第039話 よく切れる鋏
> 【鑑定 第三十九号】
> 押印累計 ── 百八十。
> 依頼者 ── 綾織織布。
> 物件 ── 握り鋏、一挺。ならびに刃物、七点。
> 所見 ── 刃、合っております。切り口 ── 直線であります。
> 毛羽 ── 一本もございません。
> 結束 ── 出来ません。
> ……判定を、開始します。
── 五番目の椀は、それから毎日使われている。
十二月の織り場は乾く。空気が乾くと経糸が切れる。細い糸から順に切れて、一日に十本や二十本は必ず切れる。
紬は切れる度に手を止めて、繋いだ。切れた両端を指でつまんで、輪を作って、片方を通して締める。機結びという。締めると節が小さくなって、筬を通っても引っ掛からない。
繋ぐのに要る時間は、一本で十数える間になる。日に二十本なら、一日で二百は数える。数えながら織るので、紬は数を口に出さない。出すと、織りの拍と混ざる。
「面倒じゃないですか」と燈が訊いた。上がり框に腰を掛けて、鞴の話をしに来たついでになる。
「面倒です」
「切れないように出来ないんですか」
「湿らせれば減ります。減るだけです」
「ゼロにはならないと」
「なりません。冬なので」
紬は膝の横の籠から鋏を取った。握り鋏で、輪の無い形をしている。指を掛けるところが無くて、握ると閉じる。離すと、鋼の弾みで開く。開く速さがいつも同じなので、目で見ずに使える。
刃が黒い。研いだ跡はあるが、新しくはない。
「それ、よく切れます?」
「切れません」
「研げばいいのに」
「研ぐと切れます」
「だから」
「切れると、結べません」
紬は糸を一本、鋏で切った。切った端を燈の目の高さへ持ってきた。
端が真っ直ぐでない。潰れていて、細い毛が三本ほど外へ出ている。
「これが引っ掛かるんです」と紬が言った。
「引っ掛かると」
「結び目が滑りません」
鋏は祖母のものになる。刃が合っていなくて、閉じても先が一分ほど開く。開くので、切るというより噛み切る形になる。祖母は右利きで、紬も右利きになる。柄の内側の減り方が同じ向きに付いていた。
母が茶を持ってきた。綾織芳という。盆に湯呑みが二つ乗っていて、一つは燈の分になる。
「甘くしてありますよ」
「え」
「前に来た時、砂糖を入れてたでしょう」
「入れました」
「二杯でしたね」
燈は湯呑みを受け取った。飲んだら、砂糖が二杯入っていた。前に来たのは秋の初めで、それきり来ていない。芳はそれを覚えている。
芳は籠の中の糸屑を集めて、袂へ入れた。入れながら、低い声で歌った。
余り糸から 先に切られる
一行だけである。機の音が上がって、そこで消えた。紬は手を止めなかった。
燈は紬の手を見た。手袋をしている。指先を落とした手袋で、落とした端が結んである。
「それ、切りっぱなしですよね」
「結んでます」
「増えてません?」
「増えてます。今、七つです」
紬は左の親指のところを見せた。結び目が並んでいて、その一つだけ大きい。大きいのは最初に結んだもので、まだ結び方を決めていなかったからだという。
「ほどける度に結ぶので」
「新しいの編めばいいだろ」
「これが一番手に合ってます」
佐久間が桶を提げて来た。土間の端へ置いて、蓋を取らずに帰った。
「余ったからな。置いてくぞ」
「四丁ですね」
「余ったんだ」
その日、紬は経糸を十七本繋いだ。十七回とも、鋏の音が同じだった。
*
次の朝、鋏が切れるようになっていた。
紬が手に取って、閉じた。閉じた先が開かない。刃と刃が合って、擦れる音が細く出た。
糸を一本切った。音がしない。抵抗が無い。
切った端を見た。真っ直ぐだった。毛が一本も出ていない。断ち落としたというより、初めからその長さだったように見える。
紬はその端で輪を作って、片方を通して締めた。
滑った。締めた形にならずに、そのまま抜ける。もう一度やって、もう一度抜けた。指の位置を変えても同じになる。
三度目に、糸の先を指で揉んでから結んだ。揉んでも毛が立たない。潰れた端が、揉んでも潰れない。
「繋がりません」
紬は膝へ手を置いた。置いてから、織り場の刃物を順に見た。
裁ち鋏。小刀。糸切りの替えが二つ。木綿を裁つ大鋏。糸を掻く鉤。針を研ぐ砥石。
七点とも新しくなっている。刃が合っていて、光っていた。砥石だけは形が同じで、面が真っ平らになっている。減った窪みが埋まっていた。
