第029話 合わない三つの唄
> 【鑑定 第二十九号】
> 押印累計 ── 百三十五。
> 依頼者 ── 銘洲市工芸祭 前夜行事。
> 物件 ── 作業唄、三種。
> 所見 ── 鍛冶、陶、木。いずれも七・七・七・五であります。
> 拍 ── 一致しております。
> 以前の記録 ── ありません。
> 合わない理由 ── 当機は存じません。
> ……判定を、開始します。
── 島村の挿げ替えは、九日のうち三日ぶんしか進んでいない。
工芸祭の前の日である。九月の末で、日が落ちるのが早くなった。
水路沿いの広場に、五つの店を組む。柱を立てて、貫を通して、屋根の板を渡す。組むのは毎年同じ形で、材も毎年同じものを使う。
組むのは五人と、商店街の男が四人になる。毎年その形で、頼まなくても集まる。今年は一人足りなかった。木暮が来ていない。
巌が貫を通していた。柱の穴へ端を入れて、反対側から木槌で叩く。叩く音が長い。一回ごとに伸びて、次まで間が空かない。
燈は柱を押さえていた。押さえながら、材の番号を見ている。材の端に墨で数が書いてあって、去年の数がまだ読めた。
「毎年同じですか」
「同じだ」
「新しくしないんですか」
「三十年もつ。あと十年ある」
柱は八寸角で、四本を土に立てずに石の上へ据える。石は広場の隅に埋まっていて、毎年その位置に合わせる。位置は動かない。
蒼が屋根の板を運んできた。運んで、順に立てかけた。板は五枚あって、一枚ずつ重さが違う。
「これ、順番決まってます?」
「決まってる」と巌が言った。「軽いのが端だ」
「なんでですか」
「端は風が当たる」
板の重さは、木の乾き方で毎年変わる。巌は持って決める。量ってはいない。
紬が幟を立てていた。六本ある。縫い直した一本が入っていて、外から見ても分からない。
玲は硝子井の店の分の台を拭いていた。拭きながら、切子の器を並べる場所を決めている。決めては変えて、また決めていた。
器を並べる順で、客の手の伸び方が変わる。玲は去年それで一つ割られた。割られた場所を今年も覚えている。
佐久間が桶を提げて広場へ来た。白い桶で、水が減っていない。
「余ったからな。置いてくぞ」
「六丁ですね」
「余ったんだ」
佐久間は柱の根元へ置いて、それから広場を見渡した。
「明日は晴れるな」
「そうですか」
「風が北から来てる。北から来る年は晴れる」
佐久間はそれだけ言って帰った。帰る時、右の下駄だけが鳴った。
*
前夜行事は日が落ちてから始まる。
始まりの合図は無い。篝火に火が入ったら、そこから始まったことになる。
広場の真ん中に篝火を一つ焚いて、その周りで三つの工房が唄を出す。三つは毎年変わる。今年は鍛冶と、陶と、木になった。
順に出す。合わせない。合わせようとした年が一度も無い。
誰が決めたのかを、燈は知らない。訊いた者もいないらしい。祭りの決まりは紙に書いていない。
燈が先だった。篝火の前に立って、口の中で低く鳴らしてから出した。
打てば打つほど 縮んでいくよ
二拍である。鎚が二度落ちる間に収まる。燈は自分でそう覚えたのではなく、そう鳴ってしまう。
次が蒼だった。篝火を挟んで、燈の向かいに立つ。
土は嘘つく 練れば練るほど
三拍になる。菊練りが三拍子なので、そこから離れない。燈の二拍とは頭が合わない。
最後が巌だった。立たずに、材の上に腰を掛けたままで出した。
急ぐな待てよ 木は千年で
長い。引く時に伸びる。伸びた分だけ後ろが余る。
三つとも七・七である。字数は同じになる。
合わない。三つとも頭がずれている。
毎年合わない。合わないまま四十年やっていると、島村が去年言っていた。
広場の人が拍手をした。拍手も合わなかった。
六十人ほど集まっていた。去年より少ない。減りはじめたのは三年前からになる。
拍手が合わないのは、唄が合わないからになる。合図を出す者がいないと、人は同じところで手を打てない。
翌朝、島村が広場へ来た。
来て、篝火の跡を見て、それから燈を探した。
「昨日の唄だがな」
「はい」
「あれ、合っとったか」
「合ってません」
「そうか」
島村は帰った。帰り際にもう一度、篝火の跡を見た。
島村は五十年、前夜行事を聞いている。合った年が一度も無いと言った。合った年があったら、それは違う年だとも言った。
昼過ぎに、綾織の店先で紬が糸を巻いていた。巻きながら、口の中で機の唄を鳴らしている。
