第034話 三代目の看板
> 【鑑定 第三十四号】
> 押印累計 ── 百五十五。
> 依頼者 ── 三ツ木提灯店。
> 物件 ── 提灯、七つ。
> 所見 ── 骨、四十六本。紙は和紙。
> 張りの継ぎ目 ── ありません。
> 糊の厚み ── 均一であります。
> 畳むことが出来ません。
> ……判定を、開始します。
── 柚木町の瓦は、三日後に葺き替えられた。
三ツ木提灯店は商店街の水路側にある。間口が一間半で、奥が長い。奥に骨を組む台があって、そこに輪が積んである。輪は太さで分けてあって、細いものが上、太いものが下になる。積み上げた高さが人の腰ほどある。
九月の終わりで、朝の水路に霧が残っていた。霧は日が高くなると引く。引くまでの間は竹がよく撓むと、三ツ木が言った。
三ツ木タケシは三十八になる。三代目で、継いで三年目になった。
骨を組んでいた。竹の輪を型に嵌めて、上から順に糸を渡していく。渡した糸を締めて、次の輪へ移る。締める強さが一定でないので、輪と輪の間隔が少しずつ違う。違うところに火が入ると、影の幅が変わる。
組む音が細い。糸が竹を擦る音で、一回ごとに間が空く。間が空くのは、次の輪を選ぶ時に迷うからだった。
燈は台の横に立って、それを見ていた。
「輪、何本ですか」
「四十六」
「多いですね」
「うちのはこの数だ。親父の代からそう」
骨が組み上がると、紙を張る。糊を刷いて、上から和紙を伏せる。
三ツ木の張りは、糊が均一でない。厚いところと薄いところがある。乾くと、そこだけ皺が寄った。
火を入れると、皺のところが濃く見える。
「これ、直せるんですか」と燈が訊いた。
「直せる。糊を薄く伸ばせばいい」
「じゃあ」
「出来ないんだ、それが」
三ツ木は刷毛を置いた。置いてから、手を洗った。
二代目は三年前に倒れた。工芸祭の支度をしている最中で、糊の鍋を火に掛けたままだった。倒れて、半年で死んだ。
三ツ木はそれまで、市外の会社に勤めていた。継ぐ話は出ていない。出ていないまま、葬式の翌月に店を開けた。開けたのは、鍵を持っていたのが自分だけだったからである。
「教わってないんですよ」
「習わなかったんですか」
「習う前に倒れたんです」
三ツ木はそう言って、笑った。笑い方が、困った時の笑い方だった。
燈は何か言おうとして、止めた。止めて、台の上の輪を一つ手に取った。竹は思ったより軽くて、指の腹で押すと簡単に撓んだ。
店の奥に、二代目の張った提灯が七つある。
売れ残りで、十年以上そこにある。埃が乗って、色が黄ばんでいた。
糊が薄い。薄くて、均一になっている。乾いた皺が一つも無い。
燈は一つ持ち上げて、灯りに透かした。骨が透けて見える。骨の影が四十六本、まっすぐ並んでいた。
「これ、上手いですね」
「親父のです」
「三ツ木さんのと、違いますね」
「違います」
三ツ木は七つを見た。見て、それから自分の張ったものを見た。
「並べて売れないんですよ。並べると、うちのが売れない」
平尾が来たのは昼前になる。看板の相談だという。
店の看板は二代目が書いたものになる。「三ツ木提灯店」と六字ある。下の三字が擦れて、読みにくくなっていた。
「書き直してほしいんです」と三ツ木が言った。
「親父さんの字でですか」
「親父の字で」
平尾は看板を見上げた。首を後ろへ倒して、擦れた三字のところで目を止めた。暫く見上げて、それから言った。
「写せます」
「じゃあ」
「でも、写したものは俺の字になります」
三ツ木は黙った。黙ったまま、刷毛の柄を握り直した。握った指に糊が付いていて、乾きかけて白くなっている。
平尾は続けなかった。続けずに、脚立を担ぎ直した。
「決まったら呼んでください」
「はい」
「急ぎませんから」
平尾は帰った。脚立を担いだまま、水路の方へ曲がった。
燈はその背中を見た。見て、何も言わなかった。
佐久間が桶を提げて入ってきた。白い桶で、水が減っていない。
「余ったからな。置いてくぞ」
「六丁ですね」
「余ったんだ」
台の下へ置かれた。竹の輪の隣になる。
*
颯太が学校の帰りに寄った。手提げを土間へ置いて、両手を膝に付いた。
寄って、店の奥の七つを見た。見て、しゃがんで、下から覗いた。覗いたまま、口の中で数を言っていた。
「よんじゅうろく」
「何がだ」と三ツ木が訊いた。
「ほね。よんじゅうろくぼん」
