第002話 土練りの唄
> 【鑑定 第二号】
> 押印累計 ── 三。
> 依頼者 ── 陶山蒼。
> 物件 ── 土練りの唄、一節。
> 所見 ── 遠州陶山窯に代々伝わる。歌詞は七・七・七・五。
> 拍は三つ。菊練りが三拍子であるため。
> 鍛冶の唄とは拍が合わない。四百年、合ったことがない。
> ……判定を、開始します。
── その男は、朝から同じ土を三十回折り返していた。
燈は窯場の入口に立って、それを見ていた。声を掛ける機会が三十回あって、三十回とも掛けられなかった。
土は台の上で菊の形になっていく。押して、回して、折り返す。押して、回して、折り返す。三つで一つの動きだった。男の背中は動かない。動くのは腕と、腰から下だけだった。白い作務衣の袖をたくし上げていて、爪の内側に藍と緑が入り込んでいる。洗って落ちる色ではなかった。
土は嘘つく 練れば練るほど。
男が口の中で歌った。それ以上は続かず、また押して、回して、折り返した。
「あの」
「三秒くれ」
燈は待った。三秒たった。
「昨日の、赤いやつだな」
「見てたのか」
「見た。三段目の乗り方が違うのも見た」男は手を止めない。「あんた、俺が指した場所を打っただろう。当たったのは、そこじゃない。もう少し左だった」
「当たったんだからいいだろ」
「よくない」
男は土を持ち上げて、台に落とした。落ちる音が低かった。
「陶山蒼。この窯の四代目だ」
言い終わってから、蒼は土を三度折り返した。名前を言うのに、動きを止める必要はないらしい。
燈は名前を言った。言われるまで気付かなかったが、蒼は最初から知っているらしかった。
「火村鍛冶の息子だろ。親父さんに湯呑みを届けたことがある」
窯場は土間が広くて、天井が高い。棚に器が並んでいて、どれも同じ形をしていない。歪んでいるものが多かった。窯の前に薪が積んである。薪の隙間から、桐箱の角が見えていた。
棚の一番下だけ、器が伏せて置かれている。数えたら十七あった。伏せてある理由を燈は訊かなかった。訊くより先に、蒼が台の上の土を潰して、また練り直したからである。三十回では足りないらしい。
「その土、もう十分だろ」
「三秒くれ」
三秒。
「足りない」
「何が」
「まだ嘘をつく」
燈には分からなかった。分からないまま、もう少しそこで見ていた。
「それ、何だ」
蒼は箱を見て、それから燈を見た。細い作業用の眼鏡を上げて、また下げた。
「三秒くれ」
「さっきも言ったな」
「言った」
三秒たっても蒼は答えなかった。燈が箱を開けると、饅頭が四つ入っていた。
「窯の熱でな。ちょうど温くなる」
「言い訳がひどいぞ」
「食うか」
燈は一つもらった。皮が薄い。餡は甘すぎる方の甘さだった。
工房を出る時、鍛冶場の方から佐久間の声が聞こえた。「余ったから、置いてくぞ」。誰もいない土間に向かって言っている。
昼まで鉄を打った。三月の日が土間に入ってきて、火の色が見えにくくなる時間だった。
打てば打つほど、縮んでいくよ。
いつものように口の中で歌った。鎚が二度落ちる。歌の切れ目と、鎚の切れ目が合う。父もそう打っていた。二つで一つの拍だった。
水路の向こうから、土練りの唄が聞こえてきた。
土は嘘つく 練れば練るほど。
燈は打ち続けた。何も思わなかった。
半刻して、蒼が鍛冶場の戸を開けた。息が上がっていて、前掛けを外すのも忘れていた。
「もう一回打ってくれ」
「何だよ」
「歌いながら打ってくれ」
燈は言われた通りにした。鎚を二度落として、唄を口の中で回した。蒼は入口に立ったまま、自分の唄を小さく歌った。
二つの唄が、同じところで切れた。
「合ってる」と蒼が言った。
「合ってるな」
「合うわけがない」
蒼は土間に降りてきて、炉の縁に手を置いた。熱いのに気付いていない様子だった。
「うちの唄は三拍子だ。菊練りが三つで一巡りだからな。鍛冶は二つだ。鎚が二度落ちる。三と二は合わない。じいさんの代から合ってない。うちの唄と、おたくの唄と、織屋の唄と、大工の木遣りと、硝子屋の吹き唄。五つとも拍が違う」
蒼は五本の指を立てて、それから握った。
「だから昔から、この街の工房は仲が悪いんだ。祭りで一緒に歌えないからな。三十年、一度も合ったことがない」
燈はもう一度打った。今度は蒼が黙って聞いている。合っていた。
合っていると、気持ちが悪い。理由は言えなかった。二つの唄が同じところで切れるのは、どう考えても具合のいいことだ。祭りで一緒に歌える。それだけの話に思える。
それでも蒼の顔は、炉の火より白かった。
「織屋のも聞いてきた。合ってた」と蒼が言った。「大工のも合ってた」
窯出しは午後だった。燈も窯場についていった。
蒼が窯の口を開けて、灰をかき出した。中は熱がまだ残っていて、顔を近付けると眉が縮む。蒼は素手で器を出した。厚い手袋を持っていたのに、使わない。
