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真贋戦隊コクインジャー ~一番になれなくていい。一点物になれ~  作者: 智珠
第一巻 素焼

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第004話 杼

> 【鑑定 第四号】

> 押印累計 ── 十。

> 依頼者 ── 綾織紬。

> 物件 ── 、一つ。

> 所見 ── 経糸たていとの間を往復し、緯糸よこいとを置いていく道具。

>     行って、戻る。それだけで布になる。

>     当該物、桑材。両端が擦れて丸い。四十年分の往復と推定する。

>     所有者は十九歳である。

> ……判定を、開始します。


 ── その娘は、糸を切る前に必ず一度、余らせた。


 燈は織り場の土間に立って、それを見ていた。鋏を入れる位置が、要る長さより指二本ぶん先にある。切り落とした端は結ばずに、足元の木箱へ落ちていく。箱の中は色がばらばらで、長さもばらばらだった。


 はたの音は、思っていたより高かった。踏木を踏むと綜絖そうこうが持ち上がって、経糸が上下二枚に割れる。割れた隙間を杼が滑っていく。行って、戻る。往復の間に一度だけ、おさが緯糸を手前へ打った。


 とん。


 その音だけが低い。高い音が幾つも続いて、低い音が一つ来る。それが繰り返されて、布が指の幅ずつ伸びていった。


 行って戻って また行き戻る。


 娘は口の中でそれを鳴らしていた。歌というより、数を取っているのに近い。杼が右へ行く時に前の半分、左へ戻る時に後の半分。二つで一往復になる。


「綾織さん」


 紬は返事をしなかった。踏木を三度踏んで、杼を三度通してから、ようやく顔を上げた。上げた目が、燈の手元で止まる。


「はいはいはいはい」


 四回だった。三回でも五回でもない。紬は機から降りて、燈の袖口を掴んだ。ほつれて垂れた糸を指で拾い、針も通さずに撚って押し込む。三秒も掛からなかった。


「頼んでねぇよ」

「見えたから」


 娘は小柄で、明るい茶の髪を頭の高い位置で結んでいた。大きめのシャツに藍の前掛け。手首に組紐の輪が幾つも重なって、動く度に軽く鳴った。自分の袖口からも糸が二本出ていて、そちらは直していない。


 燈は懐から鉄の金具を出した。踏木の軸を受ける部品で、三日前に折れたのを紬が火村鍛冶へ持ち込んでいた。


「打ってきた」

「早い」

「早いのは取り柄じゃねぇ」


 紬は金具を受け取って、機の下へ潜った。軸に当てて押す。入らない。


「寸法通りだぞ」と燈が言った。

一分いちぶ大きい」


 紬は指の腹で軸と穴を交互に触って、それだけ言った。責める調子ではなかった。箱から蝋引きの糸を出して、金具の内側へ巻きはじめる。巻いて、押して、また巻いた。四巻きで軸が収まった。


「それでいいのか」

「入ったからいいよ」

「直してねぇだろ、それ」

「入ったから」


 紬は機に戻って、踏木を踏んだ。三日鳴っていた軋みが消えていた。


「悪い」と燈が言った。だいぶ後だった。

「はいはいはいはい」


 引き戸が鳴って、佐久間が入ってきた。前掛けが濡れている。桶の中に豆腐が四丁あった。


「余ったからな。置いてくぞ」

「四丁もか」と燈が言った。

「余ったんだ」


 佐久間は上がり框に桶を置き、腰を伸ばして帰っていく。腰は曲がっていない。紬は豆腐を数えて、二丁を鍋に移し、二丁を水へ浮かせた。


「燈さんも織る?」

「織れるわけねぇだろ」

「一段でいいよ」


 燈は板の間に上がって、機に座った。座ると膝が高い。紬が後ろから手の位置を教える。踏木は左足、杼は右手で放って左手で受ける。受けたら筬を引く。


「引くだけ。叩かないで」

「分かった」


 燈は叩いた。


 とん、ではなかった。どん、と鳴った。緯糸が奥まで押し込まれて、そこだけ目が詰まる。次の段も詰まった。その次も詰まった。五段織って、五段とも詰まっていた。


 布は五センチほどになった。触ると硬い。同じ糸を使っているのに、紬が織った上の方は指が沈んで、燈が織った下の方は沈まなかった。


「硬いな」

「うん」

「ほどくか」

「ほどかない」


 紬は鋏を入れて、その五センチを切り離した。切った端をまた余らせて、木箱へ落とした。



 翌朝、紬が火村鍛冶まで走ってきた。何も言わずに燈の袖を引いて、そのまま引いて歩いた。


 織り場の土間に、木箱が昨日と同じ場所に置かれている。同じ大きさで、中身が違った。


 余り糸が消えていた。代わりに木管が二十四本、色の順に並んでいる。巻きの太さが揃っていて、どの一本にも切った端が出ていない。糸尻が全部、巻きの下へ入れ込まれていた。