「そうだよ」
「ぜんぶよんじゅうろく」
「全部?」
颯太は七つとも数えたらしい。数え終わるまでに、柱時計が二度鳴っている。数え終わってから言った。
「みっつめだけ、よんじゅうごほん」
「え?」
「みっつめ。いっぽんすくない」
三ツ木は三つ目を持ち上げた。持ち上げて、下から覗いた。
数えた。四十五本だった。
「知らなかった」
「かぞえたことない?」
「無い」
「かぞえたらいいのに」
颯太はそれだけ言って、帰った。帰り際に今日の鎚の数を言った。三百十二だという。昨日より少ないと言って、少ない理由は言わずに出て行った。
三ツ木はその提灯を台へ置いて、暫く見ていた。置いてから、三つ目の輪の並びを指で上から下へなぞった。なぞって、途中で止めて、また上から数え直した。
三日後の朝に、七つが新しくなっていた。
埃が無い。黄ばみも無い。紙が白くて、糊の厚みが均一になっている。触ると冷たい。
朝の霧が残っているのに、紙が湿っていなかった。指で押した跡も残らない。
三ツ木は一つ持ち上げて、灯りに透かした。骨が四十六本、まっすぐ並んでいる。
七つとも四十六本だった。
三ツ木はそれを長く見ていた。見てから、店の表へ七つとも並べた。
その日のうちに、四つ売れた。買ったのは市外の客が三人と、商店街の宮下が一人になる。宮下は娘に持たせると言って、一番白いものを選んだ。
三ツ木の張ったものは、一つも売れなかった。
識が来た。丸い胴を土間の上で二寸だけ浮かせて、正面の板が明るくなっている。
> 鑑定を、開始します。
> 物件 ── 提灯、七つ。
> 骨、四十六本。紙は和紙。
> 張りの継ぎ目 ── ありません。糊の厚み ── 均一であります。
> 畳むことが出来ません。
> 判定 ── 贋。
「畳めないって、どういうことですか」と燈が訊いた。
> 提灯は、紙を継いで張ります。継ぎ目のところで折れます。
「継ぎ目が無いと」
> 折れる場所がございません。畳めません。
三ツ木は一つ持って、押してみた。両手で挟んで、上下から力を入れた。二代目の張ったものなら、この持ち方で音を立てて縮む。竹の輪が順に重なって、掌の中で薄くなる。
縮まない。指が沈む感じもしなかった。
上から押しても、輪が寄らなかった。紙が張ったまま、形を保っている。三ツ木は持ち替えて、今度は横から押した。結果は同じだった。
「畳めないと、困るんですか」と蒼が訊いた。
「祭りのあとに畳んで仕舞う。畳めないと、置き場所が無い」
「じゃあ、困りますね」
「困る。でも」
三ツ木はそこで切った。切って、七つを見た。
「でも、売れるんです」
燈が前へ出た。
「戻しましょうか」
「戻さないでほしい」
三ツ木はそう言った。早口ではない。考えてから言った言い方だった。
「三ツ木さん」
「親父のなんです、これは」
「違います」
「親父の張り方です。俺には出来ない張り方です」
燈は返す言葉を探した。探して、一つも見つからない。
巌が七つに触った。見る前に触った。触って、指で紙を押した。押してから、掌を紙へ当てたまま端まで滑らせた。
「ん」
「巌さん」
「継ぎ目が無い」
「識さんもそう言ってました」
「継ぎ目の無いもんは、直せん」
三ツ木がそれを聞いた。聞いて、少し黙った。黙ってから、自分の張った提灯の継ぎ目を指でなぞった。そこは厚みが揃っていなくて、指に段が当たる。
蒼が帳面を出して、七つの骨を数えていた。数えて、線を七本引いた。
「三秒くれ」
「もういいですよ」
「四十六が七つです。全部同じです」
蒼はそこで顔を上げた。
「三つ目も四十六です」
三ツ木が振り向いた。
「四十五だった」
「今は四十六です」
三ツ木は三つ目を持ち上げた。持ち上げて、下から覗いた。
数えた。四十六本あった。
三ツ木はそれを台へ置いた。置いて、手を洗いに行った。
洗って、戻ってきた。戻ってきて、何も言わなかった。
紬が三ツ木の作務衣の袖を見た。糸が一本出ている。指で拾って、二度巻いて、引いて、切らなかった。
「切らないんですね」
「切ると、また出るので」
「そうですか」
三ツ木はその袖を自分でも押さえた。押さえて、離した。
*
夕方に、砂が鳴った。
乾いた音である。水路の石垣で二度返って、それから消えた。
道に灰白色が並んだ。数える前に二百を超える。店の表に一列で並んで、提灯には触れていない。