六つ、並べた。
飯茶碗だった。六つとも、同じ形をしている。
「これ、いいんじゃねぇの」と燈は言った。口径も高さも揺れがなくて、素人が見ても綺麗だと分かる。「上手く焼けたんだろ」
蒼は答えない。一つ持ち上げて、高台を親指でなぞった。次のを持ち上げて、また高台をなぞる。六つとも同じことをした。
「六人分だ」
「六人?」
蒼は答えないまま、七つ目の茶碗を棚から出した。それは古いもので、片方が潰れていた。
「これが去年のだ。同じ土で、同じ窯で、同じ日に入れた。潰れてる。窯の中で場所が違えば、こうなる。ならない方がおかしい」
六つは並んでいた。潰れているものが一つもない。
燈は指で一つ弾いてみた。高い音が鳴った。隣を弾くと、同じ高さの音が鳴る。三つ目も、四つ目も同じだった。六つとも、同じ音を出した。
鉄でもそうなる。同じ厚みに打てたものは、同じ音で鳴る。燈は三年、それを一度も出来ていない。
「窯変が出てない」と蒼が言った。「一つも出てない。六つ入れて六つ揃うなんて、俺は一度もやったことがない」
声が乾いていた。褒められて困っている顔ではなかった。
*
「窯の焚き口の脇に、煉瓦を一つ抜いた穴がある」
夜になって、蒼はそう言った。窯場の灯りを一つだけ点けて、二人で座っていた。
「じいさんが、そこは触るなと言ってた。理由は言わなかった。じいさんも親父から同じことを言われたらしい」
蒼は穴に手を入れて、黒漆の箱を出した。三段重ねで、縁だけが朱かった。真鍮の金具に小さな窓が付いていて、中は空だった。
燈は自分の腰を見た。同じ物が同じ形で下がっていた。
「四百年だ、と言われたら信じるか」
「信じねぇよ」
「俺も信じない」
蒼が印籠に触れた。窯の残り火が形になって、子どもが火の上に立った。
> 鑑定を、開始します。
「これが噂の」
「識だ」
「小さいな」
> 陶山蒼さん。唄を、もう一度お願いいたします。
蒼は歌った。識は炎の上で首を傾げて、それから燈の方を向いた。
> 拍の一致を確認。本来、一致いたしません。
> 五つの唄は、四百年、一度も重なっておりません。
「重なると、どうなる」と蒼が訊いた。
「唄が合うと、手が合う」と識が言った。「手が合うと、出来る物が合います。同じ形の物が、同じ数だけ、同じ速さで出来るようになります」
「便利だな」
「はい。便利であります」
「便利だと言ったんじゃない。皮肉だ」
「皮肉は、記録の対象外であります」
蒼は眼鏡を外して、袖で拭いた。拭いてから、また掛ける。
「揃えて、それから何をする」
「置き換えます」と識が答えた。「同じ形の物が並んでいれば、一つ入れ替えても誰も気付きません」
蒼は六つの茶碗を見た。それから自分の掌を見た。
「これを押すと、どうなる」と蒼が訊いた。燈が昨夜訊いたのと同じ言葉だった。
「戦えます。ただし押印は、あなたの銘を燃やします。本日の押印で、二人ぶん、二つ減ります」
「戻らないのか」
「戻りません」
「三秒くれ」
三秒が過ぎた。蒼は印籠を握り直しただけで、何も言わなかった。
「俺は何人目だ」と蒼が訊いた。
「五人目であります」
「四人目は」
「そこにいます」識は燈を指した。
「その前の三人は」
「その問いには、まだお答え出来ません」
蒼は三秒黙った。それ以上は訊かない。訊かないと決めた顔をしていた。
「三年前、うちの窯が贋作の件で調べられた」と蒼が言った。「火村さんの刀が本物かどうかを、俺が窯の温度から証言した。本物だと言った。それでも親父さんは犯人になった」
燈は蒼を見た。蒼は印籠から目を上げない。
「あんたに言うつもりはなかった」
「なんで言った」
「押す前に言っておかないと、押した後で言えなくなる」
蒼は眼鏡を外した。今度は拭かずに、そのまま袖に入れた。
「三秒くれ」
三秒より長く掛かった。
外で音のしない足音がした。前の夜より数が多かった。
*
「開けてください」と識が言った。「上の段に印章が一本」
「分かってる」
蒼は言われる前に開けていた。燈は横で少しだけ笑った。同じ場面を、昨夜は自分がやっていた。
印章を抜いて、朱肉に押し付ける。ぬちり、と鳴った。
> 銘 ── 確認。〈陶山蒼〉
右の拳を前へ。左の掌でその甲を、上から押す。
「押印!」
胸の中心から朱が広がった。円ではなく、角だった。四隅がきちんと立った四角い印が生まれて、そこから糸が走り出す。青海波の縫い目が、肩へ、腕へ、腿へ。波の形に全身が縫われていく。縫い目の上に黒漆が乗った。乗った傍から熱を持つ。焼けた。装甲が青い。青が沈んで、藍が残った。
兜の面は、胸の印と同じ角。頭の上に、窯の煙出しのような段が三つ付いていた。
艶は何処にも無い。灰の混じった藍で、光を吸って返さなかった。
背後に、白い紙が広がった。円の印が一つ、もう押されている。
> 読んで遅れる、静の刻 ─── コクインブルー!
