第030話 祭りの提灯
> 【鑑定 第三十号】
> 押印累計 ── 百三十五。
> 依頼者 ── ありません。
> 物件 ── ありません。
> 所見 ── 本日は銘洲市工芸祭であります。
> 当機は、持ち込まれたものを見ます。
> 見るだけであります。
> ……受付を、開始します。
── 祭りの朝は、五時に提灯が上がる。
水路沿いの広場である。五つの店の軒に、提灯を八つずつ吊る。四十ある。上げるのは商店街の男衆で、毎年同じ順に上げていく。
提灯には一つずつ字が入っている。四十とも違う。二十年ぶん書き足してきたもので、書いたのは平尾になる。
燈は火村鍛冶の店で火を入れた。祭りの日は表で打つ。炉を土間から出して、砂と炭を積み直して、そこで火を起こす。
五時二十分に、一度目を打った。まだ暗い。
炉は表へ出すと風を拾う。風が入ると火が偏る。燈は板を一枚立てて、風の来る側を塞いだ。塞ぐ場所を二度直した。
打つ音が広場の端まで届いた。届いて、水路の石垣で返ってきた。返ってきた音の方が、少し遅れて低い。
火村鍛冶が祭りに店を出すのは三年ぶりになる。三年前まで出していたのは燈の父で、その年から出していない。今年は燈が出した。
蒼が隣の店で轆轤を据えていた。据えて、水を張って、土を載せる。土は昨日のうちに菊練りしてある。
紬は機を持ち込んでいた。小さい方の機で、二人がかりで運んだ。糸は張ってある。あとは杼を通すだけになる。
紬の機は音が小さい。杼が通る音と、筬を打つ音しか出ない。隣で轆轤が回ると、そちらの方が大きく聞こえた。
巌は鉋台を並べていた。荒いのから細かいのへ、左から順に置く。並べ終わってから、一つだけ位置を直した。
玲は台の上に器を並べていた。並べては変えて、また並べる。三度やって、三度目で手を止めた。
五工房が横に並ぶのは年に一度だけになる。ふだんは商店街の端と端に離れている。並ぶと、手の速さが違うのが分かる。
六時に、識が来た。丸い胴を石畳の上で二寸だけ浮かせて、正面の板が明るくなっている。
「識さん、店、どうするんですか」と燈が訊いた。
> 出します。
「何の店ですか」
> 鑑定であります。
識は五つの店の一番端に据わった。据わって、板の光を落として、それから上げた。
板に一行だけ出た。
> 見ます。
九時に人が入りはじめた。
市の外から来る者が半分になる。駅から歩いてくるので、着くのが十時を過ぎる。地元の者は朝のうちに来て、買って、いったん帰る。
市の外から来る客の目当ては、切子と、陶と、織になる。鍛冶と木は買って帰れない。値も高い。
佐久間は広場の入口に屋台を出した。豆腐の田楽を焼いて売る。焼く匂いが風下へ流れて、水路の向こうまで行った。
煮しめの鍋は集会所で炊いて、そこから運んでくる。醤油は寄合で決まった方を使っている。
燈はその鍋を一度だけ見た。見て、何も言わなかった。
鍋の前に湊屋の名は出ていない。醤油の出どころを書いた札も出ていない。誰も訊かなかった。
煮しめは大根と、蒟蒻と、揚げと、昆布になる。毎年同じで、材の順まで同じになる。炊く鍋は昭和の頃からのものを使っている。
湊屋は自分の店を出していない。今年は出さないと言って、朝から集会所で煮しめの番をしていた。
島村は下駄を並べた。売り物の新しい下駄である。挿げ替えの二十七足は店に置いてきた。四日目で、十二足まで終わっている。
「終わりませんね」と燈が言った。
「終わらん」
「祭りに間に合わせなくていいんですか」
「間に合わせると、合わんものが出る」
二十七足のうち、十二足はもう返してある。返した客が今日、それを履いて広場を歩いていた。歩く音が一足ずつ違う。
戸島は店を出さない。かわりに広場の柱の錠を見て回っていた。仮設の店には錠が要らない。要らないのに見て回っている。
湯浅は番台を閉めて出てきた。祭りの日だけ、朝から夕方まで閉める。かわりに広場の隅に椅子を置いて、そこに座っていた。
「湯浅さん、見えますか」と玲が訊いた。
「見えん」
「じゃあ、なんで来るんですか」
「音がにぎやかだから」
湯浅は膝の上で手を組んだ。組んだまま、動かなかった。
広場の音は店ごとに違う。轆轤は低く回り続けて、鉋は短く切れる。湯浅はその間に立つ人の足音を拾っている。
湯浅の椅子は自分で持ってきたものになる。番台の横に置いてある丸椅子で、脚が一本だけ短い。湯浅はその短い脚の側へ体重を寄せて座る。
