第055話 うますぎる弟子
> 【鑑定 第五十五号】
> 押印累計 ── 二百六十。
> 依頼者 ── 陶山蒼。
> 物件 ── 器、六十三。
> 所見 ── 当該六十三点 ── 内側の跡、いずれも三本であります。
> 製作年 ── 十年に渡っております。
> 手の熟れ ── 同一であります。
> ……判定を、開始します。
── 井桁は、翌週も庖丁を持って来た。
陶山窯の轆轤場は、三月でもまだ火鉢を出している。北向きで、日が入らない。
土が冷えると締まりが悪い。指が冷えると力の入れ方が変わる。蒼は火鉢の炭を足してから、土を練りはじめた。
菊練りは三拍子になる。押して、回して、寄せる。それを百回ほど繰り返すと、土の中の空気が抜ける。
抜けきらないと、焼いた時にそこが割れる。割れるのは焼いてからなので、練った時には分からない。分からないまま、百回練る。
百回で足りるかどうかも、焼くまで分からない。足りなかった回は割れて、割れた器は数に入らない。数に入らないものが、この十年で何百かある。
「土は嘘つく 練れば練るほど」
一行だけ唄って、そこで止めた。練る音が続いた。
燈は轆轤の横に座って、それを見ていた。鏨を届けに来て、そのまま居座っている。
「何回やるんだ」
「百くらいです」
「数えてんのか」
「数えません。手が止まる場所で分かります」
蒼は土を轆轤へ据えて、水を打った。挽きはじめると、音が変わる。土の鳴る音が、回転につれて細くなっていく。
茶碗が一つ上がった。蒼はそれを切り離して、板へ置いた。
燈が覗き込んだ。内側に、細い筋が三本入っている。底の近くから縁へ向かって、間隔を空けて並んでいた。
「これ、なんだ」
「指の跡です」
「消せねぇのか」
「消せますけど、消しません」
轆轤で挽いた器の内側には、指を当てた跡が残る。慣れないうちは跡が多い。手数が多くて、当て直しが要るからになる。
熟れると減る。三本まで減れば、たいてい一息で挽けている。
「三本が上手いのか」
「上手いです。ただ、上手いだけです」
「上手いのに、いいことじゃねぇのか」
「いいことです」
「じゃあ、なんで含みがあんだよ」
「含んでません」
蒼は次の土を取った。取ってから、少しだけ間が空いた。空いた分を、燈は数えなかった。数えていたら三秒より長い。
納屋には、蒼の古い器が積んである。売り物にならなかった分になる。年ごとの棚に分けてあって、一番下が十六の年のものになる。
捨てていない。割ってもいない。窯変の出た器は割ってきたが、下手なだけの器は残してある。
「なんで残すんだ」と燈が前に訊いたことがある。「見ると、直したくなるので」と蒼は答えた。答えになっていない。
六十三ある。数えたのは蒼で、毎年数え直している。
*
次の朝、六十三が上手くなっていた。棚の位置は動いていない。
蒼が納屋の戸を開けて、そのまま動かなかった。戸を開けたところで足が止まっている。
棚の並びは変わっていない。年ごとの札もそのままになっている。札は蒼の字で、年だけ書いてある。ただ、置いてある器が違う。
違うと言っても、大きさも形も同じになる。数も六十三で合っている。合っているところが、一つも無いよりも悪い。
十六の年の棚から一つ取って、内側を見た。手に取る前に、棚の札を確かめている。
跡が三本ある。細くて、間隔が揃っている。
次を取った。同じだった。その次も同じで、六十三とも三本になっている。
「十年ぶんです」と蒼が言った。
「十年で、上手くなったんだろ」
「なりました。だから、跡の数が違うはずです」
蒼は一番下の棚から三つ並べて、燈に見せた。十六、十七、十八の年のものになる。
本来なら、この三つは一目で違う。十六は厚くて重い。十七は薄すぎて、口が反っている。十八でようやく、持って安定するようになる。
三つとも同じ厚みで、同じ高さで、同じ跡の数だった。並べると、影の落ち方まで揃う。
燈は三つを持ち上げて、順に重さを比べた。同じだった。三年分の差が、掌に一つも残っていない。
鉄でも同じことが言える。三年前に打った物と今の物では、重さの掛かる場所が違う。並べれば分かる。並べなくても、握れば分かる。
紬が横から一つ持ち上げて、高台を指でなぞった。指の腹を使っている。
