。置き直してから、また元へ戻す。戻してから、もう一度動かした。今度は戻さなかった。
五十年やっていて、客の帰ったあとに直すところが無い日は初めてだという。台を見ていると、自分が並べた朝のままになる。
「売れたのに、朝のままなんだよ」
桑名は籠を並べ替えた。二番目の籠を右端へ移して、それから戻した。
「儲かったんだけどな」と桑名が言った。
「儲かったんですか」
「一年で一番出た」
「よかったですね」
「よかった」
桑名はそれきり黙って、筍を数えはじめた。数え終わってから、もう一度数え直した。二度とも同じ数になる。それでも三度目を数えた。
三度目も同じだった。桑名は籠を店の奥へ入れて、その日の店を閉めた。まだ日が高い。
「また来るかね」と桑名が言った。
「来ますよ」
「来るよな」
桑名は筍を一本、燈へ渡した。値札は付いていない。
夜になって、六人が火村鍛冶の土間にいた。火は落としていない。
誰も座っていない。立ったまま、識の方を向いている。座ると話が長くなると、誰かが言ったわけでもない。
「深野へ行ったらどうなる」と燈が訊いた。
> 本機は、鑑定書を発行いたしません。
「見るだけならいいだろ」
> 見るだけであれば、差し支えございません。
「見て、どうする」
> 存じません。
巌が壁に凭れた。凭れると柱が鳴る。
「行くのか」
「行かねぇ」と燈が言った。
「なんでだ」
「今日、四十人来た。明日も来る」
燈は火床の前へ戻って、炭を寄せた。寄せた側から赤が起きる。
「来るうちは、こっちで会える」
「会って、どうすんだ」と巌が訊いた。
「分からん」
「分からんのに、待つのか」
「待つ」
巌は柱から背を離した。離してから、何も言わずに戸口の方へ寄る。寄ってから、外の提灯を数えた。数えたことは言わなかった。
戸口から通りが見える。花見の提灯がまだ下がっている。明日も客が来る。来れば、また同じ買い方をする。
紬が糸を巻きはじめた。巻きながら、一度だけ手を止めた。
> 銘量 ── 火村燈 五百六十五。
「減ってねぇな」
> 本日ぶんは、引いております。
「識」
> はい。
「銘洲の外に、街はいくつある」
> 本機の記録には、ございません。
「知ってるだろ」
> 知っております。記録には、ございません。
「じゃあ、覚えとけ」
> 承知いたしました。
識は数を言わなかった。燈も訊き直さなかった。
訊けば答える。答えられる数を、聞かずに済ませた回になる。誰も止めなかったし、誰も勧めなかった。
> 【鑑定 第五十六号 追記】
> 押印累計 ── 二百六十五。
> 物件 ── 来訪者、四十名。
> 追記 ── 本日、押印五。搭乗六、刻印一。銘量の減少を確認。
> 所見 ── 当該四十名 ── 真であります。複製ではございません。
> 当該四十名の居住地 ── 銘洲市外であります。
> 購入品 ── 同一でありました。置き直し ── ございませんでした。
> 贋作体一体、消失。割り出しによる。
> 等分は硝子井玲。八分割。引き直し ── ありません。
> 停止に用いたもの ── 豆腐、二丁。提供は佐久間。
> 当該二丁の優劣 ── 判定いたしません。
> 止めたのは硝子井玲であります。
> 市外の記録 ── 本機は、保持しておりません。
> 復旧 ── 出来ません。
> 依頼者の申し立て ── また来るかね。
> 本件、真贋判定 ── 〈真〉。
> ただし、