平尾は看板書きの実演をしていた。板を立てて、子どもの名を書いてやる。子どもが並んで、十七人まで数えたところで、燈は数えるのを止めた。
列に宮下の娘がいた。帳面を持って、目に近付けて、前の子の字を見ている。
*
識の店に列が出来た。
机が一つだけある。上に何も置いていない。看板も出していない。識は看板の書き方を知らないと言った。
最初は誰も並ばなかった。並ばないまま一時間たって、それから一人が来た。
六十を過ぎた女で、風呂敷に茶碗を包んで持ってきていた。
「これ、うちの婆さんのなんだけど」
> 拝見いたします。
識は板の光を茶碗へ落とした。落として、三秒ほど動かなかった。
> 陶。轆轤挽きであります。
> 高台の削り、右回り。削りの止め ── 二箇所。
> 同じものが、他にありません。
> 判定 ── 真。
「やった」
女は茶碗を包み直して、それを両手で持って帰った。持ち方が来た時と変わっている。
帰るところを見ていた者が三人ほどいて、そのうち二人が並んだ。
昼までに三十件を超えた。全部〈真〉だった。
列は昼で十二人になった。並んでいる者の半分は、判定してもらう物を持っていない。見ているだけになる。
持ち込まれたのは茶碗と、鎌と、鏡台と、櫛と、木の匙と、古い定規と、名の入っていない刀の鍔である。どれも同じものが他に無かった。
「全部真なんですか」と蒼が横から訊いた。
> 全部であります。
「そういうものですか」
> 持ち込まれるものは、たいてい真であります。
「なんでですか」
> 贋のものは、持ち込まれません。
識はそれ以上言わなかった。
贋のものは持ち込まれない。持ち込む者が、贋だと知っているからになる。識はそこまで言わなかった。
蒼は帳面を出した。出して、線を一本引いて、その脇に何も書かなかった。
「三秒くれ」
「もう書いてるじゃないですか」と玲が言った。
「書いてから、考えます」
午後に、識の店で値段を訊かれた。判定してもらった櫛を、その場で売りたいと言い出した客がいる。
「これ、いくらになる」
> 当該品の価値 ── 判定いたしかねます。
「いや、値段だよ」
> 値の付いていないものに、値は付けられません。
「じゃあ、いくらで買う」
> 当機は買いません。
玲が横から出てきた。
「五百円」
> 五百円であります。
「安すぎるだろ」
「じゃあ千円」
> 千円であります。
「あんた、その機械の何なんだ」
玲は答えなかった。答えずに、櫛を千円で買った。買って、髪に挿した。
挿してから、鏡を見た。鏡は無い。切子の器に映った。
*
櫛は柘植で、歯が三本欠けている。欠けた場所が一箇所に固まっていた。玲はその欠けを指でなぞってから、髪へ挿した。
颯太が来たのは二時過ぎである。
母親と来て、母親は煮しめの列に並んだ。颯太は一人で識の店へ来た。
手に新聞紙の包みを持っている。両手で持っていた。
開けると、粘土の刻印が出た。七月に作ったもので、亀裂が二箇所入っている。乾いてから一度も動かしていないと本人が言った。
> 拝見いたします。
「まえも見たよ」
> 記録がございます。第十八号であります。
「もういっかい見て」
> 拝見いたします。
識は板の光を落とした。落として、三秒ほど動かなかった。
> 粘土。掌で三十回転がしたもの。
> 釘、三本。向き ── 同一。
> 亀裂 ── 二箇所。前回より、増えておりません。
> 同じものが、他にありません。
> 判定 ── 真。
「なんで真なの」
> 同じものが、他にありません。
「それだけ?」
> それだけであります。
颯太は刻印を新聞紙へ戻した。戻して、四隅を指で押さえた。
押さえる順が決まっている。左上、右上、右下、左下。三月前と同じ順になる。
その横に、宮下の娘が来ていた。列に並んでいたのではない。平尾の看板書きの列から抜けてきて、颯太の手元を見ている。
「それ、字?」
「もじじゃない」
「なに」
「しるし」
娘の帳面は表紙が反っている。目に近付ける癖があるので、紙の端が擦れて丸い。丸くなった端だけ色が濃い。
娘は帳面を開いた。開いて、鉛筆を持って、刻印を写そうとした。
線を一本引いた。引いて、止まった。もう一本引いて、また止まる。
三本目で、鉛筆を置いた。
「かけない」
「なんで」
「まっすぐじゃないから」
娘は帳面を見た。三本の線が引いてある。三本とも真っ直ぐだった。