燈が来た時、紬は織り機の前に座ったままだった。
「どうした」
「切れます」
「切れるのか」
「よく切れます」
紬は鋏を燈へ渡した。燈が糸を一本切った。切って、端を見て、それから紬を見た。
「毛が無い」
「無いです」
「これ、結べねぇのか」
「結べません」
燈は鋏を返した。返してから、織りかけの反物を見た。
機に掛かっている布は、幅が一尺三寸で、長さが二丈近くある。半分より先まで織ってある。市外の呉服屋の注文で、納期は年明けになる。急ぐ仕事ではない。
紬はその布の途中を指した。
「昨日の夜に三本切れました。朝、繋ぎました」
「繋がったのか」
「繋がってません。繋いだつもりで通しました」
紬は筬を上げた。上げた場所に、糸が三本、途中で終わっている。端が真っ直ぐだった。三本とも同じ高さで終わっていて、揃っているぶん、余計に目に付く。
識が来た。丸い胴を織り場の上で二寸だけ浮かせて、正面の板が明るくなっている。
> 鑑定を、開始いたします。
> 物件 ── 握り鋏、一挺。ならびに刃物、七点。
> 刃 ── 合っております。
> 切り口 ── 直線であります。毛羽 ── 一本もございません。
> 判定 ── 贋。
「よく切れるのに贋物なんですか」と燈が訊いた。
> 切ることに関して、原物より優れております。
「じゃあ」
> 結束が、出来ません。
蒼が糸を一本持って、灯りへ透かした。透かしてから、帳面を出した。
「三秒くれ」
「どうぞ」
「切り口の角度が九十度です。全部そうです」
「揃ってるのか」
「揃ってます。揃ってると、繊維が一本も外へ出ません」
蒼は帳面へ線を二本引いた。一本は真っ直ぐで、もう一本は端が乱れている。乱れた方を指で叩いて、それから紬の方へ向けた。
「繋ぐには、乱れが要ります」
巌が鋏を受け取った。見る前に触っている。指の腹を刃へ当てて、そのまま滑らせた。
「合っとる」
「合ってるんですか」
「合いすぎとる。この形の鋏は、少し開いとるもんだ」
巌は鋏を返した。返してから、自分の腰の道具袋を叩いた。
「うちのは大丈夫だ。今朝、切れなかった」
「切れないんですか」
「鋸は切れる。鑿が切れん。研いでねぇからだ」
玲が上がり框に座って、握り飯を食べていた。二つ目になる。
「佐久間さんの豆腐、崩れませんでした」
「玲」
「今朝の、角が四つとも立ってました」
「味は」
「いいです。でも、匙が要りませんでした」
玲はそこで包みを畳んだ。畳んでから、指を握って開いた。
芳が奥から出てきた。出てきて、機の前の紬を見て、それから鋏を見た。
「新しいの、買ってあげようか」
「いえ」
「よく切れる方が楽でしょう」
「楽です」
「じゃあ」
「でも、結べないので」
芳は分かったと言う。それ以上訊かずに、湯呑みを下げていった。廊下を行く足音が途中で止まって、また続いた。
紬は母の背中を見ない。見ずに、鋏を膝の横の籠へ戻した。
*
夕方に、砂が鳴った。
乾いた音である。織り場の板の間で二度返って、それから庭の隅で消えた。
道に灰白色が並んだ。数える前に二百を超える。綾織の生垣に沿って一列で並んで、庭には入ってこない。
燈が印籠を出した。
「押印!」
五つの胸から朱が広がった。円、角、杼形、縦長方形、六角。五色が残る。艶は何処にも無い。
背後に紙が広がって、五つの印が並んだ。右下だけが白い。
庭の真ん中に、鋏が一挺立っていた。
立ったまま伸びて、高さが三メートルほどになった。黒い。刃が二枚合わさっていて、合わせ目に隙間が無い。
> 贋作体であります。原物、綾織織布の握り鋏、一挺。
> 刃 ── 合っております。
> 判定 ── 贋。
紬が鞭を投げた。胴に巻いて、引いた。倒さない。引き寄せて、生垣から離そうとした。
「タテヌキムチ」
刃が閉じた。鞭が切れた。切れた先が地面へ落ちて、そのまま動かなくなった。
紬は残りを引いた。手元に半分だけ戻った。
切れた端が真っ直ぐになっている。
「繋がりません」と紬が言った。
「繋げよ」
「切ってあるので、繋がりません」
燈が走った。走って、刃の合わせ目へ鎚を入れた。
「ホムラヅチ!」
当たった。合わせ目が一度開いて、また閉じる。閉じた時に鎚の柄が挟まって、燈が引き抜いた。
抜いた柄の先が、削げていた。削げた面が真っ直ぐになっている。燈は柄を握り直して、削げた分だけ手を前へ送る。
