第038話 銘のない椀
> 【鑑定 第三十八号】
> 押印累計 ── 百七十五。
> 依頼者 ── 火村鍛冶。
> 物件 ── 椀、六つ。
> 所見 ── 木地。挽きもの。二十年以上、経過しております。
> 六つとも、寸法が異なります。
> 銘 ── ありません。
> ……判定を、開始します。
── 平尾は、自分の店の絵だけ残して、あとの十三枚を三日で落とした。
玲が火村鍛冶の土間で汁を作っていた。七輪に土鍋を掛けて、蓋を取って、菜箸で豆腐を落としている。落とし方が丁寧ではない。切った端から鍋へ入れて、崩れたものはそのまま煮る。
「玲、崩れてる」と燈が言った。
「煮えます」
「形が」
「食べたら同じです」
十一月の土間は冷える。七輪の周りだけ空気が動いていて、そこへ五人が寄っていた。火床には火を入れていない。飯の日は入れないことになっている。入れると土間が乾きすぎて、汁の匂いが飛ぶと巌が言う。
季節が変わる頃に一度、全員で飯を食う。誰が決めたのでもない。始めたのは巌で、理由は「腹が減るから」だった。前は夏の終わりで、その時は水路の縁で食べた。今度は寒いので土間になる。
蒼が土間の隅で膝を抱えている。手ぶらで来た。
「茶碗、まだですか」と紬が訊いた。
「まだです」
「いつからでしたっけ」
「春からです」
「六つですよね」
「六つとも違う形にしてるので、時間が掛かります」
蒼はそれだけ言って、また膝を抱えた。抱えたまま、七輪の火を見ている。
燈は棚から箱を下ろした。桐ではなく、杉の箱になる。蓋が反っていて、締まりが悪い。中に椀が六つ入っている。木の椀で、塗ってない。
一つずつ土間へ並べた。並べると、大きさが少しずつ違うのが分かる。
「これ、なんですか」と紬が訊いた。
「木地椀だ」
「塗ってないんですね」
「塗ってない。挽いただけだ」
巌が一つ持ち上げて、底を見た。見る前に触っている。
「一つの木から挽いとる」
「分かるんですか」
「木目が繋がっとる。六つ並べると繋がる」
巌は六つを順に並べ替えた。並べ替えると、木目の流れが一本に繋がった。外側の椀から順に、内側へ向かって細くなっていく。繋がるところに継ぎ目は無い。一本の木が、六つに分かれているだけになる。
「入れ子だ」と巌が言った。
「入れ子?」
「一つの木を刳って、中から次を挽く。六つ取れる。だから六つとも寸法が違う」
紬が一番大きいものへ二番目を入れた。入った。三番目も入った。六つとも重なって、一番小さいものが底になった。
「重なりました」
「重なるように挽いてある」
「少しずつ小さいんですね」
「同じにしたら重ならん」
燈は一番外の椀を持って、掌で回した。
「これ、親父のだ」
「火村さんの?」
「親父が持ってた。二十年より前だ」
「作った人は」
「知らねぇ」
燈は椀の底を上へ向けた。高台の内側に、何も書いていない。傷が一本あるだけになる。長さが一分ほどで、斜めに走っている。
傷は削った跡で、字ではない。刃が滑ったのだと燈が言う。誰から聞いたのかは言わない。
「銘が無いんですね」と紬が言った。
「無い」
「木地師さんの名前も分からないんですか」
「分からねぇ。旅で回ってた人らしい」
佐久間が桶を提げて入ってきた。土間の端へ置いて、蓋を取った。
「余ったからな。置いてくぞ」
「六丁ですね」
「余ったんだ」
六人で食った。汁は塩気が強い。豆腐は形が残っていないので、匙で掬って食べることになる。玲が二度おかわりをして、三度目に鍋が空になった。
*
次の朝、椀が塗ってあった。
六つとも黒い。艶がある。指で触ると滑る。持つと軽い。昨日まであった木の匂いが無くなっていて、代わりに何の匂いもしない。
燈は一つ持ち上げて、灯りへ向けた。塗りに埃が一粒も入っていない。縁の厚みが上から下まで同じになっている。
底を返した。返した拍子に、指が滑って一度落としかけた。落ちる前に受けたので、床には当たっていない。
高台の内側に、銘が入っていた。
小さい。彫ってあって、線が細い。丸の中に、線が三本と点が一つある。読めない字か、字ではない何かになる。線の三本は等間隔ではなく、上の二本が近い。
六つとも同じ銘が入っていた。
燈はそれを暫く見ていた。見てから、土間へ六つ並べた。並べ終わってから、指を握って開いた。親指で人差し指の腹を擦っている。
