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真贋戦隊コクインジャー ~一番になれなくていい。一点物になれ~  作者: 智珠
第二巻 艶

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第027話 同じ味の醤油

> 【鑑定 第二十七号】

> 押印累計 ── 百二十五。

> 依頼者 ── 湊屋醤油。

> 物件 ── 木桶、四本。

> 所見 ── 杉。四本とも同一の寸法であります。

>     内側の付着 ── ありません。木の色 ── 新しうございます。

>     仕込みの味 ── 四本とも同一。

>     年による差 ── ありません。

> ……判定を、開始します。


 ── 六枚のうち三枚は、掛けた日のうちに写真に撮られて、画面に流れた。


 湊屋醤油の蔵である。商店街の外れ、水路が川へ落ちる手前にある。九月の午前で、戸を開けても風が入らない。


 湊屋良吉が櫂を入れていた。五十五で、四代目になる。長い柄の櫂を桶の底まで挿して、そこから練り上げる。


 練る音が重い。粘って、櫂を抜く時に空気が鳴る。


 櫂は樫で、柄が二間ある。先が磨り減って丸くなっていた。湊屋の手の当たる場所だけ、色が抜けている。


 桶は四本ある。杉で、直径が人の背丈ほどあった。百二十年使っている。二代目が入れた桶で、湊屋は自分では一本も新しくしていない。


「箍だけは替えます」と湊屋が言った。「二十年に一度。木は替えません」


 箍は竹ではなく鉄になる。竹の頃もあったが、三代目の代で替えた。替えた記録は帳面に残っている。


 燈は蔵の入口に立っていた。入ってすぐの床が濡れていて、そこから先は履物を替える決まりになっている。


「替えると、どうなるんですか」

「味が変わります」

「木なのに」

「木だからです」


 湊屋は櫂を桶の縁へ立てかけた。立てかけて、内側を指した。


 桶の内側は黒い。木の目が見えないくらい、厚く何かが付いている。爪を立てると引っ掛かる。


「これが味です」

「桶が」

「桶です。うちが作ってるのは、これを毎年ちょっとずつ足してるだけになります」


 燈は蔵の天井を見た。梁の上に埃が積もっていて、埃の色が黒い。壁も柱も、内側が全部黒かった。


 湊屋は小皿を出した。並べると十二枚あって、一枚ずつ年が違う。


「今年から遡って十二年ぶんです。舐めてみてください」


 燈は一枚舐めた。辛い。舌の奥に来る。舐めた後で水を飲んだ。


 二枚目は違った。同じ辛さの向こうに、甘い匂いが立つ。


 三枚目はまた違う。塩の来る場所が浅い。


 十二枚を左から右へ舐めていくと、途中で一度だけ、味の戻る年があった。


「年で変わるんですか」

「変わります。夏が長いと辛くなる。雨が多いと薄くなる」

「揃わないんですね」

「揃いません。揃わないのがうちの味です」


 湊屋はその年を指した。指した皿は五枚目で、七年前になる。何があった年かは言わなかった。


 玲が横から来た。来て、小皿を一枚取って飲んだ。飲んで、次を取った。


 十二枚とも飲んだ。


「あんた、それ十二種類あるんだが」

「ぜんぶ飲みました」

「で?」

「おなかすいた」


 湊屋は黙って、玲の前に握り飯を置いた。置いてから、笑った。


 佐久間が桶を提げて入ってきた。白い桶で、水が減っていない。


「余ったからな。置いてくぞ」

「六丁ですね」

「余ったんだ」


 佐久間は蔵の土間へ置いて、それから四本の桶を見上げた。


 豆腐屋が醤油屋に来るのは、月に一度の注文の日になる。今日は注文の日ではない。


「三代目の頃から、うちはここのしか使ってない」

「知ってます」と湊屋が言った。

「変えたことがない」

「変えないでください」


 佐久間は笑わなかった。笑わずに、桶を置いた場所を指で確かめて、それで出ていった。



 十日後に、味が変わった。


 変わったのは朝である。前の日の夕方まで、湊屋は何も気付いていない。