「削りが二度です」
「私は三度です」
「昔からですか」
「三度にしたのは、二十を過ぎてからです」
蒼はもう一つ取って、高台を見た。二度で落としてある。深さも揃っている。三度目の浅い一削りが、どこにも入っていない。
「十六の年は、二度でした」
「じゃあ合ってるだろ」と燈が言った。
「合ってます」
蒼は器を置いた。置いてから、置いた手をそのままにしていた。
「合ってるのが、おかしいんです」
燈は待った。蒼は続けない。続けないまま、次の棚へ行った。
合っているのがおかしい、という言い方を、燈は初めて聞いた。合っていれば正しいのだと思っていた。鉄は合っているか合っていないかで見る。それ以外の見方があるらしい。
*
昼までに六十三、全部見た。見るのに三時間掛かっている。
蒼は最後の一つを板へ置いて、そこで座った。土間に直接座っている。
「これは私のじゃありません」
「上手いだろ」
「上手いです。先生のです」
燈は蒼を見た。蒼が誰かを先生と呼ぶのを、初めて聞いた。
一年一緒にいて、一度も出なかった名になる。出なかったのは、隠していたからではない。出す場面が無かったからだと、燈はその時に思った。あとで思い直した。
「先生って、誰だ」
「修業に出た時の人です」
「陶山じゃねぇのか」
「うちは跡取りが外へ出ます。近すぎると、教わらないので」
三ノ瀬という土地で四年いたという。蒼は場所は言ったが、名は言わなかった。訊かれなかったからでもある。
十六で行って、二十で帰った。帰る時に、器を一つも持ち帰らなかったという。持ち帰るものではないと言われたらしい。
「持って帰るなって言われたのか」
「言われてません」
「じゃあ」
「持って帰るものが、無かったんです」
「その人の器と、同じなんです」と蒼が言った。
「同じって、写したのか」
「写してません」
「じゃあ」
「写してないのに、同じです」
玲が一つ取って、光へ向けた。硝子を見る時と同じ持ち方になる。
「厚みが、外から内へ均等に薄くなってます」
「それが」
「三ノ瀬の挽き方です。私も見たことがあります」
蒼は玲を見た。それから、また器を見た。
「見たことがあるって、どこでですか」
「市の工芸館です。去年、三ノ瀬の展示がありました」
「行きました」
「知ってます。並んで見ました」
蒼は覚えていないという顔をした。玲は覚えている。並んで見た日の、蒼の立っていた時間まで覚えていると言った。二十分ほど動かなかったらしい。
「上手くなるって、どういうことだ」と燈が訊いた。
蒼は答えるのに間を置いた。三秒より長い。
「先生に近付くことでした」
誰も返事をしなかった。蒼も言い直さなかった。
紬が何か言いかけて、止めた。止めたのは、自分の家の話になると気付いたからになる。母に習って、母はその母に習った。糸の掛け方が三代同じである。
紬は言わなかった。言わないまま、器を一つ棚へ戻した。
紬が納屋の隅の缶を開けた。落雁が入っている。蒼の隠し場所になる。
「これ、私の隠し方じゃありません」と蒼が言った。
「食えるだろ」
「食えます」
「じゃあいいだろ」
「隠し場所が、正しすぎます」
缶は棚の三段目の、莚の下にあった。手が届いて、目に付かない。誰でもそこへ置く場所になっている。
中身も上等になっていた。落雁の型が細かい。菊の花弁が一枚ずつ立っている。蒼が買うのは、いつも角の欠けた安いものになる。
蒼はいつも、四段目の奥へ押し込んで、自分で忘れる。忘れて、玲に見付かる。
*
贋作体は納屋の土間から起きた。棚が二段、横へ倒れた。倒れた棚から器が落ちて、割れなかった。落ちても割れない厚みで作ってある。
器の形をしている。背丈ほどの壺で、口が広い。轆轤で挽いたような線が胴に一周している。狂いが無い。
五人が印を胸へ押した。蒼だけ、押すのが一拍遅れている。
> 銘 ── 確認。〈火村燈〉。
> 銘 ── 確認。〈陶山蒼〉。
> 銘 ── 確認。〈綾織紬〉。
> 銘 ── 確認。〈楠木巌〉。
> 銘 ── 確認。〈硝子井玲〉。
五つの印が、一枚の紙に並んだ。六枚目のところは白いままになる。
> 銘量 ── 火村燈 五百七十一。陶山蒼 六百十二。綾織紬 四百六十。