並べても、木目が繋がらない。塗ってあるので木目が見えない。
巌が来て、一つ持ち上げた。持ち上げて、二つ目を入れようとした。
入らない。途中で止まって、それ以上下りない。無理に押すと、縁が当たって浮く。浮いたまま手を離すと、横へ倒れた。
「重ならん」
「なんでですか」
「同じ寸法だからだ。六つとも同じになっとる」
巌は六つを並べて、指で縁をなぞった。なぞって、手を止めた。
「一つの木から挽いたもんじゃない」
「見て分かるんですか」
「触って分かる」
識が来た。丸い胴を土間の上で二寸だけ浮かせて、正面の板が明るくなっている。
> 鑑定を、開始いたします。
> 物件 ── 椀、六つ。塗り、あります。
> 寸法 ── 六つとも同一であります。
> 高台内 ── 銘、あります。
「銘って、これですか」と燈が訊いた。
> 銘であります。彫り、確かであります。
「誰のですか」
> 該当する製作者 ── 記録にございません。
燈が顔を上げた。
「無いって、どういうことだ」
> 銘の形は、銘であります。
> ただし、この銘を持つ者が、本機の記録にございません。
「読めるんですか」
> 読めます。読めますが、指すものがございません。
蒼が椀を持って、高台を覗いた。覗いて、帳面を出した。
「三秒くれ」
「どうぞ」
「彫り方が上手いです。刃を三回入れて、返しが揃ってます」
「そうか」
「銘としては、完璧です」
蒼は帳面を閉じた。閉じてから、もう一度開いた。
「完璧で、誰のでもないんです」
紬が一つ持ち上げて、指で高台をなぞった。彫りの底まで指が入らない。細すぎて、爪の先も届かなかった。なぞってから、袖の糸を拾って、二度巻いて、切らなかった。
「無かったものが、増えたんですね」
「増えた」
「これまでは、減ってました」
燈は椀を六つ、順に見た。見てから、一番外だったものを探した。塗ってあるので、どれが一番外か分からない。
玲が飯を炊いていた。昨日の続きで、今日も土間にいる。
炊けたのを、贋の椀へよそった。
「玲」
「はい」
「それ、贋物だぞ」
「使いやすいです」
玲は塗りの椀を両手で持った。
「軽いし、汁が冷めません」
「そういう話じゃねぇ」
「昨日のは、汁が沁みてました」
「沁みるもんだ」
「おかわりできますか」
五人が黙った。玲は食べ終えて、椀を伏せて置いた。誰も止めなかった。止める理由を思い付いた者はいたが、口に出す前に玲が食べ終えていた。
伏せた底に、銘が上を向いている。土間の裸電球が真上にあって、彫りの線に影が入った。
*
夕方に、砂が鳴った。
乾いた音である。土間の三和土で二度返って、それから戸口の外で消えた。
道に灰白色が並んだ。数える前に二百を超える。火村鍛冶の前から水路まで一列で並んで、戸口には入ってこない。
燈が印籠を出した。
「押印!」
五つの胸から朱が広がった。円、角、杼形、縦長方形、六角。五色が残る。艶は何処にも無い。
背後に紙が広がって、五つの印が並んだ。右下だけが白い。
道の真ん中に、椀が一つ伏せてあった。
伏せたまま持ち上がって、大きくなった。高さが三メートルほどになる。黒くて、艶があって、縁の厚みが上から下まで同じになっている。
> 贋作体であります。原物、火村鍛冶の椀、六つ。
> 寸法 ── 同一であります。
> 判定 ── 贋。
燈が走った。走って、縁へ鎚を入れた。
「ホムラヅチ!」
当たった。当たった場所が凹んで、そこから割れた。割れ口が滑らかで、縁の厚みが上と同じになっている。
割れて、二つになった。二つとも椀の形をしている。大きさが同じになる。割れた分だけ小さくなるはずが、小さくなっていない。
「増えました」と蒼が言った。
「割ると増えるのか」
「割ると、割った分だけ同じものになります」
玲が入った。走って、腰の高さで振った。
「スカシバ」
跡が残った。跡が入ったところから、また割れた。四つになった。四つとも同じ大きさになる。菱の文様は出ている。出ているのに、割れ口には出ていない。
「玲、下がれ」
「下がります」
四つが動いた。四つとも同じ速さで、同じ間隔で寄ってくる。
巌が大鋸を当てた。継ぎ目を作って、繋げようとした。
「ツギテノコ」
入った。入って、繋がらない。継ぎ目の両側が同じ形なので、噛むところが出来ない。
「噛まん」
「噛まないって」