「足りてる」と紬が言った。

「足りてるならいいだろ」

「余ってない」


 燈は箱を覗いた。糸の量は昨日より多い。多いのに、余りが一本も無い。要る色が、要る分だけ、要る長さで巻かれていた。


 機の脇に、昨日の五センチが置いてあった。燈が手に取ると、指が沈んだ。


 目が詰まっていない。上から下まで同じ密度で、耳が真っ直ぐに揃っている。裏を返しても糸が飛び出していない。自分が硬く叩き込んだところが、何処にも無かった。


「上手いな」と燈が言った。「俺、こんなに上手かったか」

「これ、燈さんじゃない」


 紬は五センチを取り上げて、目の高さに掲げた。それだけだった。裏は見ない。糸も数えない。


「なんで分かるんだよ」

「詰まってないもん」

「それだけか」

「それだけ」


 燈は印籠を出して、蓋を跳ね上げた。上段の印章が朱を吸ったまま乾いている。土間の空気の中で、火が形になった。


> 鑑定を、開始します。


 燈の目には、いつもの子どもが見えた。十歳ほどで、古い着物で、足元が炎に溶けている。三晩見ているので、驚くのはもう止めていた。


 紬は五センチを識の前に置いた。


> 物件 ── 平織の布、一片。縦、五センチ。

> 緯糸の打ち込み、上下均一。耳の乱れ、ありません。

> 糸尻の飛び出し、ありません。

> 判定 ── 贋。


「当たってる」と燈が言った。

「うん」

「なんでお前が先に分かるんだよ。こいつは目で見て測ってんだぞ」


> 照合いたしました。綾織紬の判定と、本機の判定は一致します。


「機械と同じかよ」

「同じじゃないよ」と紬が言った。「わたし、測ってないもん」


> 判定の順序について、本機に説明の用意がありません。


 識はそれきり黙った。紬は気にしていない。機の上の小箱を開けて、中を見て、そこで初めて手が止まった。


 杼が一つ入っている。桑の木で、両端が細く尖っていた。


「これじゃない」

「同じ形だろ」

「おばあちゃんのは、ここが丸い」


 紬は親指と人差し指で杼の端を挟んで、すぐ離した。四十年往復した木は、通す手の指の形に丸くなる。丸くなった分だけ、経糸に引っ掛からない。


「新しいのは引っ掛かるのか」

「引っ掛からない。もっと通る」

「じゃあ、いいじゃねぇか」

「わたしの杼じゃない」



 蒼と巌が来たのは昼だった。蒼は木箱から糸を一本抜いて、指で撚りを戻した。


「三秒くれ」と蒼が言った。三秒たった。

「二十四本とも、同じ日に紡いだ糸だ。染めたのも同じ日だろうな」

「なんで分かるんだよ」

「撚りが同じだ。色の順に並んでるのは、並べたんじゃない。染めた順に入れただけだ」


 巌は新しい杼を触った。見る前に触って、木口から先へ手を滑らせる。それから顎を一度、下げた。


「彫り跡が無い」

「新品だからだろ」

「新品でも跡はある。刃を入れた跡が、一本も無い」


 燈は杼を受け取って光に向けた。何も見えなかった。木目はある。木目はあるのに、削った線が一本も無い。


 紬は前掛けを外して、土間から出ていった。三軒先で足を止めて、四軒目の戸を叩く。中から出てきた老婆と少し話して、戻ってきた。それから水路の方を指した。


「舟が出てるって。夜中に、荷を積んで下へ行ったって」

「誰が見たんだ」

「田中さんのおばあちゃん。眠れないから、いつも起きてるの」


 燈は紬を見た。三軒歩いただけで、答えが出ている。


「なんでそんなにすぐ聞けるんだよ」

「聞いてるんじゃないよ。喋ってるだけ」