燈が横を通った。通って、二歩行って、それから戻った。
「紬さん」
「なに」
「今の、二拍でした」
「機は速いよ。均等だけど、二拍じゃない」
「二拍でした」
紬は手を止めた。止めて、もう一度鳴らした。
二拍だった。今度は本人にも分かった。
紬は自分の手を見た。杼を持っていない手である。
「変だね」
「はい」
「杼が無いからかな」
「杼、持ってみてください」
紬は機の前へ座って、杼を持った。持って、往復させた。
速い。均等である。手は前のままだった。
だが唄は二拍で出た。
紬は三度やった。三度とも二拍で出る。
夕方までに、五つとも二拍になった。
燈が鍛冶場で打った。二拍である。もともと二拍なので、変わったのが分からない。
鍛冶は二拍で、それが一番数えやすい。二拍に合わせるのは、一番低いところへ合わせることになる。誰もそう言わなかった。
蒼が窯場で土を練った。三拍で練っているのに、口から出る唄が二拍になる。手と口が合わない。蒼は練るのを止めた。
巌が材を引いた。長く伸ばそうとして、伸びなかった。二拍で切れる。
玲が吹いた。息の続くかぎり続けるのが吹きの唄になる。続かなかった。二拍で切れた。
玲は二度やり直した。息を吸い切ってから始めて、それでも同じところで切れた。
「息が足りないんじゃなくて」と玲が言った。「切れるんです。勝手に」
五人が広場へ集まった。集まって、順に出した。
打てば打つほど 縮んでいくよ
土は嘘つく 練れば練るほど
行って戻って また行き戻る
急ぐな待てよ 木は千年で
息の続く間 丸くなるのさ
五つとも二拍だった。頭が揃って、終わりも揃った。
五つが一つに聞こえた。工房が五つあるようには聞こえなかった。
誰も何も言わなかった。
先に口を開いたのは玲である。
「綺麗」
それだけ言って、口を押さえた。押さえてから、押さえた手を見た。
*
識が来た。丸い胴を石畳の上で二寸だけ浮かせて、正面の板が明るくなっている。
> 鑑定を、開始します。
> 物件 ── 作業唄、三種。
> 鍛冶、陶、木。いずれも七・七・七・五であります。
> 拍 ── 一致しております。
> 以前の記録 ── ありません。
「以前のって、記録に無いんですか」と燈が訊いた。
> 音の記録は、当機に残しておりません。
「じゃあ、何と比べて一致って言ってるんですか」
> 三種の相互であります。
識の書式には、音を残す欄が無い。物の寸法も、色も、傷も残るのに、鳴りだけが残らない。
燈はその欄が無いことを、この日まで知らなかった。
燈は黙った。黙ってから、もう一つ訊いた。
「なんで合わなかったんですか。前は」
> 合わない理由 ── 当機は存じません。
識がそう言うのを、燈は初めて聞いた。
蒼も紬も巌も玲も、聞いていた。四人とも動かなかった。
「知らないんですか」
> 存じません。
「調べられますか」
> 照会先がございません。
識は板の光を落とす。落として、それから一行だけ足した。
> 唄の出どころ ── 照会、出来ません。
照会先が無い、という言い方を、燈は二度聞いたことがある。第一の時は刀のことだった。今度は唄になる。
紬が袂を探した。探して、片方の手袋が無いのに気付いた。
「あ」
「どうしました」
「手袋、片方」
五人で探した。柱の根元、幟の下、桶の横、篝火の跡。四人が四箇所を探して、玲が石畳の目まで見た。
十分ほど探した。
「紬さん」と蒼が言った。「袂、もう一回見てもらえますか」
紬は袂を見た。
入っていた。奥ではなく、口の近くに入っていた。
「入ってました」
「最初から入ってました?」
「入ってた」
「なんで探させたんですか」
紬は手袋を嵌めた。嵌めてから言った。
「一緒に探すの、楽しくて」
巌が「ん」と言った。燈は空を見た。玲は座り込んだ。
蒼だけが帳面を出して、探した四箇所を書いた。
「三秒くれ」
「書かなくていいです」
「書きます」
*
砂が鳴った。
乾いた音である。広場の柱で二度返って、それから消えた。
道に灰白色が並んだ。数える前に二百を超える。五つの店の前に一列で並んで、柱には触れていない。
柱に触れていないのは、柱がまだ人の手のものだからになる。灰白色は人の手のものに触らない。誰もそれを確かめていない。
燈が印籠を出した。
「押印!」
五つの胸から朱が広がった。円、角、杼形、縦長方形、六角。五色が残る。艶は何処にも無い。
背後に紙が広がって、五つの印が並んだ。右下だけが白い。