 湊屋が朝の仕込みを見に入って、桶の色を見た。


 白い。四本とも白い。


 四本とも、内側の黒が無くなっていた。木の目が出ている。杉の色がそのまま見えて、爪を立てても引っ掛からない。


 湊屋は櫂を入れた。入れて、練って、指に付けて舐めた。


 舐めて、暫く動かなかった。


 旨い。角の無い旨さである。


 角が無い。塩が立たない。舌の奥にも来ない。飲み下した後に、後味が残らなかった。


 旨いという言葉が先に出た。出てから、湊屋は口の中をゆすいだ。ゆすいで、もう一度舐めた。


 湊屋は四本とも舐めた。


 四本とも同じ味だった。


 四本の味が揃ったことは、四代のうちに一度も無い。仕込みの日が違えば、味も違う。


 その日の午後、食堂の主人が来た。銘洲の駅前で定食屋をやっている男である。


「湊屋さん、今朝の、変えたか」

「変えてません」

「旨いよ。うちの客が三人、旨いって言った」

「三人」

「三人だ。十年やってて、醤油を褒められたのは初めてになる」


 食堂の主人は帰りに一斗缶を二つ余分に買っていった。


 一斗缶を二つ余分にというのは、月の仕入れの三割増しになる。湊屋は帳面に書いて、書いた数を二度見た。


 夕方に、佐久間が来た。


 佐久間は蔵の入口で足を止めた。止めて、中の匂いを嗅いだ。


「湊屋さん」

「はい」

「匂いが違う」

「変えてません」

「変えてないのは分かる。だが違う」


 湊屋は小皿に一杯出した。佐久間は舐めた。


 舐めて、皿を置いた。


「旨いな」

「はい」

「旨い」


 佐久間はもう一度だけ言って、それから何も言わなかった。


 識が来た。丸い胴を土間の上で二寸だけ浮かせて、正面の板が明るくなっている。


> 鑑定を、開始します。

> 物件 ── 木桶、四本。

> 杉。四本とも同一の寸法であります。

> 内側の付着 ── ありません。木の色 ── 新しうございます。

> 仕込みの味 ── 四本とも同一。年による差 ── ありません。

> 判定 ── 贋。


「四本ともですか」と燈が訊いた。

> 四本ともであります。


 湊屋は識の言葉を最後まで聞いた。聞いて、櫂の柄を持ち直した。持ち直すのに両手を使っている。


 湊屋は桶の前に立っていた。立って、櫂の柄を握っている。握った手が白い。


「うちの桶は、何処にありますか」

> 照会中であります。


「持っていったんですか」

> 当機には、運び出しの記録がございません。


 蒼が桶の縁へ手を掛けて、内側を覗いた。覗いて、掌で撫でた。


「三秒くれ」


 三秒より長く掛かった。掛かってから、蒼は帳面を出して、木の目の向きを写した。写して、その脇に何も書かなかった。


「木の目が同じです」と蒼が言った。

「四本ともか」

「四本とも同じです。杉は一本ずつ目が違うのに」


 杉の目は木ごとに違う。同じ山から出した木でも違う。四本が同じ目をしていることは、まず起きない。


 巌が入ってきた。入って、履物を替えて、それから桶に触った。見る前に触った。


 箍を上から順に叩いた。四つある。四つとも同じ音がした。


「ん」

「巌さん」

「箍が新しい」

「二十年に一度替えるんです」と湊屋が言った。「去年替えました」

「去年のじゃない」


 巌は箍の合わせ目を指でなぞった。なぞって、そこで止めた。


「合わせが上手すぎる」


 合わせ目に段が無い。手で締めたものには、必ず段が出る。巌はそれを言わずに指を離した。


 紬が湊屋の作務衣の袖を見た。糸が一本出ている。指で拾って、二度巻いて、引いて、切らなかった。


「湊屋さん、ここ」

「ああ、どうも」

「切ると、また出るので」

「そうですか」


 湊屋はその袖を自分でも押さえた。押さえて、離した。


 押さえた指が、まだ醤油の色をしている。



 寄合の日取りが決まった。


 工芸祭の煮しめに使う醤油を、どこの何にするかを決める寄合になる。毎年やっている。毎年、湊屋のに決まっていた。


「今年は決を採るそうです」と湊屋が言った。

「なんでですか」