三本の間隔も揃っている。定規を使っていない。
颯太の刻印の釘は、真っ直ぐではない。
「かけなくていいよ」と颯太が言った。
「かきたい」
「でも、かくとちがうやつになる」
娘は帳面を閉じた。閉じて、颯太の手元をもう一度見た。
「じゃあ、みるだけ」
「うん」
二人はそのまま並んで、刻印を見ていた。五分ほど、二人とも動かない。
燈はそれを店の火の向こうから見ていた。見て、何も言わなかった。
二人が並んでいるのを、燈はこの日まで見たことがない。同じ学年で、同じ商店街の子である。それでも並んだことが無かった。
平尾の列が短くなって、平尾が娘を呼んだ。
「お嬢ちゃん、名前書くぞ」
「いい」
「いいのか」
「わたしがかく」
娘は帳面を開いて、自分の名を書いた。書くのに十秒掛かった。
書き終わって、それを平尾に見せた。平尾は「上手いな」と言った。
書いた字は、平尾の字だった。撥ねの高さが同じで、横棒の間隔が同じになっている。
娘は自分でそれに気付いていない。
燈は気付いた。気付いて、何も言わなかった。
ハンコちゃんは三時に来た。
棒の先に機械を付けて、広場の入口から入ってきた。入って、五つの店を順に映した。
「はい、銘洲工芸祭でーす。去年も来たけど、今年は人が多い」
文字が下から上へ流れた。
識の店の前で棒を止めた。列がまだ十人ほど残っている。
「これ、この前の。しゃべる方」
> 当機であります。
「今日は何やってんの」
> 見ております。
「見るだけ?」
> 見るだけであります。
列は十人から減らない。一人終わるたびに一人増える。ハンコちゃんはそれを二周ぶん撮った。
ハンコちゃんは列を撮った。撮ってから、棒を下げた。
「これ、面白いかも」
小さい声である。機械に入らない声である。言ってから、また棒を上げた。
棒を上げた先に燈がいた。
「あ、いた。壊す人」
「壊してねぇよ」
「橋の欄干」
「あれは壊した」
「ほら」
ハンコちゃんは笑う。燈は笑わなかった。
笑わずに、炉へ戻って、そこで打った。
打つ音が広場の端まで届いた。ハンコちゃんはその音を撮った。撮って、三十秒ほど何も喋らなかった。
*
燈が打つのは、三十秒に一度になる。間が空くのは、鉄を火へ戻しているからになる。ハンコちゃんはその間も撮り続けた。
夕方に、飯になった。
五つの店を閉めて、広場の真ん中に筵を敷いて、そこへ集まる。毎年やっている。
煮しめが鍋ごと運ばれてきた。飯と田楽が後から来る。
佐久間が桶を提げて来た。白い桶で、水が減っていない。
「余ったからな。置いてくぞ」
「六丁ですね」
「余ったんだ」
燈は桶を受け取った。受け取ってから、佐久間の屋台の方を見た。
売り切れている。板に「うりきれ」と貼ってあった。
余っていない。
六丁は、売り切れる前に取り分けてあったものになる。燈は何も言わなかった。
筵は三枚敷いた。去年は二枚だった。座る人が増えたのではなく、去年より子どもが二人多い。
筵に座ったのは十四人だった。六人と、識と、佐久間と、戸島と、湯浅と、島村と、宮下と、颯太と、宮下の娘になる。
湊屋は集会所から来なかった。鍋の番があると言って、煮しめだけ寄越した。
鍋の番は交代でやる。湊屋は交代の順に入っていない。自分で入ると言ったらしい。
巌が煮しめを取って、颯太の皿へ載せた。載せてから、自分の皿へ載せた。
「巌さん」と玲が言った。
「ん」
「順番」
「ん」
巌が颯太に載せたのは大根である。颯太が大根から食べるのを、巌は前に見ている。誰にも言っていない。
颯太は煮しめを食べた。食べて、母親を探して、母親は集会所へ手伝いに行っていた。
宮下の娘が颯太の隣に座った。二人とも同じ方を向いて、同じ速さで食べた。
速さが同じなのは、たまたまである。
二人は喋らなかった。喋らずに、同じ皿の同じ場所から取った。
紬が糸屑を片付けていた。膝の上に集めて、それを袂へ入れる。入れながら、低い声で歌った。
余り糸から 先に切られる
一行だけである。歌い終わらずに、鍋の蓋の音でそれが消えた。
誰も指摘しなかった。
紬の袂には、糸屑のほかに手袋が両方入っている。今日は落としていない。落とさなかったことを、誰も言わなかった。
蒼が甘い物を三つ買ってきた。買ってきて、二つを膝に置いて、一つを開けた。
「三つ?」
「二つは後で」
「後っていつだ」
「三秒後」
巌が笑った。笑った音が短い。
*
六時に提灯に火が入った。