 紬は歩きながら、その老婆の話を続けた。田中の家にも機がある。手が動かなくなって十年織っていないが、拭くだけは毎日していた。その機が今朝、新しくなっていたという。


「怒ってたか」

「喜んでた」

「喜んでたのか」

「軽くなったって。踏木が軽いって」


 紬はそこで黙った。黙ったまま、水路沿いの道を早く歩いた。


 水路の下手に、古い荷揚げ場がある。石段が水へ降りていて、その上の空き地に、布に包まれた物が積んであった。


 積みは高さが揃っていた。一つずつ布が掛かって、布の上に紙が貼ってある。紙には墨で名前が書いてあった。字が上手い。


「綾織」と紬が読んだ。


 布を外すと、杼が出た。両端が丸い。紬は両手で持って、胸に寄せた。


 中で何かが動いた。


 紬は杼の口から管を抜いた。管の奥に黒い面が見えて、杼を傾けると滑り出てくる。三段重ねの箱で、黒漆に朱の縁。真鍮の金具に小さな窓が付いていて、中は空だった。


「おばあちゃん、これ知ってたのかな」

「知らないだろうな」と蒼が言った。「俺の祖父も知らなかった」


 燈は積みの前に立って、紙の名前を一つずつ読んでいった。佐久間、戸島、宮下、それから知らない名前が並ぶ。下の段まで読んで、また上へ戻って、もう一度読んだ。


 二度読んで、燈は手を止めた。


 蒼が「行くぞ」と言った。燈は最後の一列だけもう一度読んで、包みから手を離した。何も言わなかった。


 石段の下に、平底の舟が着いていた。荷が積んである。積んだものの一番上に、機が乗っていた。四本の脚に、踏木が二枚。脚の下の方が黒く濡れている。


「田中さんの」と紬が言った。


 舟の舳先に男が立っていた。背が高い。革の前掛けを掛けていて、作業着に汚れが一つも無い。手に持った布で、細い工具を一本ずつ拭いていた。拭き終わると、腰の袋の同じ場所へ戻していく。


「捨ててはおりません」と男は言った。「整理しております」

「返せよ」と燈が言った。

「お返ししております。もっと良いものに、してさしあげただけです」


 石段の上に灰白色が並んでいた。数えると十六で、その間にも増えていく。


 灰白色は誰にも向かってこなかった。包みを持ち上げて、石段を降りて、舟へ積んでいく。動きに音が無い。積み方が揃っている。角を揃え、高さを揃え、隙間を埋めていく。一体が包みを落として、拾って、また同じ場所へ戻した。


「働いてやがる」と燈が言った。

「働いてる」と巌が言った。


 舟の艫の綱が解かれた。


> 本日の押印で、四つ減ります。減った分は戻りません。


「開けてください」と識が言い足した。


「見てたから」


 紬は言われる前に開けていた。印章を抜いて、朱肉に押し付ける。ぬちり、と鳴った。


> 銘 ── 確認。〈綾織紬〉


 右の拳を前へ。左の掌でその甲を、上から押す。掌が小さくて、甲を覆いきらなかった。


「押印!」


 胸の中心から朱が広がった。真ん中が膨らんで、両端が細く尖っている。杼の形をした印から糸が走り出す。走った糸が縦と横に交わって、格子の縫い目が肩へ、腕へ、腿へ伸びていった。縫い目の上に黒漆が乗る。乗った傍から熱を持った。装甲が黄に光って、光が沈んで、山吹が残った。


 腰の後ろに二本の鞭が束ねてある。前腕に、糸巻きの形の環が三つずつ並んでいた。兜の面は、胸の印と同じ杼形。奥の眼は見えない。


 布は毛羽立っていた。新品の布の光り方をしていない。何度も洗って、何度も日に干した布の顔をしていた。


 背後に、白い紙が広がる。円と角と縦長方形が、もう押されている。


> 余して結ぶ、糸の刻 ─── コクインイエロー!