「新しい方がいいと言う人が出たので」


 決を採るのは、四代のうちに一度も無いことになる。理事長がそう言ったと、湊屋は付け足した。


 燈は蔵の外へ出た。出て、水路の方を見た。


 九月の午後で、日が長い。川へ落ちる手前の水が白く光っている。


 巌が横に来た。来て、蔵の板壁に掌を当てた。


「壁は古い」

「桶だけですね」

「ん」


 燈は蔵を見上げた。屋根の瓦は古い。梁も古い。桶だけが新しい。


 その時、砂が鳴った。


 乾いた音である。蔵の壁で二度返って、それから消えた。


 道に灰白色が並んだ。数える前に百五十を超える。蔵の戸の前に一列で並んで、戸には触れていない。


 燈が印籠を出した。


「押印!」


 五つの胸から朱が広がった。円、角、杼形、縦長方形、六角。五色が残る。艶は何処にも無い。


 背後に紙が広がって、五つの印が並んだ。右下だけが白い。


 蔵の中で桶が鳴った。


 四本のうち一本が浮いた。浮いて、戸を割って外へ出て、そこで膨らんだ。


 樽の形である。杉の白い肌で、箍が四つ回っている。高さが五メートル近くある。


> 贋作体であります。原物、湊屋醤油の木桶、四本。

> 内側の付着 ── ありません。年による差 ── ありません。

> 判定 ── 贋。


 燈が走った。走って、腹へ鎚を入れた。


 入った。入った場所の杉が凹んで、指一本ぶん減った。


 巌が入った。大鋸を横に構えて、箍の上へ歯を当てた。切らずに、継ぎ目を作る。


 継ぎ目が出来た。出来た場所が、指一本ぶん減っている。


 玲が斬った。跡が残って、そこも指一本ぶん減った。


 蒼が輪を投げた。玉虫色が回って、当たって、指一本ぶん減った。


「同じだ」と蒼が言った。

「何がだ」

「減り方です。全部、同じだけ減ってます」


 燈はもう一度打った。指一本ぶん減る。


 三度打った。三度とも同じだけ減っている。


「これ、あと何回だ」

「三秒くれ」


 三秒より長く掛かった。掛かってから、蒼が言った。


「百十回です」

「百十」

「五人で割って、一人二十二回。朱が先に無くなります」


 樽の肌が冷たい。夏の終わりの道で、そこだけ日を吸っていない。触っても手の温度が移らなかった。


 紬が鞭を投げた。箍に巻いて、引いた。倒さない。引いて、締めた。


 締まらない。何度締めても同じになる。


 どこを締めても、同じ強さで返ってくる。緩いところが一つも無い。


「締めるところが無い」と紬が言った。


 樽が動いた。動いた先に蔵の板壁があって、そこへ肩から入った。


 板壁が三間ぶん抜けた。抜けた奥に、桶が三本並んでいる。


 湊屋が蔵から出てきた。出てきて、樽を見上げた。


「湊屋さん、下がってください」

「甕があります」

「甕?」

「去年の醤油です。売れ残りが、蔵の奥に」


 去年の醤油は売れ残りである。辛すぎると言われて、返ってきた分もあった。湊屋はそれを捨てていない。


 湊屋は蔵へ戻った。戻って、抜けた壁の穴から甕を一つ転がして出した。


 一斗甕である。抱えると、五十五の男には重い。


「これを入れます」

「何をですか」

「あの樽にです」


 燈が湊屋の前へ出た。


「俺が持ちます」

「持てません」

「持てます」

「持てるでしょうが、蓋の開け方が違う」


 湊屋は甕を抱え直した。抱え直して、走った。


 燈は前へ出た。出て、湊屋の走る先に立った。立ってから、退がらなかった。


 速くはない。走るというより、傾いて進む形になる。


 樽が腕を振った。振った先に湊屋がいた。


 紬の鞭が先に届く。湊屋の腰に巻いて、引いた。倒さない。引いて、腕の下から抜いた。


 巌が樽の足へ継ぎ目を入れた。足の運びが半拍遅れた。


 玲が斬った。跡が残った。跡は動かないので、樽の向きが読める。


 蒼が輪を投げた。輪が樽の口の縁に掛かって、そこで回った。回った場所が、口の縁を外へ開かせた。


 口が開いた。開いた縁が外へ反っている。


 湊屋が甕の蓋を落とした。落として、そのまま持ち上げて、口へ向けて傾けた。


