第052話 二本目の無銘印
> 【鑑定 第五十二号】
> 押印累計 ── 二百四十五。
> 依頼者 ── 大和田。
> 物件 ── 半鐘、三十七。
> 所見 ── 当該半鐘の音 ── 澄んでおります。
> 三十六、同一であります。
> 残り一 ── 濁っております。
> ……判定を、開始します。
── 綾織の竿には、点線に見える白が残った。
火の見櫓は、商店街の東の外れに立っている。建てたのは巌の祖父の代になる。
高さが十二間ある。柱が四本で、途中に貫を三段通してある。上に半鐘が一つ掛かっていて、鐘の下に撞木が下がっている。
柱は根元を石の上へ据えてある。土へ埋めると腐る。石の上に乗せておくだけで、風が来ると少し動く。動く方が倒れないのだと巌は言う。
巌は梯子段を組み直していた。八段目と九段目が緩んでいて、踏むと鳴る。鳴るうちに直すのが決まりになっている。
貫の穴へ段板の端を入れて、反対から楔を打つ。楔は少し細くする。細い方が長く保つ。
きつく詰めた楔は、木が乾いた時に割れる。少し細い楔は、木が動くたびに座り直す。座り直す場所が残っていれば、折れない。
「詰めねぇんですか」と燈が訊いた。
「詰めん」
「緩むだろ」
「緩む。緩むから、折れん」
巌は口の中で低く唄った。木槌の間に合わせている。
「隙間あるから 折れずにすむさ」
一行で止めた。木槌の音が続いた。
颯太が下から見上げていた。梯子は上らせてもらえない。上れるのは消防団と巌だけになる。
「あの鐘、いつからあるの」
「知らん」
「こわれてない?」
「欠けとる」
半鐘の縁が一箇所、欠けている。二十年前に一度落ちて、その時に欠けた。掛け直しただけで、直していない。
落としたのは当時の団員で、掛け金の掛け方を間違えた。その人はもう団にいない。欠けだけが残っている。
団では、その欠けを二十年の傷と呼ぶ者もいる。大和田は呼ばない。ただの欠けだと言う。
「なおさないの」
「直すと、遠くまで届く」
「いいことじゃないの」
「遠くまで届くと、どっちから鳴ったか分からん」
「鳴らし方も決まっとる」と巌が言った。
「どういうの」
「近いときは続けて打つ。遠いときは二つずつ打つ。火が消えたら一つ打って、そこで止める」
「おぼえられないよ」
「消防団が覚えとる」
半鐘は市に一つしかない。一つしかないので、鳴った方角がそのまま火の場所になる。東で鳴れば東へ走る。誰も考えずに走れる。
考えずに走れることが、この道具の値打ちになる。火事の時に考えている暇は無い。
巌はそれを説明しない。颯太も訊かない。訊かないまま、櫓の下で鐘を見上げている。
*
次の朝、市内に半鐘が三十七あった。数えたのは消防団で、二度数えて二度とも同じになった。
辻ごとに掛かっている。八百屋の角にも、川沿いの水門の脇にも、学校の門にも掛かっていた。どれも同じ形で、同じ大きさになっている。
掛けた柱まで揃っていた。真新しい柱ではない。何十年も前からそこに立っていたような色をしていて、根元に苔まで乗っている。
消防団の大和田が撞いてみた。四十九になる。団に入って三十年ほどある。
澄んだ音が出た。長く伸びて、川向こうまで届いた。三十七が一度に鳴ると、市の端から端まで同じ大きさで聞こえる。
「これなら、誰も逃げ遅れん」と大和田が言った。
団員が二人、頷いた。誰も困っていない。
困る理由が無い。市の端まで同じ大きさで聞こえるのは、消防団が三十年欲しがってきたことになる。大和田は撞木を握り直して、もう一度撞いた。二度目も同じ音が出た。
燈と巌が櫓へ上がった。梯子段は昨日直したばかりで、八段目が鳴らない。
上の一つも同じ形になっている。欠けが無い。掛け金まで新しくなっていて、二十年前の傷が消えていた。
「これも替わっとる」と巌が言った。
「元のは」
「無い」
巌は撞木を握って、一つ撞いた。澄んだ。
撞き方は決まっている。縁から指四本ぶん下を、真横から当てる。真上から落とすと、鐘の内側が鳴って、外へ出ない。巌は祖父の代からその位置で撞いている。
「濁っとらん」
「いいことじゃねぇのか」
「昨日、南で火が出たら、南から鳴った。今日は、どこからでも鳴る」
その日の昼、川向こうの畑で藁を焼いていた煙が上がって、半鐘が鳴った。
鳴ったのは三十七全部になる。