 杼形の印が、縦長方形の隣に押された。朱い。


 紙は、まだ一つ空いていた。


> ── 以上、四点。全て、一点物


「四点だとよ」と燈が言った。

「足りてないね」と紬が言った。


 紬の両手に、束ねた紐が現れた。山吹色で、二本ある。片方が太くて、片方が細い。


「タテヌキムチ!」


 紬は舟へ向けて右手を振った。太い方が伸びて、機の脚に巻き付く。巻いて、締めて、引いた。


「経糸ッ!」


 機が荷の上を滑って、艫の方へ傾いた。傾いた途中で紬が左手を振る。細い方が反対側の脚を掛けた。


「緯糸ッ!」


 二本を交差させると、交点に金の光が走った。金が網になる。網が機を受けて、水面の上で止めた。


 石段の灰白色が持っていた包みを置いた。置いてから、上がってきた。


 燈の右手に大槌が現れた。


「ホムラヅチ!」


 打撃面が橙に灼けている。燈は石段の中ほどで振った。振るのが早い。一体目の肩に当たって、石の角が欠けた。外れた勢いを横へ回して、二体目の腰へ入れた。


 蒼は三歩来るまで待った。三歩目で輪を投げる。輪は石段の脇の常夜灯に当たって止まり、そこに残った。


「拾わないのか」と燈が言った。

「うん」


 巌は石段を降りて、舟の縁に鋸を当てた。


「ツギテノコ!」


 歯が木に噛んで、縁に凹凸が出来る。巌は岸の杭にも同じ凹凸を作って、間に短い材を渡した。


 継いだ。


 舟が動かなくなった。綱は解かれている。それでも岸から離れない。


「舟を止めたのか」と燈が言った。

「ん」


 紬は網を巻き取りながら、機を石段の上まで引き上げた。持ち上げたのではない。少しずつ、段の角へ乗せながら引いた。石が鳴って、水が滴った。


 灰白色の一体が、その紐を掴んだ。掴んで、引いた。紬は引き合わずに紐を送った。送った紐が緩んで、相手の腕へ絡む。絡んだところで締めた。


 縛られた三体を、燈が一つずつ打った。紬はそちらを見ていない。機の脚に付いた泥を、掌で払っていた。


 最後の一体が膝を突いた時、石段にいた全部が一斉に口を開いた。顔が平らで、口は無い。それでも声だけが揃った。


「……ありがとうございました」


 消えた。舟に積まれた包みは、そのまま残っていた。



 包みは三十七あった。紙の名前を読んで、一つずつ返しに行くことになった。日が傾くまでに二十四軒が済んだ。


 田中の家には、紬が一人で行った。


 燈は表で待っていた。話し声が長く続いて、それから紬が出てきた。手ぶらだった。


「置いてきたか」

「新しい方を使うって」

「じゃあ、どうすんだ、あれ」

「うちで預かる」


 二人で機を運んだ。四本の脚のうち一本が短くて、土間に置くと片方が浮く。紬は木の切れ端を挟んで、それで水平にした。


 それから自分の機に戻って、木箱を開けた。木管が二十四本、まだ一本も端が出ていない。


 紬はその一本を取って、糸を引き出した。要る長さより指二本ぶん先で鋏を入れる。切った端を、箱の隅へ落とした。


 もう一本取って、同じことをした。


「わざとやってんのか」と燈が訊いた。

「うん」

「なんで余らせるんだ。要らねぇだろ、それ」


 紬は手を止めずに答えた。


「余ってるから、あげられるんだよ」


 燈は自分の掌を見た。それから、朝に置かれた豆腐の桶を見た。四丁のうち二丁が、水の中でまだ形を保っている。


「あの豆腐屋も、同じこと言うぞ」

「佐久間さん?」

「余ったから置いてくって。三年言ってる」


 紬は少し笑って、鋏を置いた。棚の上の紙袋を取って、燈へ渡す。


 中に手袋が入っていた。編んだもので、指が五本ある。燈が右手を入れると、寸法がぴったりだった。指の長さも、掌の幅も、手首の太さも合っている。


 柄がひどかった。


 山吹と藍と桜と深緑が段ごとに入れ替わって、どの段も長さが違う。緋色は手首のところに三段だけ入っていた。


「これ、何色なんだよ」

「余り糸だから」

「余り糸で編んだのか」

「うん。寸法は測った。柄は測ってない」


 袋の中には、あと五つ入っていた。燈は数えた。


「六つあるぞ」

「うん」

「一つ多いだろ」

「誰か来るかも知れないから」


 紬は当たり前の顔をしていた。燈は袋の口を閉じて、棚の上へ戻した。



 商店街の入口で、男の声がした。


「── 量産」


 灰白色が地面から生えた。石畳の目地から、シャッターの下の隙間から、袖看板の裏から。同じ顔で、同じ背丈で、同じ間隔で。一つが別の一つの肩に乗る。その上にまた乗った。二十が二百になって、その先は数えられなかった。