玲が入った。走って、腰の高さで振った。
「スカシバ」
跡が残った。跡が入った線に沿って、刃が開いて、閉じた。
跡が切れた。残った跡が途中で終わっている。透かすと菱が三つだけ出て、その先が無い。
「跡を切られました」
「跡って切れるのか」
「切れました」
巌が大鋸を当てた。継ぎ目を作ろうとして、歯を寝かせて引いた。
「ツギテノコ」
入った。入った継ぎ目を、刃が上から挟んで切った。
継ぎ目が二つに分かれた。
「継ぎ目が切れる」
「巌さん」
「継ぐ端から離される」
紬が立った。立って、手元に残った鞭の半分を両手で持つ。持ってから、切れた端の少し手前を握り直した。
「紬さん」
「引き千切ります」
「貸せ」
「いいです」
「切れるぞ」
「切れません。千切るので」
紬は両手を離した幅で持ち直して、引いた。
引いた。鞭は組紐で、経に芯が入っている。芯が伸びて、外の組みが先に緩んだ。緩むまでに、体ごと二度後ろへ倒れかけている。
緩んで、そこから解けた。解けた先が房になった。房になった端は、毛が外へ出ている。数えられるほど太い毛が、七本か八本ある。
紬はもう半分を、落ちている方から拾った。拾って、同じように引いた。
二度目は硬かった。二度引いて、切れない。三度目で解けた。
解けたところで、手袋の左の親指が裂けた。裂けた下から、指の腹が裂けているのが見えた。
血が糸へ付いた。付いたところが少し黒くなった。紬はそれを拭かない。拭くと組みがまた締まって、房が戻ると言った。
「紬」
「大丈夫です」
「大丈夫じゃねぇ」
「結べます」
紬は房と房を合わせて、輪を作って、片方を通して締めた。
締まった。節が出来た。小さくない節で、指の腹ほどある。
「節が大きいです」と紬が言った。
「使えるのか」
「筬を通らないです。でも、今日は通さないので」
紬は繋いだ鞭を輪にした。輪を二重にして、両端をもう一度結んだ。結ぶ手が滑る。血で滑るので、袖で拭いてから結び直した。
結び目が三つある。三つとも大きい。
「行きます」
紬が投げた。輪が贋作体の胴を通って、反対側へ抜けて、そこで閉じた。
刃が閉じた。輪は切れない。
切ろうとした場所が結び目になっている。結び目は、切っても両側が残る。
「切れません」と蒼が言った。
「なんでだ」
「刃が結び目に乗るんです。乗ると、力が二つに分かれます」
贋作体が開こうとした。開こうとして、輪が締まる。
締まって、刃が閉じきらない。合わせ目に、指が二本入るほどの隙間が出来た。
「巌さん」と紬が言った。
「ん」
「離れられないようにしてください」
「する」
巌が前へ出た。出て、大鋸を持ち直した。
「楠木巌、行く」
当てた。刃の合わせ目の、閉じきらない隙間へ入れた。
「継手鋸、蟻継ぎ」
入った。入って、広がる。継ぎ目が入った先が、上へ行くほど広くなっている。抜こうとすると引っ掛かる形になった。
贋作体が刃を開いた。開いた分だけ、継ぎ目が食い込んだ。
閉じようとした。閉じると、継ぎ目が押し戻した。
開けない。閉じられない。
そこで割れて、崩れた。崩れた場所に、鋏が一挺残った。刃が黒い。閉じても先が一分ほど開いている。
灰白色が動いた。最後の一体が膝を突いた時、生垣の外にいた全部が一斉に口を開いた。声だけが揃った。
「……ありがとうございました」
消えた。土に足跡が一つも無い。
*
紬は織り場へ戻って、機の前へ座った。
筬を上げて、三本の糸を見た。切り口は真っ直ぐなままになる。
紬はその三本の少し手前まで、緯糸を解いた。
解くのは織るより早い。一尺ぶんが十分ほどで戻った。三日織ったものが、十分で無くなる。紬は途中で手を止めなかった。
戻した糸は籠へ入れた。使えるものになる。
「それ、使うんですか」と燈が訊いた。
「使いません」
「使えるだろ」
「使えます」
「じゃあ」
「繋いだ跡が無いので」
紬は籠に蓋をして、棚の下へ入れた。棚の下には同じ籠が三つある。三つとも同じ理由で入れてある。
入れてから、切れていた三本を新しい糸に替えた。替えた糸は端を指で揉んで、毛を立ててから通した。揉むのに時間が掛かる。指が裂けているので、力が入らない。
通してから、また織りはじめた。機の音が戻る。杼が右へ行って、左へ戻る。二つで一往復になる。