商店街の者が四方へ走り出す。走ってから、何処へ向かえばいいのかが分からなくなって、辻で止まった。
止まった者が十人ほど、同じ辻に集まった。皆、桶を提げている。誰も方角を言わない。言えないからになる。
佐久間もいた。前掛けのまま桶を提げていて、中身は水ではなく豆腐だった。走る前に持ち替える暇が無かったらしい。
戸島は先に川の方へ走っていた。誰よりも早い。早いが、行った先は違っていた。
畑の火は自分で消えた。藁の山が二つで、風が無かった。誰も走らなくても済んだ火になる。
済んだので、誰も困らなかった。困らなかったことを、その日のうちに誰も口にしない。
それでも大和田は走った。走って、辻で止まって、それから川の方を見た。
大和田は辻に立って、四つの方角を順に見た。どの方角からも同じ大きさで聞こえてくる。
「どっちだ」
「分かりません」
「聞こえてんのにな」
*
金色の男が来たのは、櫓の下になる。半鐘が鳴りやんだあとだった。
型取が一緒だった。手に細長い箱を持っている。
「もう一本、ご用意いたしました」
箱の中に印が一本入っていた。一本目と同じ形で、印面が白い。線が一本も無い。
男は受け取って、胸へ当てた。当てる前に、印面を一度見ている。
> 銘 ── なし。
同じになった。光も出ず、音も鳴らない。
「もう一本、ご用意いたします」と型取が言った。
「何本ご用意なさいますか」
「ご用意出来るだけ」
「では、意味がございません」
型取は箱の蓋を閉めた。閉めてから、箱の角を布で拭いた。
「数は、意味であります」
「一本目と二本目に、違いがございません」
「同じものを二つ用意すれば、二倍になります」
「なりません」
男は二本目を型取へ返した。返す手が丁寧だった。持ち替えずに、両手で差し出している。
型取は受け取らなかった。受け取らないので、男は箱の上へ置いた。
「一本目が鳴らないのであれば、二本目も鳴りません」
「三本目は」
「鳴りません」
「試しておられません」
「試しました」
「いつでございますか」
「覚えておりません」
「何本でございますか」
「覚えておりません」
型取は箱を袂へ入れた。入れてから、一度だけ櫓を見上げた。
「増やせば、いつか合うものが出ます」
「合うものは、わたくしのものではございません」
「同じでございます」
「同じでは、ございません」
燈は男の顔を見ていた。見ていたが、男は燈の方を向かない。型取の方も向かず、空も見なかった。
視線が一つの方角で止まっている。動かない。話している間ずっと動かなかった。
男は辻の方を向いている。三十七のうち、川沿いの水門の脇に掛かっている一つを見ていた。
櫓からは遠い。二町ほどある。掛かっているのが見える距離ではあるが、欠けが見える距離ではない。
まっすぐ見ている。他の三十六には、一度も目を向けていない。
燈はそれに気付いた。気付いて、何も言わなかった。
あとで巌に一度だけ話した。巌は「ん」と言って、それきり訊かなかった。訊かないので、燈も続けなかった。
言わなかったのは、言うと何かが決まってしまう気がしたからになる。何が決まるのかは、燈にも分からない。分からないので、口の中で一度だけ言い直して、それも飲み込んだ。
*
贋作体は櫓の下から起きた。柱の根元の土が持ち上がる。石が一つ、横へ転がった。
半鐘の塊が組み上がっていく。積むというより、勝手に寄っていく形になる。同じ大きさの物が寄ると、隙間が出来ない。
半鐘の塊になっている。三十六が積み上がって、人の形に組んである。どれも同じ形で、同じ大きさになっていた。
五人が印を胸へ押した。大和田は櫓の裏へ回らされた。
> 銘 ── 確認。〈火村燈〉。
> 銘 ── 確認。〈陶山蒼〉。
> 銘 ── 確認。〈綾織紬〉。
> 銘 ── 確認。〈楠木巌〉。
> 銘 ── 確認。〈硝子井玲〉。
五つの印が、一枚の紙に並んだ。六枚目のところは白いままになる。
> 銘量 ── 火村燈 五百八十九。陶山蒼 六百三十。綾織紬 四百七十八。
> 楠木巌 六百八十八。硝子井玲 五百七十二。
> 六つ、減っております。
音が先に来た。三十六が一度に鳴る。腹に来る音で、燈は一歩下がった。
燈が打った。当たった鐘が鳴って、音が隣へ渡って、全体へ散る。凹まない。