 黒いものが落ちた。糸を引いて落ちた。


 入った。音が遅れて返ってくる。


 一斗分が樽の中へ落ちて、底で音を立てた。


 樽が止まった。


 止まって、それから胴が鳴りはじめた。鳴り方が一定でない。上と下で違う。左と右で違う。


「むらが出た」と蒼が言った。

「どこですか」

「左の下です。あそこだけ、締まりが違う」


 燈は走った。走って、左の下へ回った。


 回った先で、足を止めた。


 止めて、そこから動かなかった。


 樽の腕が上から来た。燈は避けなかった。避けずに、鎚を握り直した。


「ホムラヅチ!」


 鎚が入った。柄まで音が来た。


 入った場所が、指一本ぶんでは済まなかった。


 杉が縦に割れた。割れ目が上まで走って、箍が一つ外れて、そこから胴が開いた。


 開いた中から、黒いものが流れ出た。


 匂いが道に出た。九月の風に乗って、商店街の方まで流れた。


 辛い匂いである。角がある。嗅いだ者が何人か、鼻の頭に皺を寄せた。


 崩れた。


 崩れた場所に、木桶が四本残った。


 黒い。内側が厚く黒くて、爪を立てると引っ掛かる。木の目が見えない。


 湊屋は膝を突いた。突いて、四本の内側を順に見た。


 見て、一本目の内側に掌を当てた。当てて、そのまま暫く動かなかった。


 灰白色が動いた。最後の一体が膝を突いた時、道にいた全部が一斉に口を開いた。声だけが揃った。


「……ありがとうございました」


 消えた。石畳に足跡が一つも無い。



 湊屋は四本を蔵へ入れ直した。


 入れるのに三日掛かった。人を四人頼んで、転がして、据えて、水平を見た。水平を見たのは巌である。


 据え終わった日、湊屋は仕込みを一本だけ始めた。


 四本まとめて始めなかった理由を、その日は誰も訊いていない。


 寄合はその次の日だった。


 場所は商店街の集会所で、机を四つ並べて、二十人ほどが座った。理事長が前に立っている。


「工芸祭の煮しめの醤油だ。今年は決を採る」


 湊屋も座っていた。前から三列目の端になる。


「湊屋さんとこの、戻ったんだろう」と誰かが言った。

「戻りました」

「じゃあ、湊屋のでいいじゃないか」

「新しい方が旨いです」


 部屋が黙った。


 黙ったのは五秒ほどである。誰かが茶を啜って、それで戻った。


「うちの醤油が旨くなったんです」と湊屋が言った。「断る理由が無い」


 理事長が手を挙げさせた。


 挙げるのは店の主人だけになる。二十人のうち、店の主人は十四人だった。


 新しい方に十一。理事長が数えて、二度数えた。


 古い方に三。


 佐久間が挙げた。戸島が挙げている。湯浅の手も上がっていた。


 三人とも理由を言わなかった。訊かれもしなかった。


 湊屋は新しい方に挙げていた。挙げた手を、最後まで下ろさなかった。


 燈は部屋の後ろに立っていた。立って、平尾の手を見た。


 平尾も新しい方に挙げている。


 燈は何も言わなかった。


 寄合が終わって、人が出ていった。湊屋は最後まで座っていた。


「戻ったのに」と燈が言った。

「戻りました」

「使わないんですか」

「使います。うちの蔵で使います」


 湊屋は机の縁を指で撫でた。撫でて、それから燈を見た。


 撫でた指の跡が机に残った。醤油の色である。机の木が古いので、跡が入る。


「祭りには出しません。それだけです」

「それだけ、ですか」

「ありがとうございました。取り返してくださって」


 礼を言われた。燈は頭を下げられる側になった。


 燈は返す言葉を探した。探して、見つからなかった。


「いえ」


 それだけ言った。言ってから、集会所を出た。



 夜になって、外が暗くなった。


 暗くなる前に音が来た。蔵の屋根の瓦が鳴って、それから水路の水面が波打った。


「── 量産」


 低い声である。昼の道には誰もいなかった。


 地面から何かが生える音がした。同じ間隔で、同じ数だけ、続けて鳴った。


> 銘量 ── 火村燈 七百三十一。陶山蒼 七百七十二。綾織紬 六百二十。