芳が湯呑みを二つ持ってきた。一つは燈の分で、砂糖が二杯入っている。
「手、どうしたの」
「切りました」
「鋏で?」
「いえ」
「そう」
芳はそれ以上訊かなかった。訊かずに、紬の手袋を取って、裂けたところを見た。
見てから、綿の糸を持ってきて、その場で繕った。
繕いが上手い。縫い目が細かくて、真っ直ぐに揃っている。紬の繕いより上手い。紬はそれを見ていて、何も言わなかった。
「三河の綿だから、丈夫よ」
「はい」
「これで、あと一年もつわ」
紬は繕われた手袋を着けた。着けて、指を握って開いた。結び目が八つになっている。増えた一つは母が結んだもので、ほかの七つより小さい。
*
夜になって、生垣の下が鳴った。
土の中を何かが通る音が、庭の端から端まで続いた。
「── 量産」
低い声である。庭には誰もいなかった。
地面から何かが生える音がした。同じ間隔で、同じ数だけ、続けて鳴る。
> 銘量 ── 火村燈 六百六十七。陶山蒼 七百八。綾織紬 五百五十六。
> 楠木巌 七百七十二。硝子井玲 六百五十。
> 六つ、減っております。
「五百五十六ですね」と紬が言った。
> 綾織紬、五百五十六であります。
「一番少ないです」
> そうであります。
「いつからですか」
> 初めからであります。
> 連結を確認。
「火入れッ!」
炉の底が鳴った。赤が上がって、継ぎ目を通って渡っていく。
> 真、通りました。
「組み継ぎ、合体!」
継手が噛んだ。木を組む時と同じ音が、四十メートルの高さで鳴る。
芳が縁側へ出て、そこから見上げた。庭の松が邪魔をして、見えるのは脚だけになる。
松の枝の間から、山吹の線が動くのが見えた。芳はその線を目で追って、途中で見失った。
塊が腕を振った。振った先が綾織の物干しを掠って、竹が一本折れた。折れて、庭の土へ落ちた。
「刻印!」
右の拳が前へ出た。左の掌が、その甲を上から押す。
「銘刻斬ッ!」
声が五つ揃った。
拳が塊の胴へ入った。入ったところで止まって、そこに朱が走る。線が字の形になっていって、銘が刻まれていた。
崩れた。落ちた欠片が土に当たって、そこで細い繊維の粉になった。
粉が庭の隅へ流れて、生垣の根で止まった。
*
朝になった。
巌が来て、折れた物干しの竹を継いだ。切らずに、二本の端を斜めに削って重ねて、細い縄で巻いた。
「継ぎ目が太くなってます」と燈が言った。
「太い」
「細く出来ないんですか」
「細くすると、そこで折れる」
紬は織り場で、経糸を数えていた。数えて、十九本繋いだ。
鋏は膝の横の籠にある。閉じても先が一分ほど開く。
紬は一本切った。音がした。抵抗があった。
端が潰れて、毛が三本外へ出た。
紬はその端で輪を作って、片方を通して締めた。
締まった。
節が小さい。筬を通っても引っ掛からない。
紬は次の一本へ移った。移ってから、手を止めて、鋏を見た。刃の合わせ目に、昨日までは無かった細い擦れがある。贋の刃が当たった跡になる。
見てから、また籠へ戻す。籠の中は糸屑と、替えの刃と、祖母の代からある小さな油差しで埋まっている。
その日、切れた糸は十九本で、十九本とも繋がった。繋いだ節は、どれも筬を通る。通る時の音が同じだった。
> 【鑑定 第三十九号】
> 押印累計 ── 百八十。
> 物件 ── 握り鋏、一挺。ならびに刃物、七点。
> 追記 ── 本日、押印五。搭乗五、刻印一。銘量の減少を確認。
> 所見 ── 代替物(握り鋏、一挺。刃物、七点)、消失。
> 当該代替物の切り口 ── 直線でありました。毛羽 ── ありませんでした。
> 贋作体一体、消失。継ぎ目の付与による。
> 結束は綾織紬。切断は行っておりません。
> 止めたのは楠木巌であります。
> 原物(握り鋏、一挺)── 返却済み。刃、合っておりません。
> 先端 ── 一分、開いております。
> 織りかけの反物 ── 一尺、解いております。
> 当該三箇所の切り口 ── 結束、出来ませんでした。
> 解いた糸 ── 使用の予定、ありません。
> 依頼者の負傷 ── 両手。指、四本。
> 当該負傷は、刃物によるものではありません。
> 依頼者は本件において、一体も倒しておりません。
> 市の被害 ── 綾織方の物干し、竹一本。同日中に楠木巌が継ぎました。
> 本件、真贋判定 ── 〈贋〉。
> ただし、