四十ある。順に入れていくので、端まで行くのに七分掛かる。入れるのは商店街の男衆で、毎年同じ順になる。
入り終わると、広場が橙色になった。石畳まで色が付く。
提灯の紙は毎年張り替える。骨は前のを使う。骨だけが二十年もっている。
子どもが走り回った。走りながら、上を指して何か言っている。
「ロボー」
「ちがう。あれはヨロズオーじゃない」
「なにー」
「工房のやつ。かじやのやつ」
「なまえ、なんていうの」
子どもたちは名前を言い合った。誰かがつけた名前が三つあって、三つとも違った。
燈はそれを聞いた。聞いて、蒼の方を見た。蒼も聞いていた。
「名前、ついてますね」と蒼が言った。
「誰がつけたんだ」
「知りません」
二人ともそれ以上言わなかった。
三つの名は、どれも工房の名から来ていた。かじや、かまや、はたや。誰が最初に言ったのかは、子どもたちも知らなかった。
湯浅は椅子から動かなかった。動かずに、提灯の入る音を聞いていた。
火が入る時、紙が一度膨らんで、そこで小さく鳴る。
湯浅はその音を四十まで数えた。
「四十だ」
「合ってます」と燈が言った。
「一つ足りん年もある」
「今年は四十です」
「そうかい」
湯浅は膝の上で手を組み直した。
識は広場の端で板の光を落としていた。落としたまま、動かない。
机は畳んである。畳んだのは玲になる。識は畳み方を知らないと言った。
「識さん」と燈が言った。
> はい。
「今日、押してませんね」
> 押しておりません。
「減ってないんですか」
> 減っておりません。
燈は自分の掌を見た。朱は見えない。見えないものが、今日は減っていない。
「そういう日もあるんですね」
> ございます。
「何日に一度ですか」
> 記録では、これで二度目であります。
燈はその数を訊き返さなかった。訊かずに、提灯を見た。
四十ある。一つずつ、書いてある字が違う。書いたのは平尾で、二十年ぶん書き足してきたものになる。
古いものは字が違う。撥ねの高さが揃っていない。
新しいものは揃っている。二十枚目から先が揃っていた。
燈は端から順に見ていった。見ていって、十九枚目で止まった。止まって、それから見るのをやめた。
*
祭りは八時に終わった。
提灯を下ろすのは翌朝になる。夜のうちは点けたままにしておく。
五人は店を片付けた。片付けて、筵を畳んで、それから広場を出た。
轆轤は蒼が一人で運んだ。機は二人がかりで運ぶ。運ぶ順も毎年決まっている。
出る時、燈が振り返った。
提灯が四十、まだ点いている。人がいない広場に、橙色だけが残っていた。
「来年もやりますか」と玲が訊いた。
「やる」と巌が言った。
「来年も四十ですか」
「増える」
巌はそれだけ言って、材の束を担いだ。担いだ側の肩が下がる。下がったまま歩いた。
来年増えるのは提灯の数で、店の数ではない。巌はそこまで言わなかった。
燈は最後に出た。出て、火村鍛冶まで歩いた。歩いて二十分掛かる。
壁に紙が三枚と、帳面が一冊掛かっている。帳面は開いたままになっている。
燈は帳面を外した。外して、開いて、そこへ一行書き足した。
提灯、四十。うち十九まで見た。
書いた字は下手だった。数の並びだけが読める。
書いてから、また釘へ掛け直した。
掛け直して、板の裏の方を一度だけ見た。板は棚に載っていて、裏は見えない。
> 【鑑定 第三十号】
> 押印累計 ── 百三十五。
> 物件 ── ありません。
> 追記 ── 本日、押印 ── ありません。搭乗 ── ありません。刻印 ── ありません。
> 銘量の減少 ── ありません。
> 所見 ── 本日、持ち込みによる鑑定 ── 四十一件。
> 判定 ── 四十一件とも、真であります。
> 贋の持ち込み ── ありません。
> 同一のものが他にあった物件 ── ありません。
> 第十八号(粘土、釘三本)── 再鑑定。亀裂、前回より増えておりません。
> 当該物件の写しを試みた者 ── 一名。写し ── 出来ておりません。
> 当該一名の氏名 ── 記載いたしません。
> 提灯 ── 四十。書いたのは一名。年ごとに字が異なります。
> 工房機の呼称 ── 三種、確認いたしました。命名者 ── 不明。
> 銘量の減少しなかった日 ── 本日をもって二度目であります。
> 市の被害 ── ありません。
> 本件、真贋判定 ── 〈真〉。
> ただし、