「散ります」と玲が言った。
「どこ打っても同じか」
「同じ音なので、同じところへ行きます」
「散ったのは、どこへ行くんだ」
「全部です。全部が少しずつ受けます」
「じゃあ、全部が減ってるだろ」
「三十六で割ってるので、減った分が聞こえません」
「聞こえなきゃ、無いのと同じか」
「同じではありません。減ってはいます」
「じゃあ、いつか壊れるだろ」
「三十六回、同じことをすれば壊れます」
燈は打つのを止めた。三十六回打つ間に、こちらが持たない。
巌が櫓の下へ寄った。撞木を掴んでいる。
「本物が混じっとる」
「何処にだ」
「濁っとるのが一つある」
巌は撞木を持って、一つずつ撞きはじめた。撞いて、柄の返りを掌で聞く。見る前に触る人である。
「一」
撞木を当てて、返りを掌で受ける。伸びる音は、柄が長く震える。詰まった音は、柄が短く戻る。
贋作体の腕が来た。巌の背に当たった。前へ一歩よろけて、そこで踏み止まる。
「二。三」
撞き続けた。撞く度に、返りが同じになる。同じなので、次へ行く。
「十五。十六。十七」
もう一度打たれた。膝が落ちる。落ちた膝が土に付いて、撞木の先が地面を擦った。
巌は撞木を持ち替えずに、そのまま十八を撞いた。数え直さない。数え直すと、それまでの返りを覚え直すことになる。
「大丈夫ですか」と玲が訊いた。
「ん」
「代わりましょうか」
「返りが変わる」
撞く人が変わると、返りの読み方も変わる。三十まで同じ手で撞かないと、違いが出ない。玲は下がった。
「十八。十九」
三十一で、返りが変わった。掌へ来る震えが短い。
柄が短く戻る。音が伸びずに、そこで止まった。三十まで同じ返りが続いていたので、違いがすぐに分かった。
巌はもう一度撞いた。同じ返りが来る。三度撞いて、三度とも同じになった。
「これだ」
言ってから、巌は水門の方を一度見た。金色の男の立っていた場所には、もう誰もいない。
紬が鞭を投げた。投げ先が最初から決まっている。
「タテヌキムチ」
三十一番目に巻いて、締めて、引いた。塊から一つだけ抜けた。抜けた鐘が土の上へ落ちて、そこで転がって止まる。転がる音が濁っている。
紬は鞭を戻さずに、その鐘の上へ緩く掛けたままにした。踏まれないようにしている。
鞭が伸びたままなので、紬は前へ出られない。出られないまま、残りの戦いを見ていた。誰も代わろうと言わなかった。
縁が一箇所、欠けている。欠けの形が、二十年前のままになる。
「残りは全部同じです」と蒼が言った。
「同じだと何だ」
「一つ鳴らすと、同じ音のものが一緒に鳴ります」
「貰い鳴りか」
「そうです」
「陶山蒼、行きます」
「窯変輪、貰い鳴り」
輪が塊の中へ入って、一番下の一つに当たる。当たった鐘が鳴った。
隣が鳴る。その隣も鳴った。
三十六が順に鳴って、途中から一斉になった。同じ高さで、同じ強さで鳴っている。ずれが一つも出ない。人が撞けば必ず出るずれが、どこにも無い。
音が重なった。重なると、一つぶんより大きくなる。大きくなった分を、三十六の鐘は自分で受けることになった。
重なったところで割れた。割れ方が三十六とも同じになる。
割れた鐘が土へ落ちて、そこで鉄の粉になった。粉は音を立てない。
櫓の下からノッペリ兵が出てきて、五人がそれを片付けた。消える時、全員が一斉に言った。
「……ありがとうございました」
*
「── 量産」
通りの向こうから低い声がした。半鐘は鳴らなかった。
地面が持ち上がって、同じ形のものが並んで生えた。数は数えていない。
> 連結を確認。
「火入れッ!」
> 真、通りました。
「組み継ぎ、合体!」
継手が噛んだ。木を組む時と同じ音が、四十メートルの高さで鳴る。
大和田は櫓の根元に立って、上を見た。手に撞木を持ったままになっている。掛ける鐘がもう無いのに、離さない。
見えたのは脚だけになる。櫓の梁が上を切っていて、その向こうは白い。
梁の間に、緑の線が動くのが見えた。動いて、消えて、また出る。櫓が揺れた。大和田は柱を掴んだ。
「刻印!」
右の拳が前へ出た。左の掌が、その甲を上から押す。
「銘刻斬ッ!」
声が五つ揃った。
拳が並びの真ん中へ入った。入ったところで止まって、そこに朱が走る。線が字の形になっていって、銘が刻まれた。