「積み上がるぞ!」


 水路が持ち上がって、黒い炉が立つ。向かいの岸で長い窯が伸びた。裏の林から櫓が起き上がってくる。


 四つ目は、織り場の屋根を割って出た。


 機だった。四十メートルの機に、経糸が張ってある。生糸が毛羽立っていて、風で細かく震えていた。


「火入れッ!」


> 真、通りません。


「四つでもかよ」


> 四つでも通りません。


 塊が商店街の屋根を越えた。平尾看板店の袖看板が下から押し上げられて、根元から外れた。炉の肩が削れて煉瓦が落ちる。窯の側面が崩れて、土が降った。櫓が二機の間に入って、継ぎ目で受けた。三機が同じ方向に傾いだ。


 紬は機の胴に立って、両手を上げた。


たてを張れッ!」


 張った糸が、炉と窯と櫓の肩を通って伸びる。三機の間に縦の筋が並んだ。


よこを通せッ!」


 杼が走った。四十メートルの杼が縦糸の間を横へ滑っていく。行って、戻る。往復の間に一度だけ、低い音が鳴った。


 とん。


 四機の間に、布が張った。


 塊が布へ乗った。乗って、登ろうとした。


 布は破れなかった。破れずにたわんだ。撓んだ面を灰白色が掻いても、指が糸の間へ入るだけで、上へ行けない。積みの上の方が前へ出て、下の方が追いつかない。


 塊は自分の重さで前へ倒れた。


 商店街の人が見上げていた。戸島が路地の真ん中に立って、指を差した。


「布だ。あれ、布か」

「布だな」と佐久間が言った。


 平尾は外れた袖看板を抱えていた。抱えたまま上を見て、それから看板を地面に立て掛けた。


 田中の老婆は、家の前の椅子に座って見上げていた。目を細めて、長く見ている。


「あれは、機だね」


 誰も答えなかった。老婆は一人でうなずいて、それからもう一度言った。


「あれは、機だ」


 塊は倒れたところから崩れはじめた。同じ顔が路地の奥へ流れていって、水路の水面が元の高さへ戻る。


 残ったのは、煉瓦と土と、白木の櫓と、張ったままの布だった。布は端が揃っていなかった。端だけが、ばらばらに余っていた。



 夜が明けた。


 織り場の土間に機が二つある。紬のと、田中のと。田中の機は脚の下に木の切れ端が挟まって、それでやっと水平だった。


 紬は自分の機の小箱に、古い杼を戻した。新しい杼は棚へ上げた。棚の上には使わない物が並んでいる。折れた綜絖、目の飛んだ筬、糸を巻きすぎた木管。どれも捨てていない。


 燈はその棚を見上げた。上の段まで物が詰まっていた。


 紬は前掛けの内側から、五センチの布を出した。硬い方だった。


「あった?」

「積んであったよ。名前が書いてあった」

「何て」

「火村」


 燈は自分の名を貼った紙を見ていない。二度読んだ列に、その名があったかどうか思い出せなかった。


 紬は硬い五センチを木箱に入れた。木管の間へ落として、蓋を閉めた。


> 銘量、火村燈 八百六十七。陶山蒼 九百八。綾織紬 七百五十六。楠木巌 九百七十二。

> 四つ、減っております。


「減るんだね」と紬が言った。

「戻らねぇらしい」

「じゃあ、余らせとかなきゃ」


 紬は機に座って、踏木を踏んだ。綜絖が上がって、経糸が上下に割れる。杼が右へ行って、左へ戻った。


 とん。


 布が指の幅だけ伸びた。


> 【鑑定 第四号】

> 押印累計 ── 十。

> 物件 ── 杼、一つ。

> 追記 ── 本日、押印四。使用者、火村燈および陶山蒼および綾織紬および楠木巌。

>     銘量の減少を確認。

> 所見 ── 原物、使用者により回収。両端の丸みは原物にのみ存在する。

>     代替物、未使用のまま保管。破棄されず。

>     回収物三十七点。うち一点、返却先の意向により預かりのまま。

>     綿糸およそ二百匁、回収に至らず。所在不明。判定不能。

>     工房機四機、火入れ不通。四機の間に布を張り、これを壁とした。

>     合体に至らず。

> 本件、真贋判定 ── 〈真〉。

> ただし、

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