> 楠木巌 八百三十六。硝子井玲 七百十四。

> 六つ、減っております。


「まだ減ってるのか」と湊屋が訊いた。

「毎日です」と燈が言った。

「祭りまで、もつんですか」

「もちます」


> 連結を確認。


「火入れッ!」


 炉の底が鳴った。赤が上がって、継ぎ目を通って渡っていく。


> 真、通りました。


「組み継ぎ、合体!」


 継手が噛んだ。木を組む時と同じ音が、四十メートルの高さで鳴る。


 醤油の匂いが道に残っていた。


 商店街の人が出てきて、上を見た。匂いを嗅いでから見上げた者が何人かいる。食堂の主人は一斗缶を抱えたまま出てきた。


 佐久間は桶を石畳へ置いてから見上げた。置いた桶の水が揺れた。


 塊が腕を振った。振った先が湊屋醤油の蔵の屋根を掠って、瓦が七枚落ちた。落ちて、蔵の前の敷石で割れた。


 湊屋は上を見なかった。見ずに、蔵の戸を閉めた。


 閉めてから、そこに立っていた。


「刻印!」


 右の拳が前へ出た。左の掌が、その甲を上から押す。


「銘刻斬ッ!」


 声が五つ揃った。


 拳が塊の胴へ入った。入ったところで止まって、そこに朱が走る。線が字の形になっていって、銘が刻まれていた。


 崩れた。落ちた欠片が敷石に当たって、そこで杉の粉になった。


 粉が水路へ流れた。流れて、川へ落ちる手前で溜まった。



 朝になった。


 湊屋の蔵で、櫂の音がしていた。


 練る音が重い。粘って、櫂を抜く時に空気が鳴る。


 燈は蔵の入口に立っていた。入らずに、そこから聞いていた。


 湊屋は四本のうち一本にだけ櫂を入れている。あとの三本は、新しい方の仕込みが入っていた。


「四本とも戻ったんじゃないんですか」と燈が訊いた。

「戻りました」

「なんで一本だけ」

「注文が、一本ぶんしか無いので」


 湊屋は櫂を抜いた。抜いて、縁へ立てかけた。


「佐久間さんと、戸島さんと、湯浅さんです」


 三人分の注文で一本が回るかどうかを、燈は訊かなかった。訊いても答えは決まっている。


 燈は蔵を出た。出て、火村鍛冶まで歩いた。


 歩きながら、掌を開いた。醤油の匂いが手に残っている。洗っても取れない。


 火村鍛冶の土間で、燈は火を入れた。


 鎚を持って、火床の前に立った。


 立ってから、低い声で歌った。


 減った鉄だけ 締まるのさ


 一行だけである。歌い終わらずに、鎚の音でそれが消えた。


 壁に紙が三枚と、帳面が一冊掛かっている。帳面は開いたままになっている。


 燈はそこへ何も書き足さなかった。


> 【鑑定 第二十七号】

> 押印累計 ── 百二十五。

> 物件 ── 木桶、四本。

> 追記 ── 本日、押印五。搭乗五、刻印一。銘量の減少を確認。

> 所見 ── 代替物(木桶、四本)、消失。

>     贋作体一体、消失。打撃による。打ったのは火村燈であります。

>     当該贋作体、減損は打撃ごとに一定でありました。

>     むらの発生 ── 依頼者による注入。一斗。前年産。

>     注入の補助 ── 綾織紬、楠木巌、硝子井玲、陶山蒼。

>     注入したのは依頼者本人であります。

>     原物(木桶、四本)── 返却済み。内側の付着 ── あります。

>     据え付け完了。水平の確認 ── 楠木巌。

>     仕込みの再開 ── 一本。

>     受け入れ ── ありません。

>     銘洲市工芸祭の煮しめに用いる醤油 ── 決を採りました。

>     新しい方、十一。旧に復した方、三。

>     依頼者の投票 ── 新しい方であります。

>     旧に復した方に投じた者 ── 三名。氏名の記載 ── ありません。

>     注文 ── 一本ぶん。

>     市の被害 ── 湊屋醤油の蔵、板壁三間。屋根瓦、七枚。

> 本件、真贋判定 ── 〈贋〉。

> ただし、

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