崩れた。落ちた欠片が地面に当たって、そこで鉄の粉になった。粉が風で流れて、櫓の足元で止まっている。
櫓は倒れなかった。柱が石の上に乗っているだけなので、揺れて、少し動いて、それで済んだ。大和田は柱を掴んだままでいる。
*
半鐘が一つに戻った。辻の三十六は跡形も無い。
巌が櫓へ上げて、掛け直した。掛ける高さを、元の高さと同じにした。縁は欠けたままになっている。
掛け金は新しくした。二十年前と同じ形のものを、燈が一晩で打った。形だけ同じで、鉄が違う。巌はそれを一度外して、掛け直して、もう一度外した。三度目で置いた。
大和田が撞いた。撞き方が、贋の鐘を撞いた時より弱い。
濁った音が出た。短く切れて、伸びない。川向こうまでは届かない。
「聞こえんな」
「聞こえん」
「川向こうは」
「届かん」
大和田は撞木を下ろして、辻の方を見た。何も掛かっていない。
「それでいい」
「なんでですか」
「どっちから鳴ったか分かる」
「川向こうは、どうするんですか」
「走って知らせる」
「間に合いますか」
「間に合わんこともある」
「三十七あったときは、間に合いましたよ」
「間に合った」
「じゃあ」
「間に合ったが、どこへ行けばいいか分からんかった」
大和田はそれ以上言わなかった。言わずに、櫓の段を下りていった。八段目で一度止まって、踏み直してから下りた。
颯太が下から数えていた。数えるものが一つしかない。それでも数えている。
「三十七」
「ん」
「あ、三十六だった」
「ん」
「どっち?」
「どっちでもいい」
「よくないよ」
巌は梯子を下りて、九段目の楔をもう一度見た。細いままにしてある。詰め直していない。
「詰めねぇんですか」と燈がまた訊いた。
「詰めん」
「同じこと二回訊いたな」
「二回とも同じだ」
夜になって、燈は火床の前に座っていた。三月の夜はまだ炭が要る。
鎌の注文が二本入っている。春は鎌が出る。打ちながら、昼のことを考えていた。
> 銘量 ── 火村燈 五百八十九。
「識」
> はい。
「あいつ、どれが本物か知ってたな」
> 記録しておりません。
「見てたんだよ。水門のとこの一個だけ」
> 視線は、本機の記録する項目ではございません。
「じゃあ、記録しなくていい」
> 承知いたしました。
燈は鉄を火へ戻した。戻す位置がいつもより奥になった。
「なんで言わなかったんだ」
> 存じません。
「訊けばよかったな」
> 訊いておられません。
「訊いたら、答えたか」
> 存じません。
「お前は、どれが本物か分かってたか」
> 分かっておりました。
「言わなかったな」
> 訊かれておりません。
「訊けばよかったな」
> 二度目であります。
燈は鎚を持ち替えた。持ち替えてから、笑いもせずに一度だけ頷いた。
箱の上に置かれたままの印を、誰も取りに来ていない。取りに来なくても、困る者がいない。
燈は鉄を出して、鉄床へ乗せた。打った。音は、あとから鳴る。
一打目より二打目が弱くなった。腕が戻りきらない。人の手は、同じ強さで打ち続けられない。
燈はそれを知っていて、それでも打ち続けた。
三十打って、鎌の首が出来た。三十とも強さが違う。違うので、同じ首は二度と出ない。
二本目の印は、型取の箱の上に置かれたままになった。中身は白いままである。
> 【鑑定 第五十二号 追記】
> 押印累計 ── 二百四十五。
> 物件 ── 半鐘、三十七。
> 追記 ── 本日、押印五。搭乗五、刻印一。銘量の減少を確認。
> 所見 ── 代替物(半鐘、三十六)、消失。
> 当該代替物の音 ── 澄んでおりました。三十六、同一であります。
> 贋作体一体、消失。貰い鳴りによる。
> 選別は楠木巌。撞いた数 ── 三十一。中断 ── 一度。数え直し ── ありません。
> 抜き出しは綾織紬。止めたのは陶山蒼であります。
> 原物(半鐘、一)── 返却済み。縁、欠けております。
> 復旧後の到達距離 ── 短うございます。川向こうには届きません。
> 依頼者の申し立て ── それでいい。どっちから鳴ったか分かる。
> 印面、二 ── いずれも白紙であります。
> 当該人物の視線 ── 本機は、記録しておりません。
> 本件、真贋判定 ── 〈贋〉。
> ただし、