燈が印籠を出した。
「押印!」
五つの胸から朱が広がった。円、角、杼形、縦長方形、六角。五色が残る。艶は何処にも無い。
背後に紙が広がって、五つの印が並んだ。右下だけが白い。
表の七つのうち、一つが浮いた。浮いて、膨らんだ。
提灯の形である。高さが四メートル近くあって、白い。骨の影が四十六本、まっすぐ並んでいる。
火は入っていない。それでも白く見えた。
> 贋作体であります。原物、三ツ木提灯店の提灯、七つ。
> 張りの継ぎ目 ── ありません。
> 判定 ── 贋。
燈が走った。走って、腹へ鎚を入れた。
当たった。当たった場所が凹んで、すぐ戻った。
紙が張っているので、押しても伸びない。伸びないので、こちらへ跳ね返ってくる。燈は柄を握り直して、二度目を打った。二度目も同じところで撥ねた。
巌が大鋸を当てた。切らずに、継ぎ目を作ろうとした。刃を寝かせて、表面を舐めるように引く。
歯が滑った。紙の上を滑って、掛からない。掛かる場所そのものが無かった。
「継ぎ目が入らん」
「さっきもそう言ってましたね」
「今度は入れられんという意味だ」
紬が鞭を投げた。胴に巻いて、引いた。倒さない。引いて、縮ませようとした。
縮まない。何度やっても、輪が一つも寄ってこない。
上から押しても、横から引いても、形が変わらなかった。紬は手首を返して、巻く位置を変えた。それでも同じだった。
蒼が輪を投げた。輪が紙に当たって、跳ね返った。
「畳めないものは、潰せません」と蒼が言った。
「じゃあどうするんだ」
「継ぎ目を作るしかないです」
「入らんと言ってる」
三ツ木が店から出てきた。出てきて、道の真ん中まで来た。
「三ツ木さん、下がってください」
「これ、親父のじゃない」
三ツ木はそう言った。
「さっき、親父のだって」
「親父はもっと下手でした」
三ツ木は自分の手を見た。糊の乾いた手だった。
「三つ目、四十五本だったんです」
「はい」
「親父は数え間違えてた。四十六本のはずが、四十五本しか入ってなかった」
「それが」
「今、四十六本ある」
三ツ木は前へ出た。
出て、贋作体の胴の紙に手を掛けた。掛けて、引いた。
破けた。乾いた音がした。
破けた場所から、紙の端が出た。継ぎ目ではない。ただ破けただけの端になる。
「玲!」と燈が言った。
「見えてる」
玲が入った。破けた端へ入って、そこで刃を振った。
「スカシバ」
振った。跡が残った。破けた端から、胴を一周する線になった。
線は消えない。光に透かすと切子の文様になる。細い菱が並んで、その中にまた菱がある。
その線が、継ぎ目になった。
贋作体が縮んだ。
線のところで折れて、上から順に畳まれていく。畳まれる度に骨が寄って、輪と輪が重なる。
輪が四十六まで重なって、そこで止まった。
平たくなった。畳んだ提灯の形になる。
崩れた。
崩れた場所に、提灯が七つ残った。
埃が乗っている。色が黄ばんでいる。糊が薄くて、均一になっていた。乾いた皺が一つも無い。
三ツ木がそれを一つ持ち上げて、下から覗いた。
数えた。三つ目は、四十五本だった。
灰白色が動いた。最後の一体が膝を突いた時、道にいた全部が一斉に口を開いた。声だけが揃った。
「……ありがとうございました」
消えた。石畳に足跡が一つも無い。
*
三ツ木は七つを店の奥へ戻した。
戻して、埃を払わなかった。払うと売り物に見えると言った。
「売らないんですか」
「売りません」
「なんでですか」
「畳めるので」
燈はその答えの意味が分からなかった。分からないまま、訊き返さなかった。
三ツ木は台の前へ座って、竹の輪を型へ嵌めた。
上から順に糸を渡す。渡した糸を締めて、次の輪へ移る。締める強さは今日も揃わなかった。
四十六本、渡した。渡し終わって、数えた。
四十六本あった。数え違えていない。
「合ってます」
「合ってる」
「親父さんは間違えたんですよね」
「一回だけです。俺は知らずに三年やってた」
三ツ木は糊を刷いた。刷いて、和紙を伏せた。
乾くと、皺が寄る。今日も寄った。
寄った場所を、三ツ木は指で押さえた。押さえても直らない。
「直らないですね」
「直りません」
「悔しくないですか」
「悔しいです」
三ツ木は次の一枚を伏せた。伏せた紙の端が少しずれた。ずれた分を指で戻して、それ以上は直さなかった。