> 楠木巌 六百六十四。硝子井玲 五百五十四。
> 六つ、減っております。
燈が打った。胴が凹んだ。凹んだところが、そのまま元へ戻った。
戻り方が速い。轆轤で挽き直したように、線が一周して均される。
「仕上がっとる」と巌が言った。
「仕上がってると、何がまずい」
「終わっとるもんは、崩れん」
玲が斬った。跡が付いて、消えた。紬が鞭で締めた。締めた形のまま、また丸くなった。
巌が継ぎ目を入れた。入れた継ぎ目が、内側から押し出されて閉じる。轆轤で挽くと、内側から外へ力が掛かる。その力が、まだ働いている。
蒼が下がった。下がって、贋作体の胴を見ている。
「焼きむらがありません」
「焼いてねぇんだろ」
「焼いてます。焼いてるのに、むらが無いです」
蒼は納屋の窯の方を見た。それから、燈を見た。
「燈さん、焼けますか」
「焼くって、こいつをか」
「焼いてください。ずっと」
燈が前へ出た。鎚を握って、贋作体の胴へ当てた。当てたまま、離さない。
押し当てているだけで、打っていない。打つと熱が散る。当てたままにしておくと、当たった場所から順に温まる。
鎚の頭が赤くなった。赤が胴へ移っていく。
「温度が上がります」と玲が言った。
「どこまでだ」
「もっと要ります。均等に上がってるので、むらが出ません」
巌が納屋の薪を組みはじめた。組んで、贋作体の足元へ積んだ。積み方に隙間がある。
薪は縦に立てる。寝かせると火が上へ行かない。立てた薪の間から風が抜けて、抜けた分だけ火が上がる。
隙間の一つだけを、巌が板で塞いだ。塞ぐ場所を選ぶのに、掌を二度かざしている。
「風が偏る」
「偏ると」
「片側だけ強くなる」
火が入った。左の方が強く上がった。右は弱い。
窯を焚くのと同じになる。窯の中で火が偏ると、奥の器と手前の器で色が変わる。選べない。選べたら、窯を焚く意味が無い。
「左、千百」と玲が言った。
「右は」
「九百です。差が出てます」
贋作体の胴の色が変わりはじめた。上から下へではない。中ほどからになる。
左の面に、赤みが浮いた。浮いた場所が斑になっている。緑がかった筋が一本、斜めに走った。
窯変になる。火の当たり方でしか出ない色である。土の中の鉄が、火の強さと空気の量で違う色に変わる。
狙って出せない。出る場所は誰にも決められず、今、決めた者が一人もいなかった。
贋作体がその一点だけ、均せなくなった。均そうとして、色が動かない。動かないので、そこで止まる。
斑は指三本ぶんの広さになる。胴の一周のうち、そこだけが均一を外れている。外れた場所を、贋作体は自分で選べない。選んだ者がいないからになる。
蒼が輪を出した。出すのが速い。
「三秒、要らねぇのか」と燈が言った。
「要りません」
「なんでだ」
「読んだら、先生の手になります」
蒼は輪を投げた。投げる前に、目を伏せている。
外れた。胴の脇を通って、納屋の柱に当たった。
もう一度投げた。外れた。二度とも読んでいない。
蒼の投げは、いつも読んでから出る。相手の次の動きを三秒で組んで、そこへ置く。置くから当たる。読まずに投げると、置く場所が決まらない。
贋作体の腕が来た。蒼の肩に当たった。膝が落ちて、戻った。
三度目を投げた。膝がまだ震えている。
「陶山蒼、行きます」
「窯変輪、窯変」
輪が斑の中心へ入った。入って、そこで止まった。回らない。回らないまま、色が広がった。
輪の名は窯変輪になる。名前がそう付いているだけで、蒼はこれまで窯変を出したことが無い。出す技ではなかったからになる。
緑の筋が胴を一周した。一周したところで、壺が割れた。
割れ方が真っ直ぐではない。斜めに、途中で折れて、また斜めに割れた。
落ちた欠片が土間に当たって、そこで土に戻った。乾いた土の匂いが上がる。焼く前の土の匂いになる。
納屋からノッペリ兵が出てきて、五人がそれを片付けた。消える時、全員が一斉に言った。
「……ありがとうございました」
*
「── 量産」
通りの向こうから低い声がした。窯場の裏の畑からになる。
畑が持ち上がって、同じ形のものが並んで生えた。数は数えていない。
> 連結を確認。
「火入れッ!」
> 真、通りました。
「組み継ぎ、合体!」