「凸と凹が要る。両方とも凸だ」
燈が下がった。下がって、土間の戸口の前に立った。
戸口の内側に、六つの椀が並べてある。原物の木地椀になる。
「そこ、どいてください」と紬が言った。
「どかねぇ」
「打たれます」
「打たれる」
四つのうち一つが伸びた。伸びて、燈の肩を打つ。
当たった。燈は下がらない。膝が一度曲がって、それだけになる。戸口の内側の六つは、一つも動かなかった。
「燈さん」
「入れ子だ」
燈が振り向いた。
「巌さん、さっき言ったろ。同じにしたら重ならんって」
「言った」
「あいつら、全部同じだ」
「重ならんな」
「重ねさせろ」
紬が鞭を投げた。四つのうち二つに巻いて、引いた。倒さない。引き寄せて、一つの上へもう一つを載せた。
「タテヌキムチ」
載った。載って、途中で止まった。縁が当たっている。それ以上下りない。指を一本入れる隙間だけが残って、そこで噛んだ。
「止まりました」
「もう一つだ」
巌が石畳へ大鋸を入れた。目地に継ぎ目を作って、受けの形にした。継ぎ目の入った石が浅く沈んで、そこが窪みになる。
「ツギテノコ」
窪みへ、重なった二つを落とした。落ちて、動かなくなった。
蒼が輪を投げた。輪が三つ目の縁を舐めて、高さを変えた。
「ヨウヘンリン」
三つ目が傾いて、重なった二つの上へ乗った。乗って、噛まずに滑って、そのまま挟まった。
「四つ目!」
燈が跳んだ。跳んで、上から押し込んだ。
押した。押した力が全部、縁と縁の間へ行った。行って、返ってこない。
入らない。入らないので、四つとも動かなくなった。
止まっている。同じ寸法のものが四つ、重なりきらずに噛んでいる。四つとも縁が浮いていて、下の三つに重さが掛かっていない。掛かるところが無いので、逃げるところも無い。
「入らねぇな」と燈が言った。
「入りません」と蒼が言った。
「同じだからか」
「同じだからです」
玲が前へ出た。出て、刃を下ろした。
「硝子井玲、行きます」
振った。刃が四つの重なりの真ん中へ入って、縦に抜けた。
「透かし刃、一重」
跡が残った。跡は一本に見えて、光に透かすと四本ある。四本の間隔が少しずつ違っていた。玲の手が震えているからになる。震えは今朝も戻っている。
崩れた。四つとも同時に崩れて、粉になった。
崩れた場所に、椀が六つ残った。木地の椀になる。塗っていない。大きさが少しずつ違う。石畳の上に伏せずに置かれていて、六つとも口が上を向く。
灰白色が動いた。最後の一体が膝を突いた時、道にいた全部が一斉に口を開いた。声だけが揃った。
「……ありがとうございました」
消えた。石畳に足跡が一つも無い。
燈は六つを土間へ運んで、並べた。
木目が繋がった。外から内へ、順に細くなっていく。
一番大きいものに二番目を入れた。入った。三番目も入った。四番目を入れた。入った。五番目を入れて、六番目を入れた。
六つとも重なって、一番小さいものが底になった。重ねると、六つが一つの椀に見える。
燈は重ねたまま持ち上げて、それから一つずつ外した。
外した五番目の底を返した。
銘が残っていた。小さい。丸の中に、線が三本と点が一つある。彫ってあって、線が細い。上の二本が近い。塗りが落ちても、彫りだけが木に残っている。
「一つだけ残ってます」と紬が言った。
「残ってるな」
「消せますか」
巌が受け取って、指でなぞった。なぞって、返した。
「削れば消える」
「じゃあ」
「削ると、そこだけ薄くなる。薄くなると、そこから割れる」
燈は五番目を掌に載せた。載せて、暫く持っていた。軽い。塗りが剥がれたので、また木の匂いがする。銘のところだけ、指を当てると窪みが分かる。
「そのままだな」
「そのままですか」
「消したら、椀じゃなくなる」
燈は五番目を六つの中へ戻した。戻して、また重ねた。重ねると、銘は見えなくなる。
見えなくなっても、あることは変わらない。重ねた六つを箱へ戻して、蓋を載せた。蓋は反っているので、端が一分ほど浮く。
*
その夜、火床の火を落としてから、燈が口を開いた。
「親父は、銘を切らなかった」
五人が振り向いた。
「一本も?」と紬が訊いた。
「一本も」
「なんでですか」
「知らねぇ」
「訊かなかったんですか」
「訊いた。答えなかった」
燈は棚を見上げた。棚の上に桐箱がある。埃が薄く乗っていて、拭いた跡が一つある。掌の形をした跡で、四本の指のところだけ埃が無い。いつ付いたのかは分からない。