篝火の跡から、灰が立った。
立って、形になる。形になるまで三つ数えるほど掛かった。
柱の形である。六本立っている。高さが揃っていて、間隔も揃っていた。全体で四メートル近くある。
柱が鳴った。六本とも同じ高さで鳴って、同じ長さで切れた。
> 贋作体であります。原物、作業唄、三種。
> 拍 ── 一致。
> 判定 ── 贋。
鳴りに温度が無い。篝火のすぐ横に立っているのに、柱の側だけ熱が回っていなかった。
燈が走った。走って、鎚を入れた。
当たった。当たった音が、柱の鳴りと同じ拍で返ってきた。
二度目を入れた。同じ拍で返ってきた。
巌が入った。大鋸を当てて、継ぎ目を作ろうとした。
歯が入る音が、柱の鳴りに合った。
「合ってる」と巌が言った。
「何がですか」
「こっちの音が、あっちに合わされてる」
巌が歯を離した。離して、当てる場所を変えた。変えても同じところに合った。
紬が鞭を投げた。巻いて、引いた。
引く速さが、柱の鳴りと同じになった。
蒼が輪を投げた。輪の回る音が、柱の鳴りに乗る。
玲が斬った。跡が残った。
跡の位置が、六本の柱の間隔と同じ幅になっている。
五人が同時に届いた。届いて、そのまま同時に弾かれた。
五人とも石畳へ落ちた。落ちた音が五つ揃った。
石畳が冷たい。九月の末の夜で、日が落ちてから三時間たっている。掌を突いた場所だけ、温度が残った。
燈が先に立った。立って、鎚を持ち直した。
「合わされてるなら」
「なんだ」と蒼が言った。
「合わせなきゃいい」
燈は鎚を振り上げた。振り上げて、下ろす前に一度止めた。
止めて、そこから二拍で打った。二拍である。誰にも合わせていない。
蒼が三拍で投げた。菊練りの三拍子になる。燈の二拍と頭が合わない。
紬が速く、均等に振った。杼の往復と同じ速さになる。二人のどちらとも合わない。
巌が長く引いた。伸ばして、伸ばして、後ろが余った。
玲は数えなかった。息の続くかぎり、続けた。
五つの音が、一度も揃わなかった。
柱が鳴った。鳴って、途中で切れる。切れた場所から、次の鳴りが出せない。
六本の柱が、それぞれ別の高さで鳴りはじめた。
「揃ってない」と蒼が言った。
「揃わせるものが無いんだ」と巌が返す。
合わせるものが無くなると、揃えていた側が先に困る。柱はそれぞれの高さを探しはじめて、探している間は次が出せない。
燈がまた二拍で打った。柱の一本が割れた。
紬が引いた。倒さない。引いて、割れた一本を残りの五本から離した。
巌が離れた場所に継ぎ目を作った。
蒼が輪を投げた。輪が二本目の柱で回って、そこを傾けた。
六本の間隔が崩れた。
崩れた間隔の中へ、玲が入った。入って、息を吸った。吸って、止めずに続けた。
「スカシバ」
振った。跡が残った。六本の柱を横切って、一本の線になった。
線の入る場所が、六本とも違う高さになっている。
柱が順に折れた。一本目、四本目、二本目、六本目、三本目、五本目。
折れる音が六つとも違った。
崩れた。崩れる音も六つに割れた。
崩れた場所に、灰が残った。篝火の灰である。触ると温かい。
灰白色が動いた。最後の一体が膝を突いた時、広場にいた全部が一斉に口を開いた。声だけが揃った。
「……ありがとうございました」
消えた。石畳に足跡が一つも無い。
広場の外に、人が一人立っていた。
道の暗い方である。柱の陰で、顔が見えない。
左の袖が長い。片方だけ長くて、指先が隠れている。
背丈は燈より少し高い。肩の落ち方が同じで、立っているだけなのに、片側だけ重心が寄っている。
燈はその立ち方を知っていた。
柄を持つとき、右手を柄頭から指二本ぶん下げる。今は何も持っていない。持っていないのに、右手だけが同じ高さにあった。
男は歌わなかった。口が動いた。
声は出ていない。動いた形だけが見えた。
燈にはそれが唄に見えた。
七・七である。二節目の頭になる。
燈は一歩出た。出て、そこで止まる。
男は退がる。退がって、暗い方へ入って、それで見えなくなった。
「燈」と蒼が言った。
「今の」
「見えました」
「口、動いてた」
「動いてました」
燈は自分の口で追おうとした。出てこない。
一節目までは出る。二節目が出てこない。
「知らねぇんだ」と燈が言った。「俺が」
誰も答えなかった。
蒼が帳面を出しかけて、出さずに戻した。書く場所が無いと言わずに戻した。
*
夜になって、外が暗くなった。