継手が噛んだ。木を組む時と同じ音が、四十メートルの高さで鳴る。
陶山の窯の煙が、まだ細く上がっている。火は落としてある。落としても、一晩は上がる。
見えたのは脚だけになる。納屋の庇が上を切っていて、その向こうは白い。
庇の縁に、緑の線が動くのが見えた。動いて、消えて、また出る。
「刻印!」
右の拳が前へ出た。左の掌が、その甲を上から押す。
「銘刻斬ッ!」
声が五つ揃った。
拳が並びの真ん中へ入った。入ったところで止まって、そこに朱が走る。線が字の形になっていって、銘が刻まれた。
崩れた。落ちた欠片が畑の土に当たって、そこで土に戻った。土が畝の間へ流れて、水路の手前で止まっている。
*
六十三が戻った。戻ったのは夕方になる。
蒼が一つずつ棚へ戻していった。年ごとの札に合わせて置き直す。戻すのに二時間掛かった。誰も手伝わなかった。手伝おうとした玲を、紬が袖で止めている。
跡の数が揃っていない。三本のものもあれば、七本のものもある。十六の年の棚には、十一本のものが二つあった。
十一本は多い。当て直しを十一回している。当て直すたびに壁が薄くなるので、そこで止めたのだと分かる。止めた場所に、指の腹の跡が残っていた。
厚みも揃っていない。片側が厚くて、口が僅かに歪んでいる。高台の削りが浅くて、置くと僅かに揺れる器が四つあった。
蒼は揺れる一つを手に取って、板へ置いた。置いてから、暫く手を離さなかった。
「下手ですね」
「下手だな」
「これは、私のです」
燈は何も足さない。足すことが無い。
蒼は器を棚へ戻した。戻す位置を、元の位置と同じにする。揺れる器は揺れるまま、平らな板の上へ置いた。置くと、指を離してから一度だけ傾いた。
落雁の缶は、四段目の奥へ押し込み直した。押し込んでから、押し込んだことを忘れる置き方をした。
夜になって、蒼は轆轤場に残っていた。
燈が炭を分けに寄って、そのまま土間に立っていた。帰る様子が無い。
「三ノ瀬って、遠いのか」
「汽車で半日です」
「行くのか」
「行きません」
「なんでだ」
「行っても、器を見るだけです」
「見ればいいだろ」
「見ると、また近付きます」
蒼は轆轤に土を据えた。据えたまま、回さない。据えた土が、少しずつ乾きはじめている。
「先生は、まだいるのか」
「います」
「上手いのか」
「上手いです」
蒼は水を打って、轆轤を回した。挽きはじめた。指を当てて、当て直して、また当てた。
茶碗が一つ上がった。内側に跡が四本入っている。
三本ではない。四本ある。
「四本だ」と燈が言った。
「四本です」
「増えたな」
「増えました」
蒼はそれを切り離して、板へ置いた。置いてから、暫く見ていた。
> 銘量 ── 陶山蒼 六百十二。
「減ってねぇな」
> 本日ぶんは、引いております。
「識」
> はい。
「上手いのと、そいつのなのは、別か」
> 本機の書式では、別であります。
「一緒の欄は無ぇのか」
> ございません。
「作れよ」
> 承知いたしました。作れません。
蒼が土間の隅で笑った。声を出さずに笑って、それから轆轤へ戻った。
四本の跡の入った茶碗は、板の上に置いたままにしてある。乾いたら削る。削れば高台が付く。高台は三度で落とすことになる。
三度にしたのは二十を過ぎてからで、誰にも教わっていない。
> 【鑑定 第五十五号 追記】
> 押印累計 ── 二百六十。
> 物件 ── 器、六十三。
> 追記 ── 本日、押印五。搭乗五、刻印一。銘量の減少を確認。
> 所見 ── 代替物(器、六十三)、消失。
> 当該六十三点の内側の跡 ── いずれも三本でありました。
> 贋作体一体、消失。窯変による。
> 加熱は火村燈。風の遮蔽は楠木巌。判読は硝子井玲。
> 左千百、右九百であります。
> 当該窯変の位置 ── 本機は、予測しておりません。
> 止めたのは陶山蒼であります。読みは、ございません。
> 原物(器、六十三)── 返却済み。跡の数 ── 三本から十一本であります。
> 揺れる器 ── 四点。
> 依頼者の申し立て ── これは、私のです。
> 従事年数の照会 ── ございませんでした。
> 本件、真贋判定 ── 〈贋〉。
> ただし、