蒼が土間の隅で、湯呑みの茶を見ていた。見ながら、低い声で歌った。
もとの形を よく覚え
一行だけである。歌い終わらずに、糊の刷毛の音でそれが消えた。
誰も指摘しなかった。
平尾が夕方に来た。看板の返事を聞きに来たのである。
「決まりましたか」
「決まりました」
「親父さんの字でいいですか」
「平尾さんの字で書いてください」
平尾は少し黙った。黙ってから、脚立を下ろした。
「いいんですか」
「うちの看板です。今のうちの」
「分かりました」
平尾は板を外して、持って帰った。
燈はその背中を見た。
見て、今度も何も言わなかった。
*
夜になって、外が暗くなった。
暗くなる前に音が来た。水路の水面が波打って、それから提灯店の軒が鳴った。
「── 量産」
低い声である。昼の道には誰もいなかった。
地面から何かが生える音がした。同じ間隔で、同じ数だけ、続けて鳴った。
> 銘量 ── 火村燈 六百九十五。陶山蒼 七百三十六。綾織紬 五百八十四。
> 楠木巌 八百。硝子井玲 六百七十八。
> 六つ、減っております。
「巌さん、八百ちょうどですね」と燈が言った。
「ん」
「区切りがいい」
「よかねぇよ」
> 連結を確認。
「火入れッ!」
炉の底が鳴った。赤が上がって、継ぎ目を通って渡っていく。
> 真、通りました。
「組み継ぎ、合体!」
継手が噛んだ。木を組む時と同じ音が、四十メートルの高さで鳴る。
商店街の人が出てきて、上を見た。三ツ木も出てきて、店の前に立った。立って、上より先に軒の金具の方を見た。
佐久間は桶を石畳へ置いてから見上げた。置いた桶の水が揺れた。
塊が腕を振った。振った先が提灯店の軒を掠って、軒先の吊り金具が二つ落ちた。落ちて、石畳で跳ねた。
金具に提灯は掛かっていない。夜は下ろしてある。
「刻印!」
右の拳が前へ出た。左の掌が、その甲を上から押す。
「銘刻斬ッ!」
声が五つ揃った。
拳が塊の胴へ入った。入ったところで止まって、そこに朱が走る。線が字の形になっていって、銘が刻まれていた。
崩れた。落ちた欠片が石畳に当たって、そこで紙の粉になった。
粉が水路へ流れた。流れて、橋の下で一度渦になった。渦は暫く回って、それから解けた。解けたあとの水面に、白いものは残っていない。
*
朝になった。
三ツ木が軒の金具を付け直していた。付け直して、提灯を一つ掛けた。
掛けたのは自分の張ったものである。皺が寄っている。
火を入れた。皺のところが濃く見えた。
燈は水路の向こうからそれを見た。見て、それから火村鍛冶へ歩いた。
途中で平尾とすれ違った。平尾は板を担いでいる。三ツ木提灯店の看板になる。
板に字が入っていた。まだ乾いていない。
燈はその字を見た。
平尾の字だった。撥ねの高さが揃っていて、横棒の間隔が同じになっている。
二代目の字ではない。似てもいない。
燈は何も言わなかった。
火村鍛冶の土間で火を入れて、それから壁の帳面を外した。
外して、開いて、そこへ一行書き足した。
提灯七。三つ目、四十五。戻った。
書いた字は下手だった。数の並びだけが読める。
書いてから、また釘へ掛け直した。
> 【鑑定 第三十四号】
> 押印累計 ── 百五十五。
> 物件 ── 提灯、七つ。
> 追記 ── 本日、押印五。搭乗五、刻印一。銘量の減少を確認。
> 所見 ── 代替物(提灯、七つ)、消失。
> 骨 ── 七つとも四十六本でありました。
> 贋作体一体、消失。継ぎ目の付与による。
> 継ぎ目の起点 ── 依頼者の手による破損であります。
> 斬撃 ── 硝子井玲。跡が一周し、そこが折れ目となりました。
> 依頼者の申し立て ── 親父はもっと下手でした。
> 原物(提灯、七つ)── 返却済み。埃、あります。黄ばみ、あります。
> 骨 ── 三つ目、四十五本。他は四十六本。
> 当該一本の欠落 ── 二代目の数え違いによるものであります。
> 依頼者は当該欠落を、本日まで知りませんでした。
> 撤去の依頼 ── ありませんでした。
> 依頼者の申し立て(判定前)── 戻さないでほしい。
> 販売 ── 四点。返品 ── ありません。
> 看板の書き替え ── 依頼済み。字体 ── 記載された製作者本人のもの。
> 市の被害 ── 提灯店の軒、吊り金具二つ。
> 本件、真贋判定 ── 〈贋〉。
> ただし、