角の印が、円の隣に押される。朱い。
紙は、まだ四つ空いていた。
> ── 以上、二点。全て、一点物
「悪口を名乗らされるのか、これは」
「鑑定であります」
「三秒くれ」
灰白色が来た。前の夜と同じ、継ぎ目のない体だった。窯場の土間に六つ、路地に十いくつ。数える前に、蒼の右手に輪が現れた。平たい環で、表面を玉虫色が這っている。藍から紫へ、紫から銀へ。見る度に色が変わる。
「ヨウヘンリン!」
蒼は投げない。三秒、動かなかった。灰白色が二歩入ってから、輪が横に走る。三体まとめて胴を刈って、そのまま窯の焚き口に入り、煉瓦に当たって止まった。
「拾えよ」
「あとでいい」
蒼は拾いに行かない。輪は焚き口の中で、光を這わせたままそこにある。
燈は槌を出して打った。早い。手前で落ちる。それでも一体が棚まで飛んで、去年の潰れた茶碗が割れた。
窯場は狭い。鍛冶場より狭くて、天井から下がった裸電球が肩に当たる。燈は一度それを叩き落として、暗くなってから自分の失敗に気付いた。
「振るな」と蒼が言った。「ここでは押せ」
言われてやってみる。槌を振らずに、体ごと押した。灰白色が棚に潰れて、器が七つ落ちた。蒼は何も言わなかった。
「あ」と蒼が言った。
「悪い」
「そっちは、いい」
二人で二十を潰すのに、思っていたより時間が掛かった。灰白色は音を立てない。棚の器が倒れる音だけが、順番に鳴っていく。
蒼の動きは遅い。遅いのではなく、待っていた。相手が三歩踏み込むまで手を出さない。三歩目でようやく輪が走る。当たると必ず二体か三体まとめて倒れた。
燈の方は五回振って三回外す。それでも数は減っていく。減り方が違うだけで、どちらも減らしていた。
燈は真似してみた。相手が三歩来るまで待つ。二歩で手が出る。三歩まで待てたことが、一度もなかった。
「待てないな」と蒼が言った。
「待てねぇんだよ」
「なら、待つな」
蒼は輪を構えたまま、まだ投げていない。
「外れても振れ。俺は当てるまで振らない。それだけの違いだ」
最後の一体が膝を突いた時、そこにいた全部が一斉に口を開いた。顔が平らで、口はない。それでも声は揃った。
「……ありがとうございました」
消えた。窯場に土の匂いが戻った。
*
変身を解いて、蒼は六つの茶碗の前に座った。
燈は水を飲んでいた。飲みながら、蒼が一つ持ち上げるのを見た。高台を親指でなぞって、それから台の角に打ち付けた。
割れた。
「おい」
蒼は二つ目を持ち上げる。なぞって、打ち付けた。三つ目も、四つ目も、同じ手つきだった。六つ全部を割るのに、六回の同じ動きしかない。
燈は止めなかった。止める理由を三つ考えて、三つとも口に出す前に消えた。
破片が土間に散った。蒼はそれを両手で集めはじめた。集めながら、指を切っていた。血が破片に付いても、手つきは変わらなかった。
「割れたものは、割れる前より情報が多い」
蒼はそう言って、破片を布に包んだ。包みは棚の下の箱に入った。同じ箱が、そこに何個も積んであった。
「なんで割った」と燈は訊いた。
「上手く焼けてたのに、か」
「そうだよ」
蒼は箱の蓋を閉めた。
「これは俺のじゃない」
燈は土間の破片を一つ拾い上げた。切り口が薄くて、指の腹に線が残る。同じ音で鳴った六つは、内側の色まで同じだった。
「同じ音がしたんだよな」
「した」
「あれ、上手いってことじゃねぇのか」
「上手いよ」と蒼は言った。「俺が三十年やっても出ない出来だ」
蒼は箱の上に手を置いて、そこで動かなくなる。止まっている時間が、三秒より長かった。
*
商店街の入口で、男の声がした。