「三年前にいなくなった。刀が一本だけ残った」
燈は箱を下ろさない。誰も下ろせと言わなかった。見せてくれと言われたら断ると燈は決めていて、その用意は要らずに済んだ。
「銘が無い」
「はい」
「だから、親父のだって証明できねぇ」
紬が糸を拾った。拾って、二度巻いて、切らなかった。
「証明しなくていいんじゃないですか」
「よくねぇ」
「なんでですか」
「証明できねぇと、いつか誰かが名前を入れるだろ」
誰も答えなかった。
蒼が湯呑みの高台を親指でなぞった。巌が耳の鉛筆を取って、また戻した。玲は箸を置いた。
燈はそれ以上言わなかった。言わずに、火床の灰を掻いて、火の残りを埋めた。
埋めてから、掌を膝で拭いた。
*
夜になって、水路の水面が鳴った。
石垣に当たる音が二度返って、それから止まった。
「── 量産」
低い声である。道には誰もいなかった。
地面から何かが生える音がした。同じ間隔で、同じ数だけ、続けて鳴る。
> 銘量 ── 火村燈 六百七十三。陶山蒼 七百十四。綾織紬 五百六十二。
> 楠木巌 七百七十八。硝子井玲 六百五十六。
> 六つ、減っております。
「昼は六百七十九だったな」と燈が言った。
「六つ減りました」
「毎回六つだ」
「毎回六つです」
> 連結を確認。
「火入れッ!」
炉の底が鳴った。赤が上がって、継ぎ目を通って渡っていく。
> 真、通りました。
「組み継ぎ、合体!」
継手が噛んだ。木を組む時と同じ音が、四十メートルの高さで鳴る。
商店街の人が出てきて、上を見た。佐久間は桶を石畳へ置いてから見上げた。宮下は娘を家の中へ入れてから出てきた。
塊が腕を振った。振った先が火村鍛冶の煙突を掠って、上の二段が落ちた。落ちて、屋根の上で止まった。
「刻印!」
右の拳が前へ出た。左の掌が、その甲を上から押す。
「銘刻斬ッ!」
声が五つ揃った。
拳が塊の胴へ入った。入ったところで止まって、そこに朱が走る。線が字の形になっていって、銘が刻まれていた。
崩れた。落ちた欠片が石畳に当たって、そこで黒い粉になった。
粉が水路へ流れて、橋の下で一度渦になった。
*
朝になった。
巌が来て、煙突の落ちた二段を屋根から下ろした。下ろして、積み直した。継ぎ目を一つ入れて、そこで留めた。留める前に一度外して、向きを変えてからもう一度入れている。
「継ぎ目が見えます」と燈が言った。
「見える」
「隠さないんですか」
「隠すと、次の奴が分からん」
燈は煙突を見上げた。上の二段だけ、色が違っている。継ぎ目のところに新しい木が挟まっていて、そこだけ白い。雨が二度降れば同じ色になると巌は言った。
土間へ戻って、椀を六つ並べた。五番目だけ底を上へ向けて置いた。
銘が上を向いている。
燈は帳面を外して、一行書き足した。
椀六つ。五番目に銘。誰のでもない。
書いた字は下手だった。「誰の」のところで一度止まって、続きを書いている。
書いてから、五番目を伏せずに、口を上へ向けて戻した。
六つ並べると、五番目だけ底が見えない。ほかの五つと同じ向きになる。
燈はそれを見てから、火床に火を入れた。
> 【鑑定 第三十八号】
> 押印累計 ── 百七十五。
> 物件 ── 椀、六つ。
> 追記 ── 本日、押印五。搭乗五、刻印一。銘量の減少を確認。
> 所見 ── 代替物(椀、六つ)、消失。
> 当該代替物の寸法 ── 六つとも同一でありました。
> 贋作体一体、消失。重畳の不能による。
> 結束は綾織紬。受けの作成は楠木巌。高さの調整は陶山蒼。
> 押し込みは火村燈。止めたのは硝子井玲であります。
> 原物(椀、六つ)── 返却済み。寸法、六つとも異なります。
> 入れ子 ── 復しております。
> ただし一点に、銘が残っております。五番目であります。
> 当該銘に該当する製作者 ── 記録にございません。
> 当該銘の抹消 ── 出来ません。削ると器が損なわれます。
> 製作者(原物)── 氏名の記録、ありません。
> 所持者の申し立て ── 消したら、椀じゃなくなる。
> 市の被害 ── 火村鍛冶の煙突、二段。同日中に楠木巌が積み直しました。
> 継ぎ目 ── 一。隠しておりません。
> 本件、真贋判定 ── 〈贋〉。
> ただし、