暗くなる前に音が来た。広場の柱が鳴って、それから水路の水面が波打った。
「── 量産」
低い声である。昼の道には誰もいなかった。
地面から何かが生える音がした。同じ間隔で、同じ数だけ、続けて鳴った。
> 銘量 ── 火村燈 七百十九。陶山蒼 七百六十。綾織紬 六百八。
> 楠木巌 八百二十四。硝子井玲 七百二。
> 六つ、減っております。
「祭りは明日だ」と巌が訊いた。
「もちます」と燈が言った。
「六つ減っても」
「もちます」
> 連結を確認。
「火入れッ!」
炉の底が鳴った。赤が上がって、継ぎ目を通って渡っていく。
> 真、通りました。
「組み継ぎ、合体!」
継手が噛んだ。木を組む時と同じ音が、四十メートルの高さで鳴る。
商店街の人が広場へ出てきて、上を見た。組み上げたばかりの五つの店の下に、二十人ほどが入っている。
湯浅が番台から出てきて、道の真ん中で足を止めた。上を見ずに、音の方へ顔を向けた。
島村は下駄を履いていなかった。裸足で石畳に立って、足の裏で震えを聞いていた。
塊が腕を振った。振った先が広場の柱を掠って、五つのうち一つの屋根が落ちた。
落ちたのは端の店である。軽い板を使った側だった。
「刻印!」
右の拳が前へ出た。左の掌が、その甲を上から押す。
「銘刻斬ッ!」
声が五つ揃った。
拳が塊の胴へ入った。入ったところで止まって、そこに朱が走る。線が字の形になっていって、銘が刻まれていた。
崩れた。落ちた欠片が石畳に当たって、そこで灰になった。
灰が水路へ流れた。流れて、橋の下で一度渦になった。
その夜のうちに、屋根を組み直した。
落ちた板は割れていない。留めの木が一本折れただけになる。巌はその一本を替えた。
巌が貫を通して、燈が柱を押さえて、蒼が板を運んだ。軽い板を端へ持っていって、そこへ渡した。
紬が幟を立て直した。六本のうち一本だけ、立てる場所を変えた。
変えたのは縫い直した一本になる。風の当たらない側へ寄せた。誰も理由を訊かなかった。
玲が台を拭いた。拭いて、器を並べる場所をまた変えた。
組み終わったのは二時前になる。
五人は篝火の跡に座った。灰がまだ温かい。
「合いましたね」と玲が言った。「一回だけ」
「合った」と蒼が言った。
「綺麗でした」
「綺麗だった」
誰もそれ以上言わなかった。
燈が口の中で鳴らした。誰にも言わずに鳴らした。
打てば打つほど 縮んでいくよ
二拍である。
蒼が続けた。続けるとは言わずに続けた。
土は嘘つく 練れば練るほど
三拍である。頭が合わない。
巌が続けた。木の上に手を置いたまま続けた。
急ぐな待てよ 木は千年で
長い。後ろが余る。
三つとも七・七だった。字数は同じになる。
合わなかった。
紬が笑う。玲も笑った。燈は笑わずに、鎚を握る手つきで膝を叩いた。
叩いた拍は二つだった。
*
朝になった。
広場に日が入る。五つの店の屋根の下に、影が五つ落ちた。
燈は一番早く来た。来て、柱の根元を見た。
石の上に据えた四本のうち、一本だけ据わりが浅い。夜に組み直した側になる。巌は昼までに直すと言った。
去年の墨の数が読める。今年の数はまだ書いていない。
去年書いたのは巌である。字が細くて、角がはっきりしている。今年は燈が書くことになった。
燈は筆を借りて、そこへ数を書いた。
書いた字は下手だった。数の並びだけが読める。
> 【鑑定 第二十九号】
> 押印累計 ── 百三十五。
> 物件 ── 作業唄、三種。
> 追記 ── 本日、押印五。搭乗五、刻印一。銘量の減少を確認。
> 所見 ── 代替物(拍、一種)、五種の唄に接続済み。
> 接続の痕跡 ── ありません。
> 拍 ── 五種とも二。頭 ── 一致。終わり ── 一致。
> 前夜行事の参加者の反応 ── 良好であります。
> 贋作体一体、消失。拍を揃えなかったことによる。
> 揃えなかったのは五名であります。氏名の記載 ── ありません。
> 最後の斬撃 ── 硝子井玲。線の高さ ── 六本とも異なります。
> 原物(拍、五種)── 復しております。
> 拍 ── 二、三、均等、長、不定。
> 合わない理由 ── 当機は存じません。
> 唄の出どころ ── 照会、出来ません。
> 市の被害 ── 前夜行事の屋根、一つ。同日中に復旧。
> 当該屋根を組み直したのは、五名であります。
> 本件、真贋判定 ── 〈贋〉。
> ただし、