「── 量産」
灰白色が地面から生えた。壁から、屋根の上から、水路の水面から。同じ顔で、同じ背丈で、同じ間隔で。一つが別の一つの肩に乗る。その上にまた乗った。前の夜より速かった。
「積み上がるぞ!」と燈が叫んだ。「識、あとの三人は」
> 本日は、二名であります。
「二名で足りるのか」
> 足りません。
水路の水が持ち上がった。持ち上がったのは水ではなかった。黒い炉が水底から立って、砂鉄と炭の匂いを引き上げてきた。反対の岸では、斜面に沿って長い窯が伸び上がった。くすんだ土の色で、表面がざらついていた。
燈は炉の口に立った。中は自分の鍛冶場と同じ形をしていた。同じ位置に火箸が掛かっていた。
「火入れッ!」
声を出した。炉の中で何かが動いて、途中で止まった。
> 真、通りません。
「もう一回。火入れッ!」
> 真、通りません。
黒い炉は黒いままだった。窯もくすんだ土のままで、艶が出なかった。四十メートルの高さに、焼いていない工房が二つ、突っ立っていた。
塊が動いた。腕らしいものを振って、炉の肩を打った。煉瓦が三枚落ちた。落ちた先は佐久間豆腐店の前で、豆腐屋は今度は逃げていた。逃げながら振り返って、また立ち止まる。
水路の欄干に、宮下の娘が乗っていた。父親が抱えて下ろすまで、ずっと上を見ている。子どもは怖がっていない。大人だけが怖がっていた。
戸島は自分の店の前に立って、上を見ずに水路を見ていた。水面に映った方を見ていたらしい。後で訊いたら、そっちの方が大きさが分かると言われた。
「動かねぇんだよ、こいつ」と燈が言った。
「素焼きだ」と蒼が言った。「焼いてない土は、力を受けたら潰れる。割れるんじゃない。潰れる」
窯の腕が塊に触れた。触れたところが崩れて、灰白色が二十ほど落ちてくる。落ちた分はすぐ上から埋まる。
塊は屋根を越えたところで止まって、それから崩れはじめる。倒したからではない。時間が来たらしかった。同じ顔が路地の奥へ流れていって、水路の水面が元の高さに戻った。
残ったのは、煉瓦三枚と、割れた器と、二機の素焼だけである。
*
夜が明けた。
佐久間が豆腐を台に置いていた。今日は二丁だった。
「二人ぶんか」と燈が言った。
「余ったからな」
豆腐は二丁とも角が立っていた。数が増えても、揃ってはいない。片方が少し大きい。燈はそれを見て、何故か安心した。安心した理由を考えて、途中で考えるのを止めた。
蒼は窯場の前に座って、輪を見ていた。焚き口の中で玉虫色がまだ這っている。
「取らないのか」
「あそこにある方が、いい」
蒼は立ち上がって、土を練りはじめる。押して、回して、折り返す。三つで一つになる。
土は嘘つく 練れば練るほど。
燈は自分の唄を口の中で回す。二つの拍だ。
合わない。
> 銘量、火村燈 八百七十五。陶山蒼 九百十六。
> 二つ、減っております。
「合わなくなったな」と燈が言った。
「戻ったんじゃない」と蒼が言った。「向こうが、揃えるのを止めただけだ」
蒼は手を止めずに、水路の向こうを見た。織屋の方から機の音がしていた。まだ拍は分からなかった。
> 【鑑定 第二号】
> 押印累計 ── 三。
> 物件 ── 土練りの唄、一節。
> 追記 ── 本日、押印二。使用者、火村燈および陶山蒼。銘量の減少を確認。
> 所見 ── 五工房の作業唄、拍の一致を確認。原因不明。
> 窯出し六点、同一形状。うち六点、使用者により破棄。
> 工房機二機、火入れ不通。合体に至らず。
> 本件、真贋判定 ── 〈不能〉。
> ただし